好評だった(と思う)マキャベリ シリーズ(だったのか)、今回はOL編。君主もOLも人生の極意は同じということです。これが実践できればいいなあという願いをこめて。
 
 
1 OLは、自分の所属部署が社内社外からどう評価されているか見極めなければならない。
 
2 OLは、電話応対に精通しなければならない。
 
3 OLは、コピー機の紙づまりを上手に取れなければならない。
 
4 OLは、誰に何と言われようと、いざという時泣いてごまかす技を身につけなければならない。
 
5 OLは、責任押しつける先輩や上司に一泡吹かせなければならない。
 
6 OLは、歯の浮くようなお世辞を真顔で言わなければならない。
 
7 OLは、愛されるより恐れられる存在になるべきだ。
 
8 OLは、恐れられても憎しみを買う存在になってはいけない。
 
9 OLは、ケチだという評判が立つことを恐れてはならない。
 
10 上司の気まぐれに振り回されるOLは評判を落とす。
 
11 OLは、感謝される仕事を進んで引き受け、憎まれ役は同僚に押しつけるべきである。
 
12 仕事の出来すぎるOLは周囲の猜疑心を生む。
 
 
 いくらでも続編が作れそうですが、あまりやるとしつこいのでまた忘れた頃に。
 
 
 6月29日の記事。なぜかコメント欄はコピーの取り方で盛り上がることになります。コピーとは奥が深いです。最近のコピー機は洗濯機と同じで設定さえすれば放っておいてもいいので、その間に他の仕事をしなければならない気分になります。
小半時(こはんとき)  昔の一時(いっとき)の四分の一。今の三〇分。〔広辞苑第四版より〕
 
 広辞苑から面白い言葉を選んで五十音順にタイトルにするシリーズ第10弾。
 
 小半時という時間単位には、しっとりとした響きがあります。明治以前の時間単位だそうですが、庶民は時計を持っていなかったから、もう少し流動的な時間の流れでしょう。現代の日常会話ではまず聞きません。小一時間(広辞苑第四版掲載なし)なら聞きます。
「~と小一時間(問いつめたい)」
というギャグ(?)で。
 
 Q&Aサイトに小一時間とはどれくらいの時間か という質問がありました。多くの人が一時間弱をイメージしますが、小半時を下手に知っていると30分が正しいと思ってしまうようです。
 広辞苑第四版では、小半時の隣の見出し語が小半日ですが、こちらは
 
ほぼ半日に近い時間
 
となっており、四分の一日の意味ではありません。「小」の項目では
 
(4)数量が足りないが、ややそれに近い意を表す。
(5)半分の意を表す。
 
と、しっかり両方あります。
 
 小半時(30分)という時間は何に使えるでしょう。コーヒー1杯。読みかけの本の続きを読む。下書きのできているブログの記事を1個アップ。ボーっとする。何かするのもいいけど、何もしない小半時というのはとても素敵な、贅沢な時間です。
 検索で拾った 石川啄木の
 
大木の幹に耳あて小半時何も思はでありしをかしさ
 
は、決して長くない時間の美しい流れを思わせます。リンク先によると、この歌は啄木の歌集「一握の砂」に収録された際、直しが入って小半時でなくなったそうですが、小半時バージョンの方がいい感じです。
 
 生まれた時から時計があって、常に今何時かを気に留めている現代人の身、小半時、何も考えずに大木に耳をあてていたくても、つい腕時計を見てあと何分、と数えてしまいそうです。
 
 
 6月28日の記事。Q&Aサイトでは時間を伝える時あいまいな表現をしては駄目と説教していた人がいましたが小一時間くらいいーじゃんと思いました。ほとんどの人はもっと時間にルーズ、ではなくて臨機応変です。私は自分でこの表現を使ったことはありませんが、他の人が言うのを聞いて美しい表現だなと耳に残りました。
 初期の自分の記事を見ると、また
「優しい人の優しさゆえの、しかし私には負担になるコメントは対処に困る」
的なことや、そういう時はこうしようということも書いているのに、いざとなると全く実践できていないことにへこみます。
 
