コロナの感染者数が増えています。今だと2万人ぐらいが感染していると言われていますが、実数ではなく、定点医療機関で1以下だと、感染が少ない、1以上であれば、増加してきたとの判断になり、現在は5.53ですので、かなり増加しています。今の変異株の種類はNB.1.8.1株が多いと言われていますが、特徴は喉が非常に痛い、水を飲んでもかなり痛いようです。後は、風邪症状で熱は出る人と、でない人がいるようです。お盆の時期は人流が多いので、8月一杯は感染が広がるでしょう。勿論、重症化は少ないですから、たいてい5日以内に治りますが、高熱や喉の痛みは解熱剤などの対症療法が必要となりますし、他の人に映す可能性がありますので、症状がでたら、自主的に5日ぐらいは自宅待機が良いでしょう。

問題は、コロナ後遺症です。コロナは治ったのに、全身倦怠やブレインフォグのような症状がいつまでも続く場合があります。これに関して、特効薬はないのですが、2%から4%の高濃度水素吸入が非常に効果があります。

水素発生量でゆくと、1分あたり250mlでだいたい2%になります。600mlから1200mlで4%ぐらいに換算されます。

高濃度水素吸入は武漢発生時に中国で3000台以上の水素吸入器が集められ、治療に用いられました。死者が少なかったのはそのためだと言われています。重症化を食い止めるのと、発症者の症状期間を短縮させたとの報告があります。

コロナ後遺症は脳やいろいろな組織の血流異常が関与していると言われ、水素吸入により、ヒドロキシラジカルを押さえ、血流が増加すること、炎症反応を抑えること、免疫を上げることより、コロナ後遺症に効果があります。

日本でも、先進医療でコロナ感染者に対して、水素を使おうという動きがありましたが、その当時、重症のコロナ患者の治療が一人当たり1000万円かかり、それを2重盲検で一般治療と、水素吸入の2群に分けて治療を行うということが経済的にも、倫理的にも難しかったので不許可になりました。

今であれば、コロナ後遺症に関してこれを大学病院でやればよいと思うのですが、どうなのでしょうか?

当院(セントラルアイクリニック)は眼科ですので、現在、正常眼圧緑内障や加齢性黄斑変性症、黄斑浮腫に対して高濃度水素吸入を行っていますが、これまで3名,コロナ後遺症の患者さんに、水素吸入を行い。皆さん軽快しています。

ご希望の方はお越しください。


 

 

毎日、朝の最低気温28度、最高気温38度が続いていたのが、8月7日に前線が南下し、少し乾いた空気がはいったため、朝の最低気温が25度、最高気温が34度になりました。

 歩いていて、風が気持ちよく、しのぎやすくなったというのが、感想です。一番は湿気が減ったことだと思いますが、   

 朝晩のクララとの散歩が非常に楽でした。

 立秋のころは一番熱いころですが、たまたまでも、空の雲も、秋の空を感じさせます。あとくららのハアハアが少なかったので、安心しました。もうすぐ、私も70歳、くららも14歳、老人と老犬の散歩は大変です。

 東北や九州で豪雨があり、明日は名古屋でもかなり雨が降り、湿度が上昇しますが、1日雨ですので、最高気温は30度前後ですので、まだ、過ごしやすいと思いますが、来週後半からは、35度以上が続く予報ですので、去年のことを思うと、9月末までは、猛暑日や、熱帯夜が続くと思われます。

