逆に私の方が「ハア?」となることもあります。
Bさん「おひとり暮らし?」
私  「はいそうです」
Bさん「田舎はどちら?」
私  「△△です」
Bさん「帰って来いって言われない?」
私  「言われません」
Bさん「ご両親というのは口に出さなくても帰ってきて欲しいと思っているものよ」
私  「うちはそう思ってないですよ。帰ってこないでくれとは言われますけど」
Bさん「そうは言っても本当は娘には帰ってきて欲しいと思っているのよ」

 これには私が「ハア?」なんですがおかしいでしょうか。家庭にはそれぞれ事情があって今日会ったばかりの他人が推測して決めつけることはできないと思うんですが。ムキになって反論するのも変だし。「そうですね」と合わせておくのが正しい世間話のあり方なんでしょうか。
 自分の中では世間話で2度否定されたら相手に従う、というルールがあります。3回も4回も否定し合うとけんか腰になったり雰囲気を悪くしたりするので。
 仕方ないから合わせるのですがもやもやした不満が残るのです。「私の言葉が全然通じていない」
この「田舎はどちら」系の話題は世間話の定番として私にも身についていますが、自分は苦手なので人には振りません。だからどう受け答えるのが正しいのかよくわかりません。

 あーあ、世間話なんて誰が発明したんでしょ。もっと人と自然に仲良くなれる方法はないのでしょうか。

 

 

 前編のAさんとの会話は空気が読めないからです。前の場面や他の場面と今の場面をつなげて考えることができません。

 Bさんとの会話は、よくあるパターンの会話で忍者の「山」「川」という暗号と同じなんですが、そうとわかっていてもいちいち言葉がぐさぐさ来ます。

「親は子供がかわいいに決まっている」

という言葉は、虐待された人などはかなり傷つかないでしょうか。

 私は世間的には虐待された訳ではありませんが、何せ怒られたことばかり覚えていますし、親も私と一緒には暮らせないと言います。

 成人発達障害者は親との関係が総じてよくありません。発達障害だと親は知らないので、ただの性格の悪い、言うことを聞かない子供でしかないのです。成人してから発達障害と診断されても親の態度はあまり変わらないと聞きます。

 発達障害のお子さんを持つ方のブログを読むと、一生懸命子供を理解しようという姿勢がとても感動的ですが「もし知らなかったら?」と意地の悪い私は考えてしまいます。

 世間話が苦手な人は発達障害者でなくても多くいますが、言葉だけが入ってきて、相手の「悪気のなさ」や「優しさ」が全然入ってこない、そして言われたことをずっと覚えているところが「障碍」なのでしょう。

 昨日へこんだことを書いて多くの方にご心配かけました。せっかくだからもっとこの状況を楽しまなければ。誰でも経験できることではないのですから。↓以下楽しんでいるつもり。

「昼休みに休憩室で世間話とかできないでしょう」
とドクターはおっしゃいます。
 私はおとなしいタイプではないので、自分が自閉症と知った時、その言葉の持つ内向的なイメージに違和感がありました。仕事の打ち合わせとか阪神タイガースの話(狭い)とかテーマの決まった話はできます。よく知らない相手との
「寒いですね」
「本当ですね。昨日は暖かかったのに」
のような定型的な会話もできます。しかしもっと漠然とした話になると、できないというよりは「ハア?」という反応を示されることがあります。

 短期の派遣先の休憩室。
Aさん「私は前は○○(地名)で働いていたんですよ」
私  「○○ってここからすぐですね」
この時のAさんの「ハア?」という顔は忘れられません。えええ、私変なこと言った?
Aさん「今そこで働いているわけではありませんよ。前に働いていたんですけど」
私  「ええ、わかります、でもこの近くだな、って思って」
ああもうだめだ。
 この時の仕事は短時間だったので他に本業を持っている人が多く、勤務先からギリギリで駆け込んでくるという話をその前に別な人がしていたため、私が言ったことが「近くだからすぐ来れていいですね」という意味に聞こえたのかも知れません。
 何て難しいんでしょう。多分私が世間話の時の返しを「こういう場合はこう」とそれまでの経験から定型的に覚えているからこんなことが起こるのです。
 よく自閉症の人は自分のことばかり話すと言われますが、自分のことを話す分には普通に話せますからね。相手の話にうまく投げ返すのは本当に苦手。

