36家庭の役割は血わけのカモフラージュ | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

最近、朴正華氏の「六マリアの悲劇」を読んでいます。

今までブログを書きながら、ここ2年は文鮮明教祖のみ言葉(説教)を読みまくりました。
読みまくった結果、「六マリアの悲劇」の言っていることがよく理解できるようになりました。
この「六マリア」の本が発行された93年当時、現役でしたが読む機会があり読みましたが、まったく頭に残っていませんでした。
そういうこともあるかも知れない程度としか認識できなかったのですが、祝福は「文教祖と女性信者の集団結婚」とうことが、み言葉からわかったため、「六マリア」に書かれている「血わけ(実体血統転換)」は、理論上間違っていないことになります。

著者の朴正華氏が言うには、合同結婚式自体、警察の捜査を逃れるため、文教祖が直接女性信者を復帰(性行為)していた方法を「密室型」に切り替えるという形に苦肉の策で考えた結果だということです。

しかし36家庭の夫人たちは、全て文教祖から復帰済みの方であれば、文教祖の言う『36家庭が人類の祖先』という言葉も納得がいくというものです。
逆に今の合同結婚式のように霊的(象徴)にのみ、文教祖と女性信者の結婚だというのなら、文教祖は「二世・三世たちは直系の真の子女と結婚できなければ、36家庭、72家庭の二世・三世と結婚しなければいけない。それが最終的な目標だ」などと言う訳がないのです。

それに霊的堕落だけではなく、肉的堕落を再臨主は解決しに来るので、心でイエスを新郎として慕うだけであれば、キリスト教ですでに原罪清算できるということになってしまいます。
再臨主はこの「肉的堕落」を解決しに来たと説いているわけですから、タマル、マリアのように肉体的関係の解釈が無ければ、理論的におかしいわけです。

文教祖自体も、北に行った理由は、自称「聖なる母」にメシアとして産んで(重生)もらうためだったわけで、決して最初から自分が「メシア」だと思っていたわけでは無かったのです。

この自称「聖なる母」の鄭得恩(丁得恩=朴雲女)という女性に重生してもらうまでは、文教祖も自分の妻を師と仰ぐ金百文に捧げようとするわけですから、まだ自分に自信が無かった時期だったのでしょう。

しかし鄭得恩(丁得恩=朴雲女)という女性に重生してもらってからは、水を得た魚のように女性信者を復帰(性行為で血統転換)しまくります。

でもあまり派手に「復帰(性行為で血統転換)」すると、警察と世間の目があるので隠蔽工作したのが、36家庭から始まる合同結婚式だったわけです。

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<朴正華著「六マリアの悲劇」より p233>
三十六家庭の役割(続出した「再臨メシア」対策)

改めて考えてみると原理どおりに言えば、文鮮明が復帰(性行為で血統転換)した女性が、男の食口たちを復帰(性行為で血統転換)させ、その男の食口が、また違う女の食口を復帰させる、という方法で、世の中の人間すべてを復帰し、血代交換させるのは当然ということになる。こういう過程のなかで、
「自分こそが再臨メシアだ。あの文鮮明はインチキでサタンだ」
と唱え、自分の復帰を受けなければ本物ではない、と主張する人が何人も各所に出現し、その人たちに復帰を受けるために集まる信者たちも増えるようになった。
こういう事態になって、文鮮明は考えた末、「三十六家庭」というのを作り出した。文鮮明が世界の人間をすべて復帰し、血代交換させることは無理なので、この三十六家庭だけを直接復帰(血代交換)させることにした。そのあと(72家庭以降)は「聖水」をまいて、新しく結婚する新郎新婦に祝福を与えるという形に変え、「合同結婚式」を行うことにした。
三十六家庭というのはこういう経路で作られたのだが、では、なぜ「三十六」なのか。・・・そして三十六人の新婦は、文鮮明が復帰した女性でなければ、資格がないとされていたが、理想どおりにはいかなかったようだ。
復帰とはセックスのことだが、その目的は「血代交換」である。
「第二のアダムであるイエスが達成できなかったことを、第三のアダム(要するに文鮮明)がこの世の中に再臨して血代交換する。これは要するに、メシアが世界の代表として、六人のマリアと三十六家庭の妻たちとセックスすれば、汚れた血がきれいになるということで、この儀式を血代交換という。そして、血代交換をした三十六家庭から生まれてくる子供は、罪のない天使ばかりであり、こういう人たちが世界に広まることによって、罪悪のない世の中が生まれる」ということだ。

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再臨主の妻になる女性は20歳を超えてはいけないとしていますが、日本で第二のお母様として講義していた金明煕は、1930年生まれで、当時24歳で女子大生でしたが、聖婚式も挙げず、文教祖がまだ婚姻状態のとき、不倫の関係で「血代交換」で妊娠しています。

最初の妻の崔先吉夫人は18歳のとき、現在の妻の韓鶴子夫人は17歳のとき結婚していますが、文教祖の息子の喜進を生んだ金明煕は子供だけ、認知してもらいましたが、妻にはなれませんでした。

二番目の妻といわれている方は、れっきとした不倫です。