ちゃぬの裏韓国日記

統一教会と世界支配層との関係の検証・・・
(統一教会=世界平和統一家庭連合)


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http://www.familyforum.jp/video

1. 真の父母様の動静
– 世界平和議員連合創設世界大会およびILC

2. 洪順貞会長聖和追慕映像

3. 世界ニュース
– 神氏族メシヤ活動 (韓国:オム・ウォンテ/キム・ソニ、キムジュンギ/オ・へヨン 430双神氏族メシヤ祝福式 / タイ:新食口3日原理修練会 / アメリカ:神氏族メシヤ修練会)
– 平和運動 (第2回鮮鶴平和賞受賞者発表記者懇談会 / ドミニカ共和国:UPF支持上下院議会決議案通過 / 韓国:統一準備中央委員・市郡区役員団中国研修 / アゼルバイジャン:「持続可能な平和の根本原則」カンファレンス / ピースロード2016 ニカラグア, アルバニア)
– 青年活動 (ブラジル:第2回全国ホームグループピースカップ / 台湾:献身者対象指導者教育)
– 主要ニュース (韓国:2016孝情文化苑ワークショップ / 東北大陸:第1回孝情文化祭 / 日本:福井家庭教会献堂式)


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フリーメーソンシンボル(オベリスク)を教会施設内に建設しようとする統一教会が「世界平和議員連合創設」だとは・・・。議員みんなフリーメーソンだったりして(笑)


(オリン・ハッチ上院議員とメイソン握手する鶴子夫人(世界平和議員連合創設世界大会 2016年11月30日 ワシントン上院議員会館))

なんのことかさっぱりわからないという方はこちらをお読みください。↓

自称・真の家庭(文教祖家庭)は兄弟同士でもメイソン握手するんだね(笑)
【悪魔崇拝決定】もはやフリーメーソンだということを隠さない統一教会(家庭連合)
イルミナティカードに登場するオバマ、ヒラリー、トランプ・・・そして文亨進
イルミナティカードの中に「統一教会(Moonies)」があるのを知っていますか?
クイズ! 本物のフリーメーソン寺院はどれだ!
(お母様はフクロウがお気に入り)悪魔のシンボル「フクロウ=M=13」
(お母様はフクロウを中心に和動会)【文鮮明排除】2013年2月に行われた祝福2世の祝福リングの内側には韓鶴子の名前のみ刻印
【改ざん】新天聖教の昔の祈祷文がアーメンからアージュに書き換えられている


<あの毒性甘味料アステルパームを広めるために圧力をかけた一人がオリン・ハッチ上院議員(モルモン教徒)なんだよね、と思った方はクリック!>

※だまされるな! 統一教会=世界平和統一家庭連合です。
(参照:【犯罪隠蔽工作か】統一教会の名称変更を文化庁が認証「世界平和統一家庭連合」に
統一教会の名称変更に政治家の影?
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■777双以前の草創期メンバーは文教祖と崔元福先生が不倫の関係だったのを知っていて隠していた(韓国や日本の幹部は当然知っている)

文教祖と崔元福先生とは夫婦同然な親密関係で鶴子夫人と崔先生は正妻と妾の関係を勝利されたと、いまごろになって吐露(告白)されてもね・・・。

最近は、文教祖の隠し子と愛人が訴訟を起こし、七男は文教祖の六マリアを肯定し、祝福すら「文教祖と女性信者との集団結婚」だという理論を展開しています。
女性信者は神の種(真の愛の種=精子)を持ったお父様と性関係を持ちたいといえば、祝福相手である夫は反対するのではなく、むしろ喜んでお父様に妻を差し出さなければいけないと、封印された草創期の統一教会の教義を持ち出して説教しています。
この内容は、当ブログでもさんざん言ってきた内容です。
(現役信者はあまり信じていませんでしたが、七男派はもう信じるしかなくなりましたね)

もう隠してもネットを検索すればバレる時代になったわけですが、真実を知っている現役の先輩方、もっと早くに暴露して欲しかったです。


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<日本統一教会現役信者・草創期メンバー(777双) プロフィール>
hanamizuki
広島で高校二年の春復帰され40年が経ちます。妻も日本人ですがアメリカでの歩みの方が長くなりました。
http://hanamizuki-niwanohana.blogspot.kr/2015/03/blog-post_31.html

2015年3月31日火曜日
今日の想い 840

以前触れた時(二人のイエス様と御父様、2012年10月7日)は御父様の子供の時の呼び名である文龍明本人を文鮮明とは異なるような言い回しをされたことに触れたが、統一教会で「二人の、、」と言えば古い食口であれば必ず想起されるのが、「二人の御母様」だ。それは以前の婦人と今の御母様を言うものではなく、御父様が来日されて聖地を決めて行かれた折、御母様ともう一人、崔元福先生を帯同されていて、この御二人をして二人の御母様と言われていた。

この関係性を普通の視点、普通の視点すなわち堕落的感性からの視点ということになるが、そのフィルター越しに見てしまうとどうしても受け止められないものとなってしまう。臭いものに蓋で、触れるべきではないと言うのではなく、堕落的感性を遠ざけて摂理的観点から尋ねていくと、意識の光を当てられることなく隠されていた復帰の方程式を知る者となれる。


(略)・・・私は御父様にもそのような路程があったのではないかと思っているし、個人の救いを越えて家庭的救い、家庭的復帰の為に、内的霊的に準備された御母様と、外的に知恵も力もある御母様の二人の御母様として、一体化する為に立てられたのではないかと思っている。勝利された今の御母様は内外を備えられた御母様だ。私達祝福家庭は御父母様と同じ血統圏内に立っていて御父母様の勝利の恩恵に与っている。殆どのカップルは自分の意とは異なる相対を与えられているが、妻と妾のようなとても一体にはなれないものを一体化された勝利圏があるから、私達祝福家庭はお互いが随分異なっていても一体化できる。夫婦が一体化すれば子供ができるだけでなく、新しい自分を創造できる




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このことは別の777双の方が2002年ごろの2ちゃんねるで暴露されていました。
統一教会のもともとの教義は「文教祖と実体での性行為により女性を血統転換(復帰)する」ことだったわけですから。
その中に喜進の母の金明熙や、サムエルの母の崔淳華がいたわけです。
(この二人と崔淳実は、処女の三位基台でお母様候補だった)

