選民韓国人の実態(韓国人男性の不倫率は世界2位) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

※統一教会では韓国人を「選民」としています。


■韓国人男性の不倫率は世界2位、タイの男性が1位=韓国

米国の調査会社ハリス・インタラクティブが行った、世界各国男性の不倫率に関する調査で、韓国人男性の不倫率がタイの男性に続き2番目に高いことが明らかとなった。韓国メディアが報じた。
韓国メディアによると、英国のコンドーム製造会社デュレックス(Durex)がハリス・インタラクティブ社に依頼し、エイズ予防を目的としたコンドームの使用可否について行った調査で、各国男女の不倫率についても追加調査したという。
世界36カ国の男女29000人を相手に調査したところ、「不倫経験がある」と答えた男性は、タイが54%で最も多かった。タイに続き、韓国が34%、マレーシアが33%、ロシアが32%、香港が29%の順だった。
同メディアは、韓国人男性の不倫率が世界で2番目に高いという調査結果に対して、「不名誉な結果だ」と伝えた。
一方、各国女性の不倫率では、ナイジェリアの女性が62%で1位に上がった。そしてタイが59%、マレーシアが39%、ロシアが33%、シンガポールが19%と後に続いた。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1207&f=national_1207_190.shtml
(サーチナニュース 2011/12/07(水) 17:15)




■統一教会の文教祖も韓国人であり、多くの不倫をしてきた

文鮮明教祖の息子・七男の亨進世界会長は文教祖の不倫行為(六マリア)を肯定しています。
(参照:お父様の六マリアをなぜ隠し、恥ずかしく思うのか(by文亨進)

さらに文鮮明教祖の長男の嫁であった洪蘭淑さんは著書「わが父文鮮明の正体」でこのように、文教祖の不貞(浮気・不倫)を下記のように記しています。

『私は孝進の(浮気の)主張を直接「お母様」にぶつけた。彼女は怒り、同時に涙を流した。彼女は私に言った。このような苦しみは自分で終わりになるように、それが次の世代には伝わらないようにと願っていた。彼女は請け合った。「真のお母様」ほどに、夫に浮気される苦しみを知っている者はいない。私はびっくりした。私たちは何年ものあいだ、文鮮明の情事と、彼が婚姻外に作った子供たちの噂を聞いてはいた。しかし、ここで「真のお母様」が、噂が真実であることを確認しているのだ。
 私は彼女に、孝進が自分がだれとでも寝ることは「摂理」である、「お父様」の浮気と同様、神から霊感をあたえられたものだと言っていると告げた。「いいえ、お父様はメシアです。孝進は違います。お父様がなさったことは神のご計画でした」文鮮明の不貞は、彼女が「真のお母様」となるために受けねばならない苦しみの道程の一部だった。「孝進には浮気をする言い訳はありません」と彼女は言った。』

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」P251)

浮気に対する文教祖の言い訳・・・・・

『文夫人は孝進の(浮気の)主張を「お父様」に話し、文師は私を自室に呼びつけた。「お父様」はくり返した。自分の過去に起こった(浮気の)出来事は「摂理」である。それは孝進とはなんの関係もない。文師からこのことを直接聞かされて私は当惑した。混乱もしていた。もし韓鶴子が「真のお母様」なら、もし文鮮明が地上における完璧なパートナーを見つけたのであれば、彼(文鮮明)の不貞は神学的にはどう正当化されうるのだろうか?
 もちろん私は尋ねなかった。しかし、文師夫妻の関係について新たな認識を得て、その部屋を出た。文夫人がこれほど絶大な影響力をふるうのも不思議はない。彼女は文鮮明の不貞(浮気)を暴露しなかったので、彼はこれまでの歳月ずっと、そのことで夫人に借りがあった。彼女は文鮮明の不貞と裏切りに対して休戦協定を結んだ。お金、世界旅行、人びとからの崇拝で、おそらく彼女には充分な代償となったのだろう。』

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」P252)


人類始祖から面々と続くサタンの血統を断ち切ることができる唯一の人類のメシアは自分(文教祖)だと言っている本人も不倫をしていたのです。

そしてその息子・娘も結局、不倫、離婚、再婚してしまいました。
統一教会の信者には決して不倫はいけないといいながら、歴史上、地上でもっとも聖なる神聖な家庭であるはずの「文鮮明一家」は、世間の家庭より乱れていました。

そして長男の孝進氏の不倫や麻薬、家庭内暴力の実態が元妻の暴露本で表に出てしまい、末端信者に隠し通せなくなったとき文教祖はこのように言いました。

『見なさい。先生は賤民やすべての殺人魔まで許してあげたでしょう。(「はい」)。それでは、自分の息子・娘が犯した罪を許してあげることができるでしょうか、できないでしょうか?。(「できます」)。』
(来るべき時に備えよ 1999年2月1日 韓国本部教会)

