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 ハーバードで、中世日本史を教えている方の著作。3年連続で「ティーチング・アワード」受賞とあるから、国籍を超えて学生たちに語り掛ける上で、優れた手法を会得しているのだろう。
 この本は、アムステルダム、ボン、パリ、ウィーン、ミラノとヨーロッパの各都市を巡りながら、自分自身の思想形成に関わる半生を回顧するような著作になっている。
 世界の耳目を日本に向けさせることで、日本復活を強力にサポートするのは、著者のような異文化体験を経た日本人女性なのだろうと、確信的に思ってしまった。2013年6月初版。

 

 

【マルチカルチュアリズム】
 大学の授業では、このような人種の混ざりようと、それに対応した平等を保障する態度を「マルチカルチュアリズム」(多文化主義)と習った。さまざまなバックグラウンドの人々が、ひとつの場所で共存していく。その際に必要な国際理解と、共に繁栄を願う考え方を「マルチカルチュアリズム」と呼んでいるらしい。(p.22)
 著者は、高校生の時、カナダのバンクーバーにホームステイで語学留学したのを機に、民族的・人種的背景が多様なこの地に集う人々の実状に違和感なく触れていたらしい。若かった著者にとっては、非常に意味のある経験だったらしい。
    《参照》   『マイ・マム・シングズ』 南野みゅう (文芸社)
              【トラブル回避の文化的しつけ】
              【多様性】
 その後、同じバンクーバーにあるUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)に入学して、多様な見解を尊重する「多文化主義」という在り方を自然に学び受け入れるようになったことが書かれている。
 この言葉がスローガンとして使われることで「どの国がどこよりも素晴らしく、どの国の文化が勝っている」という人種間争いの態度が表面に現われないで済む。その当時のバンクーバーで「マルチカルチュアリズム」が完全に実現されていたかといえば、そうではなく、人種間の見解の違いは様々な場面で感じられたが、それでも未来の方向性、「理想のコンセプト」をこの単語に凝縮して広めていく姿勢には、大半の人が賛成しているようだった。(p.22-23)
 日本のように、異文化接触機会の少ない国に住んでいると、「多文化主義」という視点は、理解しづらいかもしれないけれど、世界的に見たら、先進国においては多文化主義がむしろ普通である。
    《参照》   『国民の教養』 三橋貴明 (扶桑社) 《前編》
              【多文化共生主義の結末】

 ただ、カナダのような比較的歴史の浅い国では、多文化主義が比較的良好に機能している一方で、歴史の古いヨーロッパのような国々では、燻った感情が心の底に沈殿して潜在的な不安定を醸し出しているという違いはあるだろう。
 日本人の多くも、日韓の歴史解釈を巡る確執情報に晒されながら生活しているので、マルチカルチュアリズムという理想のコンセプトからはかなりズレた歴史認識になってしまっているだろう。

 

 

【ヴィジョン】
 バンクーバーの一番の魅力は、どんな時でも人が集まるところに、推進力のある提案が打ち出されていたことだった。バンクーバーには、前例がない社会問題に果敢に立ち向かい、革新的なアイデアを打ち出そうとする、現状打破へのがむしゃらさがあった。当時のわたしは、そんな提案の場に居合わせる度に、それらの提案の全部を「ヴィジョン」だと思っていた。(p.39)
 多文化主義を体験していない日本人には、社会的問題を革新的に解決しようとする発想自体が根本的にないように思う。また、異質という土壌で生きていないと、「革新的なアイデア」=「ヴィジョン」はそもそも容易には出てこないように思われる。
「秩序(維持)」と「革新」は同じことの両面であり、同質性が高ければ「秩序(維持)」に傾きつつ集団性のメリットが際立ち、異質性が高ければ「革新」に振れつつ際立った個性が期待される。
 恐らく、世界中で最も前者に傾いているのは日本である。
 つまり、日本(人)には、圧倒的にヴィジョンが欠けている。
 著者が『異国のヴィジョン』というタイトルに秘めたことの中には、このことがあるのではないだろうか。