そして崔元福先生はお母様(鶴子夫人)と同様に文教祖の妻のような立場だったわけです。
(レアとラケルの関係=共通の夫を持つ姉妹)
鶴子夫人は、1960年の聖婚式のあと、すぐに入籍(婚姻届)してもらえませんでした。
入籍のことなのか、女性関係のためなのか、鶴子夫人の最初の子供が女の子だったからなのかは分かりませんが、文教祖はなんらかの理由で誉進の一才の誕生日前に家出をしたことがありました。
鶴子夫人がやっと入籍してもらえたのは、聖婚式から1年半たってからです。
(参照:真の血統は第1子・男が必須条件(3)<文教祖が家出したわけ>

<1961年前後の文教祖一家での出来事>
1960年3月27日(陰60年3月1日)文教祖約婚式
1960年4月11日(陰60年3月16日)文教祖聖婚式(挙式のみ入籍せず)
1961年1月27日(陰60年12月11日)長女誉進誕生(出生届け提出せず)
1961年12月29日韓鶴子夫人との婚姻届提出(式を挙げてから1年半後、誉進が生まれて1年後に届出)
1961年12月29日長女誉進出生届提出(出生後1年後に届出)
1962年1月9日(陰61年12月4日) 文教祖家出(信者の呉永春宅に身を隠す)
1962年1月16日(陰61年12月11日)長女誉進一歳の誕生日
1962年1月25日(陰61年12月20日)家出から二週間後、韓夫人と劉孝元氏が迎えに来る
1962年12月29日(陰62年12月3日)長男孝進誕生

※このあと文教祖は崔淳華と不倫し、隠し子朴サムエルを生ませる。

<カインのお母様(文教祖のもう一人の妻の立場)だった崔元福>

どこかへ連れて回るときには、崔先生を連れて回ります。お母様に侍っておいて、私が行くべき道を公式的にすべて教えておきます。「このように行かなければならない」ということを、一つも間違いなくただそのまま行きます。』
(第14回「愛勝日」のみ言葉 1997年1月2日 ブラシル・サンパウロ)

『今までは、崔先生が世界舞台に立ってすべて先頭で行ってきたのですが、今からは、そのような時代は過ぎ去っていきます。第三次七年路程は、そのような時代ではありません。完成時代なので、お母様が全体の責任をもたなければなりません。今までは崔先生が前に出てきたのですが、今からは後ろに下がっていかなければなりません。そのような時だというのです。先生が行く道は、原理を立てる道です。原理世界を立てなければならない責任があるのです。そのようにすべて収拾して、ずっと原理的に行かなければなりません。
本当は、お母さんという言葉をむやみに使うのではありません。崔先生に対しても「お母さん」と言い、誰かに対しても「お母さん」と言っていますが、それは違う時になってくるのです。今後は、崔先生には「崔先生」と言わなければなりません。そのような時になってくるのです。』

(真の御父母様の生涯路程10 崔元福先生の使命完了)







<3人の性生活と重婚関係>
94 名前: 50代 投稿日: 02/11/05 12:23
・・・具体的な私の経験話を。777のときは祝福する主体は文先生と韓鶴子(真のお母様)と崔元福先生と3人おられた。私のレスをはじめから見ていた方はご存知でしょうが、この3人で1組の夫婦であった。ラケルとレアなどとも言われたが私たちはアベルのお母様、カインのお母様といっていた。とうぜん寝室は3人ご一緒でした。そのエピソードはレスを読んでね。祝福の弁舌的主導権は崔元福先生がおとりになって、「この聖酒は私たちの精液が入っています」とのご指摘。女性がのんで残りを男性に飲ませるようにと、韓鶴子(真のお母様)はなにも言わず(言えずかあ?)文先生はワインをニコニコしながら女性に渡していた。さて、女性たちはこの聖巾を各自1枚ずつとるようにとこれも手渡しこれも崔元福先生が主導権をとって、「この聖巾は私たちの性器を拭いたものです、ついているシミは汚れではありません、まことのご父母様たちの聖なるお勤めのしるしです。あなた方もこれを腰の下において性行為を行い跡はこれでていねいにぬぐいなさい」とのお言葉。みなさんありがたくいただいてましたね。よくみたら文センセーの性器をぬぐったようなシミがついていました。このような貴重な品をいただけたのも777までだそうです。

96 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/05 12:37
777の方々はすべて知っていらしたんですね。。。 私の身近にいらっしゃった777の御夫人も。。。

98 名前: 50代 投稿日: 02/11/05 12:47
>95
そのとおりです。当時は3人で性生活をしてました。始めて、日本にこられたとき、口紅、お化粧、イヤリング、派手な衣装と、統一のすっぴんのおんなどもに見慣れていた私たちは違和感を感じました。それが、世界巡回路程(旅行)出発のときこのとき聖地が世界に指定されていったのです。その旅行の間中3人で寝室共有していて、ホテルのボーイにベット3個は入れられないとかくどかれてたそうです。
(そのときの崔元福先生のお話)
鶴子(真のお母様)はまだ幼いから先に文先生とsexするのだが疲れて先に寝てしまって、そのあと私(崔元福)とsexしながら「幼い鶴子にはわるいことをしたよなあ」などとお話になるんですよ、などというお話をお聞きしました。
(統一教会の何が悪い!!!!!【Part 9】より)
※投稿内容をわかりやすくするため呼称を修正して掲載しました。




<文先生とカインのお母様(崔元福先生)と真のお母様との3人の性生活(重婚状態)とそれを見ていた真の子女の苦悩>
itiro - 2003/06/19(Thu) 21:47 No.9
(前の記事を受けて)崔元福先生との重婚状態について書いていない。1954年より1978年ごろまで文先生は基本的に崔元福先生との事実上の結婚状態の上にほかの女性との結婚をしている。韓鶴子(真のお母様)との結婚も事実上重婚状態。ここでラケルとレアが果たせなかった女性としてのヤコブの勝利を得るためであったとの事後説明がついている。

