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 この本は1906年に英文で発表された 『Book of Tea』 の翻訳だという。
 この本を読んでいた時のチャンちゃんのお脳の状態はかなりよろしくなかったのか、いつも以上に鈍感だったのであろう。読み終わって全体が観えないのである。
 世界に向けて書かれた本であるはずなのに、これでは、ほとんど理解されないのではないかと思ったほどに情緒的な記述がやけに目に付いたように思えて仕方がない。
 崇高な内容を含んでいるのかもしれないけれど、チャンちゃんのようなテーマを絞って同系統の著作を読み続けるとこをしない読み手には、ややもすると、表面を素通りされてしまいかねない本のように思う。
 芸術論でも専攻している学生ならば、真剣に読んでみる価値があるのかもしれない。

 

 

【茶の発達の三段階】
 欧米人用に分かりやすく対比的に記述している箇所を抜き出しておく。
 天心によると、茶はまず、薬としての実用的な飲用からはじまり、後に趣味・娯楽という美的な追求へと発展し、最終的には毎日の生活の指針となり、生活を高めるという宗教哲学的なものへと変化したということだ。
 天心は茶の歴史も大きく三つの系統に分けた。
 中国・唐代・団茶・古典派
 中国・宋代・抹茶・ロマン派
 中国・明代・煎茶・自然派
 これら3種類の茶の中でも天心は、宋の時代に発達した抹茶に一番の関心を寄せる。・・・日本では栄西禅師が宋へ南方禅を学びに行き、宋の時代の茶、つまり抹茶を1191年の帰朝と共に日本に紹介し、そのまま宋のお茶が受け継がれることになった。ゆえに 「茶の理想の極致は、日本の茶の湯において初めて見ることができる」 と天心は言う。 (p.31)
 臨済禅の栄西のことが書かれていたので、曹洞禅の道元のことを思い出した。やや脱線気味の記述になるけれど、書き残しておこうと思う。道元も宋代に中国を訪れている。
 
 
【杭州・西湖】
中国、上海から電車で1時間ほどのところにある杭州。西湖(シーフー)の美しい景色で有名である。柳の芽が出だしているのであろう今頃の季節が一番美しいに違いない。一日ゆっくり歩いて観光するには最適な所だ。
西湖の北西にある白堤を西に歩き、さらに漢詩で有名な蘇東坡が杭州知事をしていた時に作ったといわれる蘇堤を南に向かって歩くコースには、西湖十景が連続しているため、寄り道の連続で全く飽きない。蘇堤を歩く間、東側に見える杭州市内の近代建築、西側に見える山野の自然風景の対比も見ものでもある。
その蘇堤を渡りきった南端付近に、浄慈禅寺というお寺がある。西湖十景の一つ 「南屏晩鐘」 と呼ばれる景色の美しい所。チャンちゃんが行った時、このお寺の本堂は工事中で入れなかったのだけれど、せめて鐘をと思い、10元支払って鐘楼の鐘を撞いたことがある。その時の票(ピャオ:鐘撞券)に書かれていることを読んで初めて知ったのである。日本の道元に仏法を伝えた禅師のいた寺だったのである。つまり、如浄がいた浄慈禅寺である。
ピャオリャン・ピャオリャン(綺麗・綺麗)ばかり連呼していたノー天気な観光頭が、やや真摯な文化頭に切り替わった瞬間だった。楼に登り、日本の先人・道元を思って、少しく感慨を込めて鐘を突いてきたことを今でもよく覚えている。 《猫の親分よ、覚えているかい。復習だぜ。》
 

【これが著者の芸術論?】
 物の束縛から解き放たれ、芸術を愛するものの精神は、物のリズムに従って動きます。このようにして芸術は宗教に近づき、我々人間を崇高にしてくれるのです。だからこそ傑作は神聖なのです。 (p.104)
 この表現がよく分からない、「物の束縛から解き放たれ、物のリズムに従って動きます」とはどう言う意味なのか? 崇高だとか神聖だとかが芸術の向かうべき方向であるという風に読める見解にも、私は違和感をもってしまう。
 芸術作品が持つ波動(これを著者はリズムといっているのか?)を通じて、鑑賞者が体感する世界に聖と俗の区別はないはずである。二項対立のない処に芸術や宗教の到達点があるはずである。しかし、著者は崇高とか神聖という概念で宗教世界を芸術の上位に置き、これに囚われている。宗教は時代の要請に応じた仮構世界構造に過ぎない。むしろ芸術が宗教を包摂していると私は思っている。

 

 

歴史上の著名な書籍に書かれていることに対して、平気で異論を唱える私は、傲慢なのか、ただ単に自分の思いに素直なのか、それともただの阿呆なのかバカなのか。
どうでもいい、記述ご随意なブログなのだから。  
 
<了>