 

 

【異国で異国の歴史を教える】
 カナダで日本史を教えている教授の資料に関するアルバイトをすることになった。
 雇ってくださった教授との出会いがまさに衝撃的だった。彼は、韓国出身で、韓国語、中国語、英語、日本語を操る、言語能力に長けた日本史の先生だった。彼の国際感覚と国際的な経験は、歴史を学ぶことを超え、人間の資質とは何かという域にまで達していた。(p.35)
 カナダで日本史を教える韓国出身の教授。
 下記はカナダで日本史を教えるアメリカ人の教授。
 さらに、アメリカ人でUBCへ移籍してきたばかりのアジア学部長との出会いは、衝撃にさらなる衝撃を加えた。彼も日本史の教授で、インテレクチュアル・ヒストリー(思想史)の専門家だった。・・・中略・・・。
 歴史は「自分たちについて知るための学問だ」とおっしゃるその教授は、・・・中略・・・さまざまな角度からの論考を受け入れる教育者であり、人格者だった。(p.35-36)
 異国で異国の歴史を教えることって、自分自身のアイデンティティを極度に客観視することになるだろうから、人間の資質という点にまで自ずと思いが至るのかもしれない。職業を通じて、多文化主義の到達点に肉薄する生き方を実践している方々なのかもしれない。

 

 

【「日本とはどんな国ですか?」】
 歴史の研究について考えていた時分、学校の外で、たまたま日本からの留学生や駐在員のかたが、日本に付いて問われている場面に何度も遭遇した。
「日本とはどんな国ですか?」 ・・・中略・・・。
 アメリカで突然そう聞かれたら、どんなふうに答えるだろうか? (p.59)
 切り口は無数にあるから、答えは人の数だけあるだろう。

 

 

【レディ・サムライ】
 「日本はどんな国か?」の答えを模索する過程で、著者は、「レディ・サムライ」という言葉を思いついたらしい。
 ハーバード大学では長年、「ザ・サムライ」という日本史のクラスがあり、わたしも、そのクラスを受講した。1980年代後半から90年代にかけては、大変人気のあるクラスだったらしい。・・・中略・・・。
 しかし、当時と今とでは、時代の流れが変わっている。もう日本は成長を続ける経済大国でもないし、さらなる発展をすぐには期待できない現状が続いている。学生はそれを知っているからこそ、日本の強さには興味がない。それに加えて、サムライのクラスの語りは、日本で育って海外で暮らす日本人の女性のわたしがアメリカの学生たちに話したい、シェアしたい日本史ではない。・・・中略・・・。
 そこで、「ザ・サムライ」に変わる、語り方のスタンスを考えた。それが「レディ・サムライ」だった。(p.58-60)
 日本人の女の子が、「日本って、どんな国ですか?」と聞かれて、「ナデシコの国です」と答えても、多分伝わらない。「レディ・サムライの国です」と答えてから、「レディ・サムライは、ナデシコです」と言って説明をすれば外国人には分かり易いだろう。
 わたしは、わたしのクラスを「レディ・サムライ」と名付けた。・・・中略・・・。「レディ・サムライ」というクラスは、わたしの研究内容よりもぐっと枠を広げた日本の歴史、女性史にも限らず、日本史の全般をさらいながら、女性史の変遷を考えるものであった。(p.102)

 

 

