《前編》 より

 

【大体同じ?!】
 中国の美術品は、もちろん素晴らしいものが多いし、天才芸術家も多い。けれども、寺院の建築や仏像を見ると、やはり、日本とは違って、素朴というか粗いというか、大雑把という感じがする。日本の仏像の繊細さはそこにはない。
 中国の人を京都や奈良に案内して寺院や仏像を見せても、こんなのは中国にはもっとたくさんあると言って笑う。だが、そうじゃないでしょ、微妙なところが違うでしょ、よく見てよ、と私は言いたい。例えば、仏像のこの襞の流れるあたり、例えば、この指先のしなやかさ。・・・中略・・・。何でも「大体同じ」(差不多といって、彼らは連発する)で済ませないで、微妙な違いに目を向けたほうが、味わいも楽しみも増すと思うけどな、と呟く私である。(p.136-137)
 日本語のような繊細さがない中国語を話す民族は、繊細さを享受できないのだから、「差不多」というのが当然である。
    《参照》   『フェラーリと鉄瓶』 奥山清行 (PHP) 《前編》

              【言語と考え方の関係】

 文化の源泉は、その土地に固有な波動界の存在(産土力)である。日本には最も繊細な波動界が下りている。だから繊細極まりない日本語が生れたのであり、それに則した文化が生じているのである。日本人から見れば、他国の文物が大雑把に見えるのは事実であり、粗雑な言語体系で生きている諸外国人に日本文化の繊細さが分からないのも、避けようもないことなのである。

 

 

【親しき仲には礼儀なし】
 タクシーを降りる時の「謝謝」に運転手は知らん顔。買い物をした後の「謝謝」に、店員は仏頂面でフンと横を向く。こんなことは日常茶飯事。
 私の口から出た「謝謝」は、行き場を失う。
 姑がお茶を煎れてくれる。
「謝謝」
受け取ると、
「何が謝謝だ!」
 と叱られる。
 予想外のリアクション。何でありがとうと言って、叱られるわけ? (p.142)

 お行儀の良い日本人の悲しい性なのか。親しき仲にも礼儀ありと教えられてきたんですから。
 しかし、中国の親しき仲には礼儀はいらないらしい。礼を言うなんて他人行儀だと言って怒るのだ。(p.143)

 中国の人々は、親しくない人には恐ろしく不親切だが、親しくなるとまいっちゃったなぁと思うくらい親切にしてくれる。そこで他人行儀な挨拶なんてしようものなら、「何言ってんのよ、まったく、あんたと私の仲じゃない!」という感じで、私の「謝謝」は葬り去られる。(p.144)
 日本人は「儒教の国・中国の礼儀ってそんな!?」と思うんだろうけど、中国や韓国の「儒教」は、君と民、つまり支配者と被支配者の関係を語ったものなのである。そのような関係性の上に立った儒教国家の人々が言うところの「モラル」とは、「社会的上下関係の規律」を意味するものであって、日本人一般が想定する「普遍的道徳」の意味ではない。被支配者間の礼儀などどうでもいいのである。

 

 

中国人の投資感覚】
「でも、株って怖いと思わない? いつか暴落するかもしれないし、危険だと思わない?」
 私の問いに彼は迷わず答えた。
「僕にとって、他の投資、例えば店を持つとか、自分の会社を作るとかのほうが、危ないと思う。社会も法律も安定していないし、経験がなければ騙されることも多いから、危険といえば、そちらのほうが危険だよ。株のほうが安全だと思う」 (p.165-166)
 中国に進出した日本企業人の多くは、これを読んで深く頷くことだろう。
 「みすみす丸裸にされるくらいなら、株で大博打をした方が遥かに良かった」 とかって。

 

 

【中国理解のキーワード】
その1、「けじめ」
 中国人の感覚に、この言葉はないんじゃないかと思う。中国語に訳す時も、ぴったり一言で言い表せない。
 建前とか儀式的ではない、精神的なけじめを表したいとき、その説明に悩む。(p.168)

