統一教会の祝福結婚(血分け理論)って・・・・(3) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■三日行事の前、文教祖と性関係を結ぶ夢を見てない女性信者は本来の祝福から外れています。なぜならお母様の分身(文教祖の妾)として天使長である男性信者を生み変えなければならないからです。初愛(初恋)は文教祖としなければいけないのです。

まず統一教会の祝福結婚(血分け理論)って・・・・(1)
統一教会の祝福結婚(血分け理論)って・・・・(2)をお読みいただくと理解しやすいと思います。

『世界の女性たちは、先生の相対圏に立っています。世界において、真の夫は(※文教祖)一人しかいません。神様から見れば、未完成の男性と女性たちしかいないのです。人類は、男性と女性に二十五億ずつ分かれて五十億にもなりますが、それは一人の男性と万人の女性と同じです。しかし、それはみな堕落圏です。ですから、メシヤ思想が必要になるのです。』
(「神様の摂理と日本」より 1991年7月14日のみ言葉)
(参照:統一教会の祝福は文鮮明教祖と妾(女性信者)の結婚式

全世界の女はお母様の分身になるのです。・・・お母様の心情を体恤しなければならないからです。・・・一体にならなければなりません。だから、「お母様の分身になりなさい」と言うのです。全世界の女は一人のエバだというのです。・・・全世界の男は、堕落した復帰時代に入った天使長だというのです。分かりましたか? (はい)。エバの相対基準は、再臨の主(文教祖)、完成されたアダム基準です。』
(真の父母と重生 1993年12月20日 韓国・済州研修院)

すべての男性は全部、一人のお母様の新郎になるのですが、全世界の女性達を分身として侍らなければなりません。女性は本来、アダムの相対でした。ですから、一人のお母様の分身となって家庭に送るのです。それは橋なのです。橋をかけてお母様と一つにならなければなりません。これはレアとラケルと同じです。
 昔、レアとラケルが夫を中心として争ったでしょう? 二人はもともと姉妹の立場にあるのですから、敵愾心をもってはいけなかったのです。全部、世界の女性達がお母様に乗って上って来るようになる時、お母様の協助を受けなければなりません。そうしてお母様から再び生まれたという条件を通過してこそ、初めて昔の自分の家庭を再び捜し求めて、天の国に入籍することができるのです。』

(世界の女性の復活と解放 1993年2月1日 ベルベディア)

統一教会公式HP http://www.ucjp.org/?page_id=5085
(「真の家庭」と十字架路程と勝利シリーズ「④再臨主の誕生と血統転換」30分~48分の部分))
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祝福とは文教祖が夫であり、女性信者は妻(妾)なのですが、特に777双以降からの祝福は、実体的に文教祖と肉体関係を持つのではなく、お母様の分身(文教祖の妻であるが妾の立場)として霊的に文教祖の妻とみなすというもの。そしてお母様(韓鶴子)そのものではないが、女性信者が鶴子夫人の立場で男性信者と性関係を持ち復帰するというものです。

簡単にいうと、『文教祖 → 鶴子夫人(=女性信者) → 男性信者』というセックスリレーなのですよ。
そういえば朴正華氏が「六マリアの悲劇」で同じこと言ってましたよね(笑)

これを36家庭の鄭壽源氏がわかりやすく説明している内容がありました。
さすが聖主教教祖の孫です。血分けの内容をよくわかっています。
聖主教教祖の金聖道ハルモニは、文教祖より遥か前(1923年)に堕落が天使との淫行であると神から啓示を受けた人物です。

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■女性はお母様の分身体

 それだけではありません。女性の皆さんにはお母様の分身体という名前を祝福してくださったのです。皆さん、きょうここに来ながら、「私はお母様の分身体として行きます」という心をもって来た人がいますか。今まで生活しながら、お母様の分身体という立場でお父様を迎え入れる準備をした人たちが何人いますか? お母様の旦那様はお父様です。そうすれば、分身体の旦那様は誰ですか?それを確認しなければなりません。お母様の旦那様はお父様です。ではその分身体の旦那様は誰ですか? お父様です。自分たちの旦那さんが今の旦那さんではないのです。

