資金運用者資本主義 | 秋山のブログ

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「ポスト・ケインズ派経済学」から。この書籍の中の最も素晴らしい部分について書こうと思う。

 

ポスト・ケインズ派の多くの論者が、1980年代からの資本主義の変化を、資金運用者資本主義、もしくは金融支配型資本主義と呼び、P137『金融化が総需要と所得分配に及ぼす影響について』さかんに研究をおこなっている。この資金運用資本主義という概念は、リーマン・ショックの折に脚光を浴びたミンスキーの、現代資本主義の構造変化に関する研究がもとのようだ。ミンスキーは、米国の資本主義が、商業資本主義から産業資本主義、金融資本主義(1930年代の大恐慌と金融システムの崩壊)を経て、経営者資本主義という繁栄の時代を迎えた後、1980年代以降、資金運用者資本主義に入ったとした。

1980年以降どのようなことになったかといえば、P132『国家の経済的な役割の縮小に加えて,内外の金融取引,金融業の収益,および各種の金融資産所得などの顕著な増加に見られるように,経済において金融部門の演じる役割が急速に拡大した』。金融部門が力を増したことにより、その強い圧力によって、彼らの利益を増大させる新自由主義が政策に取り入れられてきたのだが、その政策とはすなわち、P132『労働組合の弱体化政策による賃金コストの抑制,株主価値重視の企業統治の導入,財政赤字を口実にした福祉支出の削減など』だ。その結果は、主流派経済学が主張してきたこととは逆で、経済成長を緩慢なものにとどまらせ、雇用を不安定化させ、所得格差の拡大を増大させるなど、経済の不安定性が増大したのである。

どうだろうか。まさに現実を的確に表現しているのではないだろうか。
 

経営者資本主義と資金運用者資本主義の大きな違いは、経営者が長期的な展望に則って経営をおこなうことができるか、経営者が短期的な利益に走らざるを得ないかということである。もちろん前者の方が成長に繋がることは疑う余地がないが、現在では乗っ取りの脅威というムチと、報酬の増大というアメによってそれも難しくなっている。

しかしそれらは、自然に必然的にそうなったわけではない。そうなるような制度が開発されたのである。株式公開買い付けやジャンクボンドなど敵対的買収を可能とするような金融手段の開発、業績連動型報酬制度やストックオプションの導入などがあげられるだろう。株主代表訴訟もそのひとつだろう。

考えてみれば、このような制度改悪に反対されないように、経済学者によるプロパガンダが様々おこなわれている。トリクルダウンは言うまでもなく、「会社は株主のものである」といったキャッチコピーもそうであるし、「潰れるべき企業はさっさと潰れるべき」という話も単純な固定観念を生むだけのもので、益なく有害だ。

 

金融化が進めば、P142『投資支出が停滞するとともに,所得分配の不平等化によって消費支出に対しても押し下げ圧力が加わる』。総需要不足になるため不景気は必発であろう。しかしながらP142『1990年代以降のアメリカにおいて長期的な経済拡張が実現』している。何故このようなことが可能であったかと言えば、実質賃金が伸び悩む一方で家計の債務が増大していることから、一般家庭のの多くが借金をして買い物をしたということが分かる。すなわち借金をしやすくなったこと、標準的な消費水準が上がったことが原因ということだ(資金運用者資本主義を肯定したい主流派経済学者は、担保の資産価値の上昇によって消費が増大する「資産効果」によって消費の増加を説明しようとした。しかしこれは株価下落によって消費が落ちなかったことに矛盾する)。当然、P142『家計債務の増加を通じてのみ経済拡張が可能となるシステムが,無限に持続することはありえない』。住宅バブル崩壊後は急速に景気後退し、持続不能となった。

 

以上の構造が分かれば、経済のためにおこなうべき政策は明らかである。P144『ポスト・ケインズ派は,新自由主義政策への代案として「賃金主導型成長戦略」を提唱している』。P145『株主主権型企業をステークホルダー型企業へと改革する』というのも重要であろう。