カインの末裔 - 2003/06/21(Sat) 16:56 No.49
上の記述は、私も事実だと複数の方々に確認していますが、年代は、1978年でなく、1983年ぐらいまでではないでしょうか?ヤコブの21年路程(1960年から1981年)とするには、長すぎると思った記憶があるのですが。それから、確か、崔元福先生が目の治療で、日本経由で韓国に帰られた時から重婚状態がなくなったと思います。その時に元福先生と直接話した方から聞いたところによると文師夫人が嫉妬で服を挟みで切ったり座布団を蹴飛ばしたり、お子さんたちが、元福先生の座る座布団を隠したりしてどうしようもない状況になったので返されたと言っており、文師夫人の相当な批判をしていたそうです。その当時は「真のお母様の勝利とは女の嫉妬でカイン型の妻を追い出したことか」
などと一緒にいた古参の幹部が説明していたのが、妙に印象に残りました。この辺の問題には、非常に関心がありますので、色々教えて下さい。西川先生に聞いた時には、西川先生も文師と元福先生との関係からメシア性を疑い始めたと語っていました。第一次世界巡回の時のお話だそうです。文師の最初の妻(崔先吉)、そして崔元福さん、さらに西川先生の本名などが、なぜ崔という名前であるかというと西川先生によれば文師は、韓国では崔という名前は、鳳凰に王冠がかぶさった名前で崔家に救世主が生まれるという言い伝えが長くあったため文師は自分のメシア性を示すために崔という名前の女性や側近にこだわったそうです。

itiro - 2003/06/21(Sat) 18:50 No.50
どこまで続いたかはこれは定かではありませんがはじまりは確定的だと思います。世界巡回路程のときまず日本に来られましたよね。そのとき私などすっぴんの色気なしの女性しかいない統一に、いきなり口紅アイシャドウ、イヤリングの、真っ赤なスーツの女性が来たのに戸惑っていたら、やっぱり恐る恐る「崔先生はなぜお化粧をなさるのですか」と聞く輩がいて、(崔元福先生)答えていわく「あるものは利用します、文先生が喜んでるのだからいいのでしょう」とあっけらかん。しかも韓鶴子(真のお母様)との3人性行為も隠さずにべらべらとまったく驚きでした。祝福のときの聖酒式ももっぱら一人で采配を振るってこのワインには私たちまことの語父母様たち(3人set)の精液が入っています。とこれまた堂々と。韓鶴子(真のお母様)などちいさくなって言われるまま文先生はそれでいいのだとにこにこしながらワインを女性に配っていました。そのころ韓国の若いシックと論争をしてあの崔先生とは一体いかなる立場のお人なのかを言い争いましたが彼はカインのお母様の一点張りでそれ以上論議がすすまなかった。まあ、韓鶴子(真のお母様)と崔元福先生ではお年が違いますし教養もおありですから文先生も夫婦としては崔先生を婦人格にしていましたね。いつぞや文先生が怒鳴っていたことがあって何いってんかなとシックに聞いたところ、やはり女の戦いで崔元福先生に分があったのでしょう。「鶴子おまえは子供を生んでればいいのだ」といっていたそうです。正直言って(頭のいい)崔教授とおばかの鶴子では勝ち目はなかったのでしょう。その崔先生もよる年波には勝てず、また文先生の性交がこれがまたしつこいそうで、体力がなくなり更年期を迎えたのでは満足させられるわけもなく、韓鶴子(真のお母様)も知恵もついてきて女の闘争は幕を引いたのではないでしょうか?

名も無き二世:2006/10/02(月) 15:19:59 ID:GX6NUOz20
韓夫人と崔元福さんの葛藤。韓夫人がはさみで崔元福さんの服を切った事件。お子さん達が崔さんの座布団を隠した事件。韓夫人が数千万円もする大理石のお風呂を気に入らないと作り変えさせた事件。特に上のお子さん達が、文師に対して葛藤したり直談判した最大の理由は、文師と会う機会が少なく、愛してもらえなかったからではなく、崔元福さんと庶子の存在なのです。
今でも女性のお子様達が全員、文氏に対して批判的なのは、母の苦労を目の当たりにして、女性の立場から「許せない」との思いがあるからです。
(二世掲示板議論用よりhttp://nisei.jp/discussion/
http://seeksee.web.fc2.com/9.html

カインの末裔 - 2002/02/20(Wed) 09:07 No.1277
世の中には、両親が、共働き、公職についているために、忙しくて子供の世話を直接は、見れない親は、たくさんいます。ましてや、片親や母子家庭で、働くのに忙しく、なかなか面倒を見きれない家庭も数知れないほどあります。子供を教育するのに、後姿で、教育することもできます。オリンピックの清水選手の家庭が、良い例です。長野オリンピックで、清水選手は、お母さんに金メダルを書けて上げました。このように、むしろ、両親が、そろっていて経済的に豊かな家庭でも両親が、いつもケンカしたり、父親が、不倫や浮気をしたりしている家庭の方が、子供は、不良化しやすいのです。
文家の問題、「文家の試練」は、この問題で、子供達が、悩み、苦しみ、不幸な結果になっていると私は、見ます(あくまでも私の見解)。文家は、上の兄弟姉妹から「積み木崩し」が、始まっています。なぜでしょう。これは、誉進さん、孝進さん、恩進さんが、文師と崔元福さん、韓夫人の三角関係だけでなく、四大聖人の奥さんとの複雑な関係に耐えられなかったからです。
韓夫人が、まだ若い時、崔元福さんに嫉妬して服を鋏で破いたり、座布団を蹴飛ばしたりした姿を誉進さん、孝進さん、仁進さん、恩進さんが、見ていてショックを受けたり、夜中に文師の寝室に崔元福さんが、入る姿を見てショックを受けたりしたのです。これで、子供が、おかしくならない方が、不思議ぐらいの試錬(?)を受けました。仁進さんは、悩みながらも文師の複雑な女性関係を「原罪問題、過去の蕩減」と思いこむことができました。しかし、孝進さんは、ナンスクさんの本にもあるように、文師だけでなく、自分も複数の女性と関係する権利が、あると間違った方向に行き、10人以上の女性と婚外の関係を持ってしまったのです。さらに、恩進さんは、庶子の朴サムエルさんが、いることや文師の言動不一致に耐えられず、さらに、夫と気が合わずに離婚して、馬のコーチと再婚して、子供を産んでしまったのです。
(過去ログ倉庫(1)よりhttp://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/8586/kakorogu1.html
※投稿内容をわかりやすくするため呼称を修正して掲載しました。




