《前編》 より

 

 

【女性の特質】
 男性は一回一回のトレーニングで力の限界まで出し尽くそうとしたら、本当に限界まで力を振り絞れるそうだ。一方で女性は妊娠して子供を産む性であるため、ある種の生命維持装置が本能的に備わっていると言われている。本人の意識は限界まで頑張っているつもりでも、無意識の部分で体にストップをかけているという説だ。
 アテネ、北京の2つのオリンピックで、全日本女子バレーボールの監督を務めた柳本昌一氏は、男女の限界の差を次のように表現している。
「選手の潜在能力を引き出すために、時には動けなくなるまで追い込むマンツーマンの特訓をします。男子なら動けなくなった時点で本当に体力が尽きるという感じなんですけど、女子は動けなくなったと思って練習をやめると、すぐにペチャクチャおしゃべりはするし、『あら、窓が開いている』なんて体育館のカーテンを閉めにいたりするんです」(『文藝春秋2004年8月号より要約』)
 柳本氏は女性を批判しているのではない。・・・中略・・・、その特質を理解し、認めているのだ。
 男性指導者は、この女性の特質を知らなくてはならないだろう。・・・中略・・・。無意識の領域が力を制御してしまうのなら、本人にはどうしようもないことなのだ。(p100-101)
 なるほどねぇ~。

 

 

【協調・共感】
 ミーティングを招集した時のこと。
 僕は、遅れてきた二人を「おまえたち何遅刻してるんだ!」とは叱責しなかった。
 その代わりに僕は、先に会議室に入っていた選手たち全員に、こう訴えかけた。
「なあみんな、自分は集合の声に気づいたのに、どうしてあの二人に教えてあげなかったんだ」
 僕のその一言で、全員が、あることに気づいたはずだ。なでしこのサッカーは、互いが協調しあってこそ実現する、集団性の高いサッカーだ。だからいつでも、チームのことを忘れてはならない。その日を境に、彼女たちの習慣は変化した。ピッチの外でも互いに声を掛けあうようになったのだ。(p.115-116)
 サッカーに限らす、一般の企業でも集団で事に当たるのが殆どだから同じことが言える。
 協調・共感はコミュニケーションという基盤があってこそ成り立つ。
 横道に逸れるけれど、海外で活躍しようとする選手は、それぞれの国の言語修得をないがしろにするようでは、なかなか活躍できないだろう。
 ところで、以下のような事例も書かれている。
 ケガを抱えた選手をホテルで休ませようとしていた時のこと。
 選手たちには、僕のその決断は受け入れられるものではなかった。
 ・・・中略・・・「みんなが力を出し切るためには、一人も欠けてはならない」という池田たち選手の総意と、「勝ち進んだ場合のことを考慮して、大事を取らせたい」という僕の考えは、真っ向から食い違ってしまった。・・・中略・・・。僕は池田の前で数秒悩んだが、「分かった。連れていくよ」と判断を翻した。(p.183)
 女性にとっては、「気持ちを汲んでくれるか否か」に大きなウエイトがある。男性視点の合理的采配を貫徹させると、女性選手間の協調・共感が壊れてしまうことがあり得る。
 

 

【男女は比較できない】
 初めて女子サッカーを指導するようになった方からの相談を受けた。
 彼からは、男性では当たり前のことが女性にはできない。つまり男性の方が上、女性はその下という態度が透けて見えた。女性選手に対して、完全に上から目線でものを言っていた。
 僕はひとつ深呼吸してから、こう答えた。
 「・・・中略・・・。男子と比較してどうかではなく、女子サッカーのトップレベルの試合を研究して、運動量などの標準値を知ることからスタートすべきです。そうすれば、おのずと強化すべきポイントも見えてくると思いますよ」
 僕は過去に率いてきたチームも含めて、いつでも選手と同じ目の高さで、「横から目線」で接するように心がけている。 (p.125)
 「上から目線」ではなく「横から目線」でという意味あいとは別に、「出羽の守」の話を思い出してしまった。男性と女性もいうならば異文化である。女性を男性の尺度に当てはめて測ったり比較したりするのは間違っている。
   《参照》   『神道〈徳〉に目覚める』 葉室賴昭 (春秋社) 《後編》
             【出羽の守】

 

 

【コーチと選手】
 「コーチ」の語源は、「馬車」だ。コーチという言葉には、「人をある地点まで送り届ける」役目を担う人、という意味がある。
 ではコーチが馬車なら、選手は何だろう。答えは「乗客」だ。
 間違っても、選手は「馬」ではない。コーチ、つまり指導者の仕事とは、選手を馬のようにムチで叩いて走らせることではなく、乗客である選手たちを目標の地まで送り届けることだ。(p.126)
 「コーチ」と「選手」は、「馭者」と「馬」ではなく、「馬車」と「乗客」の関係。
 だから、鞭も人参もいらない。
 英国では、長距離バスのターミナルはコーチ・ステーションと表記されるけれど、これを読んで指導育成に関わるコーチも、長距離バスのコーチも「馬車」が語源の同じ綴り(coach)であることに今頃気づいた。

 

 

【最高の戦術】
 監督は目の前の選手を見抜き、認め、自己実現をサポートする。なでしこジャパンというチームは「なでしこらしく」戦い、僕も「なでしこらしさ」を引き出すために仕事をする。サッカーにおける最高の戦術とは、選手が「自分らしさに自信を持つこと」なのだ。
 これって、サッカーだけの最高戦術じゃない。
 全ての人にとって、人生における最高戦術だろう。

