《前編》 より

 

 

【先見力の鍛え方】
 脚力は走り込むことでしか発達しないように、先見力も立ち止まることなく次々と発想し続けることによって鍛えられます。 (p.87)

 

 

【構想力の鍛え方】
 答えを知らないことを恐れるのではなく、知らないところからスタートして、自分には何が見えて何が見えないか、何がわかって、何がわからないかを分けて考えられるかどうかが重要です。
 哲学者のエドムント・フッサールが主張したように、自分の知らない事象に遭遇した時には、これまで身につけた知識や価値観で判断することを停止する、いわゆる 「エポケー」 して、その事象と対峙してみます。
 ・・・中略・・・。
 ポール・エバンス教授によると、「人は変化を好まないのではなく、自分が変えられることを嫌うのだ」、と言うことです。
 自分の思い込みや思考の癖を排除し、ファクト・ベースで考え、議論する。その結果、変わらなくてはいけないのは自分であり、自社である、という発想ができるかどうかがいま問われているのです。 (p.142)
 このような客観的態度を維持しながら、討論したり議論を重ねる過程で、おのずと構想力は鍛えられてゆくと書かれている。 

 

 

【 discuss 】
 そもそも “discuss” という単語は、否定を意味する “dis” と、恨むという意味の “cuss” が合体した言葉です。要するに、反対したり反論したりしても 「恨みっこなし」 というのがディスカッションの本来の意味です。(p.151)
 日本人の構想力の弱さを、暗に示してくれている。
 「議論は不快」 とか、「異論は敵対的」 とか、即座に思ってしまう日本人は、 “悪魔の使徒” 役を誰かにやってもらえばいいのだろう。

 

 

【デビルズ・アドボケート】
 日本と好対照なのがユダヤ社会です。ユダヤ社会では場の議論を深めるために、メンバーの一人があえて盾を突きます。「デビルズ・アドボケート(悪魔の使徒)」 と呼ばれるものです。議論の方向性や結論の大筋には賛同しながらも、あえて反論し、課題とその解決策を結ぶ道筋に、矛盾や不整合が見落とされていないかを検証します。さらに、より優れた解を導き出すために異なる視点から反論し、議論の前途に疑義を呈します。(p.73)
 「デビルズ・アドボケート」 という触媒的な役割の存在。有意義なことだろう。

 

 

【大前式の「守・破・離」】
 世阿弥が遺した 「守・破・離」 の知のプロセスからも多くを学ぶことができます。これは、まず攻めの矢からみずからを 「守」り、次に相手の論理が手薄なところを 「破」って、矢の向うべき方向の誤りを指摘し、共に当初の議論から 「離」れて最善の着地点へと移行する、というものです。 (p.184)
 日本人であるにせよ欧米的知性を身につけている著者に依ると、「守・破・離」 はこのように解釈されてしまう。
   《参照》   『無我と無私』  オイゲン・ヘリゲル  講談社
              【術なき術】
          『モノづくりのこころ』  常盤文克  日経BP
              【守・破・離とスキーマ】

 

 

【 MASS から CLASS へ】
 水晶発振子は半導体化され、香港や台湾、韓国などで時計が大量生産され、価格破壊を引き起こしました。やがて、スウォッチに代表されるファッション性のある時計に人気が集まり、今日では装飾品(なかには宝飾品もあります)としてスイス製の高級腕時計が主流になりつつあります。時計は、まさに 「雰囲気」 を売る世界に入ったのです。
 私の友人であるジャック・ホイヤーは、これを 「 MASS (量産) から CLASS(気品) へ」 と表現しています。量では世界の0.3%にすぎない市場にみずからを追い込みながら、金額では世界の半分を占めています。また、中途半端に技術力のある日本勢を見事に打ち落としました。 (p.201-202)
 そう言えば、昨夜(3月10日) K1でチャンピオンに返り咲いた魔裟斗が、日の丸をイメージしてデザインした200万円(と800万円)もする時計の展示のためにスイスを訪れているシーンが放映されていたっけ。
 MASS で極端に下に振れ、CLASS で極端に上に振れ、そのうち昔の価格の中間あたりの戻るのではないだろうか。であるにせよ、ビジネス・プロフェッショナルは、ひたすらその時を待っている、というわけにはゆかない。
 
 
<了>