ポーランド、チェコ、オーストリア、ハンガリーなど、かつて政治的に苛烈な状況を経てきた東欧諸国を、1991年頃訪れた時の情景が書かれている。著者さんは1942年生まれの文筆を生業とする方であり、若い頃に、政治的な東西の動乱時代を経験している世代の方なので、政治的な思いが綴られた記述が少なくないけれど、決して政治的なルポというのではない。むしろエッセイ的な記述だったりするのだけれど、東欧に関する紀行文は、どちらかというと芸術家系の方が執筆した方がおもしろいような気がする。1995年8月初版。
【ポーランドのワルシャワにて】
《参照》 『笑いの力』 河合隼雄・養老孟司・筒井康隆 岩波書店
【音の刷り込み】
《参照》 『東欧チャンス』 大前研一 小学館
【ポーランド】
ポーランドのポーは平らを意味するから、ポーランドとは「平らな国」ということになるとか、(p.45)
へぇ~。
トンデラ青年は私に質問した。
「日本の民族音楽の特徴は何か」と。
私は短長音階という英語、the minor scale を思い出すことが出来ず、やむなく手帳の余白にフラットの記号を一つ書いてトンデラ青年に示した。
すると彼はうなずき、ポーランドのメロディーと日本のメロディーはよく似ている、どちらの民族も「悲しみと静けさ」を愛する、と語った。日本に帰ってから音楽通の友人にこの話をしたところ、短調をフラット記号で表すことなどあり得ないと私の無知を嘲笑したが、とにかくトンデラ青年には私の言わんとすることは通じたのである。(p,11)
今の日本の若い世代が聴く音楽は、短調ではないものがほとんどになってしまっている。「日本の民族音楽の特徴は何か」と。
私は短長音階という英語、the minor scale を思い出すことが出来ず、やむなく手帳の余白にフラットの記号を一つ書いてトンデラ青年に示した。
すると彼はうなずき、ポーランドのメロディーと日本のメロディーはよく似ている、どちらの民族も「悲しみと静けさ」を愛する、と語った。日本に帰ってから音楽通の友人にこの話をしたところ、短調をフラット記号で表すことなどあり得ないと私の無知を嘲笑したが、とにかくトンデラ青年には私の言わんとすることは通じたのである。(p,11)
《参照》 『笑いの力』 河合隼雄・養老孟司・筒井康隆 岩波書店
【音の刷り込み】
ショパンはポーランドの伝統的な民族音楽であるポロネーズやマズルカの旋律を、国境を越えて通用する普遍的な旋律にまで高めた。 (p.12)
ポーランド民謡 有名な歌 を見たら、『森へゆきましょう』や『踊ろう楽しいポーレチケ』のような曲が掲載されている。あんまり短調っぽい曲じゃないように思うけど・・・。《参照》 『東欧チャンス』 大前研一 小学館
【ポーランド】
【ヤミ両替は要注意】
さて、両替をした150万ズロティの紙幣の束を財布にしまおうと思って、折りたたまれた紙幣の束を開いてみると、何と一番上だけが10万ズロティ紙幣で、あとはみんな100ズロティ紙幣ではないか。 ・・・(中略)・・・ 。
闇両替屋にしてやられたのである、一万三千円が千円になってしまった。(p.31)
マジシャンのように見事な手口でお札を摺り変えて騙すヤミの両替屋。このような詐欺師の存在は、ガイドブックに書かれていたとあるけれど、今でも、カモにされる日本人は多いことだろう。闇両替屋にしてやられたのである、一万三千円が千円になってしまった。(p.31)
【北欧におけるフェミニズム】
かつて私はフィンランド女性に、
―― You are beautiful.
と言って怒られた経験がある。
私はお世辞もしくは賞賛の意を込めて言ったのだが、相手の女性は、私が女だからあなたは beautiful と言ったのだろう。それは女性に対する蔑視の表現であると言って、烈火のごとく怒りだした。私は、美しい花を美しいと言うのと同じで、ただ率直に事実を言っただけだと弁解して事なきを得たが、北欧におけるフェミニズムの過激さに仰天したものだ。(p.32)
世界には、様々な「観念」という縛りの中で生きている人々が大勢いるから、人と触れ合いたいと思って言葉をかけただけで、思わぬ事態になってしまう場合がないとはいえない。―― You are beautiful.
