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 ビジネスの世界に身を置いている人々にとって未来予測は極めて重要なこと。しかしながら、複雑化した現代においては、単純一様な方法では未来予測など到底出来ない。それでもあきらめずに未来を見据えようとする著者の意思は、『複雑系の経営』 によく表れている。本書では、敢えて複雑な思考を捨て、シンプルな思考に回帰するかのような内容になっている。未来予測が必要なビジネスマンも、基本的な未来予測法を再確認できるだろう。
 本書は、小中学生向けに書かれている。英語対訳付き。智恵子と賢治という小学生の男女が、森に行き、森の聖人から未来を知る方法を学ぶ、というストーリー構成になっている。2010年12月初版。

 

 

【大局的な予測なら・・・】
 森の聖人はしばしの沈黙の後 答えました
 未来の具体的な変化を予測する方法はない
 しかし未来の大局的な方向を予見する方法はある。 (p.40-42)
 聖人であっても、大局的な方向予見しかできない。
 なぜなら、未来というものは、時々刻々に変化している今現在の想念エネルギー状態を起点として生ずるものであるが故に、未来も時々刻々に変化してしまうものだから。
 個人だけで見ても、心は線形で推量できるものではない。なおかつ個人ではなく社会全体とか人類総体のエネルギーを母体として見るのだから、ピンポイントの未来予測は無理なのである。

 

 

【未来の見える階段】
 この世界の未来においては
 一度 消えたものが もう一度 復活してくる (p.77)
 世界の未来においては
 古く懐かしいものが 新たな価値を伴って 復活してくるのだね (p.79)
 未来の見える階段は、直線形状の階段ではなく、螺旋形状の階段である。
 特定の方向は、一度視界から消え、しばらくして再び見えてくる。
 これが本書のポイント。
 万象は螺旋的に生成するという基本原理に即した階段の形状設定。
 この視点で現在の経済社会を見てみると・・・。

 

 

【生産者と消費者の区別無き社会】
 ネット革命の進展に伴って最近では、
 商人と村人が共同して商品を作るようになってきた。
 これも 懐かしい時代が新たな形で復活してきている
 人類の歴史は 生産者と消費者の区別の無い「自給自足」の時代から始まったのだね。(p.130-131)
 現在は、インターネットの発達で、誰もが何かしらの生産者となってショップに展示・販売できるようになっている。生涯、消費者としてのみ生きるということは、本人がそこから出たくないという場合に限ってありうるだけである。
 また、消費社会の矛盾や欠点に気づいた人々同士が集い、自給自足コミュニティーを実際に作っているケースは、決して少なくないだろう。

 

 

【経済の螺旋:マネタリー経済からボランタリー経済へ】

 そのマネタリー経済の前には、バーター経済があった。
 人々が価値あるもの同士を交換する交換経済だね。
 そのバーター経済が生れる前に存在したのが、
 ボランタリー経済と呼ばれるものだったのだね。
 そしていま、ネット革命によって
 そのボランタリー経済が急速に復活してきているのだよ。
 ・・・中略・・・。
 ネットの世界では、善意や好意で価値ある情報や智恵を
 提供してくれるコミュニティーが増えていますね。(p.142-145)
 そう、利益を度外視した無償の提供行為が、あちらこちらで起こっている。
 いま ネットの世界では書評や映画評が手軽に読めるし
 レストランやホテルの評判も簡単に知ることできるけれど
 それらは多くの草の根の人々が、無償で書いているのですね。(p.146)
 チャンちゃんのこの読書記録も、もちろん無償である。利益を目的としているのではない。
 ところが、このような時代の潮流が分かっていない貪欲な特定の著者から、「人の褌で(著作権を乱用して)、私利私欲なブログを書いている」と事実無根な言いがかりを、その著者の本の読書記録のコメントに書かれたことがある。
 チャンちゃんのこの読書記録は、「一人でも多くの人に『世界の真実』を知ってもらいたいこと」そして「若者に『本を読む』ようになってほしいこと」、主にこの2点のために書かれている。お金(自分自身の利益)のことなど全く眼中にない。
 チャンちゃんの読書記録には、既に2000人近い著者の作品が掲載されているけれど、著作権云々と言って難癖を付けてきたのは、"にしゃんた" という著者、僅かに一人である。時代は明らかに無償化に向かっている。
 無償化が完全に定着すれば、それはマネーフリー社会の実現である。そのような社会における基本精神は、Give&Take ではなく、Give&Give である。かつて、マヤ・アステカでそのような社会が実現していた。現在の日本においても、それを再び実現させることは、決して不可能ではない。
    《参照》   『レインボーチルドレン』 滝沢泰平 (ヒカルランド) 《後編》
              【マヤ・アステカの実験】 【「なおひ」と「まがひ」】

