先日までお世話になっていた派遣会社からよく紹介の電話がかかってきます。2度もクビになったのによく懲りないものです。それとも悪いと思って下さっているのでしょうか。

 ドクターのおっしゃるような、興味の持てる仕事など皆無です。だいたい通信系ですね。ちょっと前ならマイライン、ADSL、今ならIP電話かプロバイダー。
「知識が全然ないんですが」
「研修がありますから大丈夫ですよ」
その研修が問題です。

 私は大勢で座学で受ける研修の方が覚えられます。最初に全体的なことを説明してくれますし、教材めいた物も配られますから。「今日はこれをやるのね」とわかると頭の中にボックスが形成され、パズルのピースを待つ準備ができます。これだけでも随分違います。
 むしろお見せしたいほど物覚えがよく、一度「優秀な人」の第一印象を与えられればこちらのもので、多少変な質問をしても怒られません。それで自分を勘違いして他の会社でえらい目に合うわけです。

 いわゆるOJT、仕事をしながら少しずつ教えていくというのはだめです。でも中途採用や派遣だと今ほとんどこれなんですよね。
「質問はできますか」
「わからないことは聞いていただいて大丈夫ですよ。何回も同じことを聞くようだと困りますけど」
微妙にいやな予感。
「自分の中で理解するために別な観点から質問するのは構いませんか」
「関係のないことを聞いたらいけませんけどね。社員の方もお忙しいですから」
やっぱりだめだな。教える側には関係なくてもこちらは一部分だけ聞いても理解できないんです。(2月11日「パズルのピース」参照)

 「仕事を教える人」というのは部分部分をバラバラに教えて行けば最後に全体がわかる、と思っているようですが私は大量のパズルのピースに埋もれて混乱しているだけです。どのピースだったっけ、とあちこち探し回り、これだっけ、と取ったものは似ているけれど違う物で、ミスの連続です。
 なぜわからないの、こんなに丁寧に教えているのに、メモも取っているのにどうして忘れるの、と教えてくれる人も苦しんでいらっしゃいます。

 どうか完成見本を下さい。パズルができません。
「そこは後でやるから」
そんなことはおっしゃらずに。
「こちらだって計画があるんだから違うところに話を持っていかないで」
私は必死なのになぜ通じないのでしょう。

 私は自閉症なのでこうして下さい、などと言ったらどこも雇ってくれないでしょう。派遣会社の人は一般論を言っているだけで実際のところ入ってみないとわかりません。中には私の覚え方に合わせて下さったり、質問に応じて下さる親切な方がいらっしゃるかも知れません。
 視線を合わせる練習がてら、ひとつくらい面接に行ってみましょうか。

 

 

 2月18日の記事。文中の(2月11日の記事「パズルのピース」参照)は、こちらでは7月16日の記事です。前後編に分かれています。

 仕事の覚え方については今も時々出てきて物議をかもします。医師は

「合わせてもらえる職場にあたるまで職場を変えていくしかない」

とすごいことを言いますが、私が自分でそう言うと

「努力しようという気がない」

と言われてしまう、永遠のテーマです。

 覚える側に徹底的に合わせることが、教える側に可能なのか、そうしてくれる人はたくさんいたので、私は可能ではないかと思っています。集合研修では問題ないくらいですから。傲慢だと、わかっています。この世に生きていさせていただいているだけでも、私は傲慢です。

 こちらが相手に合わせようとしないことを感情的に受け取られると、徹底的にうまくいかなくなります。記憶力ではなく、コミュニケーション能力の問題ではないかと考えます。

ひどい子供時代シリーズ。スーパーやデパ地下にある試食コーナー、多くの普通の子供たち同様私も大好きでした。母と出かけると優しそうなおばさんがにこにこしながら「おじょうちゃんどうぞ」とおいしそうな試食品を差し出します。一口だけ食べる試食品ておいしいんですよね。

 少し大きくなると1人で行って試食しまくっていました。
 ある日、信じられないことが起こりました。試食コーナーのおばさんが、試食品に手を伸ばした私の手をばしっと叩いたのです。さすがに周囲の客も凍りつきました。
 おばさんはシマッタと思ったのか、私にツマヨウジに刺したその試食品を持たせてくれましたがもう味なんてわかりません。今まであんなに優しそうだったのに(同じ人ではなかったでしょうけれど)なぜ突然叩かれたのかわからず、私は2度と試食コーナーに近づかなくなりました。今もです。

 これは就学前でも小学生の頃でもなく、中学時代の話です。試食コーナーのおばさんがにこにこしていたのは一緒にいる母に商品を買って欲しいからだということを、中学生になっても私は理解していなかったのです。
 小学生のうちなら1人でいても、もしかすると近くに親がいるかも知れないとおばさんは我慢していたのでしょう。しかし制服を来たいかにも寄り道の中学生を、「何て行儀悪い、買いもしないくせに」と思ったのでしょう。

