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 サブタイトルは、“「今」を意識に刻むメンタル術”、となっているけれど、タイトルとサブタイトルは切り離すことができない。
 序盤は、スランプに陥っていた間の、試行錯誤や深い悩みの状況が綴られている。メンタルが大きく影響するといわれるゴルフならではのスランプ状態は、ゴルフをしたことのない人々でも何となく分かるだろう。2008年7月初版。

 

 

【「54ビジョン」:不可能を可能にする合言葉】
 パー72のコースのすべてのホールでバーディを奪うとスコアは「54」。そんなことできるわけがない、と決めつけるのではなく、「すべてのホールでバーディを奪うのは可能なんだ」と考えることで限界を打ち破り、自分の中のポテンシャルを引き出すというのが「54ビジョン」のコンセプトです。
 アニカ・ソレンスタムは女子で初めて「59」をマークした選手として知られていますが、「もし54ビジョンを知らなかったら、・・・中略・・・50台をマークすることはできなかったと思います、すべてのホールでバーディを奪うことは不可能じゃない、と信じていたからこそ59が出せたのです」と感想を述べています。
 不可能を可能にする合言葉。
 それを知って私は自分のサインを漢字の「宮里藍」から「Ai54」に変えました。(p.50-51)
 最終目標が低いと、到達点は低くならざるを得ない。例えば強者揃いでハイレベルな日本柔道界にあって、「オリンピックに出ること」が目標の選手は、金メダルが取れないと言われているのと同じことだろう。最初から「オリンピックで金メダル」。これ以外の目標設定は、不十分。
 「54ビジョン」を提唱していたのは、ピア・ニールソンとリン・マリオットの二人。
 この二人に07年の全英オープン以降、メンタル面のコーチをお願いしていると書かれている。
 藍ちゃんは、高校生のとき 『ゴルフ54ビジョン』 という本を通じてピアに出会っていた。

 

 

【あなたはあなた自身のCEO】
 ピアとリンの指導法は、父と同じように選手のいいところを見つけ出してくれる前向きなものです。(p.56)
 ピアとリンの教えに「否定」はありません。私が何を考えているのか? 何を感じ、何を悩んでいるのか? たくさんの質問を投げかけることで、本人さえ気付いていないことに目覚めさせ、自主的に、ではどうすればいいのか? を考えさせてくれます。
「あなたはあなた自身のCEOなのよ!」
 CEO=チーフ・エギゼクティブ・オフィーサー。つまり最高経営責任者のこと。
 選手がコーチの依存するのではなく、自分で考え、自分で行動するプレーヤーになりなさい、と彼女たちは言います。「自分で自分のコーチになりなさい」と。(p.57)
    《参照》   『なでしこ力』 佐々木則夫 (講談社) 《後編》
              【コーチと選手】

 ピアとリン二人のコーチは、藍ちゃんという選手を「ある地点まで送り届ける役割」なのだけれど、「ある地点」とは、「選手が自立できる地点」ということだろう。だから、「自分で自分のコーチになりなさい」「あなたはあなた自身のCEOなのよ!」と言うことになる。
 秀でた経営者のいる中小企業なら、社員はみなCEOの立場で考え職務に取り組んでいるはずである。
    《参照》   『情熱仕事力』 リコ・ドゥブランク (オータパブリケーションズ)
              【クレドの共有と全総支配人化】
 
 
【「今」を意識に刻むメンタル術:副題解題】
「バーディをとっても、ボギーを叩いても、過ぎてしまったことはすべて過去のこととして、気持ちを切り替えなければいけない」というのは、ゴルフではよく聞くセリフです。過去に気を取られていたら、目の前のショトに集中することはできません。
 それとおなじく、未来のことを考えすぎて気持ちが先走っても、思うようなプレーはできないのです。
 過去でも未来でもない、「今」に自分を置くこと。これがナイスショットを紡ぎ出すための大きな鍵です。(p.65)
 人生の知恵とか生き方訓という視点で、「今」の重要性を認識することもできるけれど、
   《参照》  『feel blue こころが元気になる贈り物』 秋月菜央 (経済界)
              【幸せの秘訣】

 「今」こそが、創造へと繋がる重要なポイントであることを理解するには、「ゼロポイント」という用語で表されるスピリチュアルな視点での理解があればもっといい。
   《参照》  『空 舞い降りた神秘の暗号』 Mana (三楽舎)
              【ゼロポイント】
   《参照》  『霊止乃道』 内海康満 (たま出版) 《前編》
              【仙骨:中真感覚は「ゼロ」である】

 

 

【私はここにいるんだよ!:タイトル解題】
 緊張したら深呼吸しましょう、とよく言います。でも私の経験では、深呼吸だけでは自分を捕まえることはできません。
「緊張なんかしてない」と言い張る自分の脳みそに、「実は緊張しているんだ」ということを自覚させるためには、体を動かして「あぁ、こんなに筋肉が強ばっていたんだ」と認識させるのが一番。
 腕を振って、肩を上げ下げして、ジャンプして、
「私はここにいるんだよ!」
 と、自分で自分に教えるのです。
 地に足が着いている、というのは、自分を捕まえられている状態のことです。うまく自分と会話を交わしながらプレーできたとき、欲張らなくても自然と結果はついてきます。(p.74)
 本書のタイトルとサブタイトルを一緒に書くなら、Now , I am here. 「今、私はここにいる」 になるけれど、簡略に Now here (今、ここ)と表記してみれば、nowhere.(どこにも・・ない)という英単語が持つスピリチュアルな意味を裏に持つことになる。つまり、「今、私はここにいる」状態が確実であるなら、裏では「私はどこにもいない」という状態であることを示している。
 これを日本的な表現に置き換えるなら、「過去とも未来とも切り離された“唯今のここ”にある」ということは、即ち「没我・没入の状態」であり、「我(執着)を離れている」ことを意味している。
   《参照》  『こんな恋愛論もある』 深見東州 (たちばな出版)
            【没入、忘我で顕現する動中の静】

 そして、それによってこそ、「高次な存在に自分を明け渡す」ことが可能になる。これを神道的な表現でいうなら「神を行ずる」ということになるのである。
   《参照》  『御力』 葉室賴昭 (世界文化社) 《前編》
            【”無我”の手術】

 藍ちゃんは、「地に足が着いている、というのは、自分を捕まえられている状態のことです」と表現しているけれど、これは“表”の表現。“裏”の表現では「神を行ずる状態」になっているのである。