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cb650r-eのブログ

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私の CB650R e-clutch は、納車遅延中です。ホンダ頑張れ! 

 

輸入初案件

 

 毎週月曜日に行われる実績発表の進行役、それは部内…いや、社内一の嫌われ者、取手豪(とりで たけし)だ。そして、彼は私の指導社員でもある。昭和62年に入社した彼は、私より3年先輩だ。
 

 その日も、朝礼が終わると、取手はすかさず私のもとにやってきた。肩に軽く手を回しながら、イヤミな笑みを浮かべてこう言った。「高経大(高野山経済大学)貿易学科卒のエリートちゃんには、この数字はちょっと物足りないかもしれないけど、まあ、頑張ってちょうだいね」と言い残し、営業室へと降りていった。
 

 翌日、朝の会議が終わり、一階の会議室から自席に戻ると、取手がクリアファイルに入った書類を、私の机にポンと無造作に投げた。
 「山ちゃーん! あなた超ラッキー! 記念すべき第一号案件は、ド楽勝の輸入案件です。ハイ、これ。」

輸入者:吉本衣装㈱
輸出者:四海吉本衣服有限公司
商品:Tシャツ
価格:US$1.5 × 5,000着 = US$7,500(約113万円、運賃、保険別)
決済方法:輸入信用状(L/C)

取手は続けて言った。「金額は課長決裁権限内!つまり、与信審査…ご・無・要!」

 

いちいち、むかつく。どうにもやかましい奴である。

 


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私の CB650R e-clutch は、納車遅延中です。

 

試用社員諸君!

 

 今日から4月末までは、国際業務部での研修期間だ。主に座学が中心だが、伊丹空港や大阪港の荷捌き場の見学も含まれている。さらに、元住銀行での研修や、部長が以前勤めていた中堅商社、カネミツ商事での1週間の研修、主要取引先の工場見学など、さまざまな経験を積むことができた。次第に、学生気分も抜けてきたように感じる。

 

 

 毎朝8時から会議が始まる。参加者はほぼ全員が日経新聞を持参している。若手社員を中心に、外国為替や日米金利のほか、経済のトピックスが発表される。特に月曜日には、前週末までの個人成績が公表される。本部社員の年間目標は、年収の3倍が基本だ。ここで言う目標は貿易取扱高ではなく、外国為替の収益である。

 

 具体的に言うと、顧客からは1米ドルにつき1円の手数料をいただく。当社が元住銀行に支払う手数料は1米ドルあたり20銭だ。たとえば、100,000米ドル(約1,500万円)の取引では、8万円+α(基本手数料など)が当社の収益となる。円建取引の場合はさらに複雑で、取引額の0.1%を顧客から受け取り、取引額の0.025%を元住銀行に支払うことになる。結果、当社の収益は取引額の0.075%+αだ。たとえば、1,500万円の取引なら、11,250円の収益になる。

 

 本部実務社員には、それぞれ固定の取引先があるので、目標の6割くらいまでは自然に達成されることが多い。年間目標はおおよそ年収の3倍に設定されており、具体的には私の場合、(初任給15万円×12か月+賞与:15万円×2か月分×年2回)×3=720万円だ。ただ、これを達成するには、少なくとも年間で10億円程度の取引をこなさなければならない計算だ。

 

 会議室の移動式ホワイトボードには、マグネットで貼られた模造紙に手書きの赤い棒グラフが描かれ、各個人の「達成率」が一目でわかるようになっている。同期の吉富と私も、試用社員ながら、グラフの右端に名前が追加されている。少しだけ焦る自分がいた。

 

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私の CB650R e-clutch は、納車未定です。

 

1990年4月2日、辞令交付


 本店3階の大会議室。ステージ正面には日の丸が掲げられ、その上には「平成二年度入社式」の看板がバトンに吊り下げられている。君が代の斉唱が終わると、堀崎社長の祝辞が始まった。堀崎社長は元住銀行の元役員で、フランス・パリ支店長を務めた経歴を持つ。酒に酔うとシャンソンをアカペラで歌うらしいが、幸運にも私はまだその場に居合わせたことはない。

