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 著者が日本語教師として赴いていた20代後半の3年間を記述した内容だけれど、ベトナムを中心とした東南アジ文化圏に関する異文化体験記であり、たくさんの密度の濃い文化的内容を含んでいて、なおかつマンガ感覚の小説のようにも読めて非常に楽しい。インターネットで調べたら、この本は現在、絶版になっているらしいけれど、このまま埋もれてしまうのはモッタイナサスギル本である。東南アジアに向かうBP達が機内で読めるように、文庫本にして再版すべきだろう。1998年初版。

 

 

【超ウルトラスーパースペシャル兼用術!】
 私はついに見てしまったのだ、トゥエンが私の部屋の掃除をしているところを。
 彼女は、外を掃いたほうきで部屋の中も掃いて、便器をこすったたわしで洗面台もこすって、窓を拭いた雑巾でコップも拭いていたのだった。超ウルトラスーパースペシャル兼用術! (p.21)
 これによってハウスキーパーのトゥエンさんは、解雇させられてしまった。まあ、日本人とすれば当然。
 これって、おそらくベトナムを植民地にしていた宗主国・フランス文化の名残だろう。フランス人も、床を拭く布で、食器を拭くことが普通なのである。

 

 

【ベトナム人の共通行動】
 ベトナムに来る前、私は日本で二人のベトナム人に日本語を教えていて、その時から「これって、もしかしてこの二人だけじゃなく、全ベトナム人に共通する行動なのかしら」と、ちょっと恐怖感を感じていたことがあった。そして、ハノイ到着後、その真相は明らかになった。・・・中略・・・。
 老いも若きも男も女も、みーんなみーんな、人前で平気で鼻をほじくってしまうのだ。それもかなり激しく!(p.26-27)
 デッカイ鼻糞がポコッと取れた時は実に気持ちがいいものだけれど、犬の子分は「犬の習性だ。マーキング」と言いながら、猫の親分にこれを貼り付けてやったことがある。そしたら「バカバカバカ」の連発と同時に、コンボで3発ぶん殴られたから、それ以後は懲りてやっていないけれど、もしかして、前世、ベトナム人だったのだろうか。
 96年ぐらいから、とうとうインスタントのフォーが登場したが、やはり目の前で、鼻をほじくりながらフォーを作ってくれるおばちゃんのあざやかな手さばきを見つつ食したい。(p.66)
 ベトナム人と友達になりたかったら、屋台のベンチに靴を脱いであがってウンコ座りしてフォーを食べつつ、鼻をほじくればいいだろう。(マジですよ~)

 

 

【“計画”というものが存在しない国】
 ベトナム航空から依頼された仕事は、観光案内のナレーションを録音すること。その顛末が記述されているのだけれど、酷い状態で一回録音しただけで終りと言われ、ブチ切れしてしまった。
 「・・・中略・・・。とにかく、こんないい加減な仕事は仕事じゃない! これを仕事だと思っているのなら、私は今後二度と、あんたたちと仕事をしないわ!!」 ・・・中略・・・。
 学校でもそうだったが、結局この国には、“計画”というものが存在しない。なぜなんだろう。こんなことで怒った私が間違っていたんだろうか。日本の基準を当てはめすぎたのか。・・・中略・・・。一節によると、ベトナムはこれまで戦争、戦争の連続で、今日あったものも明日はない ―― という環境が当たり前になっていて、当然、そこには“計画”などというものは存在していなかった。しようもなかった。そして、この悪しき習慣が未だに抜けきれないのである。(p.39)

 会社にしろ学校にしろ、継続して物事を考えていかなければならない場面でも、「ま、いいじゃないですか、そんな先のことは、とりあえず、明日は大丈夫なんですから」と、これもやっぱり戦争の後遺症なのかもしれない。(p.92-93)
 これは、近代になってから長年戦場となったベトナムに限ったことではなく、異民族の流入が容易に起こり得る大陸に住む諸民族に共通することだろう。人災に加えて天災が多い地域では世界中どこでもこうなるのだし、そこの気候が寒冷であれば、生きるために手段を択ばない略奪社会や我良しな拝金社会になり、温暖であればお気楽というか悠長というか無計画な社会になるだろう。
 情けない話だけれど、(著者が勤務する日本語学校で)1クラスの定員や締切日を設けたり、年間計画を立てたりするようになったことは、だれが何と言おうと大進歩なのだ。そして、いずれも大学にはないものである。そう、大学には年間計画が存在していないのだ。教員も学生も、その学期がいつ終わって、次の学期がいつ始まるのか全く把握していない。だから学生は、新学期が始まりそうな頃、毎日毎日、「いつからですか~」と学校に聞きにやってくる。「わかりませ~ん」と言われても、めげることも怒ることもなく黙って帰って行く。大らかというか、達観しているというか、私など足下にも及ばない寛大な心を持ち合わせている。(p.105)
 シラバスでキッチリ埋め尽くす日本のアホみたいな管理教育は、完全に「病膏肓に入る」という感じだけれど、ベトナム式も度を越していて「なんちゅうか本中華」な世界である。
 またベトナムでは、先生が不足する場合には、事務のオジサンが教壇に立ち、生徒もそれをどうこう思わないらしい。つまり、資格なんて殆ど意味をなさない。適当を超えている。

