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 大学生の頃、この本を読んでいたら良かったのにと思えるような本だった。
 著者は、一橋大学社会学部教授をされていた方。この本は1988年初版であり、その後、被差別民族に関する学術研究はさらに進んでいるのだろうけれど、中世ヨーロッパを考察している内容は、はなはだ示唆的である。

 

 

【タイトル解題】
 あとがきに以下のように書かれている。
 私にとって歴史は自分の内面に対応する何かなのであって、自分の内奥と呼応しない歴史を私は理解することができないからです。 (p.203)
 このような態度は、学術者ではない私にとっては当たり前過ぎるほどに当たり前。以下についても当然である。
 この違和感は、他の文化を理解しようとするときに大切なものです。この違和感を大切にしながら、他の文化を理解する努力を、今後もつづけていかなければならないでしょう。  (p.201)

 

 

【《大いなる時間》】
 ソビエトの文学者ミハイール・バフチーンという人がすぐれたことをいっていますのでお伝えしたいと思います。 ・・・(中略)・・・。
 「もしある作品が完全に現在の中に埋没し、その時代にしか生まれないものであって、過去からのつながりも、過去との本質的な絆ももたないとしたら、その作品は未来に生きることはないだろう。現在にしか属さないすべての事物は現在とともに滅びるのである」
 このことばは、歴史家をたいへん勇気づけてくれます。私たちは過去との真の絆を探し、《大いなる時間》のなかで生きるという自覚を持たねばならないのです。 (p.59-60)
 これは文芸作品の解釈として語られているけれど、全ての文物に接する上での基本的な態度といえるのであろう。
 しかし、現代人である私たちは、ここで注意しておかなければならないことがある。《大いなる時間》とは、より通時的な時間ということであろう。《大いなる時間》、すなわち全ての時代を正しく解釈しようとする時、人間の心理に即して理解しようとしても無意味ということだ。
 どういうことかというと、心理というのは個が認識されて始めて生ずるものである。神智学を語ったルドルフ・シュタイナーは、「中世において個の意識は明確ではなかった」 と書いていたから、この記述に従えば、現代人の心理に即して中世社会を洞察しても意味をなさないのである。また、個の意識が明確でなかったということは、個は自然についても明確には意識してはいなかったということでもある。
 このことを著者は、中世の昔話を実例として、以下のように記述している。
 昔話の主人公の内面性は十分に描かれていないのです。このことは中世の人々の、世界とのかかわり方と深い関係があると私は考えています。
 中世の人々が書いたエッダやサガにも多くの人物が登場しますが、彼らの内面もほとんど描かれていないのです。内面が描かれていないだけでなく、エッダやサガには自然もそのものとして描かれていません。自然を讃美したり、美しいとみる部分が全然ないわけではありませんが、ほとんどありません。  (p.173-174)
 意識に関する変容は全地球規模のものである。地域特性や文化特性によって異なるものではない。
 個の意識が明確になってから、日本では “自然は神なり” と認識し表現するようになったのであろう。ところが西洋では、自然はキリスト教思想による神の配下に置かれたがために支配すべきものとなってしまった。

 

 

【現代と異なる世界】
 キリスト教が広まる以前の社会をこのように記述している。
 人間と人間の関係がモノを媒介として結ばれる関係と、目に見えない絆によって結ばれる関係から成り立っている・・・(中略)・・・。  (p.103)
 キリスト教が広まると、モノを媒介とする関係は、人間と人間の間にキリスト教会が善行を積むための寄付を受け取るかたちで介入し、目に見えない絆によって結ばれる関係は、神と人間の関係に一元化されていった。

 

 

【生死についての考え方の変化】
 さらにキリスト教は、生と死についてのそれまでの人々の考え方を、大きく変更しようとしたのです。キリスト教が普及する以前において、死は生の延長でしかなく、死者はヴァルハラという場所で、生前と同じ身分で同じような暮らしをすると信じられていました。死者はいわば大宇宙へもどるのでした。 (p.128)
 キリスト教の教えにおいては、死は生の延長線上にあるのではなく、生の決定的な断絶とされています。肉体は死後埋葬されますが、人類史の最後の瞬間に主が再臨し、すべての死者は肉体と共によみがえり、主の裁きを受けるのです。 (p.129)
 言うまでもないことであるけれど、西洋においてキリスト教は文化の不連続を生じさせた。しかし、日本において仏教は神道に媒介される形で日本文化の中に吸収されたのである。

 

 

