前の記事の補足。

 

怒られポイントその1 話を聞いていないように見える

 目が泳ぐ、無表情、あいづちはない、そっぽを向く(ここはよく聞いてねと言われてよく聞こうと、相手の顔に耳を向けてしまうなど)と怒りを誘う行動を取ります。
「集中しているように見えるにはどんな表情、どんな仕草をしたらよいのか」
は知識としては知っているのですが、表情、仕草に気を取られていると、特にあまり体調のよくない時は、肝心のことに集中できません。
 しかし仕事を教わる立場の人は、どう見えるかに気を使った方がよいでしょう。定型発達者は
「集中しているように見えるかどうか」
で真剣さを判断します。実際に聞いているかどうかは問題ではないのです。
 あてこすりとかではなくて本当に、そうしなければ私たちは受け入れられません。(一生懸命自分に言い聞かせている)覚えが悪いと思われたとしても、覚える気がないと思われるよりははるかにましです。
 
 
怒られポイントその2 理解したように見えても動けない

 指令脳ちゃんが理解しても動作脳ちゃんが理解していない場合、
「教えても教えても翌日にはきれいさっぱり忘れる」
という現象が発生します。
 逆に、動作脳ちゃんは覚えたが指令脳ちゃんがわかっていない場合は、ミスしまくり、
「教えても教えても同じミスを繰り返すのはなぜ」
状態になります。
 外から見ると前者の方が深刻に見えますが、後者の方が修復難しいです。変にゆがんだまま記憶した情報を忘れないと、新しい情報がゆがんだ情報に影響を受けてまたゆがみます。指導者は発生したミスの部分だけに目がいきます。
「なぜ間違ったのか」「次に間違わないようにするにはどうしたらいいのか」
とつめよられても、情報あやふやな指令脳ちゃんは答えられません。答えたところで、相手の予想した答と同じでなければ怒られます。
 叱れば叱るほど、指令脳ちゃんと動作脳ちゃんをつなぐ電線が遊離、次第に動作脳ちゃんモードになり、8歳行動が始まってますます怒らせる悪循環、私の経験ではこうなると修復不可能です。
 
 
怒られポイントその3 変な質問

 質問すると怒られる話は別な記事で書いたので詳細は略します。指令脳ちゃんと動作脳ちゃんのコミュニケーションにつき合ってあげてると考えてあげて下さい。


 昨日も書きましたが、それでも怒るよりは怒らない人の方が数が多かったのは不思議です。内心はむかついていたのでしょう。ごめんなさい。

 

 

 6月26日の記事。前の記事で、コメントの人がどうにも

「真剣さを見た目で判断する」「ミスの理由を追求してその部分だけ修正すればミスはなくせる」

という思考から抜けてくれないので書きました。診断後のリアルの私は、集中することよりも真剣に見えることに気を配ってはいますが、これを読んでいる人が私のような人に出会った時は、必ずしも真剣に見えるから真剣であるとは限らないことを思い出して欲しかったので。

 ある人のコメントを引用

「やる気があるかどうかを推測するのに「真剣さ」を見ます。たとえば、実際に作業をやって見せている時の様子とか。自分でメモを取っていたり、じっと手元なりを見て実演している作業の手順を追っていたりするのを見て「やる気が無い」とは判断しません。教える側も一度で覚えきるとは思ってませんから(少なくとも私は)、2度3度やってみせて覚え具合を見ます。ぶきっちょさんで私がやった作業を上手くトレースできないのは見ていてわかりますし、説明が上手く伝わっていないようであれば、言葉を変えたり違う見方をしてもらったりします」

を元に、私の理想とする「仕事の教えられ方」を書いてみます。これは自分の感覚を反映しているので全ての自閉圏の方にあてはまるとは限りません。


1 やるべき作業をやって見せて下さい。この時は無理にメモを取らせないで下さい。最初から最後まで一連の流れを見せることで映像記憶に訴えます。全体の流れを理解していない段階で無理にメモ取らせると訳わからないメモしかできません。聞いていないように見えますが気にしないで下さい。
 