気がめいります。

海外のメーカーは、製造中止になった眼内レンズは、残っているものは、すべて破棄するそうです。日本のメーカーであれば、滅菌切れ前のものであれば、残しておいて、安くさばきますが、使えるものでも捨ててしまいます。昨年、3pieceの多焦点が販売中止になりましたが、以前Rezoomを入れた患者さんが20年経過して、チン氏帯が弱かったのか、チン氏帯の一部断裂で側方偏位で急に見えなくなったといらっしゃいました。当日、毛様溝固定で縫着しようと思いましたが、上を向くとレンズが硝子体に下がるので、これは、嚢ごと取り出して硝子体手術をして、IOLを縫着しなくてはならないので、新しいレンズを用意するため、予定手術に伸ばしました。トリプル手術でやろうと思うと、もともと、保険診療では単焦点しか無理ですが、患者さんは自費でもよいから多焦点を入れたいと言います。そこで、度数が合わなくても、タッチアップで度数を修正できるので、残っている3pieceの多焦点はないかとメーカーに問い合わせましたが、メーカーからすべて廃棄しましたとの連絡、もったいないのと、破嚢時に必要なものが、効率が悪いとのことで破棄ですから、やりきれない思いです。患者さんには、単焦点で入れて、どうしても多焦点が必要であれば、Add-onレンズを後から入れると連絡しました。

単焦点でも、3pieceはほとんどなくなってきています。IOLは嚢内にいれるのが鉄則ですが、破嚢などで嚢外で毛様溝固定の場合、1-pieceではおさまりが悪いため、どうしても3-pieceが必要です。破嚢は非常に少ないですがある一定の割合でおこりますので、メーカーの責任として1-piece IOLも確保すべきと思います。ただ、利益効率から、3-pieceは消えるのでしょう。残念なことです。


 


 

 

呼気中の水素濃度は腸内で発生する水素量が多ければ,多くなりますし、少なければ、少ないですが、体の中にあるヒドロキシラジカルの量により変化します。ヒドロキシラジカルが多いと、発生水素量が多くても、消費され水素量は減少します。水素はヒドロキシラジカルとだけ、結合し水となります。逆に言うと、呼気中水素濃度が低い方は、体中にヒドロキシラジカルが多いと推測されます。ヒドロキシラジカルが多い人は、血管が収縮し血流が悪く、炎症が強く、免疫機能が低下しいろいろな病気に罹患している可能性があります。眼科疾患でいうと、緑内障、加齢性黄斑変性症、黄斑浮腫など、全て眼血流が悪くなり、緑内障は眼血流が悪いために、網膜神経線維が薄くなり、視野欠損になります。黄斑変性症は眼血流が悪くなり、リポスチンなどの老廃物が

斑部に貯まります。黄斑浮腫は血管から浸出液が網膜内や網膜下に貯まります。ですから、いずれも、眼血流が悪くなり、OCTA(光干渉断層計で眼底の血流を描出する新しい検査法)で網膜血管密度が低下します。ですから、OCTAである程度の眼血流を判定することが可能になりました。OCTAは非侵襲で、短時間に測定でき、ほとんどの眼科にありますので、容易に計測することができます。

これまで、眼血流を増やす方法がなかったので、正常眼圧緑内障に治療でも、より眼圧を下げるしか方法がありませんでした。しかし、眼圧を下げると言っても最終的には静脈に房水は流れますので、静脈圧より低くすることができません。つまり、高眼圧の緑内障は眼圧を下げることにより、緑内障の進行をある程度抑えることができますが、緑内障の90%を占める正常眼圧緑内障の治療は血流を改善することでしか、進行を防ぐことはできません。我々が眼疾患に高濃度水素吸入を行うのは、眼血流を増やしてヒドロキシラジカルを減らすということに繋がります。

正常な人に水素を吸入させても眼血流はほとんど変化しません。

ところが、NTG(正常眼圧緑内障)の人に高濃度水素を30分吸入させるだけでカラーマッピングで暖色系が増加(血流が良くなります。また、3ヶ月間夜間就寝時に水素の吸入を続けると、正常の人と同じよう血流になります。

30分高濃度水素吸入前後で呼気中水素濃度は300倍~400倍上昇し、3時間程度で吸入前の値に戻ります。5時間以上水素を吸入すると動物実験では血中水素濃度は15時間、高かったという報告もありますので、夜間就寝時吸入を続けると、人間でも同様に血中水素濃度が高く、呼気中水素濃度も高い可能性があります。今後、吸入量、吸入濃度、吸入時間で網膜血管密度がどのように変わるかを検討してゆきます。

 

