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 20歳になったばかりのヤンキー青年が、南米各国の日系人の方々をたよって住み込み生活をしながら渡り歩いた体験談が書かれている。同年代の若者には相応しい本だろう。2009年9月初版。

 

 

【少年院仮退院】
 改造バイクで暴走したりジャブをやったりの福岡出身のヤンキー兄ちゃんは、しっかりとっつかまって少年院での生活をおくっていた。そこで、父親との面会。
 椅子に座ると、父親から「拓也、元気にやっとるか?」と尋ねられたので、「はい! 元気で頑張ってます」と、体裁は悪いが、今まで親に対して使ったこともない敬語で答えた。面会時間はわずか30分しかない、早速、教官を交えてボクの仮退院後の進路についての話し合いとなった。
「拓哉――」
「はい、なんでしょうか?」
「おまえ、南米へ行け」
「は??」  ・・・(中略)・・・ 
「南米へ行ってこいと言うとるんじゃ。お前は日本ではつまらんだろうが、南米へ行けば、もう一度ゼロからスタートできる。地球の反対側で勉強しろ」
「は、はい~??」  ・・・(中略)・・・ 
仮退院したあとの進路が決まっていないと少年院を出られない規則なので、父親の提案を絶対に否定することができない。  ・・・(中略)・・・ 
「それでは、息子を3年間南米に行かせます。初めにエクアドルに住んでいる私の友人宅に預けて、そこからスペイン語を教えている大学に通わせます」 (p.29-30)
 父親は大学を一年休学してアマゾンを放浪したことがあり、南米は縁故のある土地だったらしい。
 なにはともあれ、有無を言わせぬ“飛ばし”である。
 ここから、南米現地体験が始まってゆく。

 

 

【エクアドル】
 エクアドルとはスペイン語で「赤道」という意味で、国名の由来どおり赤道が通っている。南米大陸の太平洋側に位置しており、北はコロンビア、南はペルーに挟まれた小さな国だ。(p.45)
 首都はキト。国民で最も多い人種は、スペイン人とインディオの混血であるメスティソと呼ばれる人々。日系人は国内に僅かに200人ほどだという。観光地としては、本土から約960キロ離れたガラパゴス島が有名。日本への輸出品はバナナ。
 エクアドル滞在中の後半には、バナナ農園を経営している半沢さんの所に住み込んで手伝った様子が書かれている。たいした利益も出せないような、過酷な経営状況であるらしいことが書かれている。

 

 

【チーノ】
 その時は姉ちゃんたちの仕草の意味が理解できなかったが、家に帰って近沢さんに「チーノってどういう意味っすか?」と聞いてみたところ。「それは中国人って意味だけど、南米では東洋人をバカにした言い方なんだよ」と教えてくれた。 ・・・(中略)・・・ 。
 南米ではこのようにボクらのような黄色人種に対して「チーノ」攻撃がすさまじい。ひどいヤツは「チーノ、コチーノ」(汚らしい中国人)などと言ってくるものもいる。(p.48)
 南米でも、大麻生産地帯がある北側では特にこういった傾向があるらしい。
   《参照》   『女ひとり 世界危険地帯を行く』 岡本まい 彩図社 

             【南米で嫌われる日本】

 

 

【世界観の変容】
 日本でヤンキーの格好をして歩いていれば、善良な市民は怖がって道を開けてくれるもんだが、ここキトの旧市街では道行く人たちが珍しがってジロジロ見るし、貧しいインディオたちは平気でボクに近づいてきて「アユダ・ネ」(お金を恵んでくれ)とカタってくる。ここでは日本のヤンキーは通用しない。というか、ヤンキーという存在自体を理解していなかった。(p.49)
 「当ったり前じゃん」と書くのは簡単だけど、当時20歳のヤンキーとすれば正直な記述だろう。
 日本にいた時は、ボクの中で「日本が世界の中心」だと思っていたが、とんだ勘違いで、世界の人々から見れば日本人なんてアジアの一民族にしかすぎないことがよくわかったり、自分の世界観の小ささを痛感した。(p.49)
 一人の人間として、あるいは一国の国民として、海外へ出て何事かを経験すれば、必然的に主観的見解を覆す数多の事象に遭遇することで、自己相対化(客観的見解)を学ぶことになる。海外渡航が容易な現在の地球に住みながら、海外を体験せず、本すら読まずに世界観の変容を経験していいないとしたら、とんでもなく勿体ないことである。

