聖像崇敬か、偶像礼拝か─―カトリック信仰の弁証(後編)
(前編)の続き ■教会の教え―公会議の決定まで 前編で書いたように、崇敬・崇拝や像に関する聖書の証言は幅が広く、あいまいに見える箇所もあり、カトリック以外のキリスト教諸派が「聖像」や「崇敬」を認めないという判断をしてもそれはあり得る選択です。 しかしカトリックの場合は、前述のように、「聖書と聖伝」を信仰の根拠にしており、聖像崇敬は、この両輪から正統な信仰として位置づけられてきました。当然、それは聖霊の導きの下でなされたことであって、人間が誤って決めてしまったとか、異教に影響された結果だとか、そういう理解は成立しないと思います。もしそうであれば、神の導きは、人間の誤った信仰理解によって損なわれ、使徒伝来の信仰はその時点で途絶えてしまったことになるからです(拙稿「カトリック信仰の根拠【前編】【後編】参照)。「教会に偽りの教えが入り込み、パン種のように大きく膨らんだ」などという解釈は、神の導きも聖霊の働きも信じていないことになるでしょう。 以下、聖伝を含め、教会の教えを確認するために、初代教会から第2ニカイア公会議までの流れを簡単に見てみます。 初代教会~8世紀まで 初代教会において、とくに殉教者に関わる碑文などにシンボルが使われるようになったことは前編で扱いましたが、300年頃までには、信徒たちは信仰のシンボルとして、鳩、魚、竪琴、船の錨などを用いるようになりました。その中で最も使われたのは十字架のしるしでした。そのためにキリスト信者は「十字架を礼拝する者」(religiosi crucis)と呼ばれていました。また、キリストは「善き牧者」という象徴的な姿で表されるようにもなりました。テルトゥリアヌスは、2世紀からこの像はたびたび信者が用いる盃に描かれていると証言しています。 一方で、地方の教会会議やアウグスティヌスなどの教父たちが聖画像に反対する動きも見せました。それはまだ神学的に十分に整理されていなかった段階だったからだと思われます。 「4世紀の初め頃になると、聖堂を飾るために絵を使うことによって、誤った考えをもたらす危険はもはやなくなってきた。教会が霊である唯一の神を礼拝するものであることは周知のこととなったからである。ヨハネス・クリュソストモスとヒェロニムスが、しばしばキリストを比類のない美しい人間の姿で表現するようになったのはそのためであった。こうしてこの時以後、絵画や彫像などによって、キリストや使徒、殉教者たちを表現するようになった。またコンスタンティヌス自身、これらの像のうちのいくつかを教会の中に、あるいは野外に置かせている。 教会の教父たちは、これらの像の存在理由として、それが信者の教育と養成にまた教会の装飾に役立つことをあげている。この理由から、すべての教会からすべての像をとり除いてしまったマルセイユの司教セレヌスに対して、グレゴリウス1世教皇(590~604)は次のように書き送っている。 『あなたは教会の中におかれているものをとり除くべきではありません。それらは礼拝されるためではなく崇敬されるためにあるのですから。ある像を礼拝するのと、その像によってそこに描かれた人に祈りを向けることを学ぶのとは、別のことです。聖書が、字を読むことができる人に対して持っているような役割を、像は字を読めない人に対して持っているのです。彼らはこの像から従うべき道を学ぶのですから。像は字を読むことができない人の本なのです』と。 しかし、このことは、聖画像の崇敬に反対する人々があったことを示している。ここで聖画像というのは、単に絵画に描かれた人物像だけでなく、彫像も含んでいた」(『歴史に輝く教会』公会議解説叢書6、中央出版社)。 しかしその後、ビザンツ帝国皇帝のレオ3世(717~741、教皇レオ3世ではありません)はイスラム教の勢力への配慮とその影響から、聖画像の破壊を命じました。これを「聖像破壊運動」といいます。それは次第に激しくなり、キリストや聖人の像まで斧で叩き壊されたそうです。