「ポスト・ケインズ派経済学」から。第6章の『金融化と現代資本主義』においてグローバル・ケインジアン・ニューディールについて紹介されている。これについて書いてみたい。
聞きなれないこの言葉は、ポスト・ケインズ派のE.ハインらが提唱している政策パッケージである。内容は、金融部門の再規制、マクロ経済政策の方向転換、国際政策協調と新しい国際金融秩序、の大きく3つに分けられる。それぞれを紹介検討してみよう。
1金融部門の再規制
○金融市場の透明性向上→すべての金融商品の標準化と監視、オフ・バランスシート活動の禁止、あらゆる金融仲介期間の規制と監視、独立的で公的な格付機関、家計や中小企業に信用を供給する公的銀行への支援
○長期的な成長への誘引→証券化の制限、自社株買いの制限、ストック・オプションの制限、株式保有期間の規制強化、株主以外のステークスホルダーの権利拡大
○金融システムの不安定化抑制→反景気循環的自己資本規制、あらゆる金融取引を課税対象にする金融取引税
2マクロ経済政策の方向転換
○金融システムの安定化→失業や物価水準の微調整のための金利変更の禁止、労働生産性上昇率よりも低い低水準の実質金利目標、中央銀行による金融市場の規制者監督者そして最後の貸し手としての活動
○財政政策→完全雇用と所得分配の平等化目的、長期的な財政赤字による民間需要不足の補填、長期成長のための公共投資、累進的な所得税・富裕税・資産税・相続税及び移転支出
○物価の安定→生産性上昇率に目標インフレ率を加えた率の賃金上昇率、全国レベルの集権的賃金交渉制度、最低賃金制度
3国際政策協調と新しい国際金融秩序
○国際政策協調→経常収支についての目標設定
○国際金融秩序→調整可能な固定為替相場制への復帰、国際生産同盟
これらの内容は、ほとんどがもっともなことであり、このブログで私が主張してきたものと合致する。一方、主流派経済学者(多くの場合金融関係のエコノミスト)が、実証もなく(多くはむしろ真逆の結果を示している)イメージや、現実的でない仮定をおいたり重要な要素を無視した理論によって主張してきた内容と正反対のものでもある。
いくつかの政策に関しては、異論、または僅かな修正ポイント、今後への課題がある。
「独立的で公的な格付機関」は理念としては正しいが、それが主流派経済学の理論を信じるエコノミストによって運営されるならば意味は無いだろう。
「家計や中小企業に信用を供給する公的銀行への支援」は、これも理念としては正しいが、昔の日本であれば公的銀行でなくても通常の銀行が十分な役割を担えていた。昔の護送船団方式こそが正しい政策だろう。
「自己資本規制」に関しては、これは間違いであると思う。景気が加熱したら沈静化すべきであるという意見に明確な理由はない。自己資本規制が危機を防ぐ能力は実例を見れば疑わしい。日本では自己資本規制故に危機的状況が引き起こされた。貨幣の本質を理解していれば、自己資本比率がナンセンスなことは分かるだろう。重要なのは融資の中身、質以外にはない。
「固定為替相場制への復帰」も正しいが、どのような調整をすれば適切となるかに関しては、ポスト・ケインズ派においても十分な研究がなされていないように思われる(単に私が知らない可能性もある)。ここは国際価値論の出番かもしれない。逆に言えば、実用性を証明してこそ国際価値論は市民権を勝ちえるであろう。
「経常収支についての目標設定」「国際生産同盟」に関しては、異論がある。経常収支の不均衡を問題視するのは、財政均衡に拘ることと同様の誤りであろう。黒字国が生産を縮小するなどという話は全く愚かだ。重要なのは両国ともに最大限生産することであり、その結果経常収支が均衡しなくても問題はないだろう。例えば日本に安く小麦を売って、日本から高い車を米国が買ってくれるならば、それは米国債の購入と時間の経過による実質価値の減少という形で帳尻を合わせても、日本にとってありがたいことであるはずである。むしろ重要なのは、双方の国の失業率をどう下げるかという話になるだろう。
グローバル・ケインジアン・ニューディールは、僅かな問題はあるものの、なかなか優れている。もっと脚光をあびて、一般的に知られるようになるべきだろう。その中身を吟味、議論するだけでなく、そこに追加すべき新たな政策を考えるのも面白い。例に出せば、日本の保険医療システムを応用した、医療そしてその他のものに対する需要増加システムなども提言できるだろう。これは今まで書いたことはないが、日米の労組協力のようなこともできるかもしれない。