と言って怒られた経験がある。
私はお世辞もしくは賞賛の意を込めて言ったのだが、相手の女性は、私が女だからあなたは beautiful と言ったのだろう。それは女性に対する蔑視の表現であると言って、烈火のごとく怒りだした。私は、美しい花を美しいと言うのと同じで、ただ率直に事実を言っただけだと弁解して事なきを得たが、北欧におけるフェミニズムの過激さに仰天したものだ。(p.32)
【ウィーン、茂吉、ブリューゲル】
ブリューゲルが日本人にも親しみやすいのは、農民を描いた作品が多いからなのだろうと思うけれど、茂吉が感動したのは聖書を題材にした絵ということになる。どういう風に感動したのか書かれていないから分からないけれど、もしかしたスノビズムだろう、と思ったりもする。
ブリューゲルの絵のうち、『バベルの塔』『ゴルゴダの丘への行進』『雪中の狩人』『農民の婚宴』などの良く知られた絵画が、ここにあるらしい。
茂吉は彼のヨーロッパ生活を綴った随筆集『滞欧随筆』のなかで、「ピエテル・ブリューゲル」なる一章を設けて、ブリューゲルについてより詳しく言及している。
ウィーンに留学して間もなくの1922年1月22日、茂吉は雪のウィーンの街を彷徨し、偶然美術史美術館を見つけて入り、そこでブリューゲルと出会う。そして、「サウルの自殺」に魅了され、大きな感動を味わう。(p.120)
活字先行で世界認識を拡張してきたチャンちゃんは、ブリューゲルといえば、学生時代に読んだ中野孝次著の『ブリューゲルへの旅』を思い出す。故に、記憶に残っている絵画も、このエッセイの中に掲載されていたものだけである。著者による思索の旅が楽しかったのであって、ブリューゲルの絵が楽しかったのではない。ガイドが楽しかったからいい旅になったという感想を持つ人は多いだろう。同じである。決してヘンチクリンではない。ウィーンに留学して間もなくの1922年1月22日、茂吉は雪のウィーンの街を彷徨し、偶然美術史美術館を見つけて入り、そこでブリューゲルと出会う。そして、「サウルの自殺」に魅了され、大きな感動を味わう。(p.120)
ブリューゲルが日本人にも親しみやすいのは、農民を描いた作品が多いからなのだろうと思うけれど、茂吉が感動したのは聖書を題材にした絵ということになる。どういう風に感動したのか書かれていないから分からないけれど、もしかしたスノビズムだろう、と思ったりもする。
ブリューゲルの絵のうち、『バベルの塔』『ゴルゴダの丘への行進』『雪中の狩人』『農民の婚宴』などの良く知られた絵画が、ここにあるらしい。
【ハンガリー、ブタペストの春】
因みに、オペレッタはオペラの大衆版のこと。歌舞伎の演目に、能の演目を取り入れた松羽目物があるけれど、オペラを能とすれば、オペレッタは歌舞伎に相当するのだろう。
《参照》 『歌舞伎と日本舞踊』 高橋啓之 (サンリオ)
【歌舞伎の種類】
ブタペストの春は三月の末、ハンガリー語で「金の雨」と呼ばれる連翹(れんぎょう)に似た黄色い可憐な花が開くとともに始まる。 ・・・(中略)・・・ 。
こうした日々に最高潮に達するブタペスト恒例の春祭の目玉は、何と言ってもオペラ座始め各種ホールで連日開かれる音楽会だろう。
シンフォニー、ピアノ、バレエ、オペラ、オペレッタ、コーラスとその演目は多彩であり。文字通りブタペストの街に春を呼ぶ、音の饗宴である。(p.134)
音楽系の芸術が好きな人は、春にハンガリーを訪れればいいのかも。こうした日々に最高潮に達するブタペスト恒例の春祭の目玉は、何と言ってもオペラ座始め各種ホールで連日開かれる音楽会だろう。
シンフォニー、ピアノ、バレエ、オペラ、オペレッタ、コーラスとその演目は多彩であり。文字通りブタペストの街に春を呼ぶ、音の饗宴である。(p.134)
因みに、オペレッタはオペラの大衆版のこと。歌舞伎の演目に、能の演目を取り入れた松羽目物があるけれど、オペラを能とすれば、オペレッタは歌舞伎に相当するのだろう。