<もう一人の「お母様」>
彼女はすでに統一協会に入信して大学を辞め、その後、家庭も捨てて文鮮明のもとへ走った。なぜか食口たちは、崔元福を「お母様」と呼ぱされていた。しかし、この「お母様」というのは、原理のどこに出てくるのだろうか。六人のマリアは、イエスがセックスをしなげれぱならなかったのに、それができなかったのでイエスは死んだ。そこで第三のアダムがこの世に来て、六人の人妻をマリアに復帰させるという口実で文鮮明がセックスをし、その肉体も財産も奪いとった。そして処女一人を選択し、「小羊の儀式」と称する結婚式を挙げた。そして、文鮮明と妻の鶴子を「真のお父様」「真のお母様」と呼ぱせている。真のお母様はすでにいるのに、「崔元福お母様」という名称は、原理のなかのどこから引っ張り出した存在なのだろうか。どうしても理解できない。文鮮明は六人のマリアを選択し、その他にも行き当たりぱったりのセックスをしていたが、そのなかの一人を特別に「お母様」と呼ばせる理由はない。ただ、文鮮明自身が好きで、熱を上げていた女だから、「お母様」と名付けたのだろう。ひどい話である。あとで聞いた話では、真のお母様のお母様、つまり文鮮明の妻である韓鶴子の母親、洪順愛が、「アメリカに行っている崔元福は二号だ、妾だ」と騒ぎ立てたので、仙和芸術学校の校長として、崔元福を韓国に帰らせることになった。この学校は、朴普煕の弟、朴魯煕が理事長でいたが、校長という名称もただ上っ面だけの話で、文鮮明が慌ててつけた口実に過ぎないと思う。表に「原理」を降りかざし、裏へ回れぱおよそ宗教人らしからぬ文鮮明の言動は、あいも変わらぬ女の問題や不動産の不正購入、脱税事件、「人の金を盗んで来ても、神は許す」という教唆など、書きつくせないほどあるが、もう一つ私の体験を書いておきたい。
(朴正華著「六マリアの悲劇 真のサタンは文鮮明だ!!」P.251より)


※初回更新日 2015-04-30 12:25:05

<関連記事>
神山先生、もうそろそろ七男のようにすべて(六マリア)を明かしてもいいんじゃないですか?
【古参信者の隠蔽工作】神山威隊長から直接「血分けはあった」と聞いた
文教祖は72家庭までの女性信者のほとんどに手をつけている(女性信者の夫も納得済み)
やっぱり元老シックは隠している!統一教会草創期には血わけの講義が行われていた!(1)
六マリア? 36家庭から聞いて知っているよ。
実際にあった現役信者による血分けの証し会

【真の家庭の実態】鶴子夫人も不倫していたらしい
文教祖が穴倉に連れ込んでレイプした少女は、朴サムエルの母親なのか?
【統一教会の闇】 文教祖や幹部は女性信者をレ*イプ
日本人の女性信者を韓国政府高官の愛人として送り込んだ文教祖(1)
日本人の女性信者を韓国政府高官の愛人として送り込んだ文教祖(2)
妻(鶴子夫人)の妊娠中に朴サムエルの母と不倫していた文教祖
純潔宗教?違うよ、昔の教義は「弟子の妻をメシア(文教祖)に捧げろ」だったんだよ
文鮮明教祖は実は不倫していたのに三回結婚したと信者に嘘を教えていた統一教会
離婚前に「私は独身だ」などといったら詐欺、そして性関係を持ったら不倫でしょ!

【日本統一教会本部関係者が暴露】日本人に都合の悪いみ言葉は翻訳段階で削除・改ざんした



<36家庭はじめ先輩祝福家庭の皆様、もういい加減に真実を話してください。地獄まで持っていくとか言わないで・・・、と思った方はクリック!>

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■文教祖の母親は夫に殴られ、母親は子(文教祖)を鞭で打ち、文教祖は結婚して子供を殴り、さらに嫁を殴り、女性信者に対しては韓国人夫の暴力に感謝しろという

文教祖家庭における暴力の連鎖を検証します。
母親に対して褒められるより叩されたことを先に思い出すような家庭。
文教祖の性格はどのように形成されたのか。

文教祖の母親が夫にアイロンで殴らたときに顔についた傷についてのみ言葉です。

『先生が最する母、父。母がどれだけ偉大な女性ですか?今、水澤里に行けば、(私の)母の写真が掛けてあるのですが、それは私の母ではありません。母は美人でした。食べれずにそのように...。いくら(自分の)母だと思おうとしても母だと思えないのです。しかし、一つ記憶しているのは、(顔の)左側のここに傷(筋)があります。

父親と母親が(共同で)娘を嫁がせたり、息子を結婚させなければいけませんが、(私の家は)母親は息子・娘の結婚に責任を持つけれど、父親は(何も)考えていません。あちこち村・近所に世話して、(私の)父は漢文も学んで、四柱(※占い)も見れるので、そういう世話は焼きますが、自分の家庭は気にしませんでした。

ですから母が一人で多くの息子、娘を嫁がせるためにどれだけ大変だったでしょうか?大変だったでしょう。苦労しないはずがありません。
(さらに)春になると、春の農作業の準備もすべて母がしなければなりません。ですからどれほど体がきつかったでしょうか。イライラも出て、それで...。

しかし農地(畑)にいかなければならないのに、舅や夫の祖父まで侍って暮らし、世話をする長男の嫁がやる責任があります。いくら春になっても服が汚れていてはいけませんし、そのために(母が)夜を明かして(文教祖の)祖父の服、曹祖父の服にアイロンを掛けていたにもかかわらず、父はかえってそこに同情せずに、これはして、これはしなかったと(文句を)言うので問題が起きるのです。

それで父も性格が普通ではなかったのです。一度カッとなると虎の性格があるので、アイロンをしているような環境で、(妻が)言うことを聞かないので、アイロン掛けをしていたそのアイロンをつかんで、(アイロンで)母を殴ろうとしたのを(母が)避けようとして受けた傷跡があるのです。

私は子供の頃それを見て「おどろいた、お父さんがそんなことができるのか?」と...。
いろいろわかってみると、そういうこともあるだろうと、事実、生活が大変だったから。そのような環境を中心として、(もし)その傷跡がなかったら、(自分の)母だと夢にも思えなかったでしょう。私はその写真を見れば気分が悪いのです。』

