起立性調節障害になったら
お父さんにもきちんと
話をして。
なぜなら家族みんなで
理解することが
とても大切な
病気だから。
起立性調節障害の子を
もつお父さんのお話
しますね。
息子さんが学校に
行けなくなり1週間。
お母さんが心配して
家族3人で話をしたいと
有休をとりました。
話し合いをしようと
したら
息子さんが起きてこない。
その時お父さんは
「いいから起きろ!」
と怒鳴ってしまいました。
その時息子さんが
涙を流したのです。
お父さんは感情的に
なりすぎたと反省し
息子さんの話を聞くことに。
お父さんが
「学校で何かいやなことが
あったのか。」
と聞くと
「ない。」
と答えました。
「じゃあなんで起きられない?」
と聞くと
「頭が痛い。
起きようと思うと
本当に痛い・・・。」
と。
そして病院に行って
起立性調節障害と
診断されたのです。
お母さんから
病気のことを
説明されました。
その時お父さんは
「ストレスがかかると
症状が悪化するから
できる限り
温かく見守ることが必要。」
という言葉だけが
耳に残ったのです。
子どもがやることに
すべて頷けというのか。
そんなのまるで
なまけ病みたいじゃないか!
そもそもそんな病気
ほんとうにあるのか。
どうしようもなく
イライラして
「治療には規則正しい
生活が必要なんだろう?」
「じゃあ少なくとも
午前中には起こして
早寝させろよな。」
ときつい口調で
命令しました。
その日から
お母さんは息子さんには
笑顔で接しても
お父さんには全く
笑顔を見せなくなったのです。
お父さんはどうしても
素直になれなかった。
夜元気に過ごしている
息子さんを見ていると
どうしても
病気だとは認められない。
聞いたことのない存在すら
怪しい病気の詳細を
ネットで調べる気にも
なれなかったのです。
根性根性で学生時代を
過ごしてきたお父さん。
息子さんが根性と
真逆な気弱な人間が
かかる病気になった
気がして。
現実から目を背けます。
それから2か月ほど
経ったある日。
真っ暗なリビングに
お母さんがぼーっと
席についていました。
「今日『学校行かなくても
いいから勉強だけでも
しようよ。』と言ったら
教科書を何冊も投げてきて。」
「こういうことが
2週間ぐらい続いてるの。
もうどうしたらいいか
分からない。」
と言いました。
続きはまた次のブログで
お話しますね。
ということで
起立性調節障害になったら
お父さんにもきちんと
話をして。
なぜなら家族みんなで
理解することが
とても大切な
病気だからです。