《参照》 『歌舞伎と日本舞踊』 高橋啓之 (サンリオ)
【歌舞伎の種類】
【エステルゴム】
【ハンガリー】
エステルゴムは、まるで工業用ゴムの固有名詞みたいだけれど、単に、ハンガリーにある都市の名である。
学校で日本語を教えている授業を参観した様子が描かれている。
エステルゴムにはスズキ自動車の工場があり、日本に対する住民の関心も高いようである。(p.156)
《参照》 『東欧チャンス』 大前研一 小学館【ハンガリー】
エステルゴムは、まるで工業用ゴムの固有名詞みたいだけれど、単に、ハンガリーにある都市の名である。
学校で日本語を教えている授業を参観した様子が描かれている。
少女の笑顔が、一陣の春風のように私の心を吹き抜けた。(p.158)
日本語に関心を持つハンガリーの少女たちの笑顔が、とても印象的だったが故に、これを本書のタイトルにしたのだろうけれど、ややこしいタイトルである。
【書物を愛する国】
《参照》 『本の歴史』 ブリュノ・ブラセル (創元社)
【インクナブラ】
ハンガリーのこのような特徴は、今まで読んだことがなかったから、ちょっと意外。
スズキ自動車がハンガリー進出を決めたのは、書物を愛し知を尊ぶ気風のある国だから、という理由あったのかもしれない。
ハンガリーを代表する図書館は、いうまでもなくブダの丘の上に建つ国立図書館である。
15世紀に出現した救国の英雄マーチャーシュ王の個人蔵書から出発したこの図書館は、いく度も壊滅の危機に瀕しながら今日まで生き残った。
歴史博物館に隣接するその建物は、最近建て替えられたが、床も壁も柱も天井もすべて極上の大理石で作られており、経済大国日本の国立図書館のそれをしのぐほどの豪華さである。
建物が見事であるばかりではなく、蔵書の質も高い。 ・・・(中略)・・・ 。ヴァチカン図書館には及ばないものの、メディチ家のロレンゾは、この図書館を手本にしてギリシャ、ラテンの文献を集大成した図書館を作ったとある。 ・・・(中略)・・・ 。目録には、アリストテレスやプラトン、アウグスティヌスやアタナシウスの古写本といった稀覯本中の稀覯本がずらりと勢揃いしている。写本に較べ数は少ないが、インキュナブラ(初期刊本)ももちろんある。
こういった優れた伝統を誇る図書館はプタペストばかりではなく、エゲル、カロチャアといった地方都市にもある。 (p.160)
インキュナブラという用語に関しては、15世紀に出現した救国の英雄マーチャーシュ王の個人蔵書から出発したこの図書館は、いく度も壊滅の危機に瀕しながら今日まで生き残った。
歴史博物館に隣接するその建物は、最近建て替えられたが、床も壁も柱も天井もすべて極上の大理石で作られており、経済大国日本の国立図書館のそれをしのぐほどの豪華さである。
建物が見事であるばかりではなく、蔵書の質も高い。 ・・・(中略)・・・ 。ヴァチカン図書館には及ばないものの、メディチ家のロレンゾは、この図書館を手本にしてギリシャ、ラテンの文献を集大成した図書館を作ったとある。 ・・・(中略)・・・ 。目録には、アリストテレスやプラトン、アウグスティヌスやアタナシウスの古写本といった稀覯本中の稀覯本がずらりと勢揃いしている。写本に較べ数は少ないが、インキュナブラ(初期刊本)ももちろんある。
こういった優れた伝統を誇る図書館はプタペストばかりではなく、エゲル、カロチャアといった地方都市にもある。 (p.160)
《参照》 『本の歴史』 ブリュノ・ブラセル (創元社)
【インクナブラ】
ハンガリーのこのような特徴は、今まで読んだことがなかったから、ちょっと意外。
ハンガリーの人々がいかに書物を愛し、大切にしているかということが、この国を旅していると、実によく分かる。(p.161)