(「文鮮明先生御言選集」464巻より)

(文教祖の母 金慶継 (ファミリー1992年4月号))
顔の傷はどこにありますか?
額から流血したようです。

『私が水澤里(に飾っている)の母親の写真を見ると、私は母の顔を見られないのです。母は美人母の顔であり、壮健です。驚いた!骨の状態、骨格が母だというのが夢で考えても考えられません。母は父が借金をして牛を売って、家を売っても知らないというので、「ああ、一年ぐらい、どうやって、ちょっと集めに出てもいいのに...。」と、母はそのようにいうのです。後で父が来て、父を座らせておいて、涙を流すのです。私が見ても、「お母さんはどうしたんだろう?」と思ったくらいです。
父の性格がどれほどでしょうか? 立ち上がってアイロンがけをしていたアイロンを掴んで行って、他の高いところに投げたのです。投げたのですが、母の額に投げてしまいました。それで、血が飛び散ったのを私が握んで、分別なく泣いた記憶を思い出しますが、今、(母の写真を)見れません。そのお婆ちゃん(文教祖の母)を君たちは同情しますか?この女たち!』

(「文鮮明先生御言選集」480巻より)

当時、使われていたアイロンはコテではないかと思われます。





<息子を気絶するまでムチ(こん棒)で叩く母親>
私は、たくさんたたかれました。細い木の枝でたたこうとするので、私がこん棒を持ってきて、「これでたたいて良い人にしてください」と言ったのです。私は、母の性格に似ました。火のような性格です。それで、母が、「こいつ。お前が一言間違っていましたと言えばすべて終わるのに、それが言えないのか」と言うのです。そのような人です。ですから、たたかれて気絶し、村中に死んだとうわさが立ったこともありました。』
(第六回「安侍日」のみ言葉 2004年6月14日 麗水・清海ガーデン)

『今、考えてみますと、一番忘れられないのは、情緒的な面の中でも、お母さんから誉められたことよりも、ムチ打たれたことです。ムチ打たれたことが忘れられないというのです。ムチ打たれるのは、悪いことをしてムチ打たれるのは、当然なことですね。ところが、悪いこともしなかったのにムチ打たれたことが特に忘れられません。』
(故郷 1989年2月12日のみ言葉 韓国本部教会)

『わたしが幼いとき、「お母さん、悔い改めなければなりません。」と言いました。すると母が、「こいつ、何も知らない小さな子が、お母さんをつかまえてどうのこうの……。」と言いますが、そのような話をしてはいけないのです。
 母がいくら言っても、「わたしが知っている母は、そうではありません。」と言うのです。わたしを叩こうとすれば、「叩いてみなさい。」と言いました。
 びくともせずに、気絶するまで叩かれました。逃げません。そのような人です。そうしてそこで気絶しました。母も大変な女性です。
 母の実家は有名な両班の家なのです。そこに行けば、大臣だったかたたちを祠堂に祭ってあり、そこに入っていって、その服を着て遊ぶのが、いちばん楽しいのです。母方のおじに、褒められるよりも、たくさん叱られました。

(第三十九回「真の神の日」記念礼拝のみ言葉 2006年1月1日 韓国・天宙清平修錬苑)


<叩いて教育(矯正)する方針の文教祖>
『一方、子供たちの基本的な行動をみると、すぐに遊びや反抗という方向へ行きがちであることがわかります。彼らは自由奔放な心をもって生まれてきたのですが、親たちは、いつも子供たちの後を追いかけて訓練しようとします。ときにはお尻を叩いたり、勉強しなさいと強いたりもします。それは自分のためではなく、「社会や国家に貢献できる人にならなければいけませんよ」と、つねに子供たちのためなのです。ときには子供たちを訓練しようとして暴力をふるうことがあったとしても、それは真に子供のためなのですから、後になって子供たちは「あれは自分にとって、最高にいい訓練だった」と悟ることができるのです。
 中には、自分が養老院に入れられたくないために、勉強しなさいというような、利己的な親もいないわけではありませんが、ふつう、勉強しなさいという親の動機は、そういうところにはありません。「親のことなど心配しなくてもいいから、社会や国家や世界のために奉仕する人間になりなさい。生きているうちに、何か世界のために役立つ人間にならなければいけないよ」というのが、本当の親です。しかし実際のところ、肉親からそれほど真理に近い指導を受けた人がどれだけいるでしょうか。それが、あなた方が別の親を捜しに出かけて、ついに真の親を見いだそうとする理由ではないでしょうか。』

(苦難と涙 1978年3月1日 米国・ベルベディア)


<文教祖に殴られて育った真の子女>
仁進は私に言った。文鮮明は彼女を何度も何度もたたきながら、自分は彼女を愛するがゆえにたたいているのだと強調した。彼女が「お父様」の手でたたかれるのはこれが初めてではなかった。彼女は言った。警察にいって、文鮮明を児童虐待で逮捕させる勇気があればいいのにと思ったわ。私は彼女に一番いいブルージーンズと白いアンゴラのセーターを貸し、その話によっていかに衝撃を受けたかを隠しておこうとした。
 「真の家庭」内での新生活のなかでもとくに、文家の子供たちとその両親のあいだの不和は私を唖然とさせた。私は早いうちに、これが暖かく愛情あふれた家族だという考えは間違いだと気づいた。彼らが霊的に完壁な状態に到達しているとしても、日常の彼らの関係にそれを見いだすのは難しかった、たとえばもっとも幼い子供でさえ、日曜の午前五時の家族の敬礼式に集まるよう言われていた。幼い子たちは眠く、ときには不機嫌だった。女たちは最初の数分問、子供たちをなだめようと努めた。私たちがすぐに子供たちを黙らせられないと、文師はかんかんに腹を立てた。文鮮明が自分の子供のひとりを黙らせようとたたくのは何度も目撃したが、初めてそれを見たときの嫌悪感を思い出す。もちろん、彼の平手打ちは、子供たちをますます泣かせるだけだった。

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P127)

『私は三歳のとき、お父様の後について米国に行きました。当時、私たち統一教会は、とても多くの迫害を受けていたのです。ですから、私は、子供のころから、学校でも、随分けんかをしました。殴られたこともあり、殴ったこともあります。ずっと困難な中で生きてきました。
・・・私は真ん中の弟として、兄もたくさんいて、大変なことがたくさんありました。すべての兄たちから殴られたこともあります。私は今まで生きてくる中で、随分たくさん殴られました。

