またまた削除コメントネタで申し訳ございません。そういうことは早く忘れろ、と言われそうです。自閉症は長期記憶が優れているそうですが、忘れる機能はついていないようです。こういう時は強引に理屈づけして無理やり自分を納得させるに限ります。

 削除したコメントには

「カラオケでストレス解消したら」

「旅行にでも行ったら」

という言葉がありました。書いた人はいやがらせでも何でもなく、私を思いやって書いてくれたはずです。
「なぜそんなこと書くのだろう」
と考える時は、昔なら相手を変だと思っていましたが、障碍がわかった今となっては自分が変だと見るべきでしょう。
 私はストレス解消の意味を勘違いしていたのかも知れません。定型発達者には
「何か楽しいことをすることでストレスや感情のもやもやを消し去る」
という機能が備わっているのでしょうか。そう考えるのが妥当なようです。だとしたら大発見です。

 私も
「ストレス解消にはカラオケよね」
という使い方をしますが、それは
「君は死んでも僕の心の中で生き続ける」
みたいな象徴的、比ゆ的な表現で、文字通り「ストレス」が「解消」されるとは思っていなかったのです。
 子供の頃メロドラマ(死語)でああいう表現を聞くと
「どうやって心の中に入るのか」
「心の中で生きていてもマンガは読めるのか」
「その心の持ち主とは話ができるのか」
と悩んだものです。

 カラオケや旅行に行ったところで感情のもやもやはなくなりません。自分に余裕がないと出かけることもできません。最低でも徒歩で行けるカラオケボックスにたどりつき、カウンターで使用時間を伝え、お金を払うという動作が必要です。そのためのシナリオを組み立てるのもおっくうです。新しいストレスを増やしこそすれ、減るわけはありません。
 道理で話が通じないわけです。またひとつお利口になったぞ。きっとこんな風に、私が意味を勘違いして使っている言葉というのがたくさんあるのですね。(あの、私新たな勘違いしていないですよね?)

 


 3月31日の記事。やっと3月が終わりです。今もこの頃もしつこい性格ですね。最後の段落の何気ない

「カラオケに行くのにシナリオを組み立てる」

という表現が、またその後長く続くテーマとなりました。「脳内言語化」は最新テーマでもあります。この時はまだ、それがどれくらい「普通でないのか」わかっていません。日常行動のシナリオには大きく分けて

1 シナリオ不要(毎日、もしくはそれに近い頻度で発生する定期的なこと)

2 脳内シナリオ(書かなくても脳内で組み立てることができる)

3 手帳シナリオ(書かないとだめ)

の3段階があります。最もストレスフルな状態になると1→2、2→3、3→不可になります。

 高機能自閉症のお子様のお母様のブログに

「表情が顔のシワに見える」

というコメントがありました。私はさすがにシワとは思いませんが、表情から意味を読み取れないから一緒ですね。
 昔から人に顔を覚えられるのは得意なんですが覚える方が苦手で、毎日接する人でなければ、よほど特徴がないとなかなか見分けがつきません。特に眼鏡の人はみんな同じに見えます。日本人の同僚とイギリス人を間違えたこともあります。(どちらも眼鏡、茶髪)
 20歳前後の女性は化粧や髪型がそっくりで眼鏡でなくても区別つきませんが、これは年取ったせいということにしましょう。

 見分けるポイントは髪型、あごの形、体格ですがそれも同じような人がいっぱいいます。ネクタイや服装センスもあなどれないポイントです。変わった眼鏡をかけている人はありがたいのですが、勝手に普通の眼鏡に変えないで欲しいものです。誰かわからなくなるではありませんか。
 ほくろや目の大きさなどはかなり近寄らないとわからないので、遠目でもすぐわかる特徴はそう多くはありません。

 アスペルガー症候群の子供が他人の容姿の特徴を口にして親に怒られたりしますが、覚えるために容姿の特徴を言語化していると、私も思わずハ○とか言ってしまいそうです。
 私の秘密の手帳には社内の人の名前と容姿の特徴がメモしてありますが、とんでもない表現で、見られたら大変です。

 

 

 3月30日の記事。高機能自閉症のお子さんのお母様の「名前より日にちで覚えています 」という記事にトラックバックしました。最近になって、オレンジさんにトラックバックしていただき、初めてこれを相貌認知 と呼ぶことを知りました。

