スピ好きには、興味をそそるタイトルだけれど、横帯に書かれているウエストサクソン家に関する話は、タイトルに関する話と同等以上にインパクトがあるだろう。2021年4月初版。

 

 

【ウエストサクソン家】

 だからこそ、マッカーサーは、裕仁天皇と二人だけで交わした約束事を大統領にも言えず、まして一介の軍人が150兆円も運営できないことから、帰国後、ウエストサクソン家に頼みに行きます。

 それは、アメリカ大統領よりもイギリス王室のウエストサクソン家のほうが格上で、マッカーサーはそのウエストサクソン家に出入りできたからです。(p.20-21)

 これを読んだら、「なに、この話!」と思うだろう。

 初版から3カ月ほどしかたってないので、これ以上は書き出さないけれど、ウエストサクソン家(ウェセックス家)というのは、イギリス国教会のウエストミンスター寺院を建立したカンタベリー大司教の血筋で、イギリスがアメリカを植民地にした時、初代総督として派遣された家系であり、アメリカ独立後も、アメリカ合衆国という政治形態をとりつつ、実質的には王制を敷いてアメリカを発展させてきた家系であると書かれている。

 陰謀論に嵌っている人たちは、トランプが追いやられたことでまるで世界の終わりのように騒いでいますが、アメリカはウエストサクソン家のおかげで窮地になればなるほど団結力を発揮する国なので、バイデンが大統領になっても僕はそれほど心配していません。(p.51-52)

 この記述からは、ウエストサクソン家は世界を安定させる光の勢力側であるかのように読める。

 しかしながら、 『トランプ大統領の無血開国』吉野愛(ヒカルランド) にも、アメリカがイギリスの植民地であった独立以前の時にまで遡って、闇の支配者たちの手口に関するトリプルA級の内容が記述されている。そこにウエストサクソン家という名は出てこないのだけれど、ウエストサクソン家は闇の支配者側(DS)の系譜ではないと言い切ることができるだろうか? これについては明確な根拠が記述されていないので保留するしかない。

 

 

【人間は平等だけれども、人格には上下がある】

 私の名誉母親であるシスター渡辺和子が、「人間に上下はありません。ただ、人格には上下があります」と常々教えてくれていましたが、これが事実なのです。(p.34-35)

 人格に上下があることについては、誰も異論はないだろう。

 じゃあ、人格の上下って、どうやって見分けるのだろう。

 優れた人格者とは、神様の依り代となれる混じりけのない愛と調和に満ちた人で、その最たる存在が天皇陛下です。

 なぜなら、我を捨ててなにがあっても命がけで国民のために尽くす、だからこそ大型戦略爆撃機も消し去るほどの強い霊力を持ち、自分を処罰するためにやってきた占領軍最高司令官・マッカーサー元師の魂をも揺り動かすことができたのです。(p.35)

 優れた人格者であるかどうかは、混じりっ気のない愛と調和に満ちているかどうかで見分けることができ、優れた人格者は、強い霊力を持っているとも言っている。

 人格について、天皇陛下のような例を挙げられると、一般論から離れてしまうように思えるけれど、そんなことはない。優れた人格者は、民間人であっても超絶な霊力を持っている。

 ならば、霊力があれば誰でも優れた人格者なのかというと、そうは言えない。霊力の源が邪霊であるような輩などワンサカいる。つまり人格低いが故に邪霊(劣勢種族)に憑依されて霊力を発揮しているような者たちもいる、ということ。

   《参照》  『空なる叡智へ』 サアラ (ヒカルランド) 《中編》

            【劣性種族のターゲットにされないように】

 

 

【「北斗七星の結界」の張り替え】

 保江先生は、「皇居を守るための結界が張られているので、それを外せ」という伝言を人づてに受けていたという。そこで、それを調べたら、神田明神を柄杓の中心として東西に並ぶ北斗七星の配置になっていた。

 しかし、

 僕が育った陰陽師の家系に伝わっていた教えを祖母から聞いたところによると、結界としての北斗七星であるならば、まずは水を汲む杓の先端が結界の集約となっている最重要な部分であり、江戸を護るための結界であるならば江戸鎮守府はそこに配置されなくてはなりません。つまり、「神田明神」は杓の先端部分になくてはならないのです。このことは、京都市内堀川通にある安倍晴明を祀った清明神社の井戸水を護る北斗七星の結界の配列を見ても分かります。(p.89)