(文亨進世界平和統一家庭連合世界会長就任式の祝辞 2008年4月18日 文国進グループ会長(当時))

泣きながら「すべての兄に殴られた」と告白する四男。
四男の文国進氏からみた兄とは、孝進・興進・顕進の三人です。
カットされていますが、そのとき「お父様は怖かった、怖かった、怖かった」と泣きながら語っていました。



<妻を殴る文教祖の長男(孝進)>
『そのことを私以上に思い知らされた者はいない。九四年九月、孝進は私を激しく殴った。私は、彼が私達の寝室で、家族のひとりと午前三時にコカインを吸っているのを発見した。私は怒りをおさえられなかった。「これが家族にさせたい暮らしなの?」と私は尋ねた。「あなた、こんなふうな父親になりたいの?」私は言った。もうこんな生活は我慢できない。私はコカインをトイレに流そうとし、その途中でいくらかを浴室の床にこぼした。彼は私を床に押しつけ、私がとにかく回収できた白い粉をすくい取らせた。彼は私の顔をげんこつで殴り、私は鼻から血を流した。彼は手で私の血をふき取り、それをなめた。「いい味だ」と彼は笑った。「こいつはおもしろい」
 そのとき、私は妊娠七ヵ月だった。彼が私を殴っている間、私は手でおなかを守った。「その赤ん坊を殺してやる」と孝進は叫び、私には彼が本気なのがわかった。
 翌朝、子供たちは目に涙をため、黒くなった私の目には氷を、打ちのめされた私の魂には擁護をくれた。
孝進が私に警告をあたえなかった、と言うわけにはいかない。いったい何度私に言っただろう。自分の中には深い暴力の井戸がある、と。「おまえがおれをあまりにも遠くまで押すと、おれには自分が止められなくなる」いま私には、彼が大げさに言っていたのではないことがわかった。
 孝進は自分のふるった暴力について、なんの後悔も感じていなかった。のちにマンハッタン・センターの側近たちに語ったところによれば、私たちに平手打ち喰わせたのは、私が彼を「怒らせた」からであり、私は彼に、学校時代の教師を思い出させるのだそうだ。その教師は、いつも同級生の前で、彼に恥をかかせようとしたという。彼は言った。あいつは信心深くて口うるさくて、独善的な売女だ。』

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P235)


<嫁を殴る文教祖>



<幹部信者を殴る蹴る三男(顕進)>



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※初回更新日 2015-04-13 17:22:52



<文教祖や息子たち(孝進、顕進)の暴力は遺伝&家庭環境の影響だったのか、と思った方はクリック!>

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■文教祖は「母が嫁に来たとき三人の僕(奴隷)を連れてきた両班だ」と信者に自慢した

日本が朝鮮半島を統治・併合するまで、韓国の奴隷身分は解放されることはありませんでした。

文教祖の実家がどんなに人情に厚い家系だといっても、奴隷制度は否定していなかったようです。文教祖の父母が結婚した1908年ごろまでは、朝鮮では奴隷は当たり前にいました。
その後、1923年から日本は朝鮮に戸籍制度を導入し「奴隷、両班関係なく一人一戸籍」とし、奴隷戸籍の廃止を実現しました。
併合前の李氏朝鮮時代まで奴隷は貴族である主人が売買できる「商品」でした。

文教祖のみ言葉でも

『(嫁入り道具として)母が嫁に来るときに下女3人を連れて来ました。そして田んぼを3千坪を持ってきたのです。それほど大家であった先生の家だったのです。』
(「文鮮明先生御言選集」434巻)

『私の母は女傑なのですが舅の前では孝行娘なのです。実家が両班の家です。嫁に来たときに使用人の僕(下女)を3人連れてきた人です。また3千坪以上の土地まで持って嫁いできた人ですよ。有名な家なのです。』
(「文鮮明先生御言選集」447巻)

母が嫁いで来たとき僕(下女)を3人ずつ連れてきて、土地を3千坪持ってきて(その土地で)生活しました。名門の家門です。』
(「文鮮明先生御言選集」450巻)

『私の母は虎のような女丈夫(女傑)なのですが、名のある両班の長女として生まれ、嫁に来たときは3千坪の田んぼも持ってきて、3人の下女まで連れて嫁いできた人です。
(「文鮮明先生御言選集」451巻)

私の母親も、嫁いでくる時には、三千坪の土地を中心として、三人の僕を連れて嫁いできたので、悪い人ではありません。両班の中の両班です。』
(「後天時代と真の愛の絶対価値」より 第六回「安侍日」 2004年6月14日 麗水・清海ガーデン)

救世主を名乗る人類の真の父母が、なんで家に奴隷がいたことを自慢するんですか!

文教祖は両班やエリート出身の信者に馬鹿にされないために自分の出自が両班だと見栄を張るために、このようなことを語ったとも考えられますが・・・。
反面「自分は哀れな農家の息子」だとも語っていることみてもわかります。
((※訂正)以前、日本語訳はないと書きましたが、一つだけありました)


<文教祖の母 金慶継>
$ちゃぬの裏韓国日記



<併合前、1897年ごろ李氏朝鮮末期(大韓帝国)の光武戸籍>
・女性は名前の記載なし(姓と年齢のみ)
・奴隷(奴婢)の記載も見られる
・使用人(雇男、傭女)の欄あり
$ちゃぬの裏韓国日記

$ちゃぬの裏韓国日記

$ちゃぬの裏韓国日記
(大韓帝国(朝鮮末期)時代になっても、完全には奴隷は解放されなかったようです)


<朝鮮時代末期に韓国の農民は奴婢文書(奴隷戸籍)の廃棄・焼却を要求して反乱を起こしている>
・1894年 東学党の乱(甲午農民戦争)
弊政改革12条の要求
1. 東学徒は政府との怨恨を水に流し、庶政に協力する。
2. 貧官汚吏はその罪状を調査し厳重に処罰する。
3. 横暴な富豪を厳重に処罰する。
4. 不良な儒林と両班などを懲罰する。
5. 奴婢文書を焼却する。
6. 7種の賎人差別を改善し、白丁がかぶる平涼笠は廃止する。

