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 10年前の文芸賞優秀作。電車の中でこの本を読み終わり、瞳を閉じたとき、レム睡眠のような浅い意識状態の中で、様々な言葉や思念が頭の中を飛び交っていた。
 この小説の中では、白という色彩が大きな役割を果たしているように思えてならない。

 

 

【ボディ・レンタル】
 ボディ・レンタルそのものも些細なことだと思っている。レンタルされる体、すなわち私の形は、ビデオでも借りるくらいの軽い気持ちで取引される、ファーストフード的な体でいい。これは自虐でもなく、復讐でもなく、しいて言えば軽くなるためにしていることだ。 (p.21-22)
 仮に実体験に基づいて書かれた小説であるとしても、“しいて言えば軽くなるためにしていることだ” という表現には、おそらく嘘がある。

 

 

【純粋・俗物・幻想・オブジェ】
 なんだかぼーっとして、静かな子だった。なのに、いきなり死んじゃった。私はたぶん、妹のそこがうらやましかったんだと思うの。最近はよくおしゃれな感覚で自殺するって言うけど、妹のは怖いくらい純粋だったんだ。でも私は俗物だから、同じ環境で育っても、二十九まで生きながらえたっていうわけ。明日どうなるか、わからないけどね。 (p.90)

 感情、というより、幻想がないのだ。幻想がなければ何に対する期待もない。なぜこうして生きているのか、ときとしてわからなくなるほどに。
 恐らく幻想を失ったわたしは、幻想そのものになる可能性をはらんでいるのではないだろうか。もともとそれを目指していたのではなかったか。完全なオブジェになること。あらゆる妄想を飲み込む空っぽの容器になること。 (p.117)
 望むらくば安住すべき地平、それが叶わないならばせめて落ち着くべき地平、せめてもの願いとして逢着さえできれば良い地平を探しているかのような意識が、学生時代の私と同じだ。
 物と肉体の違いはあれど、学生時代の私の思いも、最後の寄る辺は “オブジェ” だった。そしてそこに至るまでに頻繁に用いていた、純粋・俗物・幻想というキーワードが、この小説の中にすべて出ている。

 

 

【解体】
 自分で自分を解体していって、いったい何が残ったのだろう。いや、そうじゃない。わたしは始めからばらばらだった。そして、ほんとは色あせた穴あき風呂敷でも何でもいいと思うのだが、わたしを包むものが見つからない。(p.174-175)
 この表現は、学生時代の私自身の思いとまるっきり同じだ。まるっきり同じ・・・・・
 わたしの自由 ----- ばらばらに解体された自分をみつめる恐ろしさから逃れて、息をつく自由は、乾いた虚構の側にある。 (p.177)

 

 

【白という色彩】
 わたしは言うなれば、死の床にある花嫁である。・・・(中略)・・・。花嫁とその崇拝者というシチュエーションを選んだのには、大した理由はない。ただ、白がほしかった。純潔の白と夜の黒、それを最後にいろどる色彩は、花嫁自身の体から流れ出るだろう。 (p.179)
 不実の罪とすら言いようがない虚構の罪を自らの罪とした『氷点』 の陽子ちゃんは、すべてものを覆い隠してくれる白い雪に思いを寄せていた。白、穢れなきこと、無垢への希求である。
 上に書き出した部分は、無垢の対極にある “サバトの夜宴” を思わせるかのような記述の中にあるものではあるけれど、「ただ、白がほしかった。純潔の白・・」 という記述は本心の表れであるように思える。
 “夜の黒” に乗じて “乾いた虚構の側” の世界で演ぜられるボディ・レンタルとしての “死の床にある花嫁” は、決して肉体の “オブジェ” に留まるものではないはずだ。正に再生の儀式に擬せられた蘇り(黄泉帰り)への希求である。虚構の側から現実の側へ、“純潔の白” に包まれて再生することを願っているに違いないのである。それこそが “ボディ・レンタル” を昇華しえぬ者が抱く、せめてもの自己救済措置なのだから。
 
 
<了>
 

  佐藤亜有子・著の読書記録

     『首輪』

     『ボディ・レンタル』