その2、「ダメでモトモト」
 中国人は要求が多い。特に会社や組織に対しては、何でも言わなきゃ損みたいに好き勝手なことを要求してくる。・・・中略・・・。
 彼らの要求、または頼みごとをそんなに無理に悩んでまで聞いてあげる必要はない・・・中略・・・。断ってもケチと思われるくらいがせいぜいで、それを根に持つということはそんなにないはずなのでご安心を。
 中国人は自分にも寛容なぶん、他人にも寛容だ。そして、他人も自分に寛容であることを望む傾向があるようだ。(p.169-170)

その3、「いきあたりばったり」
 この言葉は、中国で仕事をしたことのある人なら皆さん、そうそう、これだよなと思われるに違いない。これこそ中国人の行動様式といえる。計画性がない。あるのかもしれないが、とにかく粗い。計画の立てようがない社会で生きてきたといったほうがいいかもしれない。・・・中略・・・。連発する「没法子(メイファース)(仕方がない)」は単なる言い訳で、その気になればいくらでも方法を思いつくのが中国人である。だから、その時になって考えればいいのだ。臨機応変に対処できるってことは、それだけ頭がいいってことなのだ。(p.170-171)
 中国人に接した経験のある人は、多分、これを読んでいろいろ思い出しつつ苦笑するだろう。

 

 

【会話の始まりは「いくら?」】
 「そのシャツいくらだった?」から始まって、「給料いくら?」「あの人、株でいくら儲けたか知ってる?」・・・。会話はいくらに始まり、いくらに終わる。
 中国人と話していると、お金のことが話題に上ることが多い。・・・中略・・・。
 まず、正月の挨拶からして、「恭喜発財 ゴンシーファーザイ」(儲かりますように)で始まるし、結婚式に八のつく日を選ぶのも、末広がりとかいう抽象的な意味ではなく、「八 パー」の発音と「発 ファー」(財をなす)の発音が似ているからで、貧しくても二人なら幸せよという雰囲気はここにはない。(p.173-174)
 「発財」というダイレクトな名前の人もいるほどである。
 日本人は、この文化の違いにちょっとやりきれない気分になるだろう。
「武士は喰わねど高楊枝」などと言う諺は、中国では意味をなさない。武士(官僚)なら賄賂を取って羽振り良く生きているはずで、それができないなら無能であると考えている。
 中国人はとことん現実的なのである。
    《参照》   『台湾人のまっかなホント』 宮本孝・蔡易達 (マクミラン・ランゲージハウス)

              【 「八」 】

 

 

【あげる時は偶数で】
 中国は昔からの習慣で、人に物をあげる時、偶数でプレゼントする習慣がある。汽車で隣に乗り合わせた人がみかんをくれる場合でも、2つくれることが多い。(p.177)
 へぇ~。これは初めて聞いた。

 

 

【中国でビジネスをなさる方に】
 中国でビジネスをなさる方に、実際に商談の場で使う使わないにかぎらず、ぜひぜひ中国語を習得されることをお勧めする。・・・中略・・・。中国ビジネス関係の本を何冊も読むよりも、もっと深く中国が見えてくるに違いない。(p.192)
 言葉=文化だから、ごもっともなお勧めであるけれど、せめて、下記のリンクを読んでおくだけでもいい。相手を尊重し立てるために、いくら丁重で繊細な表現をしても、それは徒労なのだってことはよく分かるだろうから。
  《参照》  日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <後編>

           ○○○ 世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語 ○○○

 

 

【杭州】
 著者が住んでいる杭州といえば、何といっても西湖(シーフー)。
 西湖という湖がある。・・・中略・・・周囲15キロという適度な大きさも、湖にかかる二本のリボンのような堤防も、この湖を女性的に感じさせる。
 杭州の市民は、心からこの湖を愛し、親しみ、誇りに思っている。(p.50-52)
 “湖にかかる二本のリボンのような堤防”とは、白堤と蘇堤のこと。白堤は、下を通る小舟のために真ん中が高くなっている変わった形の堤防で、雪が降ると、中央の高い部分から雪が溶けだすので「断橋残雪」という西湖十景のひとつになっている。そしてここは中国の民話『白蛇伝』に出てくる重要な場所だという。
    《参照》   『茶の本』 岡倉天心 (淡交社)

              【杭州・西湖】

 

 

<了>