 優しいから必ず逆ギレするとは限らない、むしろ逆ギレする方が稀なので、どこで遠ざけるべきと判断するかリアルタイムではちょっとわからないですね。説教族襲撃事件の時もですが、逆ギレされて初めて
「あの段階でこうしていれば」
と思いつきます。後からなら何でも言えますね。
 
 優しい人は私などよりはるかに世のため人のために役立っています。
「他の人に喜んで欲しい、感謝されたらうれしい」
というのも悪い動機ではありません。そういう人がいなかったら、福祉や教育事業は成り立たないでしょう。
 だからこそ、優しくない人間には、優しい人間に感謝する義務があります。そうすることにより、優しい人間はますます優しくなり、優しくされた者も優しい人間になるので、よい循環が世の中に生まれます。
 優しさをうまく示せない人間は、そうすることで世の中に貢献できます。優しさに悪意を返すと、世の循環に悪意が乗ってしまいます。これはよくないことです。
 
 優しくない分我慢して、よい循環に協力する共同体感覚がないといけないのですが、感謝するとますます押しつけられる、しないと認めるまで粘着される、いよいよやめてくれと言うと逆ギレされる、と私のようなひねくれ者には恐ろしいことです。
 自分にとって都合のいい優しさならうれしいですけど、都合の悪い優しさは不要です。これは身勝手な言い分に聞こえるでしょう。つまり、優しさが優しいかどうかを決めるのは受ける側ではなく与える側なのです。言語学的に。逆に
「相手の望むことをしてあげましょう」
はあまり優しくないように聞こえます。
「本当の優しさではない」「相手のためにならない」「厳しいことが本当の優しさ」
というアレですね。優しさを与える側の方が人間的に優れていて何が正しいのか判断する能力が高いという根強い偏見です。第1次ブログ文化論争 の時散々やりましたが、まだ世間的には私共は少数派です。
 
 優しさが拡大し、悪意が縮小するようにという神様のお導きでありましょう。私も多くの優しさに救われた過去を持っています。優しさの拡大を望まぬ者ではありません。
 受ける側が評価権を握ることで与える側を支配しているのか、与える側が自分の優しさを認めさせることで受ける側を支配しているのか、どちらなんでしょうね。見方が違うだけでどちらも正しいのでしょうね。
 
 なお、私はとてもかなわぬもの、屈服せざるを得ない存在の象徴として「神」という言葉を捉えています。この言葉の捉え方は一人一人異なっています。私にとっての神はいるのかいないのか、これから探していく予定です。
 
 
 6月25日の記事。タイトルに1がついている時点で2も3もあるであろうと予測つきますが、当初の構成とは随分違うことになりました。しかしとにかく書いてみたことで、大した神ではないな、と思えるようになりました。
 Yahoo村の人たちは平均身長が低いようだった。みんな140~50cmくらいで、マイコより低い。白雪姫と7人の小人の世界だった。自分で白雪姫とは何だ、というツッコミは自分でした。
 歓迎会というから期待したら、会場のテーブルには人数分の端末とモニターが置かれているだけだった。モニターには料理の名前が並んでいた。
「お好きな料理名をクリックして下さい。画像が出ますので、よければ決定を、他の料理を見たい時は戻るを押して下さい」
そういう仕組みか。科学が発達しているのか遅れているのかわからない村だ。
 
 おいしそうなトロトロのカレーライスを選び、決定をクリックすると、モニターが開いて画像通りのカレーライスが現れた。料理を取り出すとモニターが閉じ、元のメニュー画面になった。
「ねえ、何で顔出さないの」
歓迎会でも、白装束の人々は、口の部分だけ四角く開けてそこから食事をした。目と口だけ見えているのでますますオバQのようだ。
「公共の場で顔をさらすのは危険だからです」
それではマイコが危険人物のようではないか。
「危険ではないと思うけど」
「そういう考えは甘いのです。ネットにはどんな危険が潜んでいるかわかりません。個人情報は明かさないに越したことはないのです。ファン限定ならさらすことはありますが」
「ファンゲンテー?」
微妙に日本語がおかしいのは、この村独特の方言だろうか。ニュアンスは伝わらないことはないが。
「マイコさんもファンになられますか。そうするとこの村にずっととどまっていただくことになりますが」
「いえ、やめておきます。帰りたいので」
音楽が流れ、ステージで踊り子が踊っているが、全員白装束だった。
 