 皆さん二〇〇〇年までは、自分の旦那さんは真のお父様ですよ、女性の皆さん! 原理がそうなっているのです。それなのに今まで自分の旦那さんはお父様だと思って侍る生活をしたかというのです。お父様を旦那さんと思って、きょうここに来ましたか? みんなでたらめな生活をしていたのです。方向性をみんな間違っているのです。方向性がどこかというと、お父様が女性たちの恨みを解放する、エバ国家の使命はこうである、次に、お母様の分身体、というレッテルを祝福してくださったら、皆さんはみんなお父様が旦那さんです。

 ですから私が最初から、侍りなさい、侍りなさいと言ったのです。みんな、食べる時も、寝る時も、どこに行っても、みんな神様と真のご父母様に侍りなさいと生活させたのもこういう意味なのです。とすると自分の旦那さんは、今何ですか? すみませんけれども、自分の旦那さんは僕です。私も男ですから気持ち悪いけれども、仕方がありません。自分の旦那さんは僕です。女性の皆さんはお母様の分身体です。そうしなければこういう歴史的な道を越えて行くことができないのです。

 二〇〇〇年度まではお父様が旦那さんの立場であるし、今の旦那さんは天使です。僕です。今、日本の食口たちが何が間違っているかというと、夫婦の一体化です。夫婦の一体化というのはアダム国家とエバ国家です。アダム国家とエバ国家が真のご父母様を中心として、皆さんの夫婦一体化と同じく、日本と韓国が夫婦一体の生活をしなければならないのです。それがなされていないのです。新郎の立場で来られる真のご父母様です。私たちは僕の立場で迎え入れなければならないのに、それを迎え入れるのに対して私たちが間違っているのです。そういう立場で皆さん、二〇〇〇年度まではみんな全身全力を捧げてご父母様に侍るのです。日本の皆さんは男性でも女性でもみんな女の立場です。女の立場であるから全部捧げてご父母様に捧げるのです。

(1996年12月10日発行「感謝する信仰」より 鄭壽源著(36家庭、韓日人教会中央会会長))
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女性信者はお母様の分身でお母様の代身として男性信者と性行為することが血統転換になるわけですが、言い換えると文教祖の妻(鶴子夫人=女性信者)が男性信者に性の伝達をするわけです。