 

 

【文化の螺旋】
 経済はマネタリー経済からボランタリー経済へと移行する様相が見られる。
 では文化では?
 リサイクルの文化、それが復活してきているね。 (p.150)
 大量生産・消費・廃棄の文化から、リサイクルの文化へ。
 環境への負荷(環境破壊)が大きいというデメリットからの学びを経て、工業や化学の技術力を用いていろんなものがリサイクルされるようになってきている。それまで動脈型産業ばかりだったのが、静脈型産業が産業界に定着するようになってきている。
 しかしながら、個人の精神レベルで、かつての日本人にとって当たり前だった 『もったいない』 が復活しているかどうかは、やや疑問。
 今でも、修理するより使い捨てを選択する人の方が圧倒的に多いだろう。ボーダレスなマネタリー経済下では、後発諸国から安価な製品が流入するから、修理は経済的メリットを生まない。
 精神レベルでのリサイクル化の究極は“自然循環への帰一化”だろう。これはマネタリー経済下ではそれほど親和性がない。ボランタリー経済下ならよく馴染むだろう。

 

 

【宗教】
 近代の世界経済を主体的に牽引してきた西洋発の宗教(キリスト教)は、マネタリー経済を維持する教義になっている。即ちキリスト教は金融資本主義推進のダイナモ的な教義を持っている。正確に言うなら、ここまでの2000年間は、地球支配者たちによって、そのような宗教教義が作られてきた。
    《参照》   『三位一体モデル』 中沢新一 (東京糸井重里事務所)
              【三位一体】
              【「霊の合理化」】
    《参照》   『心の花束』 浜尾実  中央出版社
              【タレントのたとえ(マタイ25章14-30節)】

 人類史を2000年以前に遡れば、その当時の宗教は一神教ではなかった。豊穣の大地母神が主催する多神教だったのである。多神教は役割分担的に棲み分けをする平和な世界に根づく。そこに争いを誘発する主体的根拠はないだろう。
 著者は、来るべき宗教について、以下のように記述している。

 

 

【地球観の転換と宇宙観の転換】
 自然崇拝(アニミズム)だよ。・・・中略・・・。
 その最も原始的な宗教が新たな形で復活するだろう。
 しかし、自然崇拝の復活と言っても、未開社会のアニミズムがそのまま復活するわけではない。
 それは むしろ、科学の最先端において、地球観の転換、さらには、宇宙観の転換、という形で始まるだろう。
 すなわち、この地球そのものが巨大な生命体であるという地球観。
 さらには、
 この宇宙そのものが壮大な生命的プロセスであるという宇宙観だ。(p.174-177)
 地球観の転換と宇宙観の転換は同時進行で起こるはず。
 人類は長らく、地球という閉じた系の中だけの認識で完了していた。しかし、これからの人類は、地球外(宇宙)の情報を新たな認識体系の中にドッサドッサと取りこんでゆくことだろう。認識が変われば、当然のことながら人類は避けようもなく変わる。
 そして、地球風水である『ガイアの法則』によって、現在の地球の脈動点は、1995年以来、東経135度の日本にある。
    《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
             【文明の盛衰を定める『ガイアの法則』を知っていたシュメールの叡智】
             【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 この意味はトテツモナク大きい。
 「明治維新」で自国を世界に対して開国した日本は、この度「世界維新」を成し遂げ、今後、数百年間、地球を宇宙に対して開放するディスクロージャーの役割を担うことになっている。
    《参照》   『ついに来たその時!神仕組みの号砲が響き渡ります』 田村珠芳 (徳間書店) 《後編》
              【銀河連邦と天皇】

 地球史上、稀に見る、大きな変化が、いま現在、日本と世界に起こりつつある。

 

 

  田坂広志著の読書記録

     『未来を拓く君たちへ』

     『未来の見える階段』

     『これから働き方はどう変わるのか』

     『複雑系の経営』

     『創発型ミドルの時代』

     『なぜ、働くのか』

 

<了>