Yahooが相変わらずなので、こちらで新作。Yahooファンの皆様ごめんなさい。
言語体系の続編。8月25日「重い思い 」で「私は肝心なことを忘れている」と書いた、その正体、私が躍起になって字面を解析している間に多くの方がふわりと理解している何か、表情から読める心があるのと同様に、字面からも読める心があるようです。
書き言葉によるコミュニケーション障碍はないと思っていました。表情も声のトーンもなく、純粋に文字が並んでいるだけです。
だったらこの文字の羅列の中にヒントがあるはずだ、とまた解析に走るのですが、そこで私はまた肝心なことを忘れるのです。他の人は、その「何か」を言語化せずに、意識すらせずにやりとりしていることを。
それは脳のどの辺りで行われているのでしょう。言語化、意識化、映像化せずにどう受け取り、どう判断材料に加え、どう処理し、発信しているのでしょう。
ブログのコメント欄はとても新しいコミュニティです。書き言葉によるコミュニケーションは、手紙でもメールでも1対1が基本です。(チャットの経験はありません)ブログには多数の人が集まり、訪問者同士のコミュニケーションもあり、小社会を形成しています。現実と同じく、個性は様々です。
私は人の立場には立てませんが、感情移入ならできます。だから、相手を思いやろうとする時は脳内でその人になり、行動や心の動きを妄想しまくります。
説教する人々にも感情移入しようとしたのですが、どうしても自分の心として理解することができず混乱しました。
相手の気持ちになれなくてもそれが何なのかわかる、それができないのが脳機能の障碍だとしたら、将来脳のメカニズムが解明される時、例えば電気ショックを与えるとか外科的に神経をつなぎ合わせることで治る可能性はあるのか(倫理的な問題は別として)、謎です。