 

 

【卒業証明書を買える国】
「Aさん、この間の○○○会社の面接はどうでしたか」
「ああ、あの会社は経済学専門の学生を募集していたんです」
「じゃ、日本語専門のAさんはだめだったんですね。残念でしたね」
「いえ、だいじょうぶでした」
「えっ、そうなの?」
「ベトナムでは、卒業証明書が買えるんです。だから私も経済学部の学生として面接を受けました」
 そんなのあり!?  (p.108)
 だから、ベトナム社会(≒中華文化圏)の実状を知らない日系企業は「採用したのに使えない」と嘆くことになる。
 そして、「学生の方も、後先を考えずに、よくそんな方法で採用されようとするよねぇ~」って思うけれど、そこは華人社会の常である「(何でもかんでも)自信あり」という生き方に関係している。
    《参照》   『「中国人」になった私』 松木トモ (PHP) 《前編》
              【自信のあるところ】

 で、こういうことを知ると、普通の日本人は「だからベトナムは、ダメなんだ・・・」とかって思うだろうから書いておこう。日本だって、有力議員にとって大学入学の斡旋は重要かつ莫大な資金源になっているのが実情だそうである。日本社会のモラルの平均値は世界一だとしても、要所要所はあらゆる国々と同様、しっかり腐ってますよ。公然か隠然かの違いだけである。
 日本人は、自国内の真実を知りもせず己惚れてはいけない。そして、気候・風土を考慮することもなく、「日本人は勤勉である」などと馬鹿の一つ覚えのように誇らないことも大切。
    《参照》   『流学日記』 岩本悠 (文芸社) 《後編》
              【ぽれぽれ】

 

 

【誕生日会】
 「今日は、○○の誕生日ですから」と言って、(p.46)
 学校も仕事でさえも休んでしまうベトナム人たち。この習慣に呆れていた著者ではあるけれど、自分の誕生日を祝ってくれるベトナム人の襲来を受けて、
 食器を洗って、床を掃いて拭いて、洗濯をし直して、片付けが終わったときには、もう午前一時を回っていた。
 誕生日の二、三日前から当日までに、訪問客は60人近くに達した。大半を占める薔薇の花だけで、ざっと見積もって百本。冷静に考えた。いい日だった。少なくとも、この日が忘れがたい日になったことだけは確かだった。(p.50)
 学校の先生だから、こういう感じ方でも問題ない。
 しかしながら、企業の経営者・管理者としてベトナムに赴任していたら、えらく頭の痛い問題である。
    《参照》   『六面体のベトナム』 窪田光純・原田滝介 (ダイヤモンド社)
              【ベトナムの社会習慣】

 

 

【爆竹禁止令】
 なぜ、12月31日にあれほど爆竹が鳴り続いていたか ―― という謎は、後日解けた。翌日の1995年1月1日から、爆竹禁止令が施行され、違反者には50万ドン(ベトナム人の平均月収以上だ)の罰金が科せられるようになったのだ。(p.52)
 へぇ~。中華文化圏ではほぼ常識化している爆竹が、ベトナムでは、そんなに早くからなくなっていたとは。
 中華圏では、年末年始以外でも、廟に祀られている神さまの誕生日に、爆竹が炸裂し続けることがある。チャンちゃんはかつて、それに突然遭遇してえらくビビッタものであるけれど、台湾人はそれを「とっても運がいい」と言っていた。

 

 

