明治から昭和にかけ、
多くの事業を手掛けながら、
名物道具を使って茶の湯をする
近代数奇者と呼ばれる人々が登場します。

その筆頭に、
益田鈍翁、井上世外、高橋箒庵、
原三渓、根津青山、小林一三らが有名です。
※敬称略



小林一三さんは、
政治家としては商工大臣、国務大臣を務め、
戦後は初代戦災復興院総裁を歴任しました。

また阪急・東宝グループ、宝塚歌劇団を
作った実業家として有名です。


その小林さんのコレクションだけは
他の数奇者とは違い、特徴があると
言われています。

それは単に金に任せて
道具を買っていないからです。

コレクションや茶室などは
一般に公開されておりますので、
ぜひ一度ご覧ください。


戦後、
小林一三さんが廃校となった古材を用いて作った茶室に「古彩庵」という茶室があります。



物資の貧しい戦後という
時代の中でこそ、
この茶室は生まれました。

実は小林一三さんは
戦災復興院総裁として
戦争に負けた日本人の気概を取り戻す為にも、戦後の義務教育に「茶道」の必要性を真剣に
訴えた偉人なのです。

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或はさうかも知れない。
が、しかし苔むす石燈籠に、筧の音のさややくつくばひの静けさ、一枝の花、松風の音、この心持は外国人には判らないかもしれないとしても、「これがわからないとはかあいそうだ」といふ風に、お茶の境地そのものが、絶対的優位にあるものと自惚れてはイケナイ。
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今はナゼか?
ヒップホップが義務教育ですが。
戦後70年間英語教育をしてきて、
英語が話せない日本人を増やして

今度はヒップホップって
本当に日本は残念無念な国になりました。




舞踊家の田中泯さんが、

舞踊が形式化されたものでなく

嬉しいから踊る

悲しいから泣く

それが踊る

つまり

心が躍るかどうかが先!

授業としての必要性なら
日本芸術が学べる「茶道」でしょう。


茶道サミットを開いて、
流派を越えて各御家元が話し合い、
教育と茶道を話し合い政府に提言したり、

コミケを越える茶道イベントを春・秋
開いたら、もっと茶道に親しむ方が
増えると思います。

小林一三さんは茶道についても、
どのようにするべきか?
具体的に詳しく書かれています。

・『大乗茶道記』
逸翁美術館編 浪速社 1976

・『新茶道』文芸春秋新社 1952/
熊倉功夫解説 講談社シリーズ茶の湯 1986



この「古彩庵」
外見は単なる古い民家のようにも見えますが、
中に入ってみれば、それはやはり茶室で
背筋が伸びます。


天井にも躙口にも、
古材らしく釘の後が
残っていたりしますが、
釣瓶の水指の釘染みのようにも見え
景色にもなっています。


どうせ廃材だからという諦めなく、
古材を選び抜き作られています。

茶室ではありますが、
茶室では味わう事のできない懐かしさや、
身近さも感じられます。

非日常性が求められている
茶室。

空間から、器を考え。
器から空間を考え、
庭から空間を考える事ができます。

各流派の通りとなる
忠実な茶室も良いですが、
この「古彩庵」という茶室が
現代の等身大の茶の湯のあり方に、
示す役割は大変大きいと思います。

何千万と金をかけて
本歌を写す茶室も素晴らしいですし、
この「古彩庵」のように

自分にとっての意味や、
自分の由緒あるもので作る茶室も
また素晴らしいという事です。

大切な事は一点だけ、

例えば初歩的ですが、
いくら炭を使わないとしても、
コンセントに向かって点前、
コンセント点前しないようにする
などもそうです。

広間、小間、四畳半等ありますが、
茶室の各々の約束事だけは
最低限抑える事が大切だと感じました。

難しいのは、茶室を知る
大工さんが少ない事です。