YOKOKO.のプロフィール*ここに来るまでのお話 | 花の波動でなりたい未来を創る和のフラワーエッセンス開発者YOKOKO 東京フラワーエッセンススクール

花の波動でなりたい未来を創る和のフラワーエッセンス開発者YOKOKO 東京フラワーエッセンススクール

野に咲く花の一つ一つにキレイをつくるエッセンスがあるのをご存知ですか?
和のフラワーエッセンスプロデューサー&自然療法家YOKOKO.が、花の波動で人生を変えるフラワーエッセンスの秘密と、プロを目指す人のためのスクール情報をお届けします。

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こんにちは。


自然療法家YOKOKOの

フラワーエッセンススクール

にお越しくださってありがとうございます!



ここでは私のプロフィールと
これまでのお話をさせていただいています。
 

 

〜* Profile *〜

YOKOKO.
 

著書に

『花の波動で幸せな人生を手に入れる』/彩流社

 

 

ビジネスプロフィール YOKOKO

株式会社シャンドゥルール 代表

 

花の波動で人生を変える

フラワーエッセンス・プロデューサー

 

北海道生まれ。北海道女子短期大学養護教諭科卒業。

幼少期より人間の心と体の健康について興味を持って育つ。

社長直属の部署にて化粧品や健康食品の商品開発に従事。

イベント責任者として企画運営にも携わり、植物の力で心を癒す

フラワーエッセンスと出会い、導かれるように転身。

業界実績14年以上、フラワーエッセンスのパイオニアとして、

フラワーエッセンスの専門「シャンドゥルールスクール」を運営。

年間の講座数は100講座を超え、5000名以上の指導実績を誇る。

フラワーエッセンスのプロ花療法士を300名以上育成。

自然療法、植物療法、心理学、精神医学、ホメオパシーにも

造詣が深く、薬のいらない健康管理ができると評判。

現在カウンセリングは2ヶ月以上待ちの人気。

YOKOKO先生という愛称で慕われている。

子供の手が離れて何かをしたいけど自分のやりたいことが

よくわからない主婦やOL、医師、弁護士など幅広い層が参加。

悩みの根本原因を見極めて問題解決を促すことには定評がある。

いつしか夢を諦めた女性、パニック障害や摂食障害、

発達障害児のサポートや、鬱で長年引きこもりだった受講生から、

ここまで内容が充実したスクールは他にはない」

「どんな自分も丸ごと愛せるようになった」

「生きることって楽しい!と心から思えるようになった」など、

喜びの声が多数届く。

「自分の生き方は自分でデザインする」という理念のもと、

クライアントの未来を一緒に描き、人生を楽しむことを伝え続けている。

また、『和のフラワーエッセンス』とポジティブ心理学を使った

オリジナルメソッド『花音セラピー』を開発。

プロデューサーのYOKOKOから直接から学びたいという

受講希望者が多く、定員の4倍以上になるなど全国から応募が殺到。

神の島・奄美大島の地元企業とタッグを組み、

日本の四季物語『和のフラワーエッセンス』を商品化。

2020年には1ヶ月で3000本を売り上げ通算で40,000本近い

エッセンスが必要な方に届けられた。

12種類の和のフラワーエッセンスと9種類のソウルナンバーエッセンスも人気。

海外製品が大半である日本のフラワーエッセンス業界のなかで、

「日本人には日本の土地で育った花のエネルギーが合うはず!」

という強い想いに共感する地元企業の経営者も多い。

日本の四季物語は全国に拡大をみせ、北海道や出雲ですでに

プロジェクトが開始している。

オリジナルブランドの店舗化や、大学で自然療法が学べる

カリキュラム作り、学校の保健室や企業の医務室で当たり前のように

フラワーエッセンスで健康管理ができる世の中を目指し、

自然療法のリーディングカンパニーとして啓蒙活動にも力を注いでいる。

 

 

 

YOKOKOがこの仕事に就くまでの

あれやこれやをご紹介しています!

 

①フラワーエッセンスとの1番最初の出会い
 
②私が夢を実現するまでの軌跡
 
③私が夢を実現するまでの軌跡②...【霊能者の言葉】
 
④私が夢を実現するまでの軌跡③...【シンクロ】
 
⑤どんな経験も意識次第で「大切な宝物」になる!①
 
⑤どんな経験も意識次第で「大切な宝物」になる!②
 
⑥なぜ上司とは理解し合えないの?①
 
⑦なぜ上司とは理解し合えないの?②

 

 

YOKOKO's History


私は北海道のオホーツク海にほど近い、
小さな街で生まれ育ちました。


 

一年の半分以上が雪に埋もれ、
真冬にはマイナス30度を超えるほどの極寒の地。


雪深く、年に何度かは一晩で降り続いた雪に家が埋まり、
父が二階の窓から飛び降りて雪かきをするような、

そんな場所でした。


もちろん、コンビニもスーパーもありません。
ただ、手つかずの大自然が広がっているだけの田舎町でした。


それでも小さい頃は、

暗くなるまで毎日外を走り回っていた、
元気で明るい女の子にとって、
雄大な大自然の懐に包まれて生活することは大きな喜びでした。
自然は本当にたくさんの素晴らしいことを教えてくれました。


ところが、中学生くらいになると、
だんだん都会への憧れを募らせるようになります。

 

ファッション雑誌すら、駅の売店にある数冊のみ。
かわいい洋服も靴も 売っていません。
何かをしたいと思っても、へんぴな田舎町には、
年頃の女の子の好奇心を

満たしてくれるものは何もありませんでした。
夢中になっていたバスケの部活以外には…。


私は大人になって結婚しても、
一生続けられる仕事がしたい!