 

 

 2月13日の記事。大してコメントもらっていないのに「多くの方にご心配を」というのは明らかに過剰反応ですが、コメントも増え、常連さんもつき始めてちょっぴりウキウキしています。

 特筆すべきはキラリさんの初登場。ご主人がAS、ご自身がADHDというこの方との運命の出会いでした。私は何度も助けてもらったけれど、いっぱいいっぱい負担をかけました。

 対極に存在するあなたとの5ヶ月に見出したのは、可能性でしょうか、絶望でしょうか。もしかしたら最後まで分かり合うことはできなかったのかも知れません。最後ではないと思いたいですが。

 もうハワイへ行ってしまったかな。私も第2章に向けて、この5ヶ月を振り返っております。何かを発見できると信じたいです。

 全然「世間話」のことに触れていませんね。それは後編でということで。

 この本はオーストラリア人の高機能自閉症の女性の手記でした。読めば読むほど

「私こんなにひどくないよ」

という気持になります。いくつかは思い当たる節はありますが、まがいなりにも30数年、変な子、変な人と言われながらも大きな問題なく学校生活、社会生活を営んできたのです。でも人から見ると違うのかな。
 自分が見ている世界と健常者が見ている世界が違うのはわかったのですが、健常者が見ている世界がまだわかりません。自分がどう見えるのかもわかりません。耳の不自由な人が言葉を覚える時のように私はこれからひとつひとつ学習していかなければなりません。
 このブログも、もしかしたらご覧になる人が腹を立てているのではないかと不安です。お腹立ちな表現がございましたら削除しますので申し出て下さい。自分の書いたもの、言ったことを人がどう感じるか、私にはわからないのです。ここに来て下さる健常者の方の目が頼りです。

 

 

 どこが「大きな問題なく」なのか、今となってはかなり間抜けです。大きな問題起こしているのに、全然自分に原因があると思っていないのは大きな問題です。

 主治医はこの本を含め、何冊かの本を紹介してくれました。

「たくさん本を読みなさい。他人が世界をどう見ているか、あなたが世界をどう見ているか、本を読んで勉強しなさい」

本屋に行ってすぐ見つけることができたのはこの本だけでした。

 見ている世界が違う、聞いている言葉の受け取り方が違う、発している言葉の受け取られ方が違う、世界が白黒に見え始め、道行く人まで怖くなりました。この時期は失業中だったこともあって、通院以外で人と会うこともありませんでした。

 それで、ブログで呼びかけています。自分の書いているものは他人にどう見えているのでしょうか。ただそれはあまり有益ではなかったかも知れません。

 この時はまだわかっていませんが、自閉症は書いた文章が与えるイメージと実際の本人のイメージがだいぶ違います。文章だとまともに見えるらしいのです。ブログでは素のキャラを出しているつもりなのですが、すでにミスリードかも知れません。

 病院の帰りに大きな本屋へ行きました。LD/ADHDの本はたくさんあるのにアスペルガー症候群単独の本がありません。それもそのはずで、LD/ADHDは小学生の5~6%、つまりクラスに1人は確実にいるのに対し、アスペルガーは0.3%、小学校ひとつで1人いるかいないかです。(諸説あり)

 ドクターに紹介された『自閉症だったわたしへ』という翻訳ものの文庫本を購入しました。まえがきを帰りの電車の中で読むと、こう書かれていました。

 人は普通、顔の表情や感情に伴って表れる体の動き、声のトーンといったものなどの意味をごく自然に読み取っているが、自閉症の人にはそれが奇妙で暗号のような動作にしか見えない。相当の努力をしなければ、そうした意味を読み取ることはできない。

 うーん。私だって相手がすごく怒っていればわかりますが、大人なら普通怒っていても顔に出しませんよね。皆さんにはそれでもわかるのでしょうか。やっぱり私から見ると超能力者です。
 怒っていることに全然気づかず、(私から見て)突然怒り出して、何を怒っているのかよくわからない、ということはいっぱいあります。それでもその人がどういう時に怒るのか研究して多少予測がつくようになることはありました。それが「相当な努力」なのでしょうか。努力している間に人間関係壊れます。