このような暴力行為を終わらせるべく、正統派も動き出すことになりました。 ▲聖像破壊運動 グレゴリウス2世教皇(715~731)は、次のように述べています。 「……聖画像の崇敬は、聖バシリウスの言葉によれば、その画像が表しているものになされるのである。聖画像の崇敬は、まことに聖なる信心であるといえる……。教会が、神は聖画への崇敬を許されていること、そして異教がそれをつくり出したのではないことを断言する時、教会は誤っていない。もし神が人間になられなかったら、私たちは神を人間の形で表わそうとはしなかったであろう。偶像と呼ばれているのは、ぜんぜん実在しないものの表現である。たとえば、ギリシア神話に基づいて製作された神々の像はこの例である。キリストの教会は、決して偶像崇拝と共通したものをもっていない。私どもは、牛などを礼拝しないし、私たちの子供を悪魔に捧げたりしない……。神のみ名によって創られたすべての画像は、崇敬に価するものであり、聖なるものである……」(同上)。 しかしその後、皇帝レオ3世の息子コンスタンティヌス5世は父と同じく聖像破壊を擁護し、「聖画像破壊会議」と呼ばれる会議を開き、正統派を迫害し続けました。「この断罪に基づいてコンスタンティヌス5世は、聖画像を崇敬する者をすべて、特に、修道士たちを迫害した。多くの修道士がこの時に殉教し、他の修道士はローマに逃れた」(同上)のでした。 第2ニカイア公会議(787年) その後、紆余曲折がありましたが、この問題に決着をつけるべく「第2ニカイア公会議」が開催されることになりました。以下、同会議における教義上の重要な発言を『歴史に輝く教会』から引用してみます。 「……ハドリアヌス教皇が、以前にイレネ皇后とタラシウス総大司教にあてて書き送った手紙が読みあげられた。この手紙の朗読が終わったとき、教皇使節はタラシウスに、この手紙の中に提示されている教理に賛成するかどうかをたずねた。タラシウスは、これに対して次のような言葉で同意した。「私たちは愛をもって聖画像を崇敬する。なぜなら、それはキリストとその母、終生処女であるマリア、またすべての天使と諸聖人を表わすからである。しかし、私たちは、神のみを礼拝し信仰するのである」と。その時そこにいたすべての司教は次のように叫んだ。『実に、これこそ会議の教父たちが信じることだ』と」。 「聖書と教父たちにより、聖画像崇敬の正当性を証明することに費された。会議の秘書たちは、タラシウスの依頼によって、聖書および教父の著作からとられた一連の長い文章を読みあげた。それは前もって集められたものもあれば、その時になって会議の出席者が指示したものもあった。取りあげられた聖書の個所は次の通りである。(1)契約の箱と恩寵の座と、その上で守っているケルビムについて(出エジプト25・17~22)。(2)エゼキエルが、神の新しい神殿において幻の中で見たという人間の姿と棕櫚について(エゼキエル41・1, 15, 19)。(3)契約の箱およびその中にあったマンナを入れる黄金の器、アロンの杖、律法を刻んだ板、さらにその上にあったケルビムについて(ヘブライ9・1~5)。 タラシウスは、これらの箇所について次のように言っている。「旧約聖書には、すでに神的な象徴、たとえば、ケルビムのようなものがあり、それは新約聖書にまで伝わっている。もし旧約聖書に、恩寵の座にその蔭を落すケルビムがあるのなら、私たちもまた、その蔭によって私たちの恩寵の座を守ってくれるキリストや聖人の画像を持たなければならない」と。…… 次いで、この総会に出席していた全員が署名した決定の発布をもって終わった。その主要部分は次の通りである。「キリストは、私たちを託身と死去と復活とによって偶像崇拝から解放した……。その栄光と誉れとは人間にではなく、このキリストに帰せられるのである。主と使徒たちと預言者たちとは、私たちがまず、すべての勢力にまさる神の聖なる母を、ついで聖なる天使、使徒たち、預言者、殉教者、教会博士、そしてすべての聖人を賞賛しなければならないこと、彼らの取り次ぎを願わなければならないことを教えた。