2 「では同じようにやってみて」と言って下さい。全くできませんが、「メモを取らないからだ」と怒らないで下さい。頭に入っているから手足が動くとは限らんのです。この段階ではまだ動作脳ちゃんに伝わっていません。
 
3 口頭で説明しながら作業をさせて下さい。(作業手順文書があれば尚可)なかなかできなくても「ほら、こうでしょ」と取り上げてやってみせるのは、私が希望しない限りしないで下さい。動作脳ちゃんは作業しないと覚えません。指令脳ちゃんは「わかっているのに」と反発します。
 
4 作業をさせながらメモを取らせます。(作業手順書があれば、そこに書きこませる形で)作業をさせることで動作脳ちゃんに伝わり、初めて教わったことがまとまります。動作脳ちゃんの理解が深まると質問が出てきますが「どっちでもいい」「それでもいいよ」は禁物。
 
5 メモを見ながらもう一度やらせ、うまくできなければメモ追加。完璧にできるようになるまでさせて下さい。「だいたいできるようになったから後は実際にやらせて気づいた時にその都度注意しよう」というのは避けて下さい。注意される度に自分を否定されたと思い、どんどん沈んでいきます。
 
6 メモを元にパソコンできれいに打ち直させて下さい。手書きだと汚くて自分でも見る気がしないというのもありますが、動作脳ちゃんが身につけたことを指令脳ちゃんにフィードバックし、情報の共有化を図れます。


 面倒ですか。やり方さえ合わせてもらえれば覚えの悪い方ではないのですが。
 ポイントは、指導者は指令脳ちゃんに教え、指令脳ちゃんが動作脳ちゃんに教えるという図式。つまり、指令脳ちゃんには、その作業ができるように教えるのではなく、「人に教えられるレベル」にもっていかないといけないのです。
 作業する分には必要ないけど人に教えるには必要な情報がありますよね。それも教えないと、指令脳ちゃんは動作脳ちゃんに教えることができずにパニクるのです。

 かなり怒られポイント多いですね。こんな私を怒る人より怒らない人の方が多かったのは不思議です。
「プロジェクターって何でプロジェクターという名前なんですか」
という私のお馬鹿な質問に、一緒に辞書を引いてくれた人、どうしてもプロジェクターという名前になじめず自動映写機と呼び続ける私に
「はいはいプロジェクターね」
と返してくれた人、みんな優しかったです。今はプロジェクターと呼んでいますよ。操作方法覚えたから。

 

 

 6月25日の記事。はあ、いよいよここに来たか。触れずに通り過ぎたかったのですが、この記事はコメントの人以外は反応よかったので、立ち向かいます。

 人に物を教えたいという願望の強い人が何と多いことか。読んで下さる方に、全部の記事を読めとは申しませんが、私に「指導」したいなら全記事を読まないといけなくありませんか。(全記事を読めば指導してもいいという意味ではありません)

 このブログの常連様にも私にものを教えることのできる人はいますが、そういう人は私にわかる言葉を使います。自己PR語や謙譲の美徳では私には伝わりません。

 コメントの人は後に、「言ってくれないとわからない」と書きましたが、記事でもコメントでも何回も書いています。私に表現力がなくてわからなかったというのなら、そのわからない人が、指導しようということがおこがましいとは思わないのでしょうか。

 よく見ると、この時のコメントの反応も他の人と全然違います。例えば、「どっちでもいい」が混乱することが伝わってなく、「そういう時はやりやすい方でやってもらう」という返答です。

 多分、私を理解したかったのではなく、自分より劣った人間を指導することで自己顕示欲を満足させたかった、尊敬されたかった、感謝されたかったのでしょう。人をそんな風に受け取るのはよくない、と思っていました。しかし世の中には本当に悪意ある人間というのも存在します。

 これは、私がブログ活動を続ける上でのひとつの転機というか試練でした。私は、1人でもわからない人がいるのは自分の表現力がないからだと信じて、いろいろ形を変えて表現してきましたが、相手にするべきではありませんでした。1人だけ伝わらないのはその人に理解力がないからだと切り替え、無視に限ります。この段階では、ですが。

 モチベーションシリーズのコメントは、思いがけないヒントを与えてくれます。モチベーションと記憶力に関連があるなど思いもしませんでした。
「やる気があれば覚えられる」

