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cb650r-eのブログ

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東京集合。

 

金曜日。久しぶりに、有楽町線の月島駅に降り立った。東京分室は駅から歩いて10分ほどのところにある。東京分室の入り口のインターホンを押す。「山ちゃーん、久しぶり」出てきたのは、お局スタッフの平野さんだ。「山ちゃーん。お土産にもらった『やせる石鹸』全然効かないじゃないの。」 「まあ、まあ。その話はあとで。小川さん、もう来てますか?」 「支店長と応接室に入って、もう小一時間経つわね。」平野さんが言う。

俺は、応接室の扉をノックした。 「入れ。」懐かしい松岡支店長の声である。 「よう、山本。久しぶり。まあ、座れ。大体のことは、小川次、いや部長から聞いた。」 それから、少し近況などを話したが、松岡支店長が切り出した。 「それで、小川部長の考える、香港支店の起死回生の『打ち手』は何だ。教えてくれ。」 「はい、四菱銀行国際部の榊原部長のところへ直談判に行ってみます。」 「四菱銀行か…。四菱銀行も今回のアジア通貨危機は相当堪えていると聞くが…」 「もちろん、それは承知です。邦銀のメガバンクで影響がない銀行なんてありませんよ。」 「勝機アリか?」 「いえ、今回ばかりは事が事ですので。」 「では、そろそろ約束の時間なので。」

営業室を通ると、スタッフ全員がそばに寄ってきて、懐かしむ声をかけてくれた。店を出ると、俺は小川部長に言った。「なんか、皆さんいい顔してましたね」 「そうだな。」

小川部長と俺は、月島からタクシーに乗って大手町にある四菱銀行の国際部を目指した。

 

このブログの内容はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

どうする、小川部長。

 

「はい、山本です。ご無沙汰しております。」 「要点だけ言うからよく聞いてくれ。大阪貿易の香港支店が危機に陥っている。まず、手元の米ドル資金が底をついた。親密にしてくれた元住銀行香港支店も自行の対応で精一杯で、外貨資金の融通を断ってきた。香港支店の外貨資産、アジア各国の政府系ボンド(債権)、財閥系のボンドもほぼ全てデフォルト(債務不履行)だ。元住商事、カネミツにもお願いしたが、どこも自社の保身で手一杯との返事だ。昨日、日曜日に臨時役員会を開催したが、万策尽きた。 

 

ただな、その時、なぜか、小川とお前の顔が浮かんだ。エビデンスは無いが、お前らなら、この危機を突破できるかもしれないと思ったんだ。 全て、小川と山本の二人に任せる。手法も問わない。いかなる結果になっても責任は私がとる。期間は1か月だ。」 「わかりました。」

電話を切ると、平賀さんが口を開いた。「1か月間行動自由。経費は全て上海支店持ちだ。任せるぞ。」 俺はすぐに大阪の小川部長の携帯に電話した。 「山本か。かかってくると思ったよ。ちょっと前に田沼部長から電話があった。今週の金曜日に東京分室に集合だ。」 「分かりました。」

その少し前、小川部長はある人に電話していた。 「おお、本店営業部長にご栄転とは聞いていたが…何事だ。」 「榊原部長、折り入ってお話があります。今週の金曜日お時間をいただけませんでしょうか。」 「なんだ、転職の相談か?お前ならウエルカムだぞ、小川。」 「いえいえ、個人的なお願いではありません。大阪貿易をお救いいただきたい。」 「ほぉ、何となく察しはつかぬわけでもないが、金曜日に聞くとしようか。」

 

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緊急事態

 

1997年も7月に入った。ようやく上海での日常生活にも慣れ、通常の事務や日本との連絡、調整もスムーズにできるようになった。上海支店の仕事は、円高を背景にした、中国でのモノづくり調査(安くて良いものが造れないか)、中国国内(投資先)視察の調整とアテンドの二つがメイン業務だ。中峰所長と大阪市ともがっつり協力して、大阪、関西のお客さんを中心に一生懸命サポートした。

ただ、7月中旬頃になると、上海界隈にもまずい雰囲気が漂ってきた。この年の夏(1997年7月頃)、タイを震源としてアジア各国に伝播した自国通貨の大幅な下落および経済危機が発生する。そう、「アジア通貨危機」である。また、日本国内では、一部金融機関の信用不安も噂されるようになっていた。ただ、それでも上海は元気いっぱいの雰囲気に変わりない。俺も、アジア通貨危機、日本国内の金融不安を、どこか対岸の火事のように見ていた。

7月下旬の月曜日朝一番である。国際業務部長の田沼さんから、平賀支店長に電話があった。いつになく、平賀支店長も緊張気味で電話の応対をしている。5分ほど話して、平賀さんは受話器を真向かいの机の俺に渡した。

 

 

 

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以下のDIYは結果失敗しました。

部材の耐熱性不足でした。

(2025年5月1日ご報告)

 

 

あくまでも自己責任で。

 

CB650R E-clutchは、フロントタイヤの泥除けのデザインのせいか、跳ね上げがひどいんです。

1,000Km(雨天でない)走っただけで、ラジエータに砂が詰まり困りました。

 

そこで、100均グッズ(今回はセリア)を2点使って対策しました。

 

 
・棚の支え(金属:黒)

・カッターの下敷き(硬いゴム:黒)

 

 

取手 先輩 のコメント
 

ダサイ。ダサすぎる。ビンボー臭すぎる~ぅ。

良い子の皆さんは絶対マネしないように!