 試食コーナーには優しい人もいるけれど、いきなり叩く怖い人もいる、というのが当時の認識でした。おばさんの気持が理解できたのは大人になってからです。おばさんごめんなさい。

 しかしまた食べ物系ですね。本当に意地汚かったんだなあ。

 

 

 2月17日。恥ずかしいながらも微笑ましい子供時代の記事のこの時期は、妙に安定しているのが怖いです。

今朝の続き。パンフレットの目次には「障害者の科目」もあってつい目が行きます。日本の基準では私は健常者です。最近はアスペルガー症候群で養護学校に行くケースもあるというのに。(この場合は成人後も障害者と認められる可能性はあります)

「でも中途採用は結局実務経験重視だから今までやってきたこととつながるコースを選ばないとね」
とアブラハナ氏(今朝命名)。じゃあ職業訓練で技術を身につけ就職につなげようというのは意味なくありませんか。
 私の前やっていた仕事と少しでも関係あって、将来有望で手に職となるような資格や仕事がないでしょうか、と相談してみると、何か別な建物の地図をくれて、ここでキャリアカウンセリングをやっているので行ってみなさい、と勧められました。電車に乗っていくような所なんですが、乗りかかった船、と行ってみました。ハローワークの別館かと思ったら、失業者の就職を支援する特殊法人みたいなところでした。どうもアブラハナ氏も何する所かよくわかっていない様子。

 ハローワークではないので職業紹介はしない、職業訓練のアドバイスをする場所でもない、じゃあここは何のためにあるの? もってまわった受付の説明にぶちきれそう、いかん、ぶちきれては。
 ハローワークの相談員もこの特殊法人の人も、大半が公務員ではなく、派遣社員も真っ青の薄給の臨時職員であることを私は(なぜか)知っています。しかし失業対策はいいけどいろいろ作りすぎではないでしょうか。この人たちを雇用することで失業対策にはなっているかも知れませんが。ハローワークに比べると施設がやたら立派で閑散としているし。

 せっかく来たので「この施設の使い方の説明」というのを聞きました。視線をそらさない練習のチャンスです。集中していないと勝手に目が泳ぐのでかなり大変です。話を聞くより目を動かさないことに集中力が取られます。
 私の集中力の範囲でわかったのは、この施設のサービスは、パソコンを無料で使えることと履歴書の書き方や面接のトレーニングをしてくれることだ、ということです。悪いけどなーんだ、という感じで。

 ここにはもうこない予感を残しながらハローワークに戻りました。既に夕方、求人検索の時間がないので求職者登録だけしました。意外にも身分証明書も離職票も求められることなく、住所氏名を書くだけで登録できました。こんな簡単だとは知りませんでした。在職中でも登録できるんですね。
 パソコンで求人検索し、気に入ったものがあれば相談コーナーに持って行って紹介状をもらって応募する、という流れです。また来ようっと。

 

 

 2月16日の記事。国も就職対策をいろいろやっているようですが、どうもずれている感じを受けました。職員も仕組みをわかっていません。求人検索だけは役に立ちそうでした。

 一人暮らしなのでそろそろ仕事を探さないといけません。
「できるだけ時間の取れる、興味の持てる仕事を選んで、将来的には勉強して資格をとって1人で完結できるような専門職につくとよい」(byドクター)
30過ぎて将来の夢を見れるとは幸せです。
 
 ハローワークの職業訓練相談コーナーに行ってみました。政府は失業中の人に技術を身につけさせ、社会に出て税金を払ってもらおうと様々な訓練コースをもうけています。この制度のおいしいところは、訓練中は失業保険の期間が延長されることです。お金の心配をせず安心して学べるのです。
 ただいいことばかりではありません。面白そうな講座が全然ないのです。英語とかカウンセラーとかフラワーコーディネーターとか一般受けしそうな講座は皆無で、電気工事とか、建築、化学印刷系が主です。本当にそんな仕事つけるのでしょうか。いわゆるホワイトカラー向けの講座だとパソコン系になります。しかし難易度が微妙です。本当に基本操作からのコースとシステム開発みたいにすごく難しそうなのばかり。

 窓口に出てきたのは60は過ぎているとおぼしき恰幅のいい男性。自閉症と診断されてから、ドクター以外の人とまともに話すのは初めてです。いろいろ説明してくれますが、すごい、この人全然視線が動きません。この後たらいまわしされて計4人の相談員と話しますが、みんな視線が動きません。これはこの人たちがこういう職業だからでしょうか、それとも普通の人は視線を動かさず話すのでしょうか。

 目を見て話せなければ鼻を見よ、と習いましたが、カウンターひとつはさんだ至近距離で失礼ながら脂ぎったおじさんの鼻を2秒と静止できません。視線が泳ぐ泳ぐ。これが人の話を聞いていないように見えるのですね。子供ならキョロキョロするパターン。さすがに私は良識ある大人なので首は動かしませんが、顔のパーツをひとまわりするとアブラハナ氏(たった今命名)の後ろの本棚に視線が移ります。誰か止めて下さい。
 アブラハナ氏がパンフレットらしきものを取り出したのでホッとしました。多分私が話を聞いていないと思ったのでしょう。パンフレットを使っての説明ならパンフレットを見ていればいいので安心です。

