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 海外で職務に携わっている経営陣6人と著者との対談が掲載されている。英語に関することのみならず、比較文化論・経営論・生き方論などの視点でも読むことができる。トヨタに関してはいろんな人が書いているので、新発見は殆どないけれど、長い読書記録を書いてしまった。2005年3月初版。

 

 

【トヨタでいう「問題」とその解法】
SK  トヨタでいう「問題」っていうのは、端的に申し上げると、「経営陣が決めた水準(目標値)と現実との乖離」のことなんです。そして、その乖離を埋めようと愚直に努力することが「チャレンジ」でして、埋めるやり方としては、いわゆるPDCAがあります。・・・中略・・・。もともとトヨタの中にあった言葉ではありません。ですが、・・・中略・・・、長年にわたってトヨタ内で実践されてきた概念でして、そうした慣行を端的に説明するために既存の一般表現を後付けしたわけです。(p.15-16)
    《参照》   『見える化』 遠藤功 (東洋経済新報社) 《前編》
              【PDCAサイクルのダブル・ループ】

 

 

【トヨタでいう「リスペクト」】
 うちでいうリスペクトには、2つあって、1つは会社と従業員の相互理解。(p.99)
 2つめの「リスペクト」について。
SK  「リスペクト」っていうのは、・・・中略・・・、個人の考え方を尊重するわけではないのです。
SUM  つまり、一度コンセンサスに達したら、一丸となってまっしぐらに目標に向かって進むわけですね。言い方を変えれば、「和に対するリスペクト」のことですよね。それって、人と違うことに価値を置く欧米人にはなかなかできないんじゃないですか?
SK  そうなんです。 (p.20)
 自分の案が採用されなくても、決定された案をあたかも自分のオリジナル案であるかのごとく受け入れ、遂行する。これがトヨタでいう「リスペクト」の正体だという。
SK  我々は、責任は皆にある、という視点に立っているわけで、だからこそ、ある問題が起きたときに、短絡的に、一個人に責任を取らせることはしないわけです。よい例が、「自働化」というのですが、うちでは一工員に工場を止める権利を与えています。仮に、その個人の判断で、操業を止めたとしても、その人は解雇されません。・・・中略・・・、(権限を)与えられた人間がしくじった場合には、権限を与えた方にも責任があるわけです。(p.21)
    《参照》   『クオリア立国論』 茂木健一郎  ウェッジ  《前編》
              【自働化】

 

 

【謝る=言い訳する】
SK  よく言われる話ですが、日本語の「反省しろ」というのは、なかなか伝わらないですよね。フランス語では「反省する」という表現にピタッと当てはまるコトバはないんですよ。ただ、面白いのは「謝る」を引くと faire des excuses とでてくるんです。
SUM  言い訳する・・・・・、と。
SK  そうです。そして、それを逆に仏和辞典でひくと、第一義は「言い訳する」で、第二義に「謝る」とあるわけです。つまり、連中の頭のなかには「謝ること」と「言い訳すること」のあいだに、概念上の区分が存在しないのです。
SUM  それじゃあ日本人を怒らせてしまうのも、またフランス人がイライラしちゃうのも無理ないですね。(p.37)
 日本人にとって、「謝る」という行為は、「素朴で素直は神一厘」と言われる素朴さや素直さに直結する、大切な行為であり、日本民族の霊性の高さをも意味しているのだけれど、日本以外の諸外国では、フランスのみならず大抵は、「謝る」=「言い訳する」 なのである。
 このような違いは、お互いにどうこう言っても意味がない。違いを知っておくことが大切。
    《参照》   『すでにアセンションしている人たち』 櫻庭雅文 (徳間書店) 《前編》
              【ライト・オブ・アセンションしやすい人】
    《参照》   『「人をつくる」という仕事』 テリー伊藤・木村政雄  青春出版社

              【木村さんの秘書】

 

 

【「見える化」を阻むもの】
YN  これは新入社員研修に始まり、OJTで身につけていく、正に伝統的なトヨタ流スキルセットの一つなのですが、なかなか外国人には身につけられないようです。こちらは「問題が見えるようにしろ」といっているのですが、自分の責任範囲で問題を露呈させることに、ものすごい躊躇があるようです。
SUM  たしかに責任問題と結びつける傾向はありますね。だからこそ、「現地スタッフは言い訳が多い」という印象をもつ日本人管理者が多いのもうなずけます。ただ、彼らはロジックには慣れているはずですから、トヨタ式の Why?-because(なぜ?・・なぜなら)の思考回路の芽は既に彼らの中にあるのではないでしょうか。むしろ、彼らは比較的簡単にそれを身につけていくのかと思っていました。
YN  それが、そうでもないんですよ・・・。 (p.124-125)
 日本人に比べたら、外国人は論理思考に慣れていると言ったって、管理責任という問題(恐怖心)を意識してしまったら、「見える化」のための Why?-because ロジックなんて、消えてしまうのが当たり前。外国人といえども、感情抜きに論理だけで推進できるのは、そのような訓練を受けてきた特殊な人だけだろう。
 このような問題が生じるのは、「全体最適のために問題箇所を洗い出すのが目的であって、個人責任を云々しているのではない」という、恐怖心を取り除く考え方(第2のリスペクト)がきちんと浸透していないからだろう。
 このような問題は、日本の国内企業であっても、常に生じている。
    《参照》   『見える化』 遠藤功 (東洋経済新報社) 《後編》
              【「見える化」を阻む壁】