 

 

 2月12日の記事。長文体質が顕著になってまいりました。ただでさえ長文なのに、その下に現在の私の駄文が入るとなると、ほぼ毎回前後編になってしまいます。

 ASがどれくらいいるのか、というのは書籍の表現でもかなり幅が大きく、高機能広汎性発達障害(AS、高機能自閉症の診断基準を満たさないが、自閉症スペクトラムに含まれる)を加えている場合もあれば、純粋にASだけのこともあります。

 この記事はコメントが3つ入っています。コメントが入るだけでうれしかったものです。3人とももういらしてませんが。

 この頃は、1回新規投稿すると10~30人くらい新規訪問者が来て下さった時代でした。のどかなものです。タイトルに自閉症という文字が入っていると反応よかったです。

特定の分野の能力が低いとどういうことが起こるでしょうか。
 私は完成形の示されていないパズルができません。7ピース程度の簡単なものでもです。完成形が全然予測できないのです。これは健常者には理解しがたいことですよね。
「見ればわかるでしょう。なぜわからないの」
戸惑い、怒りを覚えると思います。しかし相手がIQ50の知的障害者であれば腹は立たないでしょう。ここにASの難しさがあります。

 記憶力がなくなったという最初の悩みの原因はここにあったのですが、仕事を教えてもらう時も、私はまず全体像を示してもらわないとわかりません。新しい職場で特に派遣のような立場だと初日に
「まずこの伝票入力の仕方を覚えてね。後は徐々に教えるから」
という指導をされることがあります。これだと私には理解できないのです。それまでは、質問しまくることで自分なりに全体像を把握していたのですが、前回と前々回の派遣先では
「そんなことはそのうちわかるから」「まずこれを覚えて」「今やっていることと関係ないでしょう」
という対応を受けました。
 そんなことで伝票入力もできなくなるの? というのが健常者の見方だと思います。全体像がわからないままパズルのピースだけ与えられても何が何だかわからないのです。ドイツ語の伝票を渡されてフランス語で入力しろ、といわれているような感じです。


 決まった手順を変えることも苦手です。
「あなたのやり方だと時間がかかるからこういう風にして」
と指示を受けてもうまくできず、しばらくすると元に戻ってしまいます。それを
「素直じゃない」「反抗的」
ととらえられます。

 ドクターによると、障害なので努力で治せるものではなく、私の仕事の覚え方ややり方を許してくれる職場で働くしかないそうです。そんなことできるのでしょうか。次の職場でうまく行くかどうか、入ってみないとわかりません。
「どうふるまえば普通に見えるかは訓練で習得できるが人と同じになれるわけではない」
演技力ですね。毎日がガラスの仮面。まさにガラスです。割れてしまわないよう最新の注意が必要です。

※文中の表現を不快に感じられる方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。
※上記は私のケースであって全てのASの方にあてはまるとは限りません。

 

 

 文面だと、1日で診断を受け、説明を受け、納得しているように見えますが、実際には何日も通院しています。確定診断がついても、記憶力がなくなったのは最近のことで、他に原因があるのではないかと食い下がりました。

 主治医はそれはない、ときっぱり言いました。通常、成人で発達障害が発覚するのはうつなどの二次障害がきっかけで、私のように診断済みだが二次障害はない、というケースはめずらしいのです。

 自閉症の記憶力はむしろ優れているのですが、自分のやり方でしか覚えられないため、周囲に理解がないとそういう風になる、と主治医は時間をかけて説明してくれました。

「どうふるまえば普通に見えるかは訓練で習得できるが人と同じになれるわけではない」
は私の座右の銘ともいうべき大切な言葉です。私には努力で到達できる部分はある、しかしどうしてもできないことはある、できること、できないことを見極めて、できることは努力し、できないことはカバーして、少し周囲に譲歩してもらって生きていきたい、けれど、今も、なかなか伝わらない言葉です。

「努力する気がない」

と聞こえてしまう部分です。