 

自己責任でDIYしたものです。実際に装着する場合は、専門家にご相談ください。

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AVANTI-Shanghai

 

赴任して数日がたった金曜日の朝。俺は平賀支店長に思い切って相談してみた。

「実は行ってみたい場所があるんですが…バーなんですが。」

「ほう、仕事が終わったら行ってみるか。バーなら、先にハードロックカフェに寄って、夕飯を食べてから行ってみるか。」 「場所はどこだ、名前はわかるか?」 

「平和飯店(Peace Hotel)の1階にある『AVANTI-Shanghai』と聞いたんですが、どこにあるのですか?」

「平和飯店なら2月にお前を連れてった『外灘』のど真ん中にある、超有名なホテルだ。田中角栄が宿泊したことでも有名だぞ。よし、分かった。連れていく」と平賀支店長。

 

タクシーの車窓から見る上海も4月はいい季節である。あちらこちらで工事していて埃っぽいが、悪くはない。

ハードロックカフェ上海で食事を済ませ、平賀支店長と平和飯店にタクシーをつけた。

 

東京のエバンティと同じような重厚な木のドアである。 俺は、そのドアを開けた。

 

AVANTI-Shanghaiの雰囲気BGS(※音量にご注意)

 

そのバーテンダーはスーツ姿の我々を見て言った。 「イラッシャイ、マセ」 「こんばんは。カウンター席いいですか?」 「ドウゾ、オカケクダサイ」 「ナニカ、オキマリデスカ?」 「ビールをください。」 「三徳利(サントリー)でいいですか?」 「はい。サントリーがあるんだ。」 俺と平賀支店長は乾杯した。「このタイプのバーは初めてだなぁ」と平賀さんは言った。

 

「私、東京から来た山本です。エバンティのジェイクさんにお世話になりました。」 「Oh,Yamamoto-san!。ジェイクから先日レターが届きました。大切なお客様だからよろしくと書いてありました。」 「よかった~。スタンさん、よろしく!」

「私、平賀です。山本の上司です。よろしく」 よかった~。上海の心の拠り所ができそうだ。 俺は、早くもこのAVANTI-Shanghaiを「お気に入り」上海第1号にしてしまった。

 

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上海のお楽しみは…。

 

1997年の4月上旬のことだ。俺は一人で伊丹空港を出発し、上海虹橋(ホンチャオ)空港を目指していた。揚子江から海に流れる水は黄土色で、美しいとは言えなかった。飛行機は無事に上海虹橋空港に着陸した。

虹橋空港には、平賀支店長と運転手の謝(シエ)さんが迎えに来てくれていた。手荷物はトランクケース一つ、残りの荷物はダンボール4箱で、2週間後ぐらいに航空便で届くはずだ。住まいは国際貿易中心ビルの22階のワンルーム。つまり、オフィスと住居は同じ建物の中にある。マンションは一人暮らしには充分な広さで、家電も全て備え付けである。

マンションのテレビには、NHK総合テレビと日テレが映る。ただし、日テレのコマーシャル時は画面が真っ暗になる。

とにかくNHKの連続テレビ小説は、早朝にBSで見て、総合で朝見て、昼の再放送を昼食を食べながら見て、週末に1週間のダイジェスト版で見て計4回観ることができる。毎日楽しみだった。あと、今まで見たことのなかった日曜昼の「のど自慢」がなんと楽しいことか。毎回自然と涙が流れた。そして、日テレの「電波少年」。有吉がヒッチハイクして毎回ドキドキしながら見ていた。とにかく日本のテレビは最高だ。

 

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冬も脱水に注意しましょう!

 

CB650R E-clutchには、ドリンクホルダーがないので、100均グッズを取り付けてみました。

 

ホルダーがこんな感じです。飛び出し防止は必須ですね。

 

 

で取り付けベースはこんな感じ。まるで純正パーツのようなたたずまいですねぇ。

 

 

取手 先輩 のコメント
 

ダサイ。ダサすぎる。誰か山本を止めてくれ~。

頼むから、もうやめてくれ~。

 

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帰郷

 

3月下旬。いよいよ出発の日。俺と小川次長は高井戸インター近くにあるバイクショップ「BOXER」に寄った。もちろん異動のことは江口さんに伝えてある。

江口さんは「2人のバイクはちゃんと整備してあるから安心して大阪に行きな」と最後の言葉をかけてくれた。

「江口さん、本当にありがとう。お陰様で、東京支店の4年間、充実したバイクライフを送れました」と小川次長と俺はお礼を言った。

江口さんはぶっきらぼうに1枚のメモを渡してくれた。「大阪の北区にある小さなバイク屋だ。BMWの専門店でもねぇ。ただ、俺の弟子が働いている。お二人のBMWぐれぇだったら見れると思う。なんかあったら相談に行け。東京の江口の紹介だと言えよ。」