 

 

【ニーチェと「守・破・離」】
SUM  think out of the box.(発想の逆転)です。実は日本の伝統工芸の世界って正にそれなんですよ。「守・破・離」って知ってますか? ・・・中略・・・。
SK  ニーチェの「ラクダの時代、ライオンの時代、小児の時代」とよく似ていますね。
SUM  ・・・中略・・・、「守・破・離」とニーチェのいう3つの時代との違いを一言でいえば、日本のこころ、大和魂と言えるかもしれませんね。(p.30-31)
 ニーチェのいう3つの時代については、学生時代に読んだ梅原猛先生の著作の中で最初に読んだのを記憶しているけれど、その時、「守・破・離」という日本の概念に対応させて書かれていたら、もっと興味深く読み取っていたかもしれない。
 ところで、「守・破・離」は、主に日本の芸事の世界で使われている言葉なのだけれど、ビジネス書の中で言及されているのを読むことが、とても多い。
    《参照》   『ザ・プロフェッショナル』 大前研一  ダイヤモンド社  《後編》
              【大前式の「守・破・離」】
    《参照》   『退散せよ! 似非コンサルタント』 船井幸雄 (李白社) 《前編》
              【船井さんの「守・破・離」】

              【 「型」 を守り、破り、離れる】

 

 

【英語力不問でチャレンジさせる】
SUM  負けん気というのは、火事場の馬鹿力を後押ししてくれるんですよね。いずれにせよ、御社では英語力不問で、仕事のできる人にチャレンジさせる点が興味深いですね。
KF ・・・中略・・・。うちでは、英語力は二の次で、まずは仕事ができないとダメです。「英語屋さん」などいらんのです。英語屋さんって、最初は重宝されるけど、途中から軽んじられますよね。(p.58)
 切羽詰まった状況に押し込んでしまえば、誰だって英語を習得することなど可能、という考え方が下地にある。だから、必要なのは「英語力」ではなく「人間力」であると。複数の人々によって同じことが語られている。
KF  先ほどの「英語屋」は論外ですが、ある意味で、専門知識はあって当たり前なんです。たとえば、私の場合、会計とか法律とかは知っていて当たり前、そんな話やプロジェクトの話ばかり飯の時にしていても、相手は「専門バカ」のつまらん奴としか見てくれません。だからこそ、相手の予想を裏切ることが大切です。たとえば、文学でも、音楽でも、美術でもなんでもいいのですが、専門外の知識、つまり一般教養をチラリと見せると、相手は「この東洋人、なかなかやるな」となるわけです。(p.59)
 しかしながら、近年はIT機器の発達で、知識の価値が暴落しているし、若い世代においては、世界の見方が大きく変わってもいる。一般教養は以前ほどの威力を持たないかもしれない。
    《参照》   『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《後編》
              【これからの時代の教養とは?】

 

 

【現地雇用上の対策】
KF  競合他社、つまりホンダでも三菱でも、ご存知のように大きな労務問題が起きましたが、うちでは一切起きませんでした。なぜか? それは起きないような布石を打ってきたからです。
SUM  具体的には?
KF  僕はある日、ある人事コンサルティング会社を訪れて、彼らに、
「今から3千人のブルーカラーを雇う。つきましては、協調性、チームワーク、カイゼン精神、数値分析力がうちでは何より重要だから、そういった資質の有無が明確に分かるようなテストを作ってほしい」と依頼しましてね。・・・中略・・・。ポイントは、脳力選別のみならず訴訟対策も兼ねているわけです。(p.70-71)
 記述されている布石はこれ一つだけではないけれど、ホンダや三菱に起きた問題を回避できたのは、アメリカ社会のあり方を知悉していたKFさんのような方がいたからこそなのだろう。

 

 

【インドでの雇用】
KK  チームのリーダーが辞めて、部員から昇格させようとすると、及び腰になる人間が多いのには驚きましたよ。誰も手を上げないし、指名しても乗り気じゃない、なんていうのが少なくないんです。意識として、チームメンバーはいつまでたってもチームメンバーって思っているんでしょうね。
SUM  それも、カーストの影響の一つと言えるかもしれません。(p.162)
 これ以外に、コーヒーを入れる係の人が休んだら、誰もそれを代わりにやらなかったとか。
 インドでは、カーストによって職業も細かく決まっているから、意識の段階で流動性が阻まれているのである。
   《参照》   『驚異の超大国インドの真実』 キラン・S・セティ (PHP研究所)
              【カーストとIT産業】