と思っていました。


自分には専業主婦は無理と思っていたので

どうやったら望む人生が送れるだろうか。
少しでも毎日に変化のある仕事がしたい!

 


しかし田舎では、そのちっぽけな夢を

叶えられそうな女性の仕事は、
周りを見渡しても看護婦さんか

学校の先生しか思いつきませんでした。


学校が大好きで、医療にも興味があった私は、
次第に将来の夢を「保健室の先生」

というものに重ねるようになりました。

毎日子供たちに囲まれて、

笑顔で過ごせたらどんなに幸せかしらラブラブ

そして私は養護教諭になるべく、進路を決定し、
高校卒業後札幌で一人暮らしを始めました。


絶対に教員採用試験に受からなくては!
1つ下の弟が東京の大学に進み、
子供2人に仕送りをしてくれている両親のことを考えると、
絶対に試験に落ちる訳にはいきません。


夏休みも返上で、勉強したのを覚えています。
もちろん一人暮らしですから、

友達とそこそこ夜遊びもしました。
でも今思えば、かなりまじめな学生生活だったと思います。


教員採用試験の結果が出て、
無事合格できた私は、がんばったご褒美に、
東京の弟のところに遊びに行くことにしました。

「案内するけどどこに行きたい?」と弟から聞かれ、
私がリクエストしたのは「西新宿!」


うら若き女性が、原宿でも表参道でもなく、
新宿の高層ビル群が見たかったのです。


西新宿のビルの谷間に立った私は、
今まで感じたことのない

ドキドキした高揚感を感じていました。


お昼休みにあちこちのビルから、
見たこともないような人の 大群が一斉に出てきて、
あっという間に私は人波に飲み込まれました。


「このビルって一体何人の人が働いてるの?」
「このビルにある会社って一体何社ある の?」
「そのうち私が知っている企業は?

 業種は?いくつあるの?」


私はこの時、大きなショックを受けていました。
私はこれまで一体、社会の何を見てきたんだろう、、、
社会の仕組みの何を知っているんだろう、、、


私は急に自分自身が本当にちっぽけで、
世間知らずであることを思い知らされました。


それと同時に

教育実習で担当してくれた先生から言われた
ある言葉を思い出していました。


「教師ってね、とても素晴らしい仕事ですよ!
でもね、それと同時に

本当に世間知らずの集まりなんです。
だって私たちって学校しか知らないんだもの。
これで本当に良い教育を生徒にできるのかな

って思うことも正直あるの。」



弟のアパートまで帰る間、
私は家を出た時とは全く違った思いでいました。

「もし私がこのまま教師になったら、
多分新卒だから田舎に行く事になるだろう。
そうするとそこできっと結婚して、

一生田舎で暮らすことになるに違いない。

今日見た企業の名前のほとんどを、私は知らない。
田舎にある仕事の種類なんてほんのわずか。
世の中にどんな仕事があるのかも私は知らないままで、
学校を卒業して、また学校に入ってしまう。

学校という世界しか知らない人間が
子供に何を伝えられるんだろう。」



学校に戻った私は、教授に伝えました。
「申し訳ありませんが、私は一般企業に就職します」
 

 

その時、先生から言われた言葉は今でも忘れられません。
「あなた、自分の言っていることがわかっているの?
採用試験はなかなか受からないのよ。
みんな受かるまで何年もがんばる人もいるっていうのに、
教師という聖職を捨てて、

誰でもできるOLなんてものになるの?」


この言葉はショックでした。
先生ってそんなに偉いの?
OLって見下される職業なの?


大好きだったはずの教授が
いっきに遠くなっていった瞬間でもありました。


その後、一般企業に就職した私は、
本当にいろんな仕事をさせていただきました。


中には泣くほど嫌な仕事もありましたし、
楽しくて仕方ない仕事もありました。
そしてそのたびにたくさんのことを学びました。


転職も何度かしました。
でも私の中には1つだけ絶対のルールがありました。


それは、会社に入ったら、
まずそこでの目標を必ず見つけるということ。
そしてその目標を達成するまでは
絶対そこを辞めないということ。


どんな職場でもどんな仕事でも必ず学びがあります。
絶対に無駄にはなりません。
「ここでこれ を学んだ」という自信を持つから
次のステージに移れるのです。


若い頃は迷いながらいろんな資格を

とった時期もありました。
そしてそんな中で、
自分が本当にやりたいと思えることに

出会うことができました。


今のような道に進むとは、当時は
全く思ってもいませんでしたが、
振り返ってみると、小さな頃から
私の心のベースにその流れが

しっかりとあったのです。


それは人間が好きということ。
そして人の心や健康にとても興味があったこと。

思いやりや愛で
周りの人、世界中の人の笑顔を守れたら

という思いです。


その手段が今は自然療法であっただけで、
今後はまた 別の形に広がるかもしれません。


今、私にはたくさんの宝物があります。
そのほとんどは、モノではなく
心から信頼できる人たちです。


そして、私にはたくさんの夢もあります。
これを1つずつ叶えていったとき
またたくさんの宝物が増えると思います。


たくさんの宝物との出会いが
楽しみで仕方ありませんラブラブ


  
 

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