ステグリッツ教授はかく語りき(レント) | 秋山のブログ

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レントという言葉が本書ではしばしば出てくる。重要な概念であるが、一言での説明は少々難しい。地代(P85)とか超過利潤(P310)とか賃料(P313)とかの言葉にレントというルビがついている。基本的な説明。
P85
『地主は地代を得るために、何かを”行なう”必要はなく、ただ土地を所有しているだけでいい。この状況は、”努力”の提供とひきかえに賃金を得る労働者と好対照だ。やがて”レント”は地代の意味だけでなく、独占状態を管理することで得る収益(独占利益もしくはモノポリー・レントと呼ばれる)という意味もふくむようになり、さらには、所有権から生れる同じような収益を全般的に指すようになった。』

戦前の日本を例にとって、地代ということで考察してみよう。とりあえず、教授の指摘の引用。
P9
『第二次世界大戦前の日本の労使関係は、目も当てられないようなひどいものだった。』

農地改革以前の日本では、地主から土地を借りて小作人が稲を作ることが多かった。そして全収入に対する土地使用料の割合はかなり高かったわけである。つまりは労働の決して少なくない部分を地主のために働いていたということになる。(地主も小作人のために全く何もしなかったわけではなかろうが、ギブとテイクの量の差が大きすぎる)
まだ生産性が低かったこともあって、小作人に残された労働の対価では、生活に困るレベルであった。

次にこれが修正されていた日本の高度成長期を考察してみよう。
都会ではとにかく人手が足りなくて困るくらいであった。当然労働者の給与は十分高いものであったし、高い給与に裏付けされた高い購入意欲はさらに需要を喚起した。
一人当たりの生産性もずっと高くなった。一人が何人もの人間が生活できる量生産し、その分の給与もしっかりもらえるので、子供も多く持て、貯蓄もできた。まさに経済がうまくいっている時代である。

さて、現在に移ろう。
米国でも日本でも、中下層の給与は、物価に比べてかなり下がっている。または、夫の収入だけで暮らせた多くの主婦が働きに出ることによったり、残業を増やすことによって何とか収入減を食い止めているといった状況である。
生産性に関して言えば、高度成長期よりさらにあがっているにも関わらず子供を多く持つことができないことでもわかるように、生産性の上昇分の取り分を多くの労働者はもらっていない(もしくは、もらってもそこから持っていかれる費用が大きくなっている)。その原因はレントが増大しているということにつきる。一部の人が主張し、多くの人が騙されている高齢化が原因という説はまったく正しくない。もう一つ主張される可能性があることとして、科学が進歩してより多くの費用が生活にかかるからという説も考えられる。しかし質の上昇にともないそれに関わる人の数が激増して生産性が追いつかなくなっているという事実はないのだ。画期的な新製品であれ、それが取って代わられる製品と比較して、特別に高ければそれはレントシーキングの結果と考えても良いだろう(レコードとCDを比べてみよう)。

レントシーキングを完全に防ぐことはできないので、税金という形でレントシーキングから金を取り返すのが正解だろう。
レントシーキングと思われる企業活動を見つけたら、価格介入をするという方法もある。政府等の事業参加は民業を圧迫するという意見も少なくないが、実際それで成功している例もある。(個人的には低く誘導しすぎだと思うが、)産婦人科の分娩費用などいい例だ。
昔は一人の地主であったが、現代の地主はたくさんいて少しずつ搾取している。我々はどこにレントがあって搾取しているのか見つけて一つ一つ潰していかなくてはいけない。