 ということで、神田明神を杓の先端、将軍塚を柄杓の中心、御田神社を柄の末端とする「北斗七星の結界」を新たに作ることになった。

 

 

【「土の時代」から「風の時代」へ」】

 これまでは「土の時代」で、天照大御神を代表とする天津神の時代だったのですが、約200年ぶりに大国主命を代表とする国津神の時代に入るというのです。

 そして、天津神は龍神、国津神は鳳凰に例えられ、龍神は男神と男性のシンボルで、鳳凰は女神と女性のシンボルです。

 つまり、これまでは男神のシンボルの龍神がこの世界を守ってきた、それが去年(2020年)の12月21日以降は女神の鳳凰の時代になったということで、僕はそれを聞いて「なるほど! だから古い龍の結界から新しい鳳凰の結界に張り替えよということか!!」と納得できました。(p.92)

 まとめておくと、

 「土の時代」 天照大御神 天津神  龍神  男神  男性

 「風の時代」 大国主命  国津神  鳳凰  女神  女性

 ここ数年、「日本中の結界が、あちらこちらで消えかかっている」という話を聞くことがあったけれど、時代の変わり目ゆえに、結界を刷新する必要あって起こっていたことなのだろう。

 

 

【2021年元旦】

 僕は、2019年にも京都の平安神宮で11月11日の11時11分に京都を守る結界を張らせていただいたのですが、今回首都東京に結界を張る神社の位置関係は北斗七星なので、総数が7にならなくてはなりません。

 となると、やはり2021(年)+1(月)+1(日)、これを逃したら足して7になる日はなく、かつ、時間帯を含めて全て1になるのは元旦の午前11時11分しかありません。

 しかも、女神の時代に結界を張るので、男の僕ではなくて女性の巫女がやらなくてはなりません。(p.97-98)

 陰陽師さんたちの行動規範が具体的に分かる内容なので、書き出しておいた。

 日本には、一般人が知らないところで、不思議世界の様式に即して日本を守るべく行動している人々が実際に何人もいるということくらいは知っておいたほうがいい。

   《参照》  日本文化講座 ⑦ 【 易経 】

           【 易経 と 日本文化 】

 日本のみならず世界中どの国にも呪術を駆使する人々はいるけれど、質が、というか、降りている神霊界の次元が、違う。チョットではなくカナリ。

  《参照》  『大創運』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
           【日本神霊界】

 

 

【もう、大丈夫】

 こうして無事、皇居を中心とした首都東京に鳳凰の結界を張ることができたため、もうこれで首都直下型地震も、富士山の爆発的な噴火もない・・・。ホッと、一安心しました。(p.117)

 鳳凰の結界を張るご神事を無事に務められたことで、それまでの憂いや不安が解消できたのです。

 これで、天皇家も、日本も、世界も、安泰だと思います。(p.119)

 常日頃、「神さまへの全託」を実践・提唱している僕だからこそ、そのような大切なお役目を体験させていただいているように思えてなりません。(p.119)

 都市伝説フリークの間では、「2001/09/11、2011/03/11、の次は、2021/06/11」という情報が流れ、これを憂えていた人々は少なくなかったはず。実際のところ、イルミナティの祭典である東京オリンピックのエンブレムは、富士山噴火による山体崩壊と、首都直下型地震による東京湾周辺の陸地崩壊を象徴的に図案化していたのである。

 ところが、保江先生と女性巫女さんによって張り替えられた「鳳凰の結界=北斗七星の結界」によって、イルミナティ(DS)の奸計は未然の裡に防がれたのだということ。

 保江先生ご自身も、2021年の元旦に結界を張り替えるまでは、以下のようだった。

 横浜市内で毎月行っている連続講演の席でも「2021年の3月までしかやらないよ。3月くらいに美人秘書も連れて岡山に引っ込むことにするから。5月か6月がいちばん危ないから、それまでに岡山にやってくれば安全だよ」などと話していたのです。(p.118)