【ベトナム女性が求める「NOT三高」】
 まず一つ目は年齢。つまり若い方がいい。・・・中略・・・。二つ目は建物。・・・中略・・・。三つめは要求。んー、納得。面白いもんである。男子学生曰く、「日本人男性もたいへんそうですが、ベトナム人もけっこうたいへんなんです。この三つ目が大問題なんです!」 (p.58-59)
 二つ目の建物は、電力事情が関与している。停電が多いベトナムでは、二階以上に住むと断水になってしまうという理由から。しかし近年は、経済発展が続いているから、この2番目は除外されているだろう。
 三つ目の、「高くない要求」って言ったって、そんなのに一律の基準なんてないだろう。男性には要求権がないということか。ベトナムは女性が非常に強い社会である。男性は、永遠に尻の下、でいなさいってこと?
    《参照》   『六面体のベトナム』 窪田光純・原田滝介 (ダイヤモンド社)
              【女性の地位が高いベトナム】

 

 

【極上サービス】
 94年は、コピー屋乱立時代の幕開けの年だった。・・・中略・・・。外国語学習の人気に比例して、コピー屋は大繁盛だった。・・・中略・・・。値段は一枚100ドン(1円)前後と安く、私もずいぶんお世話になったのだが、中には、失敗した分のコピーまで当然のように請求する店もあって私が拒否すると、「コピーするために、おれは失敗したんだ」なんてことを言い出す始末。
 クラスでこの話をしたところ、驚いたことに学生の反応は「あったり前じゃねえ、コピーしてくれたんだから」というもの。この“極上サービス”に、私は震えるしかなかった。(p.69-70)
 こういう文化の違いって、日本人的にはあり得ないことだけれど、要は、「自分中心か、相手中心か」という違いである。相手を気づかう日本人は、「お客様は神様です」とまで言うけれど、自分が楽しければいい中華系民族は、サービスという概念がそもそもからしてないのである。
    《参照》   『「中国人」になった私』 松木トモ (PHP) 《前編》
              【サービス業に携わる人である前に、一人の個人】

 

 

【日本製コピー機の海外進出】
 日本のコピー機を購入しても、カスタマーサービスが確立されているわけでもなく、日本企業の売りっぱなしの態度に腹が立ってきた私の怒りの矛先は、いつしかそっちに向けられるようになった。国内と同じサービスができないなら、海外進出なんてするんじゃないよ、バカヤロー! (p.93)
 現在のコピー機は故障なんて殆どないけれど、90年代は国内でも時々故障していた。これでアフターサービスがないと、本当に何もできなくなってしまう。著者の気持ちはよく分かる。現在のベトナムは、日本企業がたくさん進出しているだろうから、きっとアフターサービスも整っているんだろう。

 

 

【恐怖のリサイクル】
 アイスキャンデーを食べている子たちが、その棒をお構いなしに道路に棄てているのを見た著者は、生徒の前で、不言実行とばかりに教育のつもりで棒を拾ってゴミ箱に入れていたら、ベトナム人たちはクスクスと笑い出したのだという。理由。棒拾いという職業が存在するから。雇用のためにごみを散らかすという考え方が、完全に本末転倒していて、余計日本人の頭を混乱させる。
「ごみを集める人がいるんです。だから先生、ゴミ箱に入れないでください。ごみを集める人が困ります」
「どうして!?  ぜんぜんわかりません」
「だから・・・・、ごみを集める人は他の箱に入れるんです。そして、集めた棒を洗ってもう一度、使うんです」(p.96)
 アイスキャンデーの棒をリサイクル(!!!)するにしても、だったらリサイクル箱を用意してそこに入れるようにすればいいのにね。
 もう一つは、あっと驚くもの。
 ハノイにはもちろん、ラブホテルがある。西湖という市内で一番大きい湖のほとりにラブホテル街があって、・・・中略・・・、部屋によっては、窓を開ければそこはすぐ湖。そこで、使用済みのコンドームを、例によってポンポン窓から捨てる。しばらくして、天秤棒と網を持った業者が現れる。業者は、網で湖面に浮かんだそれをすくい集める。そして、それを洗ったあと、箱詰めして市場へ持っていく。かくして、コンドームのリサイクルが行われているのである。これは、ヤバイでしょう。(p.97)
 ヤバイとかいう話を超えている。いくらリサイクルといっても、病気のことなど全然考えていないのだろう。衛生に関する知識が浸透すれば、容易に解除できることである。他者の命や健康より自分の利益を優先するのは悪質を超えている。
 コンドームのリサイクルは、下記の著作にも書かれていた。
    《参照》   『ヤンキー記者、南米を行く』 吉永拓哉 (扶桑社) 《前編》
              【暇を見つけては・・・】

 

 