 相貌認知についてはまた記事にしてみたいと思っています。(テーマがたまるばっかり)

 昔々、社会人になって2年目。最初の上司に嫌われて男性ばかりの部署から女性ばかりの部署に異動しました。
 同じフロアの別な部署の女性の先輩がそのフロアの女子社員のリーダー(いわゆるお局)でした。人数は多くありませんでしたが、全員で化粧直しをする昼休みの化粧室は定型発達者であっても恐怖を感じるに違いありません。
 眉を描けば「化粧がんばるね」
 歯を磨かなければ「気持ち悪くないの」
 化粧直しをしなければ「社会人なんだから」
とうっとうしいことこの上ありません。前年人間関係がうまくいかなかったので、うまくやりたい一心で昼休みを耐えました。
 
(男性の方、わかりにくかったらごめんなさい)私がフェイスパウダーをスポンジで肌に乗せ、ブラシで払っていると、背後から先輩が
「あんた何やっているの、こうすればいいのよ」
とスポンジを取り上げ、私の顔をこすり始めました。
「やめて下さい」
「いいからいいから、任せなさい」
こういう時、日本語が通じない恐怖を感じます。この先輩は全く悪気はないのです。だったらなぜやめてくれないのでしょう。

 
 相手は会社の先輩です。暴漢に襲われたかのような悲鳴をあげ泣き叫ぶことも、怒りをあらわにして怒鳴ることもできません。私は日常生活のいろいろなパターンのシナリオを用意していますが、
「化粧室でスポンジを持って襲いかかる先輩への対処法」
は準備していませんでした。
「ナイフで襲いかかる先輩」
の方が(命の危険は別として)まだ対処可能です。それなら暴漢に襲われた時に準ずる対応でおかしくないからです。
「スポンジで襲いかかる先輩」
に暴漢に襲われたかのような対処をすれば人間関係を悪くすること疑いありません。周りもぎょっとするでしょう。

「先輩やめて」
と笑いながら手をかざしてもそんなに嫌がっているように見えないのかも知れませんが、いやなことをやめてもらうのになぜそんな高度な交渉力(定型発達者なら何でもないかも知れませんが)が必要なのでしょう。「やめて欲しい」という言葉はそこに響くだけで私の外の世界には届きません。
「ほらきれいになったでしょう」
先輩は満足そうです。
「ありがとうございます」
というしかありません。そうしないと人間関係がおかしくなります。顔がひりひりしてきてかゆいです。

 30分後、私は猛烈なかゆみと痛みにおそわれ、赤くはれ上がり、化粧を落として早退し、皮膚科に向かいました。自閉症が強い感覚過敏を持っていると知ったのは最近です。
 事件現場に居合わせた同僚が、先輩にこのことを話したようですが、謝罪の言葉はなく、その後もこの先輩とはあまりうまくいきませんでした。
 その後は同じ場があれば(2度とないが)

「私摩擦にすごくアレルギーがあって、他の人に肌を触らせるとすぐ腫れるんです」

と伝えるという対処法が出来上がりました。ただ敏感肌だと言っても、
「今みんなそういうよね」「私だって敏感肌だから大丈夫」
と言われるのでだめです。この言葉には私が恐れる「そんなの誰だって同じだ」の意味が含まれています。
 私としては笑い話で済まない命がけの話で、悪気のない人から身を守るためには常に危険を想定したあらゆるシナリオが必要であると再認識したのでした。
 

 

 3月29日の記事。コメントを見ると、こういう先輩の対処は誰にとっても大変そうです。男性は、昼休みの化粧室の恐ろしさを知らないようです。

 自分語りで時に爆発する、もろアスペルガーなブログにいつも来て下さってありがとうございます。共感持っていただけるとうれしいです。たまに自分もこの記事とそっくりで、アスペルガーかも知れないというコメントをいただくので、その答(になるかどうかわかりませんが)について今日は書きます。

 私と同じ障害の方は日本に30万人くらいいると言われています(諸説あり)。だからここを読んで下さっている「定型発達者」の中に私の兄弟がいる可能性はゼロではありません。
 アスペルガー症候群が誤診されやすい疾患は、うつ病、人格障害、躁鬱病、統合失調症、ADHD、脳性まひなどいろいろあり、その多くはアスペルガーより発生率が高いです。それぞれの疾患の説明を読むと少しずつ自分にもあてはまるものがあります。これは、どの人でもそうではないかと思います。
 自閉症という障害の特性上、文章から受けるイメージと実際に会ったイメージはかなり違うため、文字で読んで
「自分もそうかも」
と思った人の多くはアスペルガーではないそうです。実際に会って
「この人は自分と同じだ」
と思った場合は当たりの可能性が高いようです。