「できないと思っているからできないんだ」
につながる体育会系精神論で、とても信じられませんでした。しかしご意見を読む限り、定型発達者にはこの精神論が実体を伴うようです。
 
 私はプロ野球が好きなのですが、逆転ホームランなどで解説者が
「今のは気持ちで打った一発ですね」
と言っているのを
「んな訳ねーじゃん」
と笑っていました。勝ちたいという気持ちはどちらもあるはず、何でも精神論に結びつける解説者の論調は奇妙なものに映りました。
 しかし魔法を使う能力にも段階はあって、イチローは技術だけでなく超能力も卓越しているのかも知れません。より打ちたいと思うから打てる、より勝ちたいと思っている方が勝つ、願う力が魔法をより高めているのでしょうか。魔法を使えない私にはさっぱりですが。
 
 がんばれば誰でもプロスポーツ選手になれる訳ではないし、誰でも東大に入れる訳ではない、定型発達者だってそんなことは知っているはずです。それでも
「努力が足りない」
と言われるのは、
「こんなに努力している」
という無言のメッセージの発信能力がないだけではなく、
「できると思えばできる」
という魔法が存在し、それが使えないからでしょうか。だとしたら、定型発達者の攻撃にも一定の真実があります。私が魔法を使えないことを誰も知らないのですから。

 「アスペルガー的ビジネス用語講座」の中で、ポジティブに考えれば幸運が舞い込むということが、定型発達者には本当にあるらしいと書きました。これもその魔法のひとつだったのですね。
 タイトルには和解と書きましたがまだ和解はできていません。ただ定型発達者には精神論が一定の効果をもたらすのだと知識を得ることで、私自身のストレスも軽減できそうです。
 「努力が足りない」にまつわる様々なフラッシュバックエピソードを許すために、こうしてひとつひとつ学んで、理解していけばいいのです。

 

 

 6月18日の記事。私としては歩み寄ったつもりで書いたのですが、イマイチ不評でした。自己PR語の概念を発見できていれば、もう少し理解が進んでいたかも知れません。

 もうひとつ情報を加えるなら、Yahooで最近書いたのですが、

「正常な人間は、その内部においては大きな能力差がない」

のだそうです。だからある能力から、

「他のこともこれくらいはできるだろう」

という想像が無意識になされているような気がします。私は文章が上手いと(現実でも)言っていただけるのですが、私の能力の中には、普通の範ちゅうにはとても入らないほど劣っている部分もあります。それを人は

「やる気がない」「やろうという意志がない」

と呼びます。

 このことを、どんなに言葉をつくしても伝わらない人はいます。掲載当時のYahooのコメント欄を見ると、後にアメブロ版が荒れた大元の説教が既に始まっています。なぜこの時、削除とは言わないまでも無視という選択をできなかったのか、悔やまれます。

 昨日のコメントでは、私がモチベーションの意味を勘違いしているというご意見はなかったのですが、どうも勘違いしているような気がしてしてなりません。
「従業員のモチベーションを高めたい」
みたいな使い方をすると今まで思っていたので、
「モチベーションの高い人を採用したい」
という使い方はまだ違和感を感じます。(カッタウェイさんいつもごめんなさい。ASは非言語コミュニケーションができないので、言葉の意味をできるだけ他の方と近い形で知っておきたいのです)

 
 コメントにも書いたのですが、初日からいきなり仕事する気ない人など私は今まで見たことがないので、モチベーションがどうこうというのは働き始めてからの問題だと思っていました。
 私にわからないだけで、初日から明らかに仕事する気ない人というのはいて、定型発達者にはそれがわかるのかも知れません。

