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 気楽に読めるエッセイ風の書籍。この手のジャンルは著者と同じ魚座の私には結構のめり込みやすい。著者のフィールドである占星術は、“天文学から生まれた愚かな娘” と言われるけれど、それを面白いと思って読んでいる私のような愚かな男たちも、巷には結構いるのである。

 

 

【宝石言葉】
 ところで、花言葉ならぬ宝石言葉、皆さんには解読していただけただろうか。
 数年来の悪友たる彼女のこと、けっしてアメジストが魚座生まれの僕の誕生石だからなどというロマンチックな理由で選んだわけであるはずがない。実はヨーロッパではローマ時代から、この紫色の石には悪酔いを防ぐ効果があるとされてきたのだ。(p.21-22)
 アメジストが悪酔いを防ぐと言われるようになったバッカスとディアーナの神話が記述されている。片思いのディアーナは、バッカスの心がむけられている妖精を妬んで石に変えてしまった。バッカスは妖精の死を悼んで酒杯から葡萄酒を注ぐと、その石はワインの色に染められたのだという。アメジスト色のワインって青ワイン? そんなん、あるん? 
 それにしても、石に変えちゃうなんてメドゥーサだけのオハコだと思っていたら、女神ディアーナもやっていた。女神って怖~~~~い。

 

 

【傷ついた癒し手】
 この毒矢は、怪獣ヒドラの体液から作られた致命的なもので、いかにケイロンといえども、その傷を癒すことができなかった。
 しかも、神々の一人であるケイロンは不死であったために、その苦しみは永遠に続くかと思われた。そこで、ケイロンは自ら死を選び取り、冥府に下ったのだった。
 だが、ケイロンは最後まで 「癒し手」 であった。ケイロンは、冥府の王ハデスに会い、プロメテウスの解放を懇願する。 ・・・(中略)・・・ 。「不死の神の一人が死んでハデスに会えば、この束縛は解かれる」 と約束されていたのだった。その解放者に、ケイロンがなったのだ。 ・・・(中略)・・・ 。
 死者を蘇らせ、自然の摂理を犯したために罰せられたアスクレピオスの神と、致命的な傷を受けながら、自ら死を選び取ったケイロン。ここには深い関係があるように見えないだろうか。
 ケイロンは、心理学や元型論では 「傷ついた癒し手」 と称される。
 自ら傷を負ったがゆえに傷を癒すことができる治癒者の理想像がケイロンなのである。
 ユング派の心理学者たちは、治療という行為の背後にはケイロンの神話が働いているという。
患者と治療者が出会うとき、「傷ついた癒し手」 のイメージが両者の背後で動き始める。(p.41-42)

 

 

【永遠の少年の心理学】
 少年の純粋さを抱えていながらしかし、その反面ではいつまでも自分の能力の限界や責任を引き受けることのないわがままな性格をひきずっている。
 仕事についてはすぐやめてゆくプータロー体質の友人を、あなたもおもちではないだろうか。もっとまともな生き方をしろと心のなかで説教しつつも、反面うらやましい複雑な気分が渦巻く。これはあなたのなかの 「永遠の少年」 の原型が、内側で動き出している証拠だ。
 そう、だれもが 「永遠の少年」 を心に抱えている。
 ギリシャ神話のなかでいえば、イカルスやパエトーンの物語がその典型であろう。(p.53)
 プータロー生活者や 『日本を降りる若者たち』 を、積極的に擁護する論拠としてこれが使える。
 それにしても、「永遠の少年」 という言葉はあるのに、「永遠の少女」 という言葉は何故ないのだろうか? ピーターパンも星の王子様も少年だし、エグザイルという言葉は男性専用用語みたいなものである。少年と少女ならまだしも、男性と女性の間には、宇宙の果てほどの径庭があると思っている。
   《参照》   『女のきもち男のこころ』 石原結實  致知出版
           【女は 「存在」 であり、男は 「現象」 である】

 

 

【花咲く美少年】
 やがてナルキッソクは恋にやつれ、死んでしまう。そしてその亡骸は、黄色い花を咲かせた。この花こそナルキッソス、つまりスイセン。(p.65)
 水面に映る自らの美貌に恋した美少年ナルキッソス(ナルシス)の物語は有名過ぎて書き出すまでもないことだけど、花に変じた少年は、ナルシスだけではない。他にまだ二人いる。
 偉大な女神(アフロディーテ:ビーナス)は、アドニスの亡骸から流れ出る真っ赤な血に神酒を注いだ。すると、不思議なことにその血はわきたち、そこから芽が出て真っ赤な花が咲いた。血のように赤い花、アネモネがこの世に生まれたのだ。(p.66-67)
 そして、
 太陽神アポロンは、少年ヒュアキントスをこよなく愛した。 ・・・(中略)・・・ 。しかし二人の仲を嫉妬した西風が、アポロンの放った重い円盤を吹き返し、少年の額に打ち付けた。 ・・・(中略)・・・ 。アポロンは、この哀れな少年を、ユリのような、しかし真っ白な花、ヒアシンスに変えたのだった。(p.67)
 まとめると、ナルキッソスは黄色い水仙、アドニスは赤いアネモネ、ヒュアキントスは真っ白なヒアシンス。
 美少年が死んじゃうと花になる。
 美少女が死んじゃった場合、何になるんだろう?

