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 著者のプロフィールには、青年海外協力隊員として中国派遣中に知り合った中国人の御主人と国際結婚。現在、上海近郊の杭州にて、日本語教師を続ける一方、中国文化を広く紹介している。児童文学作家として作品を発表。そのあたたかい作品は好評を博す、とも書かれている。短文で分かりやすい文章が記述されている。1998年1月初版。

 

【家族でつくる水餃子】
 私は、家族で水餃子を作る休日の午後が好きだ。ここ2,3年、冷凍食品が普及してきて、水餃子ももちろんお湯に入れるだけでオーケーというのがあるが、どうにも味気ない。美味しくもない。そして、何よりも、家族で分担しながら餃子を作る楽しさがない。(p.34)
 日本人は「えっ」と思うだろうけど、中国で餃子といったら水餃子のこと。
 1人25個として5人分の125個作るのだという。オカズではなく主食である。
 中国では共働きが標準だから、おじいちゃんおばあちゃんを含めて家族全員で作るのだけれど、日本にはありえない情景が、中国の家庭にはまだ残っている。

 

 

【歓迎卵】
 甘く煮た卵を二つずつ入れたお椀が運ばれてくる。“歓迎卵”だ。昔、栄養のあるものが少なかった時、お客に対して卵でもてなすのが一番の歓迎だったのだろう。その習慣で、正月のたびにすべての親戚の家で歓迎卵を食べなければならず、初めての年など1日で12個の卵を食べた。コレステロール値が心配である。(p.72)
 ゆで卵的な調理法だから、1日に12個はちょっとした拷問に近い。でも、それが文化だからイヤと思う人は外国で生きる上での礼節をわきまえない人といわざるをえない。男性には、祝事にタバコを勧めることも歓迎の意があるから、やはり断ったらよくない。
 中国も急速に近代化してきたから、都市部の若者世代が、これから先もそんな風習を守るかどうかはわからない。

 

 

【「気にしなくていい」】
「ホテル予約してあるし、私たち、今夜はホテルに泊まって、明朝また来るつもりなんだけど」
「あら、もう遅いし、ここに泊まれば? 気にしなくていいわよ」
 ・・・出た、中国人の「気にしなくていい」は、いつも私を閉口させる。買い物をする時、品物に傷があるので替えてくれと言うと、店員が「気にしなくていい」と言う。レストランでコップが汚れているから替えてと言うと、ウエイトレスが「気にしなくていい、大丈夫よ」と言う。貴女は気にしなくても、私は気にするの! (p.80-81)
 “・・・出た” という記述を読んで笑ってしまった。そして最後も。

 

 

【サービス業に携わる人である前に、一人の個人】
 (タクシーの)運転手というより、知り合いの兄ちゃんの車に乗せてもらっている感じだ。
 テープは流行歌を流している。突然、彼も大声で歌いだす。なかなか上手いが、声がでかい。ちょっと鼻唄、という感じではない。
 タクシーの運転手も、よく歌を歌い出すが、美容院のお兄ちゃん達も人の髪をさわりながら、突然声をあげて歌い出すことが多い。そのたびに、私は思う。彼らは、サービス業に携わる人である前に、一人の個人なのだ。歌いたいから歌うのだ。タバコを吸いたいから吸うのだ。お喋りしたいから喋るのだ。何が悪い。(p.108)
 ホテルの中国人スタッフは、業務指示に従って歓迎のために玄関で整列していても、多分隣同士でお喋りしているだろう。
 「他人を気づかう」文化の日本人にサービス業の基本は教えずとも備わっているけれど、「自分が楽しむ」文化の中国人には、そもそも「サービス業という感覚がない」というより、「必要か?」という感じなのだろう。
 動物に例えるなら、日本人は「犬」で、中国人は「猫」。「犬」はご主人様に忠実で躾が効くけれど、「猫」はご主人様がどうであれ伸び伸びと生きている。社会的規範に忠実な「犬」として生きつつ、本心では「猫」の伸びやかさに憧れている日本人も多い事だろう。
    《参照》   『死ぬときに後悔すること25』 大津秀一 (致知出版社)

              【やりたい放題】

 