 カレーライスのお代わりを勧められた。今度は一部で流行しているらしいホワイトカレーにした。これもおいしそうだ。
「暮らしにくい世の中になったものです。これというのも2年前、はてなシティーの連中が」
「しっ」
白Aが白Bを止めた。(区別がつかないから便宜上)
「そういえば、はてなシティーまで行けばマイコさんはお国に帰れるのではありませんか」
白Cが別な話題を振った。
「本当」
マイコはこの話題に乗ってみた。これが夢であれ現実であれ、元の世界に戻らなくてはならない。
「マイコさんは空の国から見えられましたが、この村の科学力では飛ぶのは無理でしょう。しかしはてな村のキングオズは空を飛べるということです」
「キングオズというのははてなシティーの王様なのね」
マイコは期待した。
「王という訳ではありません。ただのハンドルです」
「はあ」
また変な用語が出た。
「マイコさん、デザートもいかがですか」
白Aの言葉にマイコは飛びついた。チョコレートパフェで決まりだ。(続く)
 
 
 新着記事にお料理名があるとついクリックしてしまいます。画像がおいしそうだと、このままモニターから出て来ないかなーと思いますよね、思いませんか。前回のお話は妄想書庫 からどうぞ。
 
 
 6月24日の記事。2年前の事件て、多分もう誰も知りませんね。
 アメブロには内緒コメント機能がなく、説教族襲撃事件当時は承認後公開機能もなかったので、あの事件はリアルに白日の下にさらされた状態で進行しました。その点では勇気ある人々でした。1人、成りすましに失敗して逆ギレした人がいましたが。
 
 Yahooだと、他の人に見えないように説教することができます。先日の大規模仕様変更で、コメント字数が増えただけでなく内緒コメントが存在することが管理人以外にはわからなくなりました。
 これは厄介です。私が暴走モードの時に内緒コメントが続けばギャラリーにもそれなりに緊張が走るでしょう。(そうでもないですか)
 仕様変更後1つだけあって、今回は削除しましたが、今後の扱いを考えていかなければなりません。何といっても全角500字改行つきです。250字改行なしとは迫力が違います。
 
1 さらす
2 ファン限定でさらす
3 ハンドルとブログURLはまずい
4 内緒コメントがどんな内容でも許可なくさらすのはネットリテラシーに反することです
 
 内緒罵倒コメントはさらす、と公言している人もいますが、よろしくない気がします。その根拠。
 
A 著作権問題
B 私人のメールを無断で公開するのはいけない気がする
C 人のファン限定記事の内容を無断で他に公開するのはいかんだろ
 
 注意書きに
「内緒罵倒コメントはさらします」
と書いておけば問題ないでしょうが、実際にハンドルとブログリンク入りでさらすと私の方が意地の悪い人に見えそうです。殴られたら殴り返せと言われて本当に殴り返すと私だけ悪者になるパターンです。日頃の行いが悪いからですね。
 Yahooには特定IPのコメント拒否機能がないのでさらに厄介です。
 
 楽しみがない訳ではありません。500字で内緒罵倒コメントした人のブログを私は今も見ています。優しそうな記事を書き、思いやりあふれるコメントを返信するこの人が、他人に見えない場所であんな罵倒をするんだな、そして何食わぬ顔で、弱者への愛情いっぱいの記事を書くんだな、と妄想を働かせると、優しい人の裏側に潜んだ陰の部分を垣間見たようで、記事やコメント返信が優しければ優しいほど、私の黒い部分を刺激してくれるのです。
 
 
 6月22日の記事。この人最近他のブログの転載(Yahooにはボタン1つで他のブログの記事を自ブログで投稿する機能があります、私は不可にしています)ばかりしているので、やはり私とは趣味が合わないようです。