「直感の謎 」のコメント欄の情報をもとに、接続詞を検索してみたら、トップに来たのは接続詞占い 。最近いろんな占いがありますが、何でも占いがつけばいいのでしょうか。総選挙占い、あなたは自民党です。なんてのもありそうです。

 面白くなさそうなのでやってみないで下さい。私は「ところが」でした。実の父親は志村けんです、という決めつけがよくわかりません。そう言われると私の父は志村けんに似てなくもありません。髪型が。

 いつも、教わった言葉を検索しては別なネタを拾ってくるのはなぜでしょう。

 新作です。アメブロのトラックバックステーション に参加してみます。今週のお題は「ひょっとして、トシ…?」いやだわ。

 知能(動作性)の一部が8歳と若ぶっている私は10年前の証明写真を勤務先の名札に貼っています。

「全然変わっていない」

と言われます(自慢)。

 シミもシワもなく、写真ではわからなくても、10年前と歴然と違うのは、化粧のノリです。どこがどう、というと難しいのですが、同じメイクで昔ならきりっと見えたのが、今はぼやっと見えます。何でしょう。たるんでいる(怠けているの意味にあらず)のでしょうか。いやだわ。引き締め化粧品でも使おうかな。

 会議室のおばちゃんとはおおむねうまくいっていますが、問題ゼロとはいきません。パソコン操作を教わった時、ふっといやな予感。私が「コピー」という操作をした時
「こうしてキーボードを使った方が早いよ」
と別な操作方法を教えてくれました。
「私は決まった手順を変えられないんです」
などと言ったら、せっかく親切にして下さっているのにぶち壊しになること間違いありません。(くどいようだが「パズルのピース後編 」参照)
「自分のやりやすいようにやるのが一番だけど、早い方がいいでしょ」
それ、いつも本気にして失敗します。遠まわしに
「直せ」
と言われているのに、
「やりやすいように」
という言葉を真に受け、「やりやすい」自分のやり方を続けて怒りを買ってしまうのです。
「素直じゃない」「自分のやり方に固執しすぎ」「柔軟性がない」
という評価になります。柔軟性がないのはまあ本当でしょうけれど。

 パソコン操作そのものははっきり言って些細なことでも、教えられた通りにしないことがとても人様の神経に触るようです。 
 その場で「はい」と言っておいて直さなかったらおばちゃん怒るかな。おばちゃんごめんね。おばちゃんにもやっぱり言えません。もしそれでおばちゃんに嫌われてクビになったらそれは私の寿命だ。

 

 

 3月25日の記事。やっと過去ログに到着できました。おばちゃんは幸いアバウトな人だったので、この後何の発展もなく終わりました。

 この時のコメントから、

「自分のやり方を変えられない」

という障碍は本当に伝わりにくいのだなと感じました。

 教わった通りにやろうとしてもすぐ戻ってしまうのは、自分でも不思議なくらいだから無理もありません。技術的にできないのではなく、「こだわり」の問題のようにも思われるようです。社会がこれだけ「方法をそろえる」ことを要求するということは、私が考えているよりも簡単にできることだからでしょうか。

 ASのお嬢様のお母様、ぴいさんの

「この記事を読んでいて、ため息が出ました。。私は、chargeupさんの様子も、そしておばさんの気持ちも、どちらも痛い程分かるから。。どちらも一生懸命。。なのにそこに生じてしまう摩擦。。どうすれば良いのか。私と娘の最大のテーマでもあります」

は救いでした。リアルタイムで読んでいなかった、今のお友達の皆様はどう受け止めますか。

 ちなみにこの記事のコメント欄でそらさんが初登場しています。

「自分のやり方が一番自分にとってやりやすいやり方だから人に『この方がいいよ』といわれると戸惑ってしまいます。でも、私もたまに、同じようなことをしてしまいます。相手のことを考えているつもりで空回りしてしまうんですよね」

優しい子だなあ。まさか半年後に妄想族長にされてしまうとは。

 Yahooが相変わらずなので、こちらで新作。Yahooファンの皆様ごめんなさい。

 言語体系の続編。8月25日「重い思い 」で「私は肝心なことを忘れている」と書いた、その正体、私が躍起になって字面を解析している間に多くの方がふわりと理解している何か、表情から読める心があるのと同様に、字面からも読める心があるようです。

 

 書き言葉によるコミュニケーション障碍はないと思っていました。表情も声のトーンもなく、純粋に文字が並んでいるだけです。

 だったらこの文字の羅列の中にヒントがあるはずだ、とまた解析に走るのですが、そこで私はまた肝心なことを忘れるのです。他の人は、その「何か」を言語化せずに、意識すらせずにやりとりしていることを。

 それは脳のどの辺りで行われているのでしょう。言語化、意識化、映像化せずにどう受け取り、どう判断材料に加え、どう処理し、発信しているのでしょう。

 

 ブログのコメント欄はとても新しいコミュニティです。書き言葉によるコミュニケーションは、手紙でもメールでも1対1が基本です。(チャットの経験はありません)ブログには多数の人が集まり、訪問者同士のコミュニケーションもあり、小社会を形成しています。現実と同じく、個性は様々です。

 私は人の立場には立てませんが、感情移入ならできます。だから、相手を思いやろうとする時は脳内でその人になり、行動や心の動きを妄想しまくります。

 説教する人々にも感情移入しようとしたのですが、どうしても自分の心として理解することができず混乱しました。

 

 相手の気持ちになれなくてもそれが何なのかわかる、それができないのが脳機能の障碍だとしたら、将来脳のメカニズムが解明される時、例えば電気ショックを与えるとか外科的に神経をつなぎ合わせることで治る可能性はあるのか(倫理的な問題は別として)、謎です。

 新作です。今日は遅くなったけれど、ひとつくらい過去ログ写そうとYahooブログに向かったのに、画面真っ白。お友達のブログに行こうとしたら、

「このプログラムは応答していません」

せめて自分のブログくらい見せておくれ。本当に引越しちゃうぞ。昨日は午前3時まで選挙特番見てたし、早く寝ろという神のお告げでしょうか。