昨日コメントが多かったので気をよくして今日も過去のそれっぽい話を。自閉症の内的世界を表せればよいのですが。

 小さい頃はそれはひどい子供でした。書くのがすごく恥ずかしいです。なお、自分に都合の悪いことは忘れているような気がしますので割り引いて読んで下さい。

 私は弟が二人いるのですが、弟にだけお菓子やおいしい物が与えられると理不尽に感じ、怒りがこみ上げてきました。友達からの電話に出ている間に弟に自分の分のケーキを食べられたりすると泣き喚きました。母は「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」というしつけをしようとしましたが、全く通じませんでした。
 「食べ物を弟に取られた」系の記憶はとてもよく覚えていて何年経っても頻繁に思い出しました。夜布団に入った時に不意に思い出して涙が止まらなくなりました。母には執念深いと言われました。普通はそんなことはすぐ忘れるのでしょうか。私だってすぐ忘れたいのですが、次にまた食べ物を取られた時に過去の記憶がフラッシュバックしてきてどうしようもない怒りにとらわれました。大事なことは忘れるのにこんなどうでもいい、忘れてしまいたいことはなぜ鮮明に覚えているのでしょう。
 
 私が中学生になった時、給食からお弁当になりました。母は毎朝お弁当を作ってくれました。朝食のおかずがお弁当と同じだという理由で、私は朝食のおかずが食べられなくなりました。食べてもいいのは白いご飯だけでした。私は抗議しました。母は弟たちはお弁当が食べられないのだから仕方がない、というのですが、私だって給食は食べられない、と毎朝けんかしました。母は絶対に譲りませんでした。
 私は朝おなかがすくので、母より早く起きて冷蔵庫の物を勝手に調理して食べました。起きてきた母は「それお弁当に使うはずだったのに」と怒りました。わずかな朝食のおかずのために毎朝血みどろの戦いでした。

 
 3年経ち、上の弟が中学生になりお弁当になると、私と同じく朝食のおかずをお弁当と同じでいいから欲しいと要求しました。そうするとあれほど譲らなかった母が、あっさり私にも弟にも、朝食のおかずを解禁しました。「なぜ私が3年間訴えても許さなかったのに弟はいいのか」新たなけんかの種になりました。
 私はこういう出来事から何の教訓も得ませんでした。「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」という言葉には何の合理性もなく、とても受け入れられるものではありませんでした。世の中はとても不公平で理不尽なものだという事実を、ものすごいエネルギーを使って否定し続けました。
 母は後年、お前にいろいろしつけようとしたけれど何ひとつ受け入れなかったと語りました。もし早めに障害が判明していれば、母は無駄な努力をせずに済んだかも知れません。

 家では凄まじかった私も外ではいい子と評判でした。母は「外面がいい」「二重人格」と言いました。別に二重人格ではなく、よそのおじちゃんやおばちゃんは私のケーキを取り上げて弟にあげたりしませんし、万一そういうことがあっても

「えらいわね、さすがおねえちゃんね、しっかりしているのね」

とあらん限りのほめ言葉を与えてくれたからです。大人にほめられたことに気をよくして、どうしたら大人がほめてくれるかを研究しました。法則はほとんど裏切られませんでした。家ではよかれと思ってしたことでひどく叱られ、なぜ叱られたかわからず混乱することもありましたが、「よそのおじちゃんおばちゃんにほめられる方法」を実践すればあの宝物のようなきれいな言葉を注いでくれましたし、叱られることはありませんでした。

 お陰で私は意外に社会性のある子供時代を送りました。学校の先生にもかわいがられる、いわゆる大人受けする子供でした。

 もちろんよそのおじちゃんおばちゃんのほめ言葉はとても無責任なもので、母の方が私を何とかしなければと切実に思っていたのでしょうけれど、どうせ私には言葉の裏を読むことなどできないのです。それだったらきれいな言葉をたくさん投げかけて欲しかったなーなんて思うのですが。きっとそれどころではなかったでしょうね。

 何かただの意地汚い子供の話になってしまいました。文学的でないな。

 

 

 2月14日の記事です。前後編に分けるとかえって見づらい気がして、無理して長文をそのまま写しました。どちらがよいか、ご意見ありましたらお願いします。