7. 青孀寡婦の再婚を許容する。
8. 名分のない雑税は一切廃止する。
9. 官吏採用には地閥を打破し、人材を登用する。
10. 倭と通ずる者は厳重に処罰する。
11. 公私の債務はもちろん、既存のものを無効にする。
12. 土地は平均して分作する。
(呉知亨永「束学史」)



<併合後も日本が1923年戸籍制度改革するまで韓国人の両班は奴隷売買を続けていた>
$ちゃぬの裏韓国日記
↑上記1921年(大正10年)の朝鮮人による奴隷売買文書



<1919年 パリで日本が人種的差別撤廃提案> 
第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が強硬に反対し、ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の裁定で否決された。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。



<1923年日本人が韓国の奴隷を解放した (奴隷(奴婢)戸籍の廃止)>
-------------------------------
 まず日本政府、総督府は何をしたのか、戸籍を編成したのである。朝鮮半島の村(面という)によっては人口の半分近くを占める奴婢身分には「戸籍」は無かったが、総督府は戸籍を認めた。このとき多くの日本人名が誕生した。堤防工事で奴婢が住んでいた河川敷の多くが農地になった。
 1911年246万町歩の水田は20年後の1932年には449万町歩に倍増した。日本人地主も増えたが、新たに日本人式の名前になったもと奴婢身分の地主も増加した。そこは彼らの住所地だったのである。奴婢身分であった人々の多くは、日本人式の名前を申請して総督府は受理している。
 学校教育については総督府の当初1905年には朝鮮全土で4校にしかすぎなかった小学校は、一面(一村)一校を目標に設置が進められ、1923年には2500面で整備され、1936年には全面(全村)に小学校が整備された。小学校ではハングルが教えられた。
 「日帝三十六年」のうちに韓国内でどんな変化が起こっていただろうか。
 980万人の人口は2500万人に増加していた。平均寿命は24歳から48歳に延びて、日本人の平均寿命とほぼ同じになっていた。小学校が全部の村に設置された。
 小学校教育を通して、ハングルが普及した。両班や奴婢の身分差別が禁止された。科挙が廃止された。破瓜の歳(十六歳)未満の女子のキーセン(売春)が禁止された。

(若狭和朋著「日本人が知ってはならない歴史」より)
-------------------------------



■韓国李氏朝鮮時代の奴隷狩りのドラマ「推奴」(KBSにて放映)
李氏朝鮮時代1648年が舞台。
両班である主人の家から逃亡した奴隷(奴婢)を追跡して捕まえては懸賞金を狙うハンターを推奴師と呼んでいたようです。
奴隷は貴族である主人が売買できる「商品」ですので、もちろん人権も無く一生奴隷であり、その子供も奴隷です。

$ちゃぬの裏韓国日記

※初回更新日 2013-07-17 17:29:53
※一部修正


<昔も今も韓国の文化(人間関係)は「主人(上)か奴隷(下)」だから、韓国宗教の統一教会も文教祖(幹部含)と末端信者は「主人と奴隷」の関係なのか、と思った方はクリック!>

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■文教祖は肉の中で犬肉が一番好物だというみ言葉

『オオカミの肉が犬肉のように美味しいのです。日本人たちは犬肉食べますか? (「食べれません」) 肉の中で一番おいしい肉が犬肉なのです。それと、この肝、肝(レバー)は本当に美味しいのです。そこに味をしめると牛肉やどんな肉もそれほどではないのです。それを食べるとまた元気がほんとうに旺盛になりますよ。目もよく見えるようになって足も力が出て、体も力が出るのです。(犬肉は)健康剤ですよ。わかりましたか? (「はい」)』
(「文鮮明先生御言選集」482巻より)


韓国は犬を食用とする食文化があります。
夏になると韓国人は「体の栄養補給しなきゃ」といって犬鍋を食べます。夏だけでなく年中食べますが、日本の「土用の丑の日」のような暑い日にスタミナ食のうなぎと同じように韓国では「犬肉」や「鶏肉」を食べるのです。

それは韓国人である文鮮明教祖も例外ではなかったようです。

韓国の犬鍋はポシンタン(補身湯)と呼ばれるのが一般的ですが、もとはゲジャンクク(ケは犬、ジャンククは辛味のスープの意)と呼ばれていたようです。
最近ではポシンタン(補身湯)の呼び名以外にヨンヤンタン(栄養湯)とも呼ばれます。

$ちゃぬの裏韓国日記
(ポシンタン(補身湯))


犬鍋=ポシンタン(補身湯)についてのみ言葉・・・

『そのため犬肉が美味しいのです。韓国人は犬肉をポシンタン(補身湯)というでしょう? 最近はほかの名前で何といったっけ? (「栄養湯(ヨンヤンタン)」) 栄養湯? 嶺南湯じゃなくて? 嶺南湯だとすると。"嶺南"だと済州島も入り、湖南・嶺南、栄養滋養になる湯! またその次はミミズを何スープ?トリョンタン? (「トリョンタン(土竜湯)」)トリョンタンといいますか? リョントタンといいますか? (「トリョンタン」)(ミミズは)土を食べるので貴重でしょう。「バプボルレ(ご飯の虫)」というじゃないですか、バプボルレ(ご飯の虫)。土を食べて大きくなるため土が貴いのでトリョン(土の竜)です。』
(「文鮮明先生御言選集」472巻より)

上記み言葉の中に出てきた「韓国の精力剤ミミズスープ(トリョンタン(土竜湯))」の作り方↓
(動画)http://tv.ichannela.com/culture/destiny2/clipvod/3/0401000001/20131007/58052882/2



『世の中もそうじゃないですか? 近所の狂った犬のようなものを捕まえたら犬肉が好きな人は、お互い集まって来て・・・。犬肉の中で一番おいしい部位がどこか知っていますか? 足がおいしそうですか、心臓がおいしそうですか? どこがおいしいか知っていますか? 肝(レバー)がおいしいです、肝が。肝臓は栄養素の倉庫ですよ。そうですよね?そこに病気があると長く生きられません。肝が美味しいですよ。こんな話は何・・・。
犬肉食べてみましたか?(笑)先生は犬肉も食べてみました。しかし食べてみると一番美味しいのが何か? 心臓はコロコロしています。肝(レバー)はボロボロして粒のように入り、かめばどれだけおいしいかわかりません。香ばしくもあり、甘くもあり。それ一度行って食べてみなさい。ここでは買って食べることができますよね、犬肉? (「ポシンタン(補身湯)です」)』