【ベトナム語の直訳】
① 学生  先生はお酒が飲めますか。
   私  ええ、飲めますよ。
  学生  じょうずですねえ。
   私  (えっ、何が?)
② 学生 先生は日本を覚えますか。 
   私  (言いたいことはわかるけどさあ)    (p.101)
 アジア系外国人と日本語で話す機会がある人は、多分これと似た会話を経験しているだろう。
① 「じょうず」の用法は、お約束のように会話の腰を折ってくれる。・・・中略・・・。物事に感心している気持ちを表現しているのだが、ベトナム語からの超直訳である。・・・中略・・・。
② は、私がベトナムに来たばかりの頃、毎日聞かされていた奇妙な日本語である。ベトナム語では、「覚える」と「思い出す」に同じ単語が使われる。でも、ここでは、「日本を思い出すか」よりも「日本が恋しいか」、もっとこなれた表現では、「さみしくない?」「ホームシックにならない?」などが自然な日本語だろう。そうなると誤用訂正は、かなり難しい作業になってくる。日本人以上に辞書に忠実なベトナム人を辞書から引き離すのは並大抵ではない。(p.101-102)

 

 

【警察官】
 いや、実際、この国の警察の実態はひどい。まず、警官になるのに試験らしい試験はない。希望者は誰でもなれるのだ。きのうまで屋台でうどんをゆでていたおじちゃんが、次の日には制服を着ているのだ。そして最低2年間在職すれば、あとは自由だ。ポケットマネーを稼ぎやすい警官がいかにおいしいかを知っているので、この2年間に職権をバンバン濫用し、ガンガン儲けて、サッサと止める者も多いらしい。そんな彼らに“責任感”なんてものは最初から存在しようもない。特に優秀なわけでもなく選ばれたわけでもないので、市民から信用されるはずもない。制服を着ている分、始末に負えない。(p.133)
 職権乱用がバンバンでない点を除けば、日本の警察だって似たようなものだろう。普通の日本人はおめでたくて何も知らないだろうけど、日本の警察なんてヤクザさんと境目がないですよ。国家権力を背景にした立派な公設暴力団です。意味も実態も分かっていない方は、下記のリンクに紐付くリンクを末端まで全部辿ってください。
    《参照》   『独走する日本』 日下公人 (PHP)
              【コンプライアンス】

 

 

【副業社会】
 ベトナムでは本業以外の副業が合法化されている。
 外国とベトナムの合弁企業の就業規則にも、「複数に就業することを妨げてはならない」という項目があって、外国人雇用者の頭を悩ませている。(p.176)
 合弁企業のみならず、医師でさえそうだから、救急患者が運び込まれても医師いないことが普通にあり得るのだという。本職より副業の方が儲かれば、そっち優先で問題はないのである。これではプロ意識なんて育ちっこない。
 人の生き方も、社会の構造も、場当たり的な無計画に馴染んでしまっている。

 

 

【バックパッカー(BP)でいられる理由】
 ハノイ滞在中に、バカンスとして訪れた周辺諸国の様子も書かれている。
 普段いい生活をしているからこそ、旅の間だけの不便な生活に耐えられるんだよな、たぶん。だから、私はこれまでバックパッカーをやってこれたんだ。バックパカーが先進国の人間だけに限られているのは、こういう所以なのだろう。(p.154)
 そうかもしれないけど、男性の場合は「不便」とすら感じていないだろう。宿泊費を節約しながら多くの人と情報交換ができるドミトリー生活は、ポジティブな面の方が多いだろう。
 日本人女性は旅を「娯楽」と考える傾向があるらしいけれど、世界中のBPたちにとって旅はむしろ「冒険」である。高価なホテルの個室に泊まるなんて全然冒険にならない。タコかイカかアホのすることである。
 いまやインターネットを活用すれば、時期を選んで格安航空券が容易に手に入るのだし、エクスペディアやDeNAトラベルのサイトを使えば、世界中のドミトリーが簡単に予約できてしまう。アジア圏なら1泊1000円以下なんていくらでもある。学生たちや家でごろごろしているだけの引きこもりたちは、バイトで10万溜めたら、アジアを1カ月間旅し続けることなど簡単にできるだろう。
 BP達は、「不便な旅」ではなく、「冒険の旅」をするのである。

 

 

【マレーシアの宗教警察】
 マレーシアには宗教警察なるものがいて、特にマレーシア在住の外国人に対して、睨みを利かせているとのこと。中には、ムスリムのマレーシア人女性と二人だけで部屋にいたところを警察に見つかって、無理やり結婚させられてしまった白人男性がいるらしい。“二人だけでいた”ということは、“性交渉があった”とみなされてしまうのだ。(p.82)
 PBのお兄ちゃんは、軽い気持ちでムスリム女性をナンパしたらとんでもないことになるよ。