呼気中水素濃度は腸内細菌叢の水素産生菌による炭水化物の嫌気性発酵過で発生した水素ガスが血液中から呼気中に回って測定される。出生時は無菌で、母乳や離乳食、環境にによって水素産生菌が定着し水素産生脳が徐々に上昇、もちろん、野菜、豆類、発酵食品の摂取が多いほど水素濃度が高くなりますし、便秘や下痢などでも変動します。

子供の呼気中水素濃度は、生後1~3か月で2~10ppm,6か月~1歳で5~15ppm, 1~5歳で10~20ppm,6歳以上~学童期15~25ppmと成人に近い水素濃度になる。

中学生、高校生、20歳以上では、10~30ppmと個人差が大きい。食生活の違いによる腸内環境の個人差が関与すると思われます。また、ストレスや薬、病気などによる酸化で、ヒドロキシラジカルが増加するため、水素濃度が下がる可能性もあります。その後は加齢による影響で水素濃度が減少しますが、百寿者と呼ばれる100歳以上の元気なお年寄りは呼気中水素濃度が40~50ppmに達することもあり、良好な腸内環境や高い発酵能がある場合、長生きで健康です。逆に呼気中水素濃度が低い場合は、酸化、老化、ストレス、いろいろな病気により、ヒドロキシルラジカルがおおく、水素が消費されていることが考えられます。その場合、水素吸入や水素のサプリを取り入れることにより、呼気中の水素濃度を上げることができますし、健康を取り戻すこともできると思います。

 

「日本高血圧学会は25日、高血圧の治療で血圧を下げる際の目標値について、75歳以上で上の血圧(収縮期)と下の血圧(拡張期)をこれまでより10引き下げ、上130、下80未満に抑える新たな治療指針を発表した。75歳以上の場合、血圧の下げ過ぎによる転倒リスクなどから、目標値が高めに設定されていたが、血圧を下げることで、脳卒中などの予防効果が高いと判断した」

という記事がでました。

これまで、目標値は75歳以上の場合140/90mmHgでしたが、75歳未満と同じ130/80mmHgに10mmHg下げたということですが、その根拠がいまいち、わかりにくいのです。脳梗塞を主題にするのと、脳出血を主題にするかでも、話は180度変わります。ふらつきで転倒しても、正常眼圧緑内障で失明しても、死亡するわけではないから、良いというのと同じようなものです。血圧を下げすぎると眼血流が減少し、正常眼圧緑内障になりますという投稿にも、多くの賛同をいただきました。

ドクターズ・コミュニティで多くの内科の先生が、この治療指針に反対していることからも、今回の指針の変更に危うさを感じます。

 高血圧学会は、高血圧に特化して物事を考えますし、老年学会は、自然な生き方を考えますし、もっと、他科とのコミュニュケーションを図るべきと考えますが、いかがでしょうか?指針は、目安であり、個々の患者に合わせて、その人にとって何が最も良いかを考えるべきですが、難しいですね。指針がでると、それに反することを行った場合、本来、問題ないことが指針違反で有罪となったりするため、もう少し慎重に考えていただきたいと思います。

 

多焦点眼内レンズが先進医療になって、12年で、多焦点眼内レンズ挿入術は、先進医療から外れました。これは、多焦点眼内レンズの成績が悪かったわけではなく、効果が認められた先進医療は本来保険になるものですが、そうすると、ほぼ、全員が単焦点ではなく、多焦点眼内レンズを希望しますので、現在、16200点の保険点数が、3万点とか5万点になると医療財政上困るからという経済的な問題から、却下されたというわけです。これまで先進医療でしたので、民間の医療保険で先進医療特約が付いていた場合、無料で多焦点眼内レンズが挿入できたわけですが、一般の方は最初、認知されておらず、先進医療から多焦点が亡くなるというのが、ニュースになってから、突然、患者さんが眼科に集まり、先進医療で多焦点眼内レンズ挿入する人が、多くなりました。例えば、1日の手術で多焦点が9例で、単焦点が1例という日もありました。それが、先進医療が打ち切られたとたん、多焦点はほぼ0になり、単焦点の患者さんに戻りました。