(「文鮮明先生御言選集」473巻より)

文教祖は犬の肉の中でもレバー好きのようです。
それと文教祖の「狩り」好きは、幼い頃からのようです。

『韓国人が犬肉が好きですよね? ここでは何の肉といいますか? (「ポシンタン(補身湯)です」)何の肉? (「北朝鮮はダンゴギ(タン肉)といいます」)ダンゴギ(タン肉)? (「金日成がそう名づけました」)うん、よく名付けた! 夏は犬は汗を流しません。それで犬は最も冷たいところが好きです。そのため(暑くて)息をハアハアしながらも汗をかかないのです。なぜ?犬の毛が綿毛が出るようになったらびっしり生えます。主人の世話を忘れないために柔らかい毛が三層になるというのです。
羊毛よりも、鹿の毛よりも、どの獣の毛よりも昔は犬の毛の値段が一番高かったのです。それを知っていますか? 倭政のとき(併合時代)、満州国境地帯の軍隊が守る所は韓国の良い黄色い犬の毛がオオカミよりも、虎の皮はしりませんが、高かったのです。
ですから私たちの家でも、私はそのような犬が好きだったので、そのような犬を育てていましたが、あちこちに肉の商売人たちが、犬の飼い主のところにやってきて「いくらで売りますか。米一俵で買おう」というです。売らないというと「米二表で買おう」といって、それでも売らなければ「米三表で買おう」というのです。我が家の犬はたくさんよく食べさせたので、肉もおいしく肉付きもよかったのです。「何俵だったら売るのか」というのです。
何俵で売るというので母と父が(犬を)売りたかったので「おいおい、あの犬を買う人が米何俵で売ると言っているんだから、私が銃を・・・」。火縄銃というの銃がありました。新鋳(真鍮?)で作る銃ですが、それを私がどれだけ欲しかったかわかりません。それを買おうとお金をちょうだいと言ったら両親がお金をくれたのです。イタチ三匹だけ捕まえれば、その銃を買っても元が取れるのです。
イタチ狩りがいかに難しいかわかりません。夜通し捜し回るのですが一晩に二百里の道を歩きます。 二百里がどのくらいですか? 8キロを1時間で行くと4時間では何ですか? 8時間を、(夜中の)1時から、朝になるまで、半日、太陽が昇るまでイタチが入った山があればそこから追い込むのです。』

(「文鮮明先生御言選集」436巻より)

おかしいですね。文教祖の父は犬肉が嫌いなどといっていたはずですが・・・・。
しかも教会でも「文教祖は犬肉は食べない」と講義しているようですね。

『私の父は、犬を食べることを最も嫌います。ところが、村の人々が母を立てて、私が愛する犬を……。私が学校に行って来ると、その犬をつるしているではありませんか。自分の首が引っ掛かっていることも知らず、ただ私を見て喜ぶのでした。私は、首をつるされた犬にしがみついて痛哭しました。このようなことを考えるとき、「人間は信じることができないが、犬は信じることができるのだなあ」と思いました。』
(「文鮮明先生の教育哲学」より 1974年4月29日のみ言葉)

余談ですが、何を隠そう私(ちゃぬ)の母も、幼少の頃、下宿していた韓国人に飼い犬を食べられました。
母が可愛がっていた犬がいなくなったので、探したところ韓国人の下宿人の押入れに頭だけ残してつるしてあったそうです。
さらに私が韓日祝福を受けたので、母も夫の両親に挨拶に韓国に来たのですが、その時、姑が母に「美味しいものでも食べに行きましょう。犬の肉なんてどうですか?」と聞いたものですから、母はびっくりして「犬はいや!」と思わず口から言葉が出ていました。
母は幼い頃、韓国人に食べられた犬の記憶がよみがえったのでしょう。
初対面でポシンタン(補身湯)を薦められた母は気絶寸前でしたよ・・・。

み言葉にもどります。

『韓国人は犬肉も食べますよね? 世界で犬を食べるといったら、今「えー?!」というのです。自分の息子、娘をつかまえて食べると考えるのです。犬をそれだけ愛するのです。それでは何を食べればいいのですか。・・・私も今回、十日間(パンタナールに)に行っていたのですが、韓国料理がどれだけ食べたいと思ったか知れません。同じ料理をしてくれるのですが日本の女性たちが作るのでどれだけ甘いか。アイゴー、吐き気が出ます。(口から)出そうになるのです。行く先々で同じようにして作るんだよ。日本女性だから日本料理をしてくれるから慣れていないので吐き気がするのです。食べ終わっても胃がムカムカするのです。まるでお腹を壊した患者のようでした。消化ができないのです。韓国で作られた味噌チゲ、コチュジャン味を食べればと胃も(安心して)寝ることが出来たのです。(笑)』
(「文鮮明先生御言選集」337巻より)

他国の料理に対して「まずい」とか「合わない」などといっていたら韓国に嫁に行った日本人達は暮らせません。
姑や夫に「お前が合わせろ!」と言われるのがオチです。
文教祖は日本人に対しては国際祝福(国際結婚)させて不平を言うなという割には、自分は不平たらたらですね。
それに世界人という割には「口が保守的」。

『犬肉はなぜ美味しいのかというと人間のウンチを食べるためにそうなのです。』
(「文鮮明先生御言選集」358巻より)

韓国では実際に「糞」を食べる犬を「똥개(糞犬)」と言います。
韓国人である夫の飼っていた犬も夫のほやほやのウンチを喜んで食べていたそうです。
(犬には食糞行為をする習性があるにはありますが・・・)

『好きなものは食べてもいいです。統一教会の韓国人は犬肉を食べたらだめだと? それは誰が決めたのですか? 猫も捕まえて食べてはいけないと? 誰がそれを願ったのですか? 猫の肉がどれだけおいしいか、ネズミを捕って食べたらネズミの肉がどれだけおいしいか知っていますか?』
(「文鮮明先生御言選集」462巻より)

文教祖もやはり韓国人ですね。
犬を食べて何が悪い!というかんじです。
「犬肉」のみ言葉はまだまだあります。


※初回更新日 2013-10-21 18:36:15
※一部加筆




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