 

【逞しく強引でないと・・・】
 バスに乗る時、私も肩肘を張りながら乗り込むようになった。そうしないと、するりと横から先を越されて、いつまでたってもバスに乗れない。買い物をする時も、大声を出して手を伸ばすようになった。そうしないで、周りの人が買い終わるのを待っていようものなら「いつまでそこに突っ立っているんだ。買うのか、買わねぇのか」と怒鳴られる始末だ。(p.112)
 「半分冗談だろう」と思いつつ読んでいてはいけない。
 中国語が話せたって、普通に慎ましい人(=日本人)なら、みんなこうなってしまうのである。
    《参照》   『みんなのためのルールブック』 ロン・クラーク (草思社)

              【ルール40】

 

 

【自信のあるところ】
「あなたの長所はどんなところですか?」
 我慢強いところ、親切なところ、社交的なところという答えを予想していた私に、日本語クラスの半分以上の学生が胸を張って、
「自信のあるところです」
 と答えた。
 自信を持つということを長所として挙げるのは、謙虚さを美徳とする日本人からすれば意外な感じがする。
 しかし、この自信を持つということを、中国人は幼い頃から教育されているようだ。それは、日本や西欧諸国に侵略、蹂躙された歴史を持つ民族の教えであるともいえるだろう。また、革命を成し遂げた人民の教えでもある。(p.115)
 さて、この自信、いいほうに働いてくれればいいのだが、自信過剰に閉口することもしばしばだ。(p.116)
 日本以外の国々は、たいてい中国と同様である。
 いつだって人の流入(侵略)がありうる大陸諸国の民族は、個人の力で生き抜かなければならないのだから、自信を持たない事には生きていけない。人の移動が稀な島国であれば、謙虚さや協調性が尊ばれる。
 中国の弱体化は、全員を組織のメンバーとして束縛することによって起こり、
 日本の弱体化は、いかなる集団にも属さない個人が増えることによって起こり得る。

 

 

【節約は美徳とは映らない】
「えーっ、あんたでもバスに乗るの」
 と、大げさに驚かれ、笑われたことが何度もある。それは、タクシーに乗ることのできるあなたがそこまで節約しなくても・・・というような、日本人って、やっぱりケチな・・・というような、ちょっと嘲った笑いだ。節約は、この国のこの時代では美徳とは映らないらしい。
 つまり、乗り物はステイタス。だから、何に乗って移動するかで、その人の経済的地位がはっきりわかる。(p.123)
 乗り物=ステイタスに関しては、アメリカとそっくりである。といってもアメリカの場合、クルマがないと生活できない国だから、ポンコツか高級車かという見た目の違いがそのままステイタスになる。
 日本人で乗り物をステイタスにしたがるのは、以下のような人々である。
    《参照》   『「逆」読書法』   日下公人  HIRAKU

              【人生反比例法則】

 

 

【念願の果報】
 農村に住むうちの親戚で、娘が4人いるのに男の子を諦めきれない夫婦がいた。五回目の妊娠で、妻のお腹が目立ってきた頃、こっそり妻だけ隣村の親戚の家に移った。村の役人から咎められるのを恐れてのことである。
 しかし、生んでしまえば、こっちのもの。念願の男児を抱いて妻は家へ帰ってきた。
 彼女の返りを待ち受けていたのは、役人たちの罰金の取立て。余分な金など一文も無い一家が役人を相手にしないでいると、数日後、家の物全部、鍋類まで持っていかれてしまったそうだ。家財といっても、一番豪華なのが白黒テレビなのだから、貧しさが想像できるだろう。
 家は空っぽになった。それでも、また親戚から借金をし、「どうにかやっているさ」と、末っ子を膝に抱いて笑っているのだから、中国人はたくましい。 (p.132-133) 
 ほんと、逞しい。
 「日本人の悲惨さって、中国人のそれに比べたら、悲惨と言う資格がないだろう」って思うことが度々ある。
 ことろで、このような事態は、世界婦人大会で「人権侵害」と非難されたらしい。でも、当の夫婦は「人権侵害」とは思っていないかもしれない。「中国は、こういう国さ」くらいかも。