 

 

【魔法使いになるためには】
 人間の視覚、ないし感覚像というものは、外界からの刺激によるばかりではなく、内側から外に投射されるものもあることを体験として僕は学んだ。そして、そのような内的世界は、昔の人が妖精や神話の世界と呼んだ深いリアリティの層とも、直接的ではないにしてもつながりあっているにちがいないのだ。魔法使いになるには、ちょっとした工夫と、無意識に向き合う勇気があればいいのだ。(p.100)
 キーワードは、“無意識”である。

 

 

【フール(愚者)】
 「愚者」 は、タロット・カードの0番。トランプで言うならばジョーカーである。
 フールという語はもともと、ラテン語の 「フイゴ」 からきているのだという。これはまったくのこじつけにすぎないのだが、空気を入れて膨らませたり、それを押し出すフイゴが 「愚者」 の語源であるのは、まことにシンボリックなことだと思うのだ。というのは、ギリシャやユダヤ、あるいは我らが東洋でも多くの古代社会では生命力や魂は空気のようなものとして想像されてきた。ヘブライ語のルアクやギリシャ語のプシュケ、さらに漢字の気などはいずれも魂であると同時に息や空気を意味する。そういえば、日本にも 「風狂」 という言葉があった。
 通常の人間よりも過剰な生命力や心の力をもち、それを一気に吸い込んだり放出したりするフイゴこそ、「愚者」 であり 「狂人」 だ。予測しがたいしかたで、生命力が暴れている。(p.128)
 フイゴがラテン語だったとは! 
 この記述を読んで、学生時代に読んだライアル・ワトソンの 『生命潮流』 の読後感を思い出していた。文字どおりのタイトルを、知的にではなく “体感できた” と表現するのが最も相応しいような印象の、稀有な書物だった。アニマ・アニムスの語源も、ルアクやプシュケに類するはずである。

 

 

【ヘルメティック・サークル】
 フロイトと袂を分かったユングは一時、分裂病に近い症状を示し、古代の霊がいっせいにかかってくる経験をしている。「使者への七つの語らい」 という文章は、実はユングがアレクサンドリア時代の霊バシリデスからのメッセージを受け取ったもので、ユングはこのノートをひそかに友人たちの間に回していた。
 ドイツの作家ヘルマン・ヘッセも、この御筆先文章を受け取った一人で、秘教的ムードが色濃く漂う 『デミアン』 は、あからさまにこのユングの交霊ノートを下敷きにしている。
 この時代のユングとヘッセ、さらに数人のつながりを 「ヘルメティック・サークル」 と呼んでいる。表の文学史にはなかなか見えてこないつながりが、同じ趣向をもつ魂たちの間に生まれていたわけだ。(p.135)
 なるほど~~~~。
 高校生の頃読んだ 『デミアン』 の感想は、ただただ 「?????」 のパープリン状態だった。こういう情報は重要なことなのに表の文学史的解釈しか付けられていないから、よけい初心者的な読者を悩ませることになってしまうのである。
 表の文学史は、必然的に皮相なものである。文学の背景がインヴィジブル・ワールド(見えない世界)でないとしたら、そのような文学は歴史を超えて継承されることのないものになってしまうはずである。裏の文学史ではなく、真の文学史はこの世界にこそ根を置いているはずである。

 

 

【錬金術の黒・白・赤】
 この錬金術に再び光をあて、現代的な意味で再生させたのは、やはり心理学者のユングであった。ユングはヨーロッパの歴史の裏側に沈み込んでいる錬金術の資料を見て、実は錬金術の象徴は夢と同じように人間の無意識から生まれてくるものだと見抜いたのだった。 ・・・(中略)・・・ 。
 ユングは、手に入るだけの錬金術文献にあたり、それでも基本的な共通項があることにつきあたった。
 それは、錬金術が、たいてい、黒、白、赤の過程をたどるということだったのだ。(p.141)
 黒は死を、白は浄化の進んだ状態を意味する。赤は黄金を作り上げる力を秘めた 「賢者の石」 ができた瞬間の色彩である。
 金属変容の夢は、心の成長の物語でもあった。そしてそのパターンは、おとぎ話にも、夢にも繰り返し現れる。(p.142)
 『白雪姫』 の物語も、これに当てはまっている。
下記の小説も、錬金術の3色によって締めくくられていた。
   《参照》   『ボディ・レンタル』 佐藤亜有子  河出書房新社
                  【白という色彩】
   《錬金術・関連》   『鏡の中のアマテラス』 新井あけ美 文芸社

 

 

【役には立たないけれど、価値がある 「何か」 】
 エピローグに書かれていること。
 気持ちの揺れのまま、興味のむくままにふらふらと文章を書いてみた。どれかひとつでもおもしろいと思っていただければ幸いである。そして、あなたのなかの役には立たないけれど、価値がある 「何か」 に、そう、あなたのなかにも必ずあるはずの 「宝石」 にふれることができたら、こんなにうれしいことはない。(p.235)
 “役には立たないけれど、価値がある 「何か」” という表現がいい。
 人文系の書籍が好きな人って、たぶん、この表現の中に住んで 「何か」 を探している。
 ところで、「永遠の少年たち」 は、一体全体、何を探しているのだろうか?

 

 

  鏡リュウジ・著の読書記録

     『魔女入門』

     『魚座の君へ』

     『オルフェウスの卵』

     『魂の言葉』

     『女神の法則』

 

 <了>