11月23日は「勤労感謝の日」ですか?

勤労感謝って?
抽象的な名前ですな~

飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった
新嘗祭(にいなめさい)の日が

第二次世界大戦後のGHQの占領政策により
天皇行事・国事行為から切り離される形
「新嘗祭の日」から改められたものが
「勤労感謝の日」です💧

1948年(昭和23年)に制定されました。



今ではアメリカの属国となっても
軌道修正する暇が無いアメリカ化一直線
教育の日本国も寂しい限りです。

だけど40~50年の教育政策でも
英語は永遠に話せない教育って
日本最大のミステリーですな💧


そんなアメリカと欧州を比較した映画
アメリカを見る事で今の日本の問題が
見えますよ!



学校教育に男女とも茶道を取り入れている
学校は本当に素晴らしいですね。
特に男性には年齢関係なく
もっと茶道をしていただきたいです。

こんな日本国の教育状況の中
日本にあるフランスの学校から
下は三歳からなんですが、
ぜひ茶道のワークショップをやってほしいと
申し込みがありました。

三つ子の魂百まで、大歓迎です。

せめて
11月23日は新嘗祭の日なんだよと
お母さん達が、ご飯の時に
子供達に教えてあげてほしいです。



11月23日は
【新嘗祭の日】に戻してほしいですね。

祖父や父の世代でも戻せませんでしたが、
私は大切な日は戻すべきだと発信します。

こんな些細な事ですが、
先達が継承してきた文化をちゃんと知って
次の世代が日本人としての
アイデンティティーを持ちやすくしたいです。



新嘗祭は、天皇が新穀を
天神地祇(てんじんちぎ)にすすめ、
感謝の祭りをし、また自らも新穀を
食せられる儀式です。

天神地祇とは、天津神、国津神のことで、
つまりは「天の神」「国の神」
あらゆる神々に新穀を捧げる祭儀、
ということです。

新嘗祭は数ある祭儀の中でも
特に重要なものとされており、
もとは天照大神が行ったと神話にあります。

現在では毎年11月23日に伊勢神宮をはじめ、
全国各地の神社で行われます。

以上  新嘗祭  遠州流茶道

そんな大切な日、
小学校で習いませんでした💧愕然


新米を口にしないのと同じように、
なんと新嘗祭まで同じように
口にしない風習もあるそうです。
素晴らしい節日ですね。



ちょうど新嘗には
私の故郷 筑波山にはこんな神話があります。
私も子供の頃に祖父母に昔話を
聞かされました。


奈良時代に書かれた
「常陸風土記」より

大昔、御祖神(みおやがみ)が
国々をお巡りなされて、
日の暮れに富士に行って
一夜の宿をお求めなされた時に、
今日は新嘗の祭りで
家中が物忌みをしていますから、
お宿は出来ませぬといって断りました。

筑波の方ではそれと反対に、
今夜は新嘗ですけれども構いません。

さあさあお泊り下さいと
たいそうな御馳走をしました。
神様は非常に御喜びで、
この山永く栄え人常に来きたり遊び、
飲食歌舞絶ゆる時もないようにと、
めでたい多くの祝い言を、
歌に詠んで下されました。


その行いによって筑波は小さい山だが、
夏冬を通して草木が栄え
お参りに来る人の数が多く、
富士はあの通り積雪深くて、
人の近づき寄る者の至って少ないのは、
天津神に敬を尽くさなかったためだと
説明せられている。

と言われています。

                               *

新嘗祭の日だったら
筑波市のどこか
賛同していただける神社があれば
子供達を集めてこんな茶会をしてみたいな~



筑波嶺の 峰より落つる 男女川   
恋ぞつもりて 淵となりぬる
陽成院




陽成天皇の母親は、藤原高子であり
『伊勢物語』では在原業平との恋物語が有名です。



桜川棗
能の演目【桜川】
筑波嶺を流れる桜川で桜子という娘が、
離ればなれの母と再会する感動の物語です。


隅田川香合
名にし負はば  いざこと問はむ都鳥 
わが思ふ人は ありやなしやと
在原業平


お菓子はもちろん
言問団子で


どんどん繋がって切りがないので
この辺で