【二つの宇宙をつなぐ賤民】
 12,3世紀以降に生まれてくるのですが、特定の職業に従事する人々が、身分を構成しえない人々として、恐れられながら、賤視されたのです。
 賤視というのは蔑視と違っていて、恐れの気持ちがはいっていると考えなければなりません。・・・(中略)・・・。 死刑執行人、捕吏、墓掘り人、塔守、夜警、浴場主、外科医、理髪師、森番、木の根売り、亜麻布織工、粉挽き、娼婦、皮剥ぎ、犬皮なめし工、家畜を去勢する人、道路清掃人、煙突掃除人、陶工、煉瓦工、乞食と乞食取締り、遍歴芸人、遍歴楽師、英雄叙事詩の歌手、収税吏、ジプシー、マジョルカ島のクエスタ(洗礼をうけたユダヤ人)、バスクのカゴ(特別な印を服につけさせられていた被差別民)、などがあげられます。  (p.95-96)
 賤民によって担われた職業に共通するものとは・・・、
 さまざまな職業をもう一度思い出して見ますと、それらがおおまかにいって、死、彼岸、死者供養、生、エロス、豊穣、動物、大地、火、水などとかかわるものであることが解るでしょう。そしてこれらのエレメントが、すべて大宇宙に属するものであることに注目する必要があります。 (p.156)
 著者は堅実な学者様なので、錬金術という言葉は一度として記述されていないけれど、これらは錬金術と切っても切れない関係のエレメントである。
 故に、賤民の職業を具体的に解説した後、このように書かれている。
 いずれも人体という小宇宙に対して手を加える立場でもあるので、小宇宙と大宇宙の狭間に位置する職業であるといえるでしょう。 (p.158)
 これら、西洋史における賤民は、日本史における阿弥族に相当するものであろう。
   《阿弥族に関する:参照》    『隠れたる日本霊性史』  菅田正昭  たちばな出版
 大宇宙と小宇宙という構図は、キリスト教以前の古代ユダヤ教の基底をなすカバラにおいて基本的なものである。
 しかし、キリスト教は二つの宇宙の構図を否定したのです。
 大宇宙の神秘は神の摂理として信仰ある者にはすべて説明しうることとされていましたから、大宇宙の諸力に対する畏怖の念は、公的には否定されてゆくのです。 (p.158)
 キリスト教の教義がどうであれ、一般の人々にとっては、大宇宙そのものの恐怖は消え去るわけではない。故に尊ばれていたのが隠者である。
 現実には皇帝や教皇は封建社会の階層秩序の頂点にいたのですが、その教皇ですら敬わなければならなかったのが、現世のいっさいの所有を否定して森の中で苦行している隠者だったのです。中世の社会は、無所有の隠者を理想的な人間像としてかかげる社会だったのです。  (p.134)
 “森の中で苦行している隠者” などと書かれているのを読むと東洋における出家僧に比せられるようにも思えるけれど、成り立ちからいって全く違う。阿弥族のルーツに比するべきなのであろう。隠者はタロットカードの中でも特異な役割を担って用いられている興味深い存在である。

 

 

【中世ヨーロッパにおける音楽】
 中世のヨーロッパにおいては、音楽は算数、幾何、天文と並ぶ四大学科の一つでした。
 なぜ音楽がこのような大きな位置を占めていたのかといいますと、音楽は娯楽ではなく、世界を解釈するための思弁の一つの形と理解されていたからです。音楽こそ世界を構成する原理だったのです。音楽が世界を構成する原理であるということは、音楽がなによりもまず学問であって、これまで扱ってきた大宇宙と小宇宙、天体の運行、天文、四季の変化、肉体と精神、霊などの調和をはかり、支配するための学問だったことを意味しています。 (p.192-193)
 四大学科を並べてみれば分るように、そこに共通するものは数学である。ギリシャ哲学、ことにプラトンの影響が強く現れている。そのスタート地点は、知性による音楽だったのであり、感性による音楽ではなかった。

 

 

【ポリフォニーと交響曲】
 著者は、「交響曲に対する違和感」 という小見出しの中で、以下のことを書いている。
 私はなぜクラシック音楽の、特に交響曲が整然として緊密な構成を持っているのかを、素人ながら考えてみました。
 いうまでもなく、日本の音楽の構造と決定的に異なっている点は、多声音楽を原型としてもっているという点です。ポリフォニーといわれるこの多声音楽は、日本にはほとんどない形式です。簡単にいってしまえば、異なった音(声)が、異なったメロディーを奏でながら、全体として一つのハーモニーを作り出すという点に特徴があるのです。いわば世界全体を音で再構成しようとする姿勢が交響曲にはあるように感じられたのです。 (p.191)

 
 ポリフォニーは、大宇宙の不思議な音を取り込みながら、一定の調和を図ろうとする、二つの宇宙一元化の努力の中で生まれたものだと私は考えているのです。
 彼ら(修道士たち)は共同生活を営みながら、キリスト教の教義に基づく宇宙の一元化のために、日々努力を重ねていたのです。  (p.198-199)
 著者は、西洋音楽の成り立ちについて思索を巡らせているけれど、私は 「交響曲に対する違和感」 の源となる、 “音楽に関する日本と西洋の違い” が気になる。
 人間が世界を理解しようとする時、「一即多、多即一」 という場合の、「一」の側に重心を置いてきたのが日本であり、「多」の側に重心を置いてきたのが西洋なのではないだろうか。
 唯一神によって支配される世界はその構造を「多」によって補完せねばならず、八百万の神々が偏在する世界を補完するのはシンプルな「一」で十分だったのであろう。
 そうなったのは日本語という言霊言語の特異性にあると思っている。言霊=宇宙共生原音であるから、日本人は音楽に依らず、和歌で大宇宙の顕れを表現し、理解し、相互に伝達しあい了解し合っていたのである。
 余白なき絵画、間隙なき音楽は、「多」の文化国家には相応しくとも、「一」の文化国家には必然性のないものだったのである。
 
<了>