 正常な人の中にも私が共感しやすい、似ていると感じられるタイプはいわゆる技術者、研究者という職業の人たちです。細やかな人間関係を好まず、話し方は論理的で無駄がない、人と目を合わさない、自分だけの世界に入っている、変わり者の印象など、近いものを感じます。
 技術者、研究者はアスペルガーにとってなじみやすい職業ですが、もちろんほとんどは性格的なもので障害ではありません。
 アスペルガー症候群は9割が男性で、男性脳、理系脳の極端な形とする説もあります。私の主治医はこの説に否定的ですが、それでも職業は技術者を勧めます。
 女性が1割とすると30万人のうち女性は3万人。少ないです。私も女性ですが、女性の場合はまず他の疾患を疑った方が早いかも知れません。

「診断を受けた方がいいだろうか」
という質問に私は答えることはできませんが、本やテレビを見て自分もADHDではないかと全然健康なのに受診にくる患者に医師がうんざりしているという話もありますので、本当に困った状態でなければ可能性にとどめておくべきかと考えます。(真剣に悩んでいる方ごめんなさい)私もADHDの疑いで最初に今の主治医に電話した時、その類と疑われました。
 可能性を考えて、対処法を調べたり気をつけたりするだけでも随分違うと思います。

 

 

 3月26日の記事。内容はほとんど受け売りです。この頃、たまに

「このブログを読んで自分もそうではないかと思った」

というコメントをいただいたので、その返答の代わりに書きました。コミュニケーションや記憶力の困難には「自分も」というコメントも入るのですが、身体機能の困難に関する記事には全く入りません。身体機能の困難が実は決め手ではないかと思ったりします。

 AS当事者は自称ASを嫌うと言いますが、診断を受けられないことも多いので、日常の困難の克服方法のひとつとして調べるのは悪くはないと個人的には思います。

 新作です。ちょっちぷんさんがトラバしてくれた記事 (反映されていないけど)にトラバ返し。

 コメント欄を見て、一瞬「いやだな」と思うことは私にもあります。しかし文章が思いやりと善意にあふれていると、そういうことを思うことすら失礼な気がして打ち消してしまいます。

 

「あなたのためを思って言っているの。今はわからなくても何年か経ったらわかると思う」

善意にあふれているけどいやな感じ。そう感じるのは私が醜いからでしょうか。

 その言葉がためになったかどうかというジャッジは誰がするんですか。

「私ってば自分が嫌われることも省みず、自分を傷つける人間すら思いやれる、何て優しい人間なんでしょう。あなたのような醜い人間にはわからないだろうけれど」

という意味ですね、なんて考えることすらはばかられます。

 

 ASの子供は人前で、他人の容姿の特徴など、とんでもないことを言ってよく怒られます。私も何度も怒られました。その時怒る人の怒り方は泣き叫ぶように、悲しそうです。自分がとてもいけないことをしたのはわかりますが、何がいけないのかわかりません。状況を理解するために言葉にしただけなのに。

 考えることと口に出すことがイコールである時期は定型発達なお子さんにもあると思います。発達障碍があると、それを知る時期がとても遅いようです。私も、

「考えることは必要なことだが口に出してはいけない」

というのは、感覚でなく言語で知りました。

 

 頭上を飛び交う謎の素粒子を、言葉で理解しようとしていつも失敗します。ある程度はわかりますが(言語化できる範囲で)醜い表現になるほど、そこに踏み込むことにためらいが生じます。

 

 口にしてひどく怒られた経験、悲しそうな顔。

「そんな意味で言っているんじゃないでしょう」

「どうしてそういう風に受け取るの」

「思いやりってものがないの」

「そんなことを言って人がどう思うかわからないの」

悲しいことは考えてはいけない、こんなことを考える自分は醜い、言ってはいけない=考えてはいけない。ねたみ、悪意、自己像の保持、嘘、考えてはいけない。善意の言葉が自分の中にドロのように沈澱していっても。