 

小川次長との一泊二日ツーリングで、無事、和歌山の実家に辿り着いた。お袋は元気そうだった。手料理は俺の好きな里芋の田楽と鶏肉のレモン煮を作ってくれた。「あんた、東京に四年行ってたと思ったら今度は海外なのね。いいわね、あんた。会社に感謝しなきゃね。」

俺は入社面接で林専務から言われた言葉を思い出していた。あの時言われた海外支店勤務か。本当にそうなってしまったな。

 

 俺は、上海赴任前に人事部を訪れ、その際に、先に退任された林専務の近況を人事部にたずねた。上釜副部長によると、役員退任後、関西地区一円で冠婚葬祭式場を手広く展開する「メモリーライフ」で、社長を務められているという。創業家の会長が高齢で、ご子息はまだ若く、経験が浅いということで、会社役員経験の豊富な林専務に白羽の矢が立ったという。 「林専務は経営者としてはもちろん、人格者だったもんなぁ。」俺は人事部をでた廊下で、ひとり呟いた。
 

さて。愛車BMW K75は2年間実家の倉庫で眠ることになる。いや、半年に1回ぐらいは帰国してエンジンに火を入れたいものだ。

 

 

 

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自分的にはこちらでよかった!

 

そもそも、立ちゴケするであろうし、取り廻しもほぼできないので、デイトナのエンジンガード(極太タイプ)を取り付ける予定でした。ただ、店長によれば「CB650R E-clutch」には適応していないとのこと。

 

そこで、スライダーを装着してもらったのですが、こちらの方が断然良いのでした。

 

 

取手 先輩 のコメント
 

なんで、そこはDIYじゃねーのかよ~。山本らしくないぞー。

ETCを着ける金がない貧乏野郎は手作りしやがれ~。

 

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まさか!Jakeさんも?

 

ジェイクさん最後の日の雰囲気(※音量注意)

 

「さて、今日は金曜日だ。まずは前祝いと行こう。初芝電産の北山さんも誘ったらどうだ?」と小川次長が言った。 「あと、小笹さんも誘いましょう。」と俺が答え、「じゃあ、7時にアヴァンティに集合だ。」ということになった。


「いらっしゃいませ」 「ジェイクさん、こんばんは~。奥のボックス席に4人いいですか?」小川次長が続ける。
「まず先にご報告がありまして、実は私は大阪の本店に戻ることになりました。そして山本のやつは国外追放…っていうのは冗談ですが、中国の上海に行くことになりました。」続けて、 「もう、しばらくここに来れないのは残念です、ジェイクさん。」と俺は言った。

 

 「そうでしたか。それは、ご栄転おめでとうございます。実は私もアメリカに帰ることにしたんです。今月末に。お店は今日までです。」 「そうでしたか。」と小川次長が言うと、その場がしんみりとした雰囲気になった。

 

 「ただ、店はそのまま続きます。後任のバーテンダーはアンジェロといいます。北山さん、小笹さん、引き続きごひいきにお願いしますよ。」とジェイクさんは言うと、サーブから戻ったアンジェロさんが「ヨロシク、オネガイシマス」と会釈した。
 

「今日はお祝いですので、私からワインを1本差し入れさせていただきます。」とジェイク。 「やったー。ジェイクさんありがとう!」と俺たちは素直に喜んだ。
 

小笹さんが音頭を取ってくれた。「小川部長と山本副支店長、北山係長、私、小笹の今後ますますの活躍を記念して…。」 その時、アヴァンティの入口のドアが開いた。「その乾杯、待った~。」 「うわ、有永さん」と俺。 「ホントに来たのか。」と小川次長。 「この期末の忙しい時期に、自分たちだけ楽しいことやってんじゃねえぞ~」 「ジェイクさん。生ひとつ!」
その日もいつも通りの楽しい夜となった。 今日だけは、ジェイクさんが、常連客とカウンター越しに話したり、ボックス席に来て話しかけていた。


帰り際に、ジェイクさんが私に声をかけた。「中国の上海に、私の弟子が一人います。中国上海の平和飯店(Peace Hotel)の1階のバーでバーテンダーをやっています。名前はスタンといいます。店の名前は『AVANTI-Shanghai』。ぜひ一度尋ねてみてください、山本さん。」 「分かりました。平和飯店の1階ですね。必ず行きます。」 「私からスタン宛にレターを出しておきますよ。」 「楽しみです。」 「気をつけて、行ってらっしゃいませ」 「ジェイクさん。本当にありがとう。」

 

 俺たちだけでなく、店を出ていく客たちはジェイクさんと皆、握手して別れを惜しんでいた。

 
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