 長くなったのと、夜遅くなってきたので明日に続きます。明日といいますか、今日中にもう1回更新します。(続く)

 

 

 2月16日午前2時47分にアップした記事です。すごい夜更かしですが、この頃昼夜逆転していてこれくらい当たり前でした。ハローワークの職業訓練コースって、あんまり面白そうなのがありません。面白くないだけならいいのですが、就職に直接役立ちそうなものでもありませんでした。

 しかし、この職業訓練コースで調理師の資格を取って就職したというコメントもあったので、使う人次第かも知れません。

 昨日コメントが多かったので気をよくして今日も過去のそれっぽい話を。自閉症の内的世界を表せればよいのですが。

 小さい頃はそれはひどい子供でした。書くのがすごく恥ずかしいです。なお、自分に都合の悪いことは忘れているような気がしますので割り引いて読んで下さい。

 私は弟が二人いるのですが、弟にだけお菓子やおいしい物が与えられると理不尽に感じ、怒りがこみ上げてきました。友達からの電話に出ている間に弟に自分の分のケーキを食べられたりすると泣き喚きました。母は「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」というしつけをしようとしましたが、全く通じませんでした。
 「食べ物を弟に取られた」系の記憶はとてもよく覚えていて何年経っても頻繁に思い出しました。夜布団に入った時に不意に思い出して涙が止まらなくなりました。母には執念深いと言われました。普通はそんなことはすぐ忘れるのでしょうか。私だってすぐ忘れたいのですが、次にまた食べ物を取られた時に過去の記憶がフラッシュバックしてきてどうしようもない怒りにとらわれました。大事なことは忘れるのにこんなどうでもいい、忘れてしまいたいことはなぜ鮮明に覚えているのでしょう。
 
 私が中学生になった時、給食からお弁当になりました。母は毎朝お弁当を作ってくれました。朝食のおかずがお弁当と同じだという理由で、私は朝食のおかずが食べられなくなりました。食べてもいいのは白いご飯だけでした。私は抗議しました。母は弟たちはお弁当が食べられないのだから仕方がない、というのですが、私だって給食は食べられない、と毎朝けんかしました。母は絶対に譲りませんでした。
 私は朝おなかがすくので、母より早く起きて冷蔵庫の物を勝手に調理して食べました。起きてきた母は「それお弁当に使うはずだったのに」と怒りました。わずかな朝食のおかずのために毎朝血みどろの戦いでした。

 
 3年経ち、上の弟が中学生になりお弁当になると、私と同じく朝食のおかずをお弁当と同じでいいから欲しいと要求しました。そうするとあれほど譲らなかった母が、あっさり私にも弟にも、朝食のおかずを解禁しました。「なぜ私が3年間訴えても許さなかったのに弟はいいのか」新たなけんかの種になりました。
 私はこういう出来事から何の教訓も得ませんでした。「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」という言葉には何の合理性もなく、とても受け入れられるものではありませんでした。世の中はとても不公平で理不尽なものだという事実を、ものすごいエネルギーを使って否定し続けました。
 母は後年、お前にいろいろしつけようとしたけれど何ひとつ受け入れなかったと語りました。もし早めに障害が判明していれば、母は無駄な努力をせずに済んだかも知れません。

 家では凄まじかった私も外ではいい子と評判でした。母は「外面がいい」「二重人格」と言いました。別に二重人格ではなく、よそのおじちゃんやおばちゃんは私のケーキを取り上げて弟にあげたりしませんし、万一そういうことがあっても

「えらいわね、さすがおねえちゃんね、しっかりしているのね」

とあらん限りのほめ言葉を与えてくれたからです。大人にほめられたことに気をよくして、どうしたら大人がほめてくれるかを研究しました。法則はほとんど裏切られませんでした。家ではよかれと思ってしたことでひどく叱られ、なぜ叱られたかわからず混乱することもありましたが、「よそのおじちゃんおばちゃんにほめられる方法」を実践すればあの宝物のようなきれいな言葉を注いでくれましたし、叱られることはありませんでした。

 お陰で私は意外に社会性のある子供時代を送りました。学校の先生にもかわいがられる、いわゆる大人受けする子供でした。

 もちろんよそのおじちゃんおばちゃんのほめ言葉はとても無責任なもので、母の方が私を何とかしなければと切実に思っていたのでしょうけれど、どうせ私には言葉の裏を読むことなどできないのです。それだったらきれいな言葉をたくさん投げかけて欲しかったなーなんて思うのですが。きっとそれどころではなかったでしょうね。

 何かただの意地汚い子供の話になってしまいました。文学的でないな。

 

 

 2月14日の記事です。前後編に分けるとかえって見づらい気がして、無理して長文をそのまま写しました。どちらがよいか、ご意見ありましたらお願いします。