【歴史について】
 歴史はひとつの語り方を、暗記していればいい科目ではない。視点が異なる学生たちの日本史は、それはそれで日本史なのであって。ひとつの語りを強制する必要も、どんな考えもしりぞける理由はないのではないか。学生たちは、目の前の歴史をどうにかして現在の自分に近いものにしようとしている。そんな姿勢で歴史を追いかけている。そのようすは、けなげにも日本を自分の手でつかもうとしている努力に違いなかった。
 そのようすを見ながら、クラスの試験で、「自分なりの語り」を作成するようにと、当初考えていた試験問題を差し替えた。(p.106)
 歴史について、定まった解釈を理解するというのではなく、「自分なりの解釈(語り)」でよいとする考え方は、むしろ相応しいのではないだろうか。
 権威に盲従しやすい大方の日本人は、「学者(権威)の解釈は正しい」という固定観念に支配されているだろう。これでは、歴史から何も学べはしない。学べたとしてもそこから派生するヴァリエーションはたかが知れている。
 学者であろうとなかろうと、自分なりの解釈をシェアしあって、それらを互いに客観的に見て取り入れようとすれば、それこそ無限のヴァリエーションが生ずるだろうし、その中から、キラリと光る新たな真実が見出される可能性は高いだろう。
 だからこそ、ヨーロッパでは歴史エッセイというジャンルが確立しているのではないだろうか。
    《参照》   『生き方の演習』 塩野七生 (朝日出版社)
              【歴史エッセイストとしての著者のやり方】

 

 

【タイムライン】
 ウィーンのコンサートホールにて、隣に座った男性との会話。
 「いや、あの衣装で演奏してみたいと思うよ。だって見ていて、聞いていてこんなに音が違う。もし、僕があの時代のオーケストラの一員だったら・・・・。あの衣装を着てウィッグをかぶってコントラバスを弾くと、きっと今までと違う音が出る。過去を現在に持ってくる音・・・・。これは、観光客へのパフォーマンスを超えた何かがあるね」 (p.123)
 「過去を現在に持ってくる音」という表現は、何を意味するのだろう。時間は、直線的に過去から未来へ向けて流れるものと思い込んでいる人なら、たんなる文学的な比喩として取るだけかもしれない。でも、そうではないだろう。時間とは、実に、人それぞれの主観に基づいてどのようにも変容するものなのではないだろうか? 
 モーツァルトが生きていた当時の衣装とウィッグは、現在と過去を同じタイムライン上に出現させる媒介であり象徴なのだろう。そうすることで、過去と現在が重なるのである。ないしは、過去と現在の両方に私たちが存在している(バイロケーション)のである。
 この旅をする前は「過去、現在、未来」と、まるで英語の時制のように、時間は直線上にあると思っていた。タイムラインは、ただ、ただ、まっすぐに、過去から現在を通って未来へ続くのだろうと思っていた。過去とは、歴史とは閉じたもので、過去とは過ぎ去るべきものだと思っていた。しかし、実は時間というのは、直線ではない。サイクルをもったものでもない。意味ある時間は、現在をも生き、また未来のどこかで生きる。時間とはパターンを作ることなく、繰り返しそこにあるもの。時間はランダムという概念の象徴だと、この旅で強く感じる。(p.125)
 2012年を超えて、地球の周波数が上がりつつあるから、時間に関して、このような認識を持つ人々は急速に増えて行くはずである。このことに深入りしたいなら、下記リンクのようなスピリチュアル系の著作を辿って読めばいい。この著作も、須藤元気君がブタペストやウィーンを旅している過程で記述していたもの。
    《参照》   『愛と革命のルネサンス』 須藤元気 (講談社)
              【量子場における時空間を超えた繋がり】

 本書において、「時間意識の変容」と、「歴史は、自分なりの解釈でよい」という見解は連動している。権威者の歴史を学ぶだけでは時間は変容しない。それでは物質文明の枷から一歩も出ることができない。カルマと呼ばれる法則の罠に囚われ続けるだけである。歴史を自分なりに解釈することで、その解釈の通りに自分にとっての過去の歴史は書き変わるのである。
            【宇宙を書き換えるというのは、こういうこと】
 

 