厚生労働省はさすがに完全な自費に戻すのは、難しいと考えたのが、選定医療という特殊な方法を考え出しました。

これは、白内障手術は保険で、レンズは自費にするというもので、いわゆる、混合診療の一種です。でも、やはり日本では水と安全と医療はただ(無料)という思想が強く、選定医療を選んで多焦点眼内レンズを入れる人は少数です。実際、セントラルアイクリニックデ、多焦点眼内レンズ挿入術を選ぶ人は、自費診療でもよいから、一番良いレンズを選びたいひとだけで、オーダーメイドの多焦点を選ばれる人が多いです。そこで、生命保険会社の人に提案ですが、先進医療特約のように、選定医療特約の保険を販売されたらいかがでしょうか?選定医療は大病院が紹介状のない患者さんに対して自費で5000円とか1万円徴収するよいなかんじでしか、ないため、あまり、患者さんに対してメリットがなかったと思いますが、多焦点眼内レンズ挿入術が加わったのですから、保険の加入者が非常に増加します。先進医療特約が非常によく売れたのと同じ感じです。多焦点眼内レンズの自費部分はせいぜい1眼50万程度ですので、保険会社の持ち出しも少なく、新しい保険としてはうってつけだと思います。是非、ご検討ください。

 今回、1泊2日で蓼科に、犬連れで旅行に行ってきました。いつもはホテルで食事をしますが、今回は、インド料理の

ナマステで夕食を食べました。ここは知る人ぞ知る有名インド料理店で、インドのシン首相(前)や日本の麻生総理(元)

が贔屓にしている店です。料理に内容に関しては、気さくなおばさんが、立て板のごとくのしゃべりで詳しく説明してくれる名物女将です。カレーは注文を受けてから作るので、追加はできない。ナンはタンドールと呼ばれる石窯でやきますが、その中にカロンジと呼ばれる黒い種のようなスパイスが入っています。ナンはインド料理に欠かせないものと思っていましたが、実際には北インドの高級料理店でしかださないもので、日本のナンはカロンジが入ってなく、カロンジが入っていないものはナンとは呼ばないと名物女将が言っておりました。この方は、詳しく料理の説明をしてくれるので、どれを選ぶか楽しいです。ここののナンはとてもおいしいです。

手前にあるのが、生ビールを頼んだ時の豆と米のおつまみです。凄い量で美味しいけれど食べきれません。タンドリーチキンはここの名物で、とても美味しいのですが、大量のレタスとパセリの横に2本ありましたが、美味しく食べてから写真を取り忘れていたことに気づきました。レタスで巻いて食べるんですね。野菜がいっぱいですので、サラダは不要です。

カレーは蘊蓄をいろいろ聞いて、ほうれん草のカレーと野菜ゴロゴロのカレーを頼みました。これでお腹いっぱいです。

お腹いっぱいでも、スパイスのせいで、数時間立つとお腹が空いてきます。まさに薬膳料理ですね。胃もたれしない料理でした。

 カレーは1から5までありますが、2が普通で、数字が大きくなるとからいようですが、ほうれん草を2にして、野菜ゴロゴロを3にしましたが、それほど、辛いとは思いませんでした。味は絶品です。

満席で、予約の家族ずれが、駐車場がいっぱいではいれないのですが、とやってきました。すると奥にいた髭の長身の紳士が私の車を寄せましょうと立ち上がって、くれました。先生、いいですよ。と女将とのやり取りを聞いているとどこかで見たことのある顔だなと思ったら、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實 先生でした。この店の常連のようで、諏訪店がなくなったので、此方に車で食べに来られているんですね。車を寄せて、他の車を停めさせたため、帰るときは出るのに、切替切替で大変だったのがみてとれました。鎌田先生は服装も車もダンディですね。

 

 2000年にPRKが認可され、その年に、総合上飯田第一病院眼科部長だった私は、名古屋駅に分院としてセントラルアイクリニックを開設して、LASIK,PRKの屈折矯正手術を始めました。それから、私自身がクリニックを買い取り、独立し、紆余曲折を経て、今年で開院25年になります。その頃、屈折矯正手術を受けられた方も白内障の時期になり、多焦点眼内レンズを多数挿入しています。