 1986年に施行された男女雇用機会均等法のおかげで、今年は4年制大学を卒業した女性も総合職として採用されている。しかし、男性31人に対して女性はわずか3人。その中の一人、阪大卒の河合さんが新入社員代表として挨拶を行った。彼女は4年ほど勤めた後に退職し、苦労して弁護士になったらしい。最近、地元で起きた未成年者の重大事件を担当する弁護士として、夕方のニュースに映っているのを見かけた。

 新入社員の辞令交付は五十音順で進んだ。私は最後から2人目で、最後は吉富 太郎君。「山本 直太郎、本部、国際業務部 試用社員を命ず」——上釜副部長がそう読み上げた。式典が終わり、上釜副部長から一人ひとりに辞令が手渡された。私に辞令を渡す際、「今回は、執行猶予つきにしとくか……。」とニヤリとしながら手渡してきた。

 午前中は別館の会議室で、外部講師によるマナー講座が行われた。名刺交換の仕方、エレベーターの使い方、タクシーの乗り方、そしてお酌の作法まで、社会人としての基本所作を一通り教わった。

 

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1990年4月2日、入社式


 今日は1990年(平成2年)4月2日、月曜日。世の中はバブル真っ只中。新卒採用は空前の売り手市場で、22歳の私も完全に浮かれていた。二度寝、いや当然至極の朝寝坊である。
 午前8時15分、愛車のBMW K75に跨がり、大阪市中央区にある大阪貿易株式会社の本社へ向かう途中だった。信号待ちで、青になるのを今か今かと待っている。上下スーツに革靴、そして羽織っているのは色あせた「MICHIKO LONDON」の黒いウインドブレーカー。見た目はともかく、心臓はバクバクである。
 やっと信号が青に変わり、私は慌ててアクセルを開け、クラッチを雑につないだ。すると、バイクは予想外のウイリー状態に。すごい衝撃で前輪が接地したが、ひるむわけにはいかない。
 今日はエープリルフールではなく、入社式だ。8時半までに本社3階の会議室に集合し、9時から辞令交付式が始まる。遅れるわけにはいかない。8時27分、3回目の本社訪問だったことも幸いして、何とか本社の駐車場に滑り込む。やむを得ず、来客用の駐車スペースにバイクを停め、ヘルメットの中に脱いだウインドブレーカーをぐちゃぐちゃに丸めて詰め込み、タンクの上にそのまま置いた。そして、正面玄関へ向かって走っていくと、そこには一人の男性が立っていた。人事部の上釜副部長…。一次面接から最終面接まで担当していた、あの人だ。

「ほう、さすが新人類。入社式から外車で重役出勤とはね。」

 万事休す。どうやらすべて見られていたらしい。私は、最後に到着した新入社員だったようだ。
 

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最後のマージャン

 

 1990年(平成2年)4月1日、日曜日の夕方。自宅の固定電話が鳴った。受話器を取ると、大学の悪友、北山からの電話だった。
 「山ちゃん、今から広田んちで麻雀しようぜ。当分できなくなるだろ?」
 広田も同じ大学の同級生で、彼の部屋は母屋に隣接したプレハブ建て。なんと全自動麻雀卓まであるという夢のような場所だ。
 「もう一人は川道か?」

 北山は当然のように留年決定、卒業後、広田は家業の運送会社に就職、川道は実家の美容室を手伝うことになっている。
 「そうそう、もう3人揃ってる。あとは山ちゃんだけ!」いつも通り、外堀は完全に埋められている。

 麻雀は6時頃から始まり、8時頃に街中華からチャーハンや中華丼が届き、腹ごしらえをしながら競技は続行。予定では12時までに帰るはずだったが、気づけば深夜の3時。勝ったのか負けたのか、今となってはよく覚えていない。とにかく少しでも寝ようと、目覚ましを2個枕元へ。6時半にセットして、布団に潜り込んだ。そして、すぐに深い眠りへと落ちた。
 

 

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CB650R e-clutch は、注文から5か月経っても納車の気配さえありません。なぜ、こうなったのか振り返ります。(ご勝手にどうぞ、ですね)

 

自分の誇り

 

