地主と株主 | 秋山のブログ

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以前レントのところで、日本の戦前の農業の形態について述べた。

嘗ての日本では、地主に対して小作人がおり、高額な小作料を払って農業を営んでいた。地主間に小作人を獲得する競争はなかった。小作人に地主を比べる情報もなく、土地を変えること自体小作人にとって現実的でないくらいのコストがあり(現在の転職も同じ感じだが、現在の経済学ではこれが驚くほど軽視されている)、時には強権的に禁止すらされていた。地主は通常談合すら必要でなかったが、談合の禁止などという概念もなかった。

さて、これを読んでどう感じられるだろうか。正しいことでは決してないだろう。是正すべきことでもあるだろう。さて、誰がどのようにしてこれを是正すべきか。
経済学を学んでいる人間であれば、小作人の自由な移動を可能にし、小作人に豊富な情報を与えるべきと考えるだろう。法律を学ぶものであれば、独禁法の精神から、地主の解体を考えるかもしれない。誰でもたくさんの正解を思いつくであろう。ただひとつ留意しなくてはいけないことは、余裕のある状態で価格を自ら決定できる地主と、背に腹はかえられない小作人では、あまりにも力関係に差があることだ。小作人が力を合わせてやっと少し劣位程度の状況に持ち込めるくらいであり、ある程度競争環境が整えば大丈夫などということは決してないだろう。

次は、現代の株式会社を考えてみよう。株式会社は労働力を使って付加価値(経済学上の)を創造する。それを賃金や配当に分配にするわけだが、この構造、株主と労働者は、言葉をちょっと変えただけで地主と小作人に完全に一致する。

ほんの少し前の日本の会社を考えてみよう。会社にとって労働者は小作人ではなくて家族だった。株主は低い配当で満足もしていた。労働者を道具扱いすることもほとんどなかった。
そこにおかしな思想が入り込んできた。会社は株主のためが全てであるという思想である。これを言い直して、小作料を上げることが農業の目的などと言えば誰でもその異常性に気付くであろう。さらには、組合活動がよろしくないという話が盛んに喧伝された。新自由主義と対極にあるもう一つの誤り、共産主義、社会主義のレッテルを貼るという戦略はなかなか効果的であった。

ということで、現在株式会社の寄生地主化が進む状況にある。労働者を守るための対策は、上で考えたような、小作人を守るためになされるべき対策であり、会社に対し国等が介入することである。
これに対してよくある反論が、会社に対するいかなる規制も会社の活動に悪影響があるという、安直だがいかにも正しそうな話だ。しかし地主に対しての規制を考えてもらえばわかるが、ほとんどの規制は企業活動自体への影響はたいしてないだろう。分割とかなら影響は必至だが、独占の害が大きければそれも選択肢としてありだろう。まあ、単純なプロパガンダにはゆめゆめ騙されないことだ。
おかしな思想だけでなく、寄生地主そのものの外国人投資家が入ってきていることも問題だ。安倍総理は外国の投資を呼び込むなどという分っていないことをやっているが、日本は、生産性が低かったり、経常収支が赤字だったり、規模が小さかったりする、途上国ではない。外国からの投資が有用ということ自体、多くの人が信じ込んでいることではあるが、大きな勘違いだ。逆に、自由であることが重要と多くの人が誤解している、資金の移動の規制こそ大事なことだろう。