【特殊な点よりも共通項】
 史料や文献を読んで、学生は、「日本の女性達が特殊だと思える部分よりも、共通している部分が多い」と、口々にいって驚きあっていた。つまり、中世の日本の女性も、他国の女性の生き方を考える視点から見つめ直すと、ユニークな点もあるが、それだけではなく、世界の他の女性たちとの共通項を多くもっているというのだ。
 それは、このプロジェクトで、わたしが伝えたいことの核心であった。 (p.147)
 特殊な点より共通項が見出されやすいのは、もしかしたら、女性史だからなのかもしれない。
 今、この地球全体は、女性性に目覚める波動によって励起されている。屹立する男性性ではなく、和みを与える女性性が表に出てくる時代に向かっているらしいのである。その点から考えると、海外で、日本人女性が、日本史、特に女性史の授業を受け持つのは、抜群に時代にマッチしているといえるだろう。
 そう、日本を復活させるのは、サムライではない。
 レディ・サムライたちなのである。

 

 

【プリズム】
 歴史は、国のみに属するのではなく、個人と世界にも属する時代である。これからの世代が生きていく上で必要なのは、誰かの「異国のヴィジョン」を吟味する力だけでなく、オリジナルの「ヴィジョン」を異国でも生成できるか、そして他者が生み出したヴィジョンやアイデアを、尊重、理解するために「プリズム」という道具を使えるかどうかなのだ。(p.171-172)
 本書には、プリズムという言葉がしばしば登場しているし、光の経路を変える三角形のプリズムの絵が数カ所に描かれている。
 ここで言う、「プリズム」とは、人種・民族・文化といった背景によって異なる考え方を生む“心の場”を、光を屈折させるプリズムに喩えたもの。発展的に解釈するなら、「(多文化主義を成り立たせる)知恵」ともいえるだろう。
 戦争の時代が終わって、世界の人と物とカネが混ざり合う時代にありながら、極東の島国・日本に住む人々は、未だに多文化主義に慣れていない。いまだに、世界の多様性に気づいていない人々すら少なくないだろう。
 同質社会の日本において安寧な生き方を指向するなら、個性を消して主張を抑えて深く潜航すればいいけれど、人種の坩堝と言われるような異質社会(多文化社会)に生きている人々は、より強い個性を発揮して声高に主張しつつ、互いに折り合いを付けるべく着地点を見出すことを引きのばせない状況下で生きてきている。
 日本人であっても、外に出て異文化・異質社会に出て生きることを選ぶなら、プリズムを使えるようにならなければならない。そうでないと、自分が異文化の中に埋没死させられてしまうのみならず、その社会に貢献できないばかりか、情報化の促進によって地球が一つの世界になりつつある中で、日本理解の促進についても何ら貢献できないだろう。

 

 

【国内で出会う『異国(異質)のヴィジョン』】
 著者のように、異国で生活し、異国で活躍する人々との出会いによって自らが啓発されるような機会がなくとも、日本国内に住みながらでも、特定の著作に出会うことで、それに似通った体験を持つことは不可能ではない。
 受験の世界史以外を経験したことのなかったチャンちゃんにとって、歴史なんて暗記するだけの科目以外の何ものでもなかったけれど、その後に、(例えば、下記リンクのような)歴史エッセイのような本を読む機会をもった人なら、かなり歴史の見方が変わってくるだろう。血が流れ出すのであるし、脳が本気で時空を跨ぎだすのである。そして、歴史の背後にある思想というグランド・デザイン、ないし、バック・グランド・ミュージックの存在に気づけた時、もしかしたら大好きになってしまうかもしれないのである。
    《参照》   『自分の中に歴史を読む』 阿部謹也 筑摩書房
 そして、多文化主義に類似した経験知は、いくつもの本を読むことに拠って個人的に得ることは不可能ではない。それは、最低でも1000冊以上読んだ人々なら、みな自覚しているはずのことである。
    《参照》   『海馬 脳はつかれない』 糸井重里・池谷裕二 朝日出版社
              ○こんなことを考えていた。


 

<了>