このみ言葉は1999年2月1日に語られたものですが、これは孝進氏が二回目の祝福結婚する4日前に語られたものです。

文孝進・洪蘭淑(1982年1月7日祝福~1997年12月離婚)
文孝進・崔妍娥(1999年2月5日再祝福)


元来、原理では祝福を受けたものは離婚は許されません。まして原罪を清算されている堕落していない本然の血統の家庭では、堕落(不倫・離婚)はありえないのです。そうなると原理からはずれ、原理自体が矛盾し、崩壊することになります。

そういった原理原則が崩壊するような内容であっても「先生(文教祖)は殺人魔まで許したので、息子・娘を許せる権限がある」と言い訳しなければならないということは、すでに文教祖から理想家庭が出発できなかったことの証明になってしまいました。

原理では人間が未完成で堕落したから救いが必要であって、完成して神の直接主管圏に入っていれば、そこからは堕落の可能性はないと言っているので、メシア家庭の堕落も、文教祖の堕落(不倫)も説明がつかないのです。

イエスがもし結婚していたとしたら
『万が一、ヨセフとマリアが良くしたならば身内、親戚と姻戚の八寸までも、七〇人門徒、一二〇人門徒を立てることができたでしょう。そのようになれば、一族はすべて神側に立てられたために、イエスは何もしないで静かにいて家庭をなして子供さえ生めばいいのです。母子協助をしたので、父女協助をすることのできる基盤さえできれば、御旨は自然になされるのです。
(我が家庭のいく道 1971年8月28日清平修練所)

何もしなくてもイエスの子孫さえ生み増やせば神のみ旨は自然になされると文教祖は語っています。
メシアは子供を生むだけでいいというのです。原罪のない神の子が繁殖さえすれば地上天国ができるというわけです。
統一教会ではサタンとの堕落の因縁と血統を断ち切るためにくるのが再臨主だといいます。

イエスの子供はイエスと同じ原罪のない「神のひとり子」の資格を持って生まれるわけですから、そこからは分裂も闘争もない愛に満ちた家庭ができるはずだと、文教祖の子供がまだ小さかった1971年には、言っていたわけです。

しかし文教祖から生まれた子供は神の品性を持ち合わせてはいなかったことを、今になって証明されたのです。

まだ文教祖の息子・娘が誰一人離婚していないときまでは、二世教育の中心は「孝進様、誉進様、興進様のようになろう」と二世の幼稚園生に歌まで歌わせて教育したものです。孝進氏の誕生日を祝い、孝進氏がどれほど素晴らしいか証すことを何の疑いもなく思っていたのです。

「文教祖の家庭=真の家庭」は、歴史上初めて原罪のない血統として誕生した家庭であるので、素晴らしいんだと誰もが信じていました。そして、そういう素晴らしい家庭を守らなければいけないとも思っていたのです。

しかし現実はこうです。

長女 文誉進 離婚
長男 文孝進 離婚、再婚、不倫、麻薬
次女 文恵進 生後8日で死亡
三女 文仁進 不倫
次男 文興進 17歳のとき若死(交通事故)
四女 文恩進 離婚後、一般人と恋愛結婚
三男 文顕進 子供が1歳で死亡
四男 文國進 離婚、再婚
五男 文權進 子供ができない
五女 文善進 子供ができない
六男 文栄進 離婚後、投身自殺
七男 文亨進 特になし
六女 文妍進 祝福受けず、同性愛の映画製作
七女 文情進 自殺未遂、祝福受けず


統一教会の原理講論の堕落論に堕落性本性が無くなると、どういう人間になって、どういう社会、どういう世界になるかが書かれています。

『創造目的を完成した世界は、あたかも一人の人間のように、互いに有機的な関係をもつ組織社会であるから、個体の破滅は、直ちに全体的な破滅を招来するようになる。したがって、全体は個体の破滅を放任することができない。このように、創造目的を完成した世界においての創造本性から生ずる付随的な欲望は、人間の発展をもたらす要素とはなっても、決して堕落の要因とはなり得ないのである。』
(原理講論 堕落論)

統一信者が解決したいものに堕落性本性があります。

<原理講論の堕落性本性の4つ>
1.神と同じ立場に立てない
2.自己の位置を離れる
3.主管性転倒
4.犯罪行為の繁殖


そして統一原理では4番目の「犯罪行為の繁殖」もまた個性完成して神と一体となった人間は絶対に犯すことがないはずなのです。

それを原理講論ではこのように述べています。

『個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。』
(原理講論 創造原理)

原理でいう直接主管圏の境地とは、神(親)の悲しむ行為は絶対にできないはずなのです。もし不倫が神の悲しむ行為であれば、不倫行為をすること自体、原罪から逃れられていないことになります。 