 

 

【肩書は部下を守るためにある】
 僕が父の背中から学んだ最も重要なことは、「肩書は部下を守るためにある」ということだ。したがってサッカーにおいても、監督は選手を守る立場にあるべきだと思っている。チームが負けた時、批判を浴びる役目は監督が負うべきであり、間違っても選手に責任を転嫁してはいけない。結果を残せなければ職を追われるのも当然だ。監督という肩書は、その責任を引き受ける勇気に与えられるものだ。監督になったからといって、僕という人間が偉くなったわけではない。(p.163)
 監督さんがこういう認識の方なら、選手たちの一体感も増すだろう。
 たまに、選手の見ている前でスタッフを叱る監督に出くわすこともあるが、僕にはそれが理解できない。特に女性チームならば、選手たちは、自分が叱られているわけでなくても委縮してしまうに違いない。・・・中略・・・。仲間の心の状態を感知するアンテナが、女性は男性以上に鋭いのだ。(p.170)
 ネガティブな態度表現はどこに向けたものであれ集団にマイナスをもたらすけれど、特に女性の集団ではその効果が大きいと言っている。
 監督のタイプにも様々ある。情が移らないようにと、選手との間に必ず一線を引くタイプの監督も多い。しかし僕は選手に対し、常に心を開き、等身大の一人の人間として振る舞うようにしている。選手にも、臆さずに心を開いてもらい、なでしこジャパンというチームを「自分らしさを表現できる、楽しいチームだ」と思ってもらいたいからだ。
 ・・・中略・・・。僕は別段、女性をうまく扱うことはできないが、女性の意見に耳を傾けて、自分を変えることぐらいならできると思う。(p.179)
 下記は、奥様が書いていること。一致している。
 主人は自分の意見にこだわる人ではないんです。こだわるのは、あくまでも目標を達成すること。そのためだったら、自分のやり方を変えることも厭わないですね。(p.197)

 

 

【男が気付きにくいもの】
 なでしこジャパンのコーチ就任が決まった直後から、妻の淳子が、僕の身だしなみに神経を張り巡らすことが多くなった。(p.179)
 妻に言わせれば、これからたくさんの女性と一緒に仕事をするのならば、僕はもっと身だしなみに神経を使うべきだという。どれほど論理的に戦術を構築しても、どれほど熱く選手を激励しても、見た目がだらしなければ伝わらない。身だしなみとは、女性と接する際にそれほど重要な要素のひとつなのだと、僕は妻から学んだ。(p.180)
 女性ってそういう見方をするものなんだから、「そんなの関係ない」と言う男性指導者は、物分かりが悪すぎる。

 

 

【指導者の人生】
「歩々是道場(歩歩是道場)」という言葉がある。禅の言葉で、「心掛け一つで、どんな場所も自分を高める道場になる」という意味だ。僕はこの言葉を、帝京高校サッカー部のキャプテンになった時、父から教えられた。
 指導者という仕事は、吸収することの連続だ。選手から、スタッフから、相手チームから、そしてサッカーを離れた場面でも、あらゆる人から新しいことを吸収しながら走り続ける。それが指導者の人生だ。
 女性を指導することになれば、女性の心や体や脳のことだって、本を読んだり専門家に会ったりして勉強する。選手たちと接する過程で失敗したとしても、失敗のなかから新しいことを学んでいく。
 そうすることで、知らなかったことを知り、自分を変えていく。
 僕の成長が一日止まってしまえば、なでしこジャパンは世界の中で1日遅れをとってしまうのだ。(p.176)
 指導者も経営者もオピニオン・リーダーもみんな同じである。
 学び・インプット・吸収が途絶えた時から、向上は止まり、停滞ないし衰退が始まるのである。
    《参照》   『ソニーな女たち』 多賀幹子 (柏書房)
              【盛田昭夫会長】

 これを読んだ選手たちが、「監督って大変」って思うだけでは、たいした集団にならない。コーチやスタッフや選手ひとりひとりが、監督と同様に、学び、考え、行動するようになったら最強の集団になるだろう。
    《参照》   『情熱仕事力』 リコ・ドゥブランク (オータパブリケーションズ)
              【クレドの共有と全総支配人化】

 

 

【選手が成長するかどうかは・・・】
 選手が成長するかどうかは、技術や知識ではなく、「決意が本物かどうか」で決まるものだと、僕は思っている。だからこそ、僕は就任当初から選手たちと一緒に目標を共有してきたし、その目標を達成しうるプロセスを導き出し、選手を活かす長所を構築して、なでしこたちと一緒に戦ってきた。
 今、選手たちは、本気で世界一を目指すという決意に満ちている。その決意があるからこそ、彼女たちはさらに自分を高め、仲間を信じることを諦めない。
 僕も決して諦めない。
 ・・・中略・・・。
 さあ、一緒に世界一になろう! (p.219-220)
 これが、本書のクロージング。
 で、その通りになった。
 凄い! 
 決意が本物だったのだろう。
 それから4年後の今年、テレビ番組を見ていたところでは「なでしこジャパン」の選手たちは、ディフェンディング・チャンピオンのプレッシャーを感じているらしいことが言葉の端々に感じられたけれど、「4年前は4年前、今年は今年なんだから、もっと自由に楽しくやればいいじゃん」とチャンちゃんは思う。
 最後に、澤さんのことが書かれていた読書記録をリンクしておきます。
    《参照》   『この地球で私が生きる場所』 朝日新聞日曜版編集部 (平凡社) 《後編》
              【澤さんの夢】


<了>