本日のPRKの患者様も2004年にPRKを受けられ、老眼に対してLentis Mplus Xtoricを挿入され、残存乱視に対してタッチアップで本日PRKをされました。

 2000年(開院当初)は、エキシマレーザーは日本で唯一認可されていたNIDEKのEC5000を用い、モリアのマイクロケラトームでフラップをつくり、エキシマレーザーで角膜実質を削り、フラップを戻す方法でした。視力が当日から、1.0以上でるため、日本全国から患者様が集まる時代で、LASIK施設が日本全国に広がりました。その後i-LASIKに変わり、日本全国の手術眼数40万眼を突破した2008年から2009年にかけて銀座眼科で非眼科医による集団感染がおこり、NHKでの誤報や一部眼科医のLASIKに対する非難などにより、日本だけLASIK,PRKの屈折矯正手術が著しく減少しました。そのため最近では、ICLが屈折矯正手術の主流と変化しています。ただ、ICLは目の中に異物を入れるということ、ICLの中央に穴が開いていること、高額なことなどより、-10D以上の症例はともかく、-2~-3D程度の弱度数を全てICLにすることにはかなり抵抗があります。また、多焦点眼内レンズの残余度数に対して、タッチアップとしてどうしても必要な手技です。また、収差のある眼に対する治療法としても有用です。メーカー自体がLASIK,PRKから撤退する動きもあり、LASIK,PRKは風前の灯火となっています。何とか、LASIK,PRKを残すために、

これからも頑張りますので、応援よろしくお願い申し上げます。

 私は三重県鈴鹿市白子町の生まれです。白子は伊勢型紙、家康が白子の港から岡崎に逃げ帰ったことより、幕府直轄地になったこと以外、難破船でロシアに漂流し10年後に日本に帰された大黒屋光太夫の出身地として知られています。私は、伊勢若松に石碑や記念館があることは知っていましたが、白子に住んでいた時に、詳しく知ろうとは全く思っていませんでした。

 今回、家内が読んでいた井上 靖の「おろしあ国酔夢譚」を借りて一気に読みました。

 紀州藩の囲米を江戸に運ぶ神昌丸船船頭だった光太夫ら17名は駿河沖で暴風雨に遭遇し、マストも折れて、7か月黒潮に流されて、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着、毛皮を商うロシア人とともに、迎えの船を待っていたが、その船も難破し、残骸と流木から船をつくり、ロシア人とともに、カムチャッカ半島に上陸、そこから陸路でオホーツク、ヤクーツクを経由してイルクーツクに到着、その間に10人が亡くなり、そこで、博物学者のキリル・ラクスマンと出会い、彼の勧めで3度目の帰国願を出すとともに、エカチェリーナⅡ世に拝謁するために、夏の離宮ツァールスコア・セローのエカチエリーナ宮殿迄行き、エカチェリーナⅡ世から帰国を許された。光太夫らが、ロシアに難破する前にも多くの漂流日本人がおり、彼らは今後の、日本との貿易の為、日本語教師として、ロシアに滞在し、ロシア人と結婚し、その子供が日本語学校の教師になっていた。帰国にあたり、日本との交易のため、ラクスマンの息子のアダム・ラクスマンが全権大使となり、根室に着き(1792)、松前藩と交渉し、函館まで、海路で行き、そこで、初めて日本の土を踏む、足掛け10年のロシアで生き残った5人のうち、二人はロシア正教に改宗し、ロシア人になったため、帰国できず、日本語教師なった。日本に帰国できたのはわずか3名で、そのうち1名(小市)は壊血病で上陸前に亡くなり、日本に帰り着いたのは光太夫と磯吉のわずか二人だけだった。帰国後は江戸に詰めて、将軍家斉らにロシアの話をした。二人の話から日本の樺太や千島列島の国防が幕府の中で高まった。日本が開国するのはラクスマン来航から76年後の1868年兵庫開港までかかります。この間にもう少し、準備をすれば、日本の歴史も変わっていたかもしれません。