   《参照》  『令和弐年天命会談』 浅川嘉富・保江邦夫 (明窓出版)

             【神様はリセットボタンを押しかけている】

 神さまが押しかけていた“リセットボタン”は、東京に新たな北斗七星の結界が張られたことによって、“消えた”。

 ついでに書いておくなら、2020年12月に保江先生が今上陛下に「祝の神事」を執り行ったので、都市伝説界隈では極めて有名な、下記リンクの予言も、未然の裡に消えている。

  《参照》 『神国日本vsワンワールド支配者』菅沼×フルフォード×昭雄(ヒカルランド)

          【祝の神事を受けない天皇が、100年ないし3代続いたら】

  《参照》 『願いをかなえる「縄文ゲート」の開き方』 保江邦夫 (bio) 《前編》

         【祝之(はふりの)神事=ハトホルの秘儀】

 

 

【「ありがとう」と「ごめんなさい」】

 僕は小さい頃から「ありがとう」と「ごめんなさい」を必ず言う習慣があって、それはなにも相手が人間だけとはかぎりません。

 例えば、自分で物を落としたときもその物に向かって「あ、ごめん」と言い、ペットボトルの水を飲んだときも、僕に水を飲ませてくれたペットボトルに向かって「ありがとう」と言うのです。

 もちろん、他の人がいるときには言葉には出しませんが、頭の中でそう思っていて、ずっとそれを習慣にしてきたのです。(p.146)

   《参照》   『幸福論』 須藤元気 (ネコ・パブリッシング)
              【ありがとう】
   《参照》   『誰も知らない開運絶対法則』 白峰・有野真麻 (明窓出版) 《前編》
              【ありがとうございます】
   《参照》   『地球一切を救うヴィジョン』 白峰 (徳間書店) 《後編》
              【本心開発】

   《参照》   『「ありがとう」は魔法の言葉』 佐藤富雄 宝島社

 

 

【中今とは・・・】

 中今を訓読みでひも解いてみましょう。

 中今の訓読みは「なかいま」ですが、・・・・・(中略)・・・・・。

 実は、この日本古来の音(文字)は、漢字に置き換えた訓読みの音とは違っていました。

 では、どこが違っていたのか?

 「なか」の「な」と「か」は、昔も今も同じ。ところが「い」と「ま」は、発音が今とは違っていたようです。

 「い」は「ゆ」に近い発音で、「ま」は「め」に近い発音だったのです。・・・(中略)・・・。

 ということは、本来の発音は「な・か・ゆ・め」だったのです。

 この意味は? そう、夢の中という意味です。漢字で表すと上下逆転させた「夢中」で、これは今も使っている言葉です。(p.168-169)

 自分の中では一瞬だったのに、周囲の人から見たら2時間も3時間も経っている、そういう夢の中にいるような境地、それが中今なのです。

 中今とは、夢中になれること、つまり、自分が没頭できるものに集中して夢のような時を過ごすことであって、人生において大事なのはそんな無我夢中になれるものを見つけることなのです。(p.170)

 上記書き出しの最後に、「無我夢中」という単語があるように、「夢中」は「無我」の状態を招来するからこそ意味がある。

 未来を心配したり過去を悔んだりする状態は、「無我」とは真反対の境地であるが故に、禅では、「未来も過去も意識から切り離し、中今に没入せよ」と教えている。

 「夢中」と表現しても「中今」と表現しても、共通するエッセンスは「無我(ゼロポイント)の境地」ということになる。

 常日頃、素直で私心のない「無我」の人であればこそ、神心に適うので、保江先生のように日本のみならず世界をも救う神事を行うに相応しい人として神様の御用に選ばれるのだろう。

 現代の日本人の多くが、保江先生のように私心なく謙虚で神心に適うよう、「中今」を生きていたら、日本のみならず世界の進化(神化)は、急加速するに違いない。

   《参照》  『宇宙神霊記』 美内すずえ (学研) 《後編》

            【自分を解放し、没頭できる生活を】

   《参照》   『こんな恋愛論もある』 深見東州 たちばな出版
            【没入、忘我で顕現する動中の静】

 

 

<了>

 

保江邦夫・著の読書記録