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 黒川さんは、人工知能の研究者であり、脳科学者でもある。学術的な知に偏した養老孟司さんや茂木健一郎さんの著作より、黒川さんの著作の方が、はるかに日本や人間や文化に関して深い理解を与えてくれることだろう。
 黒川さんの著作である 『感じることば 情緒をめぐる思考の実験』(筑摩書房) や  『ヴィーナスの鏡を知っていますか』(廣済堂出版) の中に書かれていた内容の一部は、日本文化講座の中で援用されているけれど、とくに後者に関しては、デジタルな内容が極めて感性的な表現で記述されていて、他の著作とは一線を画した特異な印象をもったことを覚えている。
 黒川さんの知見は、学術的な領域に留まってしまうものではない。企業コンサルタントや企業経営者たちは率先して取り入れている。2009年1月初版。

 

 

【 「無邪気な脳」 を作る】
 実は早寝早起き朝ごはんは、 “脳力” を上げる習慣なのです。これらを励行すると、二つの脳内ホルモン、メラトニンとセロトニンの分泌が良くなります。これらがちゃんと出ていると、 ・・・(中略)・・・ 無邪気な脳に育ちます。(p.19-20)
 身体性をつかさどる小脳を発達臨界は8歳と言われていて、7歳までにいかに豊かな身体経験をしたかの差は大きい。また、脳を形成するネットワークの複雑さは、12歳までに固定されてしまうのです。
 突き詰めれば、7歳までに存分に外遊びをして、12歳まで、いかに早寝早起きの習慣を身につけ、朝ごはんをしっかり食べているか、なのです。それから読書です。こうしたことがすごく大きな差をうみます。中学校のデータでは、朝ごはんを食べるか食べないかで、知能指数が実に10も違ってくるという報告さえあります。(p.80)
 12歳まで早寝早起きで朝食を食べる習慣があった人は、その後夜更かし生活になっていても子供時代の無邪気な脳が取り戻せると書かれている。
 成長期の子供たちにとって、朝食は非常に重要な役割を持っているらしい。
   《参照》   『脳が若返る30の方法』 米山公啓  中経出版
              【朝食抜きの悪影響】

 下記の著作は、成長期を過ぎた大人に対してのみ有効な方法、と理解しておいた方が良い。
   《参照》   『すきっ腹ウォーキング』 片岡幸雄 (ベースボール・マガジン社)

 

 

【日本の危機】
 ご存知でしたか? 1985年から、日本人の早寝朝起きの習慣、また朝ごはんを食べる習慣が激減しています。85年とは、家庭ゲームとコンビニが急増しはじめた年ですね。(p.19)
 ということは、日本経済の停滞と、子供たちの無邪気さの喪失が、ほぼ同時に進行していたことになる。
 子供時代に、人的資質として最も大切な “無邪気さ” を涵養する生理的システムを構築できなかった人は、生涯にわたって人間の根源的な “脳力” を活かすことができない。つまり、近年になって、日本の若者達から “日本力” が失われているのである。根源的な国力の喪失というに等しい。
   《参照》   『もう朝だぞ!』  友常貴仁  三五館
              【日出づる国、日本の朝】

 

 

【朝日に関与する脳内ホルモン】
 網膜が闇を感じると脳内に分泌されるメラトニン、あるいは朝日が網膜にあたることで出てくるセロトニン。どちらも脳をタフにして、パフォーマンスを上げる脳内のホルモンです。早寝早起き朝ごはんの習慣によって、これらのホルモンの分泌量が増えますから、脳の成長期には、決して欠かせない生活習慣と言えます。
 「言霊」 の秘儀に関わるの脳内ホルモンこそがセロトニンなのであろう。
 「日拝法」 は、成長期を過ぎた大人でも効果はあるはずである。
   《参照》   『愛・日本語と太陽神のきずな』 立神正行 (たま出版) 《後編》
                   【日拝法】

 

 

【少年脳と少女脳】
 ただ、無邪気な脳をめざすとき、子供時代の心を取り戻せばいいと言いましたが、女性は、少女脳になるわけじゃない、少年脳になってほしいと言いたいんですね。少女脳は、成熟した女性とあまり変わらないのです。もの心ついたときから自我がすごく強い。そのために、女の子は男の子に比べて、自分以外の対象に対して無邪気にのめり込むことが少ないのです。おそらく、女性の科学者が少ないのは、このためでしょうね。(p.23)
 美少年は花になれるのに、美少女はなれない理由も、この自我の強さによっているのだろう。
 神々は、無邪気さや素直さをこの上なく尊ぶのである。
   《参照》   『オルフェウスの卵』  鏡リュウジ (実業之日本社)
             【永遠の少年の心理学】
               ~【花咲く美少年】