『文教祖 → 鶴子夫人(=女性信者) → 男性信者』性の伝達=セックスリレーの順序

朴正華著「六マリアの悲劇」のセックスリレー(血代交換)の説明

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■セックスリレーで「血代交換」を
父母とともにクリスチャンの家に生まれて幼児洗礼を受け、教会執筆までやった経験のある私は、文さんの聖書解釈には、耳を疑い首を捻らざるを得なかった。ところがその反面、夢の中で「文先生こそ再臨のメシアだ」というお告げを受けていた私は、半信半疑ながらもしたいに彼の話にのめり込んでいった。そこで、
「これから先生はどういうころを行ない、どうやって理想の天国を完成させていくのですか」
と聞いた。
---それは、イエスがこの世に生まれて達成できなかった、女の人たちとの復帰だ。まず、天使長ルーシェルとのセックスによって奪われたものを、それと同じ方法で、夫がいる人妻六人、すなわち六人のマリアを奪い取ることによって取り戻さなければならない。それは、復帰摂理のためには仕方がなくやらなければならない宿題であり、命をかけて行なわなければならない、重大な使命なのだ。
 私は驚きと反発を覚えながら、質問した。
「先生、夫がいる人妻と、しかも六人もの人妻とセックスするということは、その夫に殺される騒ぎになるかもしれないし、もし夫たちにわからなくても、姦通は神の教えである十戒に『姦淫するなかれ』と書いてあります。またこの国の法律でも人妻とセックスすると姦通罪になります。どうしてそんなことができるのですか」
---いや心配ない。やがて世の中は極端に性が乱れてくる。道端で男女が平気でセックスするようになり、通行人はそれを見ても今の握手ぐらいにしか思わず、気にもしなくなる。またその頃になると、人間の心理状態も変わり、自分の妻や恋人が他の男とセックスしても、怒ったり嫉妬をしないようになる。そうなれば復帰摂理を聞いた女たちは復帰を受けたくて(セックスをしてもらいたくて)、自分から志願してくるようになる。その時期が来たら、再臨メシアは、六人の人妻をマリアとして夫から奪い取り、汚れたサタンの血を清めるため、血を交換する復帰をしなければならない。これを『血代交換』(注=いわゆる「血分け」のこと)と言うが、復帰の儀式であるセックスには、今のサタンの世の中と違って一定の決まりがある。
 再臨メシアが人妻の汚れたサタンの血を浄め、血代交換するために復帰の儀式として行なうセックスは、メシアが上になって三回づつしなければならない。それは蘇生・長成・完成の意味がある。つまり六人との合計十八回のセックスにより、人妻たちはマリアとして生まれ変わるのだ。
 六マリアを復帰したら、再臨のメシアは次に、セックス経験のない処女を選んでエバを定め「小羊の儀式」(正式な結婚)をする。アダムの再来であるメシアとエバは、真のお父様、お母様であり、その二人から生まれる子孫は、永遠に罪のない清潔な存在となる。そしてこの世の中を六千年前に神が創造しようとした理想の原点に戻すことができるのだ。
「しかし先生、この世の中には天使長ルーシェルに毒されたサタンの血を引く人間が、五十億人もいるのです。その人たちのすべてを『血代交換』することが可能なのですか?」
---最初に再臨のメシアから復帰させられた女は、他の男の食口(信者のこと)と女が二回上になって「蘇生、長成、完成」の三回にわたる復帰をしてあげることができる。復帰を受けた男の食口は、違う女の食口たちとも、女が上で二回、下で1回セックスして復帰させる。またその女の食口が、他の男の食口に、女が上になって二回、下で一回セックスをして復帰させる。こういうやり方で広まっていくことになる。ただし復帰を受けるには、その前に七年間は「聖別」(セックスしない期間)がなければならない。それでこそ、聖別を受ける資格ができる。でも今は時期が時期なので、七か月間の聖別だけで可能になり、その後はもっと短くなって七日間だけの聖別で、男女お互いに復帰を受ける資格が与えられるだろう。

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ここでは文教祖から復帰(性関係)を受けた女性が男性と関係を持ち、その男性が他の女性に性行為を伝達して復帰をするという方法ですが、1960年の祝福からは一部のみ実体で行い、他は仮想ですが女性信者を文教祖の妻と見立てて、文教祖の妻(女性信者)が男性信者に性を伝達するという方法を取ります。それが祝福であり三日行事(三日儀式)です。

そしてそこから生まれた祝福二世は文教祖の子供なのです。
ですから昔はこういう風に二世を養育しなさいと言われました。

『子女は真のご父母様の子女であり、父母はいわば、そのお世話係、乳母のような立場でもあります。この「神様と真のご父母様からお預かりした子女である」という観点を忘れないようにしてください。これはとても重要な点です。このような観点は、夫婦の間でも同じことが言えます。自分の妻である前に、その妻は神様の娘であり、神様から与えられた妻であるというのです。夫についても、然りです。』
(「「出産」妊娠・出産と養子縁組」より 前家庭局長 高橋久夫氏の説明)


血統転換(祝福)の理屈(原理)は朴正華氏の言っている「血代交換」と同じです。
これを世界の女性に適用(種付け)させ、文教祖の血統で世界を埋め尽くそう、支配しようというのが文教祖の願いです。昔(1960年以前)は「文教祖→女性信者→男性信者→女性信者→男性信者・・・」と実体の性リレーで広げようとしましたが、社会的常識をあまりにも逸脱して逮捕される危険があるので、「祝福」という形態に切り替えたのです。
「1:多数」・・・つまり文教祖と世界の女性を結婚させる方法を取ったのです。
(参照:36家庭の役割は血わけのカモフラージュ

『世界の女性たちは、先生の相対圏に立っています。世界において、真の夫は(※文教祖)一人しかいません。神様から見れば、未完成の男性と女性たちしかいないのです。人類は、男性と女性に二十五億ずつ分かれて五十億にもなりますが、それは一人の男性と万人の女性と同じです。しかし、それはみな堕落圏です。ですから、メシヤ思想が必要になるのです。』
(「神様の摂理と日本」より 1991年7月14日のみ言葉)

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三十六家庭の役割(続出した「再臨メシア」対策)