『個性を完成した人間と神との関係は、体と心との関係をもって例えられる。体は心が住む一つの家であって、心の命令どおりに行動する。このように、個性を完成した人間の心には、神が住むようになるので、結局、このような人間は神の宮となり、神のみ旨どおりに生活するようになるのである。したがって、体と心とが一体となるように、個性を完成した人間は、神と一体となるのである。・・・このように、個性を完成して神の宮となることによって、聖霊が、その内に宿るようになり、神と一体となった人間は神性を帯びるようになるため、罪を犯そうとしても、犯すことができず、したがって堕落することができないのである。個性を完成した人間は、すなわち、神の創造目的を成就した善の完成体であるが、この善の完成体が堕落したとすれば、善それ自体が破壊される可能性を内包しているという、不合理な結果になるのである。そればかりでなく、全能なる神の創造なさった人間が、完成した立場において堕落したとするならば、神の全能性までも、否定せざるを得なくなるのである。永遠なる主体としていまし給う、絶対者たる神の喜びの対象も、永遠性と絶対性をもたなければならないのであるから、個性を完成した人間は、絶対に堕落することができないのである。
このように、個性完成して、罪を犯すことができなくなったアダムとエバが、神の祝福なさったみ言どおり(創一・28)、善の子女を繁殖して、罪のない家庭と社会とをつくったならば、これがすなわち、一つの父母を中心とした大家族をもって建設されるところの天国であったはずである。天国はちょうど、個性を完成した一人の人間のような世界である。人間において、その頭脳の縦的な命令により、四肢五体が互いに横的な関係をもって活動するように、その社会も神からの縦的な命令によって、互いに横的な紐帯を結んで生活するようになっているのである。このような社会においては、ある一人の人間が苦痛を受けるとき、それを見つめて共に悲しむ神の心情を、社会全体がそのまま体恤するようになるから、隣人を害するような行為はできなくなるのである。』

(原理講論 人類歴史の終末論)

原罪のない完成された人間が堕落すれば神の全能性と絶対性、神の善自体が破壊されることとなるためありえないと述べています。

つまり宇宙の秩序自体を破壊することとなるためありえないと述べているのです。

ですから原理で言えば、真の家庭(文教祖の家庭)の堕落は、直ちに文教祖家庭が真の家庭ではないことの証明になってしまいます。

もはや文教祖の説教には説得力がないのです。2002年の「天地父母統一安着生活圏大会」の講演文です。

『私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するためには、私たちに真の父母が必要です。選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を、除去してくれる真の父母に会わなければなりません。真の父母に会って真の愛の真理を伝授され、「ため」に生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。
 皆さん、世界を一度注意深く見てみてください。小さくは夫婦間の葛藤から、大きくは国家間の相克と戦争に至るまで、推し量ることができないほど多くの問題点を抱えています。そこには、原因と理由も限りなく多く存在します。しかし、その根本を掘り下げてみれば、男性と女性の問題に帰結されます。
 いくら大きな問題でも、調べてみれば、結局男性と女性の問題に集約されるということを否定できません。人類の出発は、本来男性と女性の関係から出発したのではないですか。家庭での不和が拡大されて各種の社会問題と国家、世界の問題にまで広がるのです。

 したがって、すべての家庭で、すべての社会と国家で、そして世界的次元において、男性と女性にかかわる問題さえ完全に解決して、一つの標準型をつくっておけば、世界は、一つになった平和世界、すなわち創造本然の理想世界になるはずです。
 神様は、本来私たちの始祖であるアダムとエバを中心として、この地に真の平和の世界を定着させようとなさったのです。彼らがもし堕落しないで、神様のみ旨どおりに成長して人格完成を成していたならば、神様の祝福とともに、彼らは真の家庭を築いて罪悪と苦痛のない理想天国を創り出したことでしょう。
 その世界がまさに永遠の平和世界になったのであり、人類は、子々孫々神様の直系の子女として、神様と直接交流することはもちろん、先に霊界に行った先祖とも自由自在に往来しながら交流して、幸福な人生を享受したのです。罪を犯そうとしても犯すことができない絶対善主権の世界になったのです。』


「大きな問題でも結局男性と女性の問題に集約され」「家庭での不和が拡大されて各種の社会問題と国家、世界の問題にまで広がった」のであれば、もはや文教祖の家庭では世界の問題は解決できないことになります。

そして血統転換も幻(嘘)だったことになるのです。
ですからこの原理原則がすでに崩壊している「真の家庭」は、堕落人間と同じで価値を見出すことができないため、文教祖をメシアと称し、文教祖を通して神に万物を返還するという名目の献金は意味をなさないということになってしまいます。