どんな経験も意識次第で「大切な宝物」になる!① | 花の波動でなりたい未来を創る和のフラワーエッセンス開発者YOKOKO 東京フラワーエッセンススクール

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こんにちは、フラワーエッセンススクール

シャンドゥルール代表のYOKOKO.です。




1月、2月は久しぶりに
デザインの発注が入っていて
いくつもの顔(笑)を持つわたしですが
このところはめっきりデザイーナーYOKOKO.
でいることが多くなっています。


そのため、肩から肩甲骨にかけて
ガチガチバリバリ、、、汗



フラワーエッセンスを飲みながら
なんとか大量の仕事を
時間におわれながらやりこなしています。


でもフラワーエッセンスががあるおかげで、
昔とはずいぶん違って助けられてます。




私はフラワーエッセンスを仕事にする前
デザインの仕事をしていました。



みんなから、よく
「どこで勉強したんですか?」と聞かれますが
「完全なる独学」です。



そしてそのことを思い出すたびに
「誰だってその気さえあれば何だってできる」
「一見、ムダに思えることも意識次第で宝になる」
と思わずにいられないのです。

 

宝物

 



なぜなら、デザインの勉強もしたことがなく
デザインソフトもHOW TO 本片手に
学んだだけの私が
気付いたらデザイナーとして独立し
年収一千万稼いでいたんですから。



人生ってわからないなぁと思いませんか?




今日は、

「自分なんて特別なスキルもないし
何も出来ない、、、」

そんな風に思っている方に向けて
私のお話をしてみようと思います。




私がデザインの仕事をする
最初のきっかけを作ってくれたのは
たった半年間だけ勤めた
あるアメリカの輸入住宅販売会社でした。



この会社は今はもうないのですが
私が勤めた中で、最も問題だった会社でもあり、
今になると大変ありがたい会社でもありました。



ここに入社したのは、
ものすごーーく忙しかった
バイヤーの仕事を辞めて、
半年だけゆっくりしながら
失業保険をもらおう!
と考えていた頃です。



でも、三ヶ月もしたら
自宅にいるのも限界に達してしまい
仕事を探し始めました。



そこで見つけたのが

「インテリアコーディーネータ募集!初心者歓迎」
の文字。



実は20代前半の頃、
インテリアコーディーネーターになりたいと思い
勉強していた時期がありました。



会社でも住宅関係の部署に異動させてもらい
取引先の建築事務所に時々行かせていただいて
図面をひいたり、
パースをかいたりということも
ちらほらやらせてもらっていた時期もありました。



通常、有資格者じゃないと求人などないのに
珍しいなぁと思い、
履歴書を送って面接にこぎつけました。



アメリカの会社ということだったので
英語必須かと思って確認したところ、
電話では「英語が話せなくても大丈夫」
と言われていたのですが、実際には
通常の面接に加えて英語の筆記試験と
英会話による面接がありましたガーン



全く英語が出来なかった私は
アメリカ人の面接官を前にして、
ただ、愛想笑いで首を傾げるばかり、、、



あー完全に落ちたガクリタラー
と思ったのですが、
なんと合格していたのです。



後で聞いたのですが、
英語はからきしダメだったけど
それまでの私の『経歴』に光るものを感じた!
と言っていただきました。
 
 

そして面接官が北海道出身
ということで親近感を感じた
こともあったようです。



 
 
ところがこの会社、
当に不思議な会社でしたガーンガーン



なぜなら、会社ができて
すでに1年くらい経っていたのに
売上が全く〇(ゼロ)!



それなのになんと、
私より少し前にすでに5人の新人さんが
入社していたのです。



新人さんといっても、
みなさん転職組で、帰国子女とか、
これまで英語で仕事してきましたとか
とにかく全員ネイティブ並みの英語力。



とてもポテンシャルの高い方達でした。
当然お給料もそこそこ良いのです。



アメリカ人デザイナーが二人いて、
会議も全て英語。
そんなところに私が一人
遅れてぽつんと入ったので
最初はとても戸惑いました。



ランチにいってもみんな英語で会話してるし
最初は「今更なんでこの子が入ってきたの?」
という空気が満載だったのですアセアセ



とはいえ、人と親しくなるのは
昔から得意だったので、
なじむのにはそれほど
時間はかかりませんでした。



でもね、売上がないのと同時に
仕事がないのです笑い泣き

インテリアコーディーネーターで入ったはずなのに
何一つやることがないアセアセ



デザイナーとCADを使う人だけは
何やら毎日図面を描いているのだけど
私たちはすることがありません。



会議は一応するのだけど、
私だけ何を話してるのかわからないから
隣の人が時々通訳をしてくれたりして。



貧乏性の私は、仕事がないのが一番辛いアセアセ
そこで、自分なりに企画書を作ってみました。



ド素人なので、今思えば
大した内容ではなかったと思います。

ただ、あまりに暇だったので
自分の思いを形にして
上司に提出してみたのです。


すると、オーナーであった会長が大喜び!!