 

 

【カンボジアの船旅】
 まずはアンコールの拠点となるシェムリアップという町をめざすのだが、けっきょく私は、空路は予算の関係で、陸路はシャレにならないほど危険ということで、水路(ボート)を選んだ。(p.152)
 水路という選択肢があることを知らなかった! これって一番おもしろそう。
 飛行機なんて最高に面白くないですよ。離着陸時以外は雲しか見えないもんね。
 帰りは、それはそれは小さい船、いやモーターボートだった。速いことは速かったのだが、水しぶきがひどく、全員、全身ずぶぬれ鳥肌ブルブル歯ガチガチ状態。「やだあ~、お化粧が落ちちゃう~」と、オマエはいったい何をしに来たんだよ! と言いたくなるような、日本人の女子学生二人組が、それでも強引にタバコに火をつけようとしていた。川に落ちちゃえ!  (p.159)
 最後の 川に落ちちゃえ! が可笑しくってゲラゲラ笑ってしまった。
 マンガの一場面のような、こういう面白い記述が随所にあって、この本は非常に楽しい。
 で、その後、水飛沫で体が冷えて、トイレ休憩の途中停泊まで尿意との戦いになった。
 ボートのエンジンが止まった。到着。が、トイレにはすでに長蛇の列。迷わず。岸に下りて人目がつかないところを探す。しかし、“物陰”というものが全くないことが判明。絶体絶命の大ピンチ!! 「あ~、もう、どうでもいいわいっ」と、あたりにいたカンボジア人を手で追い払ってパンツをさげた。「ひゃ~、極楽極楽♡」。白人男性が目の前を通り過ぎて行く。知らん知らん。どうせ一生会うこともないだろう。(p.160)
 んだんだ。よかね~。

 

 

【ラオスの首都ビエンチャンの男性】
 美人の多いハノイは、男性にとっては天国だけれども、私たち女性にとっては灰色の世界だ。「おっ」と、振り返らせてくれるような男性は、皆無と言ってもいい。
 ところが、ここビエンチャンでは振り返りっぱなし。山岳民族風の精悍な顔つきに、シティーボーイ風のやわらかさが微妙にミックスされていて、男らしさにシャイな部分が見え隠れしている、といった具合。ウソかホントか、ご自分の目でぜひ確かめていただきたい。(p.163)
 それぞれに好みはあるだろうけど、性格的には日本人女性に合いそう。
 下記のような意見もある。
    《参照》   『女ひとり 世界危険地帯を行く』 岡本まい (彩図社)
              【カッコいい男の多い国】

 ベトナムやタイに囲まれていながら、ラオスでは値切り交渉というものがなく、外国人だからと言って高く売りつけることもないことが書かれている。メンタリティーが日本人に非常に近い。
    《参照》   『崩壊する中国 逃げ遅れる日本』 宮崎正弘 (KKベストセラーズ)
              【ラオス】
              【ラオス】
    《参照》   『国づくり人づくりのコンシエルジュ』 (土木学会)
              【パクセ橋】

 

 

【帰国前】
 帰国前日の朝、ラオドン新聞というベトナムの新聞社の記者が取材に来た。私が文化情報省から文化勲章(のようなもの)を受賞していたからだ。(p.251)
 およそ3年ほどのハノイ生活を経て、帰国する前の数日間、送別会の嵐のような状況が書かれているのだけれど、学生からも、その他さまざまな人からも大いに愛されていたらしい。それぞれのお別れの場面を読みながら、他人事なのに胸が詰まってしまった。
 そして、あとがきに書かれている最後の最後の記述がいい。
 私を天国に昇らせたり、地獄に落としたりしながら、私の喜怒哀楽を思う存分揺さぶり続けてくれたベトナム人の皆さん、意地っ張りな私ゆえ感謝はしないけれども、私がもし記憶喪失になったら、迷わずあなたたちに会いに行きます。そうしたら、私を思いっきり抱きしめてください。記憶は必ず戻るでしょう。そして、今度はあなたたちを力いっぱい抱きしめて感謝の気持ちを表します。(p.270)
 冒頭にも書いたけれど、この本が今現在、絶版状態なのは非常にモッタイナイ。


 

   《べトナム関連》   『アオザイの国へ』 宮川俊二 (同友館)


 

<了>