 やる気のある人、というのに私は多分普通の人よりネガティブなイメージをもっています。昔、わりと長く勤めた会社で、イベント関連の仕事をしたことがありました。イベントはたくさんのアルバイトスタッフを必要とします。朝早く、夜遅く、仕事の間隔も不規則なので、毎回バイトの確保は大変です。
 ある時「イベントスタッフ募集①設営スタッフ②司会進行のアシスタント」という求人広告で募集しました。イベント関連のアルバイトというと応募は多いのですが、実態を知ってがっかりする人も多いのです。単なる荷物運びですから。
 この時も、何やら勘違いしている人がいました。「司会進行のアシスタント」に採用されたと思っている若い女性。スクールでイベント企画を学び、絶対イベントの仕事したいんです、と意欲満々です。単なる荷物運びなんですけど。
「リハーサルは前日ですか」
絶対、舞台の上で司会者の隣でフリップ持っている人を想像しています。あまりに気の毒なので、あなたにはこういう仕事をしてもらう、という説明をしました。当日話が違うと騒がれて帰られたら大変だからです。その人は案の定、
「話が違う、電話で問い合わせた時はこう言われた」
となりました。この人に辞退されたら私は上司に怒られるので何とか説得を試みたのですが、結局辞退されてしまいました。こういう人を働かせるには別なテクニックが必要なのです。

 モチベーションというとこの人を思い出します。仕事に対して距離を置いている、ある程度覚めた目で見ている人の方が使いやすいし長続きもする、という印象を私はずっと持っていました。出版社に勤める友達も、やる気満々の人ほど実態を知ってがっかりしてぱっと辞めてしまうのよ、と同意見でした。

 

 

 6月16日の記事。辞書的には「動機づけ」「意欲」の両方の意味があったようです。

 先日、通りすがってこの世界に巻きこんでしまったカッタウェイ様が続きの記事 を書いていらっしゃいました
>さりとて,本当にモチベーションが低い場合もある訳で,どうしてそれを知り得るか,そもそもそういった推察をすべきなのか?と少し悩んでいます。

 ん? またも違和感です。こうなったら、重ね重ね申し訳ございませんが、私に見つかったのを不運(あるいは幸運)とあきらめて、もう少しおつき合いいただきましょう。カッタウェイ様は
「派遣会社には業務遂行能力のある人を派遣して欲しい」
とお考えと解釈していたのですが、能力よりもモチベーションに重きを置いていらっしゃるようです。モチベーションとは、そんなに必要なものなんでしょうか。
 こういう時は私の方が言葉の使い方間違えています。モチベーションなんて、いかにも私が意味間違えそうな言葉です。

 モチベーション:個体の行動を引き起こす動因。また、そういう動因を与えること(小学館「カタカナ語の辞典」より)するとモチベーションが低い→行動を起こす動因が少ない??? すごい貧乏でお金に困っている人がモチベーションが高いということですか。多分違います。
 私のイメージでは、
「生活のため割り切って働く」
ではなく
「この仕事ができればお給料なんていりません」
なおめめキラキラ的な動機付けを指している気がします。仕事さえちゃんとしてくれれば、おめめキラキラであろうが生活のためであろうがどうでもいいような気がしますが、私のとらえ方が変なのでしょうか。いいえ、きっと変に違いありません。

 そこを掘り下げると、以前「アスペルガー的ビジネス用語講座」で
「営業成績トップでも、大ヒット商品を開発しても、全く評価されないことがある」
と書いた、その理由のひとつに突き当たります。
 自閉は表情に乏しく、夏もあまり汗をかかないので、がんばっているように見えないのです。それで努力が足りないとかいつも言われるのです、きっと。
 無表情、無愛想、他人の微妙な表情が読み取れないだけに、自分でも微妙な表情作れません。演技力のない女優のように、数種類の表情を使い分けております。

 営業スマイルはできますけど、すると今度は誰もいないのにずっと笑っていて気持ち悪いと言われます。集中していると顔変えるの忘れます。
 せっぱつまっている時ほど、表情を作ることに気がまわらないのに
「余裕がある」
と思われてどんどん仕事増やされて大変なことになりました。顔で大変さを決めるなよ、と反発したものです。
 
 要求する仕事ができるかどうかよりも、一生懸命やっているように見えるかどうかの方が重要なの??? またひとつ、大発見をしてしまいました。ブログは本当に勉強になります。

 

 

 6月15日の記事。言葉の意味にこだわりすぎな自分。特に「モチベーション」は虎馬語だから、こだわってみたかったのです。

 それにしても、カッタウェイさんの引用部分、やっぱり中性的な感じがします。男性が使わない言葉という訳ではないんですが、なぜでしょう。