 永年勤続表彰を受けた日の帰り、いつものようにJRの最後尾の車両に乗り込んだ。左隅の一番後ろに立つのが、私にとっての「指定席」だ。
 会社に勤めて32年。だが、胸を張って誇れる成果もプロジェクトも、何一つ思い浮かばない。出世も同期の中では下の方。支店長どころか、次長にすらなれなかった。
 一体どうして俺はここまで続けてこられたのか。俺の取り柄って何だ?
 誰にも負けないこと、誇れること。それが何かをずっと考え続けたが、浮かんでくるのは一つだけ――。人生で唯一、1番になって尊敬のまなざしを浴びた思い出。

 「オートバイの限定解除免許を持っている。そして、ほんの一瞬、誰よりも速かった。」

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CB650R e-clutch は、注文から5か月経っても納車の気配さえありません。なぜ、こうなったのか振り返ります。(ご勝手にどうぞ、ですね)

 

役職定年

 

 私は、専任社員になった。しかし、給与は来月からこれまでの約半分に減る。勤務先は引き続き「大阪ビジネスコンサルタンツ」肩書は「医業・介護経営コンサルタント部次長」。だが、肩書に見合った権限や責任は何もない。部長は田下さん。旧関西貿易出身で、平成元年入社の一つ先輩だ。
 私の出向元である「西日本E&Iジャパン」は、2015年4月に「大阪貿易」と、そのライバルであった「関西貿易」が合併し、「大阪トレーディング・ホールディングス」の傘下に入った会社だ。田下部長は両社の「融和」を何よりも重んじるが、業績と礼節に関しては一切の妥協を許さない。しかし、人目のない場所では驚くほどフレンドリーで、旧大阪貿易出身の私には特に気を遣ってくれているように感じる。

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現況報告

 

 セレモニーはわずか10分ほどで終わった。帰ろうとしたその時、専務が声をかけてきた。
 「山本、久しぶりだな。今はどこで仕事をしているんだ?」
 「はい。経営統合の時から、本店5階フロアにある『大阪ビジネスコンサルタンツ』にお世話になっています。」
 「どんな仕事をしているんだ?」
 「医療・介護系のコンサルタント業務です。」
 「入社してからずっと貿易部門にいたよな?」
 「そうですね。いわゆるセカンドキャリアというやつで。」
 「ところで、バイクにはまだ乗っているのか?大きいのに。」
 「いえ、今はもう全然乗っていません。」
 「そうか。奥さんにもよろしく伝えてくれ。」

 専務はそれだけを言い残し、さっそうと8階の役員室へと戻っていった。

 

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永年勤続表彰

 

 今日は令和4年7月29日、金曜日である。外は今日も猛暑。本社の3階の会議室は無駄に広く、午後一番は冷房の効きもいまひとつである。今日は特別にネクタイを締め、上下スーツ姿だ。首の後ろと脇のところが汗ばんで気持ち悪い。

 西日本E&Iジャパンの松岡社長は出張中ということで、小川専務から表彰状を受け取る。専務とは、私が20代半ばの主任職だったとき、東京支店で一緒に働いたことがある。彼はその時、次長職だった。専務は昔から仕事ができた。1990年代にもかかわらず、SHARPのザウルスとピッチ(PHS携帯電話)を駆使し、東京支店の悪しき慣習や古いシステムを次々と変えていった人だ。

 あと、餞別代わりにJTBの旅行券5万円分ももらった。人事担当が、来月の給料から所得税がいくらか源泉されると言っていたが、そんなことはどうでもよい。

 

 
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CB650R e-clutchのある生活を、備忘的に記録として残せればと思い始めたブログですが、注文から5か月経っても納車の気配さえありません。ネタも尽きそうですので、なぜ、57歳になって突然CB650R e-clutchを買うことになったのか、振り返ることにしました。(ご勝手にどうぞ、ですね)

 

バブル入社組


 55歳の誕生日。わが社では、その日が役職定年日となる。当月末に該当者が集められ、永年勤続表彰を受ける。
 同期の杉本君、見たことのない女性社員が1人、そして私の3人が本日めでたく役職定年を迎えた。
 正確な数はわからないが、1990年(平成2年)4月入社の同期も、10人以上は既に辞めていて、残った者も全員、関連会社や取引先に出向または転籍となった。私自身も令和4年の4月から関連会社に出向している。

 

 

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