日本人と共通点の多いマジャール人の気質故なのかもしれない。スズキ自動車がハンガリー進出を決めたのは、書物を愛し知を尊ぶ気風のある国だから、という理由あったのかもしれない。
ハンガリーに住んで見ると、この国が観光にとても向いていることが分かり、これから観光事業がますます発展するに違いないと確信するに至った。(p.172)
【ジプシー】
チャンちゃんは日本人として生まれ育ってきたけれど、一所懸命とか一生懸命という気風が、本質的にないように思っている。どちらかと言うと所有という概念なきままに放浪を良しとする人生でいいではないか、と思っているのである。だから、いつの日にか、再び羽を得て、自由に飛び立つこと望むジプシーのロマンが共有出来てしまう。魂の自由を根本的に奪ってしまう社会意識という網目に捉われて生きるのだけは、絶対に御免である。
ジプシーの魂は、スターピープルのそれに近似しているだろう。
ジプシーとはいうまでもなくヨーロッパ諸国に散在し放浪する民族のことで、自らはロマノと称しているが、国によってその呼び名はさまざまである。英国ではジプシー、ドイツではチゴイネル、フランスではツィガーヌ、スペインではヒターノといった具合に。
その起源については、彼らの言語のインドのインダス河口に住む遊牧民、ジャッツ族の言語との親縁関係から見て、インドであると推定されているが、なぜヨーロッパへやって来たのかはまだ謎に包まれたままである。ジャット(jat)とは、ヒンドゥー語で盗賊、海賊、賤しい生き物を意味する。
一方、彼ら自身の伝説によれば、彼らは始めは翼を持った鳥であったが、穀物の豊かに実る肥沃な土地にやって来て、住みつき、翼を失ってしまったのだという。そしていつの日か再び翼を得て、自由に空を飛ぶ日の来ることを信じている。(p.187)
その起源については、彼らの言語のインドのインダス河口に住む遊牧民、ジャッツ族の言語との親縁関係から見て、インドであると推定されているが、なぜヨーロッパへやって来たのかはまだ謎に包まれたままである。ジャット(jat)とは、ヒンドゥー語で盗賊、海賊、賤しい生き物を意味する。
一方、彼ら自身の伝説によれば、彼らは始めは翼を持った鳥であったが、穀物の豊かに実る肥沃な土地にやって来て、住みつき、翼を失ってしまったのだという。そしていつの日か再び翼を得て、自由に空を飛ぶ日の来ることを信じている。(p.187)
《参照》 『カルメン』 メリメ (岩波文庫)
【ボヘミアン/ジプシーのルーツ】
ジプシーは、ヨーロッパ全体に散在する民族であり、賤民扱い近い側の虐げられた民族だけれど、東欧、ことにハンガリーにおいては、音楽に関する秀でた才能が認められているらしい。
ハンガリーのジプシーたちの音楽的才能は折り紙つき、といってもよいだろう、事実、ヤーノシュ・ヴィハリ、フェレンツ・バンコなど、名人級の多くのジプシーのヴァイオリニストがハンガリーには輩出している。 ・・・(中略)・・・ 。ジプシーがヨーロッパ諸国の音楽的伝統に対して、いかに多大な貢献をして来たかということを、いくら強調しても強調し過ぎることはない。(p.192)
日本人は、一般的に農耕民族と言われるけれど、日本人の中にも、この極東の島国に辿り着くまで、数々の大陸諸国を経巡ってきたジプシーの魂を有する人々がかなりいるはず。チャンちゃんは日本人として生まれ育ってきたけれど、一所懸命とか一生懸命という気風が、本質的にないように思っている。どちらかと言うと所有という概念なきままに放浪を良しとする人生でいいではないか、と思っているのである。だから、いつの日にか、再び羽を得て、自由に飛び立つこと望むジプシーのロマンが共有出来てしまう。魂の自由を根本的に奪ってしまう社会意識という網目に捉われて生きるのだけは、絶対に御免である。
ジプシーの魂は、スターピープルのそれに近似しているだろう。
<了>