 

 

【女性が少年脳になる方法】
 女性脳を、自分以外の対象にものめり込める無邪気な脳にしようと思ったら、たとえば科学を学ぶとか、あるいは、これでもかというくらいたくさんの本を読むなどしないといけない。だけど、少年脳は放っておけば自然と無邪気な脳になる。いい意味でノーテンキな脳です。女性にもそうなってほしいのです。
 多くの少年たちが、ある年齢までは、ノーテンキな脳だったはずです。少女だった私から見たら、「ばっかじゃないの」 というくらい無意味なことに夢中なのが 「少年」 という存在だったもの。ばっかじゃないの、と言いながら、そこに惚れちゃうのよね(笑)。 (p.23)
 しかしながら、無邪気でノーテンキな少年脳も、現代社会ではその状態を維持するのがなかなか難しい。

 

 

【維持せよ、無邪気なノーテンキ】
 でも、アメリカナイズされた現代社会が、この無邪気な脳を競争に駆り出してしまいます。合理的な枠組みのなかに押し込んで、後ろからどんどん押す。 ・・・(中略)・・・ 
 さらに、数字という武器を持たされてしまい、だんだんと邪悪になっていく。数字で物事を判断するようになると、脳が身体感覚から離れるので、「大切な人の幸せ」 だの、「自分の尽きない興味」 だのがどうでもよくなるのです。身体性を失い邪悪になる前に気づいて、どこかで戻らなければいけないのですが、それがなかなかできない。(p.23-24)
 ノーテンキになりたければ、時々人間であることを忘れてしまえばいいのである。飢えたワンコになりきって手を使わずにガツガツご飯を食べてみるとか、ワンコの餌を横取りして食べてみるとか・・・。隣で見ていた猫の親分が 「ばっか~~」 と言いながら呆れていたことがあるけれど、見ているだけの牝猫より犬になった人間の方が遥かに無邪気なのである。まあ、これはチャンちゃんなりのやりかたであるけれど、無邪気目的のノーテンキと言うより単なる阿呆かもしれない。であるにせよ、阿呆になることは脳内デトックス効果があるのである。デトックスできれば若干であれ無邪気に回帰できる。ノーテンキは阿呆に近いけれど、真面目には必然的に馬鹿がつくのである。馬鹿より阿呆に価値がある。馬鹿は愚鈍に埋もれ、無邪気な阿呆は天籟をキャッチする(可能性がある)。
 何を言いたいのかというと、チャンちゃんは阿呆かもしれないけれど多分馬鹿じゃないということ。当然である。チャンちゃんは犬並みかもしれないけれどれっきとした人間である。馬や鹿であるわけがない。

 

 

【 「腑に落ちる」 根拠 : 身体性こそが 「心」】
黒川 : 語感というのは、脳の中でも小脳が感じ取ります。小脳の主要な機能は知覚と運動機能の統合です。つまり、語感も運動能力として感じるということです。しゃべるという動作によって生まれる、言葉の感じだからです。このように、運動ということにすごく興味があるのですが、小脳は運動をつかさどるだけでなく、空間認識も担っています。
 だから、身体性に基づいて 「腑に落ちた」 という状態は、小脳がつかんだときに感じる感覚なのです。大脳の左半球に局在している言語野が記号的な意味としてつかんだだけではなく、その空間的なものと身体的なものに根ざして、自分で腑に落ちた瞬間というのは、小脳がつかんだ状態をいうわけですね。
古森 : なるほど、まさに腑に落ちた気がします。
黒川 : しかも、小脳と小腸が連動しているということが、最近わかってきています。つまり、小脳が何かをつかむと、小腸が反応するらしいのです。まさに 「腑に落ちる」 わけです。脳の中心部から、まっすぐ下に落ちていく。これが身体性の根源です。
 ちなみに、小腸は免疫に深く関わっています。 ・・・(中略)・・・ その証拠に、人は腑に落ちればタフになりますし、気持ちも揺るがなくなります。デジタル思考では、こうしたことから乖離してしまう。だから人間は不安になるのだと思います。
古森 : 面白いですね。大変興味深い話です。身体性ですか。これは精神性ともつながるわけですよね。
黒川 : はい。私は、身体性こそが 「心」 だと思っているので、当然、精神性と重なってきます。(p.41-42)
 日本人が昔から使っていた 「腑に落ちた」 の根拠が、脳科学の進展によって明確になっている。
 黒川さんが言っている身体性という概念が、下記の高岡さんの著作では中心概念として記述されている。
   《参照》   『意識のかたち』 高岡英夫 (講談社)
          『からだには希望がある』 高岡英夫 (総合法令) 
          『日本人の忘れもの』  中西進  ウェッジ   《前編》
                【教育】
 

 

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