なぜなら、この取り次ぎは私たちを神の意にかなうものとすることができるからである。さらに私たちは聖にして生命を与える十字架像と諸聖人の聖遺物とを崇敬する。私たちは、神の聖なるカトリック教会の古い伝統に従って、特にこれらの聖画像を受け入れ、教会やあらゆる場所に、それらを置くことを命じた聖なる教父たちの伝統に従って、聖にして崇敬すべき画像を受け入れ、敬意を示し接吻する。これらの聖画像は、人となりたもうたわれらの主イエス・キリスト、終生処女であり至聖なる母、義人に人間の形をとって現れた物質でない天使たちの聖画像であり、また同時に聖なる使徒、預言者、殉教者たちの聖画像である……。これらの画像は、もっと私たちにそのもととなったものを思い起こさせ、私たちをある程度、彼らの聖性にあずからせるようにするためである」。 「描かれたものであれ、彫刻されたものであれ、あるいはどんな方法であれ、十字架を表現したものと聖画像とは、聖具、衣服、壁、家屋、道路上におかれるべきである。この聖画像は、イエス・キリスト、汚れない聖母、聖天使、諸聖人の画像である。これらの聖画像を見れば見るほど、それを見る者は、そこに表わされている者を思い起こし、その者に倣おうと努めるであろうし、尊敬と崇敬とを表わそうという気持ちをおこすようになるであろう。ただしそれは礼拝ではない。礼拝は神にのみなすべきものだからである。以上のものに尊敬のしるしとして、聖十字架の画像、聖福音書、および聖具に行なうと同様、香とローソクとを献げるであろう。これらは昔から行われた敬虔な習慣であった。 一つの画像に対して敬意を表するのは、その画像に表わされている者に敬意を表わすことである。画像を崇敬する者は、そこに表現されている人物を崇敬するのである……」。 ▲第2ニカイア公会議 公会議ではこのように決議され、それ以降、カトリック教会の公式の教えとなり、今日に至っています。しかしながら、信仰に関する決定であっても、キリスト論に関するアレイオス(アリウス)論争を見ても分かるように、すぐに反対論が消えるわけではありません。キリスト論の問題もニカイア公会議(325年)で決着がついたはずですが、その後も議論が蒸し返され、長期にわたり論争が続きました。それと同じく、この聖画像に関する教会の決定を覆そうとする動きはその後も続きました。 教義の決定は、教義論争を担った時代の役割です。その結果は神の導きとして受け止められ、後の時代に継承されます。当然、公会議がやり直されることはないので、異端説は時間がかかってもいずれ劣勢になります。ただ、教会の外であれば、別の団体がその説を復活させることは可能です。アレイオスの聖書解釈が現代でもエホバの証人によって採用されているのはその一例です。 このように聖像崇敬に関しては、第2ニカイア公会議にて、すでに決着済みのことなのですが、前編冒頭に書いたように、今でも聖書原理主義者たちから同様の批判を受けているわけです。 彼らがなぜそのような批判をするのかについては、①カトリックの教えが「聖書と聖伝」によって決まっていることを知らない、②自分の解釈のほうが、教会(当時の信徒、教父、公会議)の解釈より正しいと思っている、③イスラム教のように鋳造に対して強い宗教的禁忌を有している、などが考えられます。また、④アメリカや中南米のカリスマ系の集団の中には、聖母像やキリスト像の中に悪霊が隠れていると主張する人々がいます。その根拠は、「悪魔がそう言った」とか「有名な牧師が悪魔の秘密を暴いて分かった」などというもので、その実態はオカルトですが、日本にも「伝道」に来ているので、留意する必要があるかもしれません。 本稿は、カトリック信仰を確認、弁明する目的で書いたもので、取り立てて特別な主張をしているわけではありませんが、この問題に関心のある方々にとって何かのお役に立つことがあれば幸いです。もちろん、カトリック以外のキリスト教徒の方々に、「聖像崇敬」をお勧めする意図はまったくありません。キリストにあって、それぞれの信仰、霊性を生きることが