比較優位説は、完全雇用が前提? | 秋山のブログ

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ネタ不足でいつものパターン。inemuri-papa氏からちょっとネタを拝借。

菅原晃氏が、中野剛志氏の比較優位が完全雇用が前提としたものであるという主張に対して批判している。

比較優位が前提なしに成り立つという話は、何をもって成り立ったと言うのかということを定義しなければダメだろう。交易にしろ、仕事の分担にしろ、それをおこなう片方が、あらゆることにおいて劣っていても、そうすることが双方の利益になりうるということを指すのであれば、それは前提なしに成り立つだろう(滅多にないことだが生産性の比率が同じ場合もちょっと困る)。しかし交易するだけで必ず両者の役に立つかと言えば、さまざまな前提が必要になってくるだろう。

交易で成り立たない可能性は、いくらでも考えられる。商品の独占性について、以前ドイツとギリシャの比較で書いた。双方が必ず利益を得るためには、技術や設備は容易に獲得できるものという前提が必要になるだろう。
消費の限度というものもかなり考慮が必要だ。スティグリッツ教授が指摘するように、不況の成り立ちは、消費の限界と生産がそれを上回ることが大きい。これがある時は、片方にとって利益にならないことがしばしば起こるだろう。(両方の不利益だって起こりうる)
受給曲線の外の問題にも注意が必要だろう。交易の結果、国の労働者の賃金が低下することは、しばしば起こりうることで、それが需要減に繋がることもあるだろう。これは経済モデルに含まれないから無視していいという話では全くない。

一方、完全雇用が前提であるという話も好ましくない。完全雇用でなくても成り立つ場合が多々あるだろう。というか趣旨が誤解される表現だからだ。
菅原氏は、完全雇用でなくて成立するものを提示すればオッケーと考えておかしな反論をだしている。中野氏が想定しているのは、単なる完全雇用ではなくて、交易等の刺激で失業者が増えるような不均衡な状態を意味しているのだ。だから、変化のない失業者を想定して計算しても意味はない。生産者の移動を不完全にして計算しても意味はない。

追記。
菅原氏のコメント欄を見たら、氏はセイの法則を絶対視して、生産性の向上によって失業がおこるなんてありえないと断じている。氏はまさに現実よりも、習ったことが重要であるようだ。