改めて考えてみると原理どおりに言えば、文鮮明が復帰(性行為で血統転換)した女性が、男の食口たちを復帰(性行為で血統転換)させ、その男の食口が、また違う女の食口を復帰させる、という方法で、世の中の人間すべてを復帰し、血代交換させるのは当然ということになる。こういう過程のなかで、
「自分こそが再臨メシアだ。あの文鮮明はインチキでサタンだ」
と唱え、自分の復帰を受けなければ本物ではない、と主張する人が何人も各所に出現し、その人たちに復帰を受けるために集まる信者たちも増えるようになった。
こういう事態になって、文鮮明は考えた末、「三十六家庭」というのを作り出した。文鮮明が世界の人間をすべて復帰し、血代交換させることは無理なので、この三十六家庭だけを直接復帰(血代交換)させることにした。そのあと(72家庭以降)は「聖水」をまいて、新しく結婚する新郎新婦に祝福を与えるという形に変え、「合同結婚式」を行うことにした。
三十六家庭というのはこういう経路で作られたのだが、では、なぜ「三十六」なのか。・・・そして三十六人の新婦は、文鮮明が復帰した女性でなければ、資格がないとされていたが、理想どおりにはいかなかったようだ。
復帰とはセックスのことだが、その目的は「血代交換」である。
「第二のアダムであるイエスが達成できなかったことを、第三のアダム(要するに文鮮明)がこの世の中に再臨して血代交換する。これは要するに、メシアが世界の代表として、六人のマリアと三十六家庭の妻たちとセックスすれば、汚れた血がきれいになるということで、この儀式を血代交換という。そして、血代交換をした三十六家庭から生まれてくる子供は、罪のない天使ばかりであり、こういう人たちが世界に広まることによって、罪悪のない世の中が生まれる」ということだ。

(朴正華著「六マリアの悲劇」より p233)
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み言葉では女性信者が文教祖の妻になり、男性信者に対しては女性信者が母の立場で男性信者を産みかえるとしています。あくまで女性信者の夫は文教祖です。
別な言い方をすれば「母子協助」であり、息子(男性信者)と母(鶴子夫人=女性信者)が性行為するのです。

『この三年間は女(女性信者)は母であり、三年間、自分(男性信者)を生んでくれる母である。先生(文教祖)は父であり、その相対の立場に母の立場である。
・・・・こういうような天宙的内容をもって一瞬にして罪のない立場に立たせ、無条件に祝福してあげた。だからそれを踏みにじるとすれば大変なのです。だから祝福された家庭は、女が先生の命令にひっかかなければ男は救われるのです。女だけが先生の行かれる道に歩調を合わせて相対圏に立った場合には、それに従う男も救われるから、韓国でも先生が命令して女たちを先頭に立たせています。』

(家庭の伝統(第十二回御聖婚記念日) 1972年4月29日 東京・松濤本部)

『しかし、お母様が現れ、女性解放をされたので、女性たちは、夫がどういうものかということが分かりました。お母様が、先生を中心として心情的な伝授をされたので、多くの女性たちは先生に属するようになったのです。男性は天使長です。エバが天使長を生んだように、女性が母の立場で自分の夫を生んであげなければなりません。
 四十日の聖別期間とは何でしょうか。堕落した女性(女性信者)が、本然的、霊的に新郎(文教祖)と一つになる期間です。一つにならないで息子(男性信者)を生むことはできません。父と母が一つになる立場に立たない限り、天使長(男性信者)を息子として生むことはできないのです。聖別期間がどれほど厳粛な期間であるのかを皆さんは分かっていません。皆、分からないまま過ぎてきました。分からなかったので大丈夫ですが、分かっていたら皆引っかかります。この期間は真の父母の実体につながる期間です。天と地すべてを相続することのできるパイプが連結される、この驚くべき恵みの時間を誰が分かったでしょうか。これは遊びではありません。原理を再度鑑定して、蕩減復帰の路程で、反対の経路で回っていくということを考えると確かなことです。』

(完全な家庭理想 1994年10月4日 漢南洞公館)