会長はお年だったので、
それまでただ一人英語が話せず
きっと同じく話せない私に
シンパシーを感じていたのでしょう。



そうそう、ある日突然この会長が
「みんな、英語が話せるけれども、
あなたたちは日本人なんだから
日本語がちゃんと出来ないようではダメなので
これから毎週月曜日に漢字のテストをします!」

といい出しましたびっくり



このテスト。
最初は漢字の読み書きだけだったのが
だんだん難しい四字熟語とか
ことわざなども入ってきて
なかなかの難問でしたアセアセ



英語が得意なみなさんにとっては
かなり難解だったらしく、
でも昔から漢字は得意だった私。
毎回成績が1番でした。
 
 
一ヶ月で一番優秀だった人には
1万円がボーナスとしてもらえるのですが
ありがたいことに、毎月頂くことになりました。
これはラッキーでしたルンルン




そんなある日、会長が突然、
九州に唯一あったモデルハウスに
アメリカから来る客人を連れて行くという
とんでもない大役を
私に任せると言ったのです!



ええええーーーーびっくりアセアセ




私以外全員英語がペラペラなのに
なんでよりによって、英語の全く話せない私が
アメリカ人を連れて出張なの!?アセアセ
 
 
 
企画書を出したことで
「やる気がある!」と思って
いただけたようなのですが、
この出張は仕事なんですから
英語の話せない私に行かせるのは
普通はあり得ないですよね笑い泣き



でもね、そういう時こそ
「やってやろうじゃないの!」
とドM根性を出すのも
昔から私の不思議なところ。



辞書片手に、アメリカ人グレッグと
九州まで飛んだのでした飛行機



ところがこのグレッグ。
もうめちゃめちゃおしゃべり好きなのです。



空港で会ってから、飛行機の中も
ずーーーーーっと、しゃべりっぱなし笑い泣き



私は彼の話の
3割くらいしかわからないけれど
聞き取れる単語を必死につなぎあわせ
何を言っているのか一生懸命推測し
なんとなく話を合わせていたので
グレッグは通じていると思っているようで
気分よくしゃべりまくってました笑い泣き



キツかったのは、
彼は上の歯が入れ歯だったのですが
興奮して喋りまくるから、
時々『かぱっ!!』って
入れ歯が口の中に落ちるんです目



でもさすが慣れたもので、
さっと舌で押し上げて
何もなかったように話すのですが
こっちとしてはそれを見て
吹き出さないようにするだけでも
至難の技でした笑い泣きアセアセ



そうこうしながら現地について
向こうの建設会社の方が
車で迎えに来てくださいました。



アーよかったアセアセ
これで日本語で話せる!

と思ったのも束の間。



ホームセンターや関係各所を
まわることになったのですが、
一緒にいるのは
九州の素朴なおじさんたち三人と
私とグレッグ。



グレッグが何か言うたび、
おじさんたち三人は、
一斉に私の顔を見ますアセアセ



そしておじさんたちが何か言うと
グレッグが「何?」と私に聞きます。



えーーー!わたしって通訳なの?びっくり



グレッグとの意思疎通は
適当にわかったふりして誤摩化せたけど
これってごまかしようがないじゃない!!



仕事のこともわからないうえに
英語がわからん、、、ガーン
どうしたらいいの?



でも、ここでは私が唯一の頼りだというのも
おじさんたちの表情を見れば一目瞭然なのです。


もうやるしかない!!



そして、ほんとに不思議なんですが
なぜかわたし、そ
の時それなりに通訳していたようなのです。



もう神がかっていたとしか思えないのですが
なんとなく言ってることがわかるんです。



そしてちゃんと無事に1日の
お仕事を終えることができたわけです。


今と比較しても、
比べ物にならないくらい
あの低レベルの英語で、、、タラー



これは今思い出しても
不思議としか思えないのだけど。




夜、ご飯を食べる時になって
商社で海外勤務をされていたという
専務の弟さんが仕事を終えて
通訳として来てくださいました。


そこでようやく私は
お役御免となったわけですが
その途端、私の思考は完全に停止してしまい
グレッグが何を話しているのか
もうさっぱり
聞き取れなくなってしまいましたアセアセ


不思議ですよね、、、笑い泣き
全然話せないはずなのに、
昼間はそれなりに自分だけでなく、
みんなの意思疎通の仲介をしていたのです。


一人、温泉に浸かりながら
動かなくなってしまった頭で
とても不思議だなぁと考えていたのを
覚えています。
 
 
 

そして次の日!
もっとびっくりしたことが。
 
 
みんなと一緒に観光をしたのですが
一晩寝て、びっくりするくらい
英語が聞き取れるようになってたんです。



帰りの飛行機の中でも
しゃべりまくるグレッグ。


アメリカで女優を目指しているという
娘さんの話などをしてくれたのですが
行きとは違い
話の内容がわかるのですガーン
 
 

「よーこ!グッジョブだったよ!OK
すばらしい通訳だった。
よーこのおかげで本当にたのしかった」



と、ねぎらいの言葉をもらい
とんでもない出張だったけど
人って必死になるとこんな力があるんだって
とても自信につながる経験となったわけです。



考えてみたらこれも「やればできる」
の1つだったのかもしれません。




あ、なぜデザイナーになったか
のお話だったのですが
長くなったので続きはまた次回(笑)。


 

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