 

 

【階級差別と向上心】
 ペルーの民芸品店をやっている香苗さんという日本人移住者の家に住み込みで働いていた時、セサルという現地人労働者と親しくなり、友情を育てていたという。そんな時、
 「あなたセサルと遊んでるでしょ。彼を遊ばせちゃダメじゃないの!! 一度遊びを覚えると働かなくなるし、それに悪いことを始めたらどうすんのよ!!」
 それを聞いてさすがのボクも反発心を覚え、「同じ仕事場の人間にそんな言い方せんでもいいでしょうもん!! セサルが悪い人間に見えるとですか。ア~!?」と言い返してしまったものだから、すさまじい口論にまで発展した。(p.99)
 このことを発端として、香苗さんが著者の父親に連絡し、国際電話をかけてきた。
 「―― なあ拓哉、オレもずっと昔アマゾンを放浪していた時に、お前と同じように差別のことで心を痛めたことがある。でもな、そのセサルという人やお手伝いさんたちは、今の生活や立場で十分満足しとるんだよ。おまえが気にすることはないが、そこに気がついたお前には向上心がある。下層階級の人たちも今置かれている生活や立場に反発心さえあれば、上へ上へと伸びて行くんだ。 ・・・(中略)・・・ 香苗さんたちは何十年も南米に住んでいて、その中で生きていくやり方を身につけているんだから、まだ南米へ行っても2年しか経たないおまえが口出しするもんじゃない。もっと経験を積みなさい」 と言って、電話は切れた。
 南米ではパトロン(経営者)と労働者(下層階級)との区別をはっきりさせている。・・・(中略)・・・。パトロンが甘やかせば労働者がつけ上がりだして上下関係が崩れてしまう。・・・(中略)・・・。だから、悔しいけれど香苗さんたちの言い分が正論なのだ。(p.100-102)
 これを読んでも腑に落ちない人がいるはずである。チャンちゃんも若い頃はそうだったし、ある映画 (『マンダレイ』) を見ていなければ、この記述のポイントが飲み込めなかっただろう。
 ポイントとは、“誰にでも向上心が備わっているのではない”ということである。下層階級と対等に接し彼らを助けてあげたいとこちらが思っていても、下層階級の誰にでも向上心があるわけではないということなのである。平等とか優しさといった配慮の前に、“差別される側で安住する精神”を有する者が存在し、そのような精神を有する者にとって、平等とか優しさといった配慮は、“向上心を喚起する効果を持たない”ということなのである。
 豊かさの平均値が低い文化圏では、このような精神が社会全体を厚く広く覆っているはずである。
   《参照》   『首輪』 佐藤亜有子  河出書房新社

             【隷属の心理】

 差別問題をこのように割り切って理解することは可能だけれど、やはり個人的に、階級を超えた人間性への信頼を捨てきれない人は多いだろう。著者の場合がまさにそうで、常に下層階級の人々と接しつつ彼らとの人間関係を大切にしていたことが、著書の最後まで一貫して記述されている。

 

 

【暇を見つけては・・・】
 ブラジルでは、ラブホテルを経営している谷さんの所に住み込みで働いていた。使用済みのコンドームのしわけ作業(!)なんていうのまでしていたことが書かれている。そして、仕事の合間に・・・
 暇を見つけては、谷さん宅の本棚から、松下幸之助、中村天風、斉藤一人、稲盛和夫 などの偉人伝や経営哲学書を読みまくった。ブラジルとはあまり関係ない本だが、日本へ帰国したあとは、南米での経験を生かして何をするか真剣に考えていたのだ。(p.111)
 勉強や読書なんておそらく全然縁がなかった元ヤンでも、海外に3年もいれば日本語の活字に飢えてきて読みたくなるはずである。きっとこの時の読書が基盤となって、再度、南米での生活を志した時、サンパウロ新聞社に就職することができたのだろう。
 

【帰国】
 改めて鏡で自分の姿を見ると、まだ23歳の若さなのに常人ではないぐらいに白髪が目立っていた。その3年間を異国の地で暮らし、悩みに悩んできた証拠だ。でも、この白髪こそが自分の勲章であり、とても誇らしく思えた。
 あばよ、南米大陸! ボクの第2の故郷よ ――。 (p.114)
 へぇ~、23歳の元ヤンでもストレスがあったんだ、と意外に思ってしまった。
 チャンちゃんは、極めてノーテンキだから、今でも白髪なんて殆どない。