「統一教会の祝福結婚」とは原則として恋愛が禁止されているのはこういう背景原理があるからです。恋愛結婚は文教祖をまず好きになるわけではなく、天使長である男性に心を捧げるわけですから、堕落時に起こったことを逆の経路で蕩減しようとすれば、女性信者は、まず真のアダムであり真の夫である文教祖を慕わなければいけません。これがいわゆる「初愛」です。
「初愛は本来神様とするもの」と文教祖は述べていますが。文教祖は神の息子ですから、神と一体とみなします。神には体が無いので、実体の神である文教祖と恋愛感情を持たなくてはいけないのです。
統一教会に入信する前に結婚した人や恋愛結婚をして来た人を「格下」と捉えるのはこういう原則があるからです。
文教祖は教会に来る前に恋愛結婚した者が行く霊界は違うと述べている事をみてもそうです。
文教祖にとっては、文教祖以外の男性に心奪われた女性は「汚らわしい=堕落したエバ」なのです。
祝福を受けるときの女性信者の信仰姿勢は、文教祖が男性(異性)として好きで好きでたまらないというのが望ましいのです。

『愛の関係を結んだとするならば、男と女の愛は東西を中心にして永遠に結ばれ、神様は南北を中心として縦的に、永遠に結ばれるのです。・・・だから、結婚の初夜の愛の関係を結ぶということは重大な事件です。男が初めて完成し、女が初めて完成するのです。旦那さんは、自分を完成してくれるお方です。・・・旦那さんは自分を完成させてくれる人です。女は半分です。旦那さんがいなかった場合には、完成されません。何によってかというと、旦那さんの愛によって完成するのです。』
(真の父母と重生 1993年12月20日 韓国・済州研修院)

『それで先生に出会うと、「ああ、いつだったか会ったことがあるお方だ。目も耳も鼻もどこかで見たことがあるんだが、いつだったかな」と言うのですが、どんなに考えても思いつかないのです。そのような因縁があるのです。
 したがって、誰よりも、親しい兄のようです。先生が胸に抱いたとしても、どこかの男性のようには思えないのです。父母の胸に帰ってきたように感じ、兄に向かった妹のような感じ、それが先生に対する思いなのです。そして、一方では夫のように「あー、恋しい。会いたくてたまらない」と言って、夜も眠れないのです。そこまでなるのです。
 今もそのような体験をするでしょう。お兄さんのように案内して、エデンの花園に連れて歩きながら、ずっと教えてあげるのです。夢の中で何度も先生に会うことでしょう。時には婚約指輪をはめてもらったり、婚約の花束を抱かせてもらったり、幼子のように何も着ないで、一緒に布団の中で眠ったりもすることでしょう。そのような夢を見るようになるのです。
 その心情圏が何かというと、失ってしまった夫の心情圏を原理どおりに、元に戻す天的恩恵であるのです。そしてそうした段階を過ぎて、完全に、心情圏内で父のようになるのです。幼子のようになり、先生の膝の上とかで、どんなにひどくいたずらしても嫌でない、父と娘の関係のような思いになるのです。そのようにして、神様を知るようになるのです。』

(「真の御父母様の生涯路程3」より)

『ここにいる婦人たちに一つ聞いてみましょう。夢での啓示や祈祷の中で、先生に時々出会う人、手を挙げてみてください。下ろしてください。特に女性たちは、全部先生の指導を受けなければなりません。皆さんが精誠を尽くせば、教えてくれるようになっています。皆さんは、先生と連結されていなければなりません。それは、思うだけではいけません。祈祷すれば、必ず教えてくれるようになっています。夫婦が一心同体になって祈祷すれば、教えてくれるのです。先生に会いたくて涙し、本部に行きたくて気をもむ心、皆さんが思春期に感じたような、そういう心が生活圏内に深く根づいている、そのような家庭になってみてください。そうすれば、その家庭に神様が共におられるのです。』
(「祝福家庭と理想天国」より)

『では、皆さんはどのようにしなければならないのでしょうか? サタンによってなったために、来るべき主(文教祖)によって、これを復帰しなければなりません。先生に会えば先生の懐に抱かれて、赤ん坊のようになってみたくなるのです。他の所は願いません。赤ん坊のように、その次には兄弟のように、どこに行っても先生について行きたくなるのです。さらには男性でなく女性の場合には、まちがいなくそのようになります。公式がそうなのです。先生が行く所に行きたいのです
 その次は、その過程を過ぎれば新郎新婦時代です。そのような体験をします。皆さんが先生と一緒に眠ることもあるのです。アダムとエバが一緒にどれほど寝たことでしょうか? 夢うつつで夢のみ告げ中でそのようなことを経験するのです。かと言ってそんなに悪く考えてはなりません。心情的に失った内容を、再び蕩減条件によって回復しなければなりません。赤ん坊の心情、本然の心情を汚したことを解いて、真の神様の対象…、真のお父様を中心として、真の赤ん坊から、真の兄弟から始めなければならないのです。その次に真の夫婦です。アダムとエバが結婚しなければならないのです。真の夫婦の心情、真の父の心情です。これをすべてみな感じなければなりません。四大心情圏をなくしたために、これを復帰しなければ、真の父母の道を行くことができません。』

(「祖国光復と入籍」より 1997年4月17日のみ言葉)


その内容を36家庭の申美植女史(西川先生の妻)が証しています。↓
祝福前の申美植女史に真の夫である文教祖が「文教祖を恋人だと思って」ラブレターを書きなさいと指示したと述べています。

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真のアダムを慕う心情
 私は先生をとても愛していました。でもその愛というのが、結局今思うと先生をとても苦しめていたのです。それはどういうことかというと、私の中にある一つのものを創り上げて、先生をその中に入れようとしていたのです。ですから先生から見ると、本当に次元が低くて苦しくてたまらない、というわけです。
 ある時先生が私に、「美植、お前ラブレターを書いたことがあるかね」とお尋ねになったことがありました。私は理知的な方でしたから、「あなたを愛しています」などと、とても恥ずかしくて言えないし、感情的にのめり込めない性分でした。だからもちろん、恋愛したこともなければ、ラブレターなど書いたこともないのです。先生もご存じの上で、そうおっしゃったのかもしれませんが、私が「書いたことありません」と答えると、先生は「一遍書いてみろ」とこうおっしゃるのです。それで私もその気になって、“私が愛しているのは先生だけだから”ということで、先生のためにラブレター……というよりも詩を書いて、それに花を添えて、先生のお部屋に持って行ったのです。そして知らん顔して下の部屋にいると、先生があとから下りて来られて、私の顔を見ながら「うん、お前か」とこうおっしゃるのです。でも、それ以上のことは何もおっしゃいませんでした。
 そのように、私はいつもうっとりとした夢見るような目をして、先生に付きまとっていました。そういう状態が何年も続いたのです。それである時先生が私に、「お前、先生の奥さんになりたいかね」とおっしゃるので、私はびっくりしてしまいました。私は先生をあまりにも偉い方だと思っていましたし、自分とは次元が違うと感じていましたから、「いいえ、そんなこと、夢にも思っていません」と答えました。すると先生はまた意外なことをおっしゃるのです。「いや思ってもいいんだよ。思ってもいいけども、お前がもっているそういう気持ちに対して、お前はそれがどこから来たのか、考えたことがあるのかな? そしてその気持ちに対して、頭を下げて感謝したことがあるのか?」。私は自分から湧き上がってくる気持ちがどこから来たか、など考えたこともないし、ましてや頭を下げたこともなかったので、不思議な気持ちで聞いていました。
 すると先生は、次のように説明してくださいました。
 「真のアダム(文教祖)に対して恋い焦がれるという、その美しさを愛してやまないという、その気持ちは堕落したお前から来たものでは決してない。それは永遠の初めに神がエバに与えたその中にあったものである。だからお前はそれを、本当に尊く思わなければならない」と。そして、「お前が先生を愛する、その気持ちは、お前だけのものではない。それはすべての女性が求めているものである。だからお前はそれを大事に育てなければならないし、それがお前だけのものではないことを知らなくてはならない。そういう思いでお前が先生を見る時は先生を喜ばせるけれど、自分のものだと思った場合には、かえって先生を苦しめることになるんだよ」とこういうふうに言われたのです。

(信仰と生命 36家庭申美植女史の証より)
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要は初愛(初恋)は文教祖としなければいけないということです。

ではなぜ文教祖と「初愛」しなければいけないのか・・・・。
それは文教祖以外に「神の息子の種(精子)」=「真の愛の種(精子)」を持っていないからです。文教祖以外の男性は全て堕落した天使長の子孫ですから、精子をもらっても意味が無いのです。それでは世界の男性は祝福を受けられないので、文教祖と妻(女性信者)の息子(正式には実子ではなく養子から妾の子として庶子)ということにして、血統を同じにして受けさせるのです。
その段階が一世の祝福です。
(参照:祝福は文教祖から愛の種をもらえなければなんの意味もない

『全世界の女はエバと見るし、全世界の男は天使長と見るのです。全世界の女の前に、真の完成のアダムは一人として、再臨の主(文教祖)と見るのです。女と再臨主は一つで、こちら(文教祖以外の男性)は天使長です。天使長を再び接ぎ木して、先生が第二のアダムをつくりあげなければ、君たちの相対者はおりません。分かりましたか?・・・旦那さんとして来られる再臨の主は、たった一人(文教祖)だというのです。・・・親もなければ親戚も何もないのです。たった一人で来るのです。持ってくる財産は何もないのです。たった一つの真の愛と、真の愛の子供の種だけしか持っていません。堕落した世界の女は、すべてを犠牲にしても、それが必要なのです。
(真の自分を探しましょう 1993年12月19日 韓国・済洲研修院)

いくら夫が醜くても、赤ん坊の種を持っているということは、間違いないというのです。(笑い)分かりますか? 赤ん坊の種があって、血統の法則が通じるとすれば、先祖に黒い人がいれば、いつかは黒い人が出てくるのです。だれかが、先生のような人を夫として迎えれば、血統の中にその種を受けて、何代目か、何千代目にそれが出てくるというのです。それはどういうことかというと、先祖の血と先祖の細胞が死んでいないということを意味するのです。
 父と母の愛は、一代です。父と母の愛は横的であり、一代です。水平です。垂直ではありません。おじいさんとおばあさんも一代であり、お父さんとお母さんも一代であり、自分の代でも一代です。三代をかけて愛する人がいません。』

(第三十四回「真の神の日」記念礼拝 2001年1月1日 天宙清平修錬苑)

『神様は男性格主体だと言ったでしょう? ですから、男性が中心です。なぜ男性が中心かというと、赤ん坊の種、生命の種をもっているからです。女性には赤ん坊の種がありません。それが核です。愛の種も、生命の核と接するためのものです。神様と一つになるためのものです。生命の種が神様でしょう? それゆえに、理論的で、核心的な定着点は、神様の愛と一致する所です。』
(「天一国主人の生活」より 1992年2月4日のみ言葉)

『堕落とは、愛の種を誤って植えたことである。本来、人間は堕落しなければ、神様の愛、神様の生命、神様の血統を受け継ぐはずであった。そうなれば、神様が父親となるはずであった。ところが、悪魔の愛、悪魔の生命、悪魔の血統を受け継いで、サタンが父親となってしまったのである。』
(「天地の大道」より 1990年11月27日のみ言葉)

祝福の基本は「真の愛(神=文教祖との初愛の心情)」と「真の生命(文教祖の精子)」によって「真の血統(文教祖の直系の子供)」を残すことです。
しかし今は霊的かつ象徴的に接ぎ木する方法と取っていますので、文教祖=真のアダム(本然のアダム)の血統に連結されるためには、真の子女や子孫といかに二世・三世を婚姻させるかが問題です。
(参照:祝福家庭の願いは真の父母の直系の子女と祝福を受けること

「血統転換は心情転換だ」と主張する方は、この「心情」が「文教祖(=神)に対しての初愛」だと言うことをわかっているのでしょうか。血統転換は父母を取り替えて血統を同一化させることです。

文教祖は自分の精子を世界にばら撒きたい、愛人をたくさん作りたいというのは、韓国人(選民)の民族性かもしれません。
(参照:選民韓国人の実態(韓国人男性の不倫率は世界2位)

こういうことが文教祖が目指す「同じ血統の人類一家族」です。
七男の亨進氏も「六マリア」の存在を認めましたよね。それを理論化して講義するともいっていました。こういう法則が背景にあるわけです。

祝福は父母を取りかえる式でもありますが、その説明は後で。
まとまりませんがとりあえずここまで・・・・

※注:ここに書いている内容は真理という観点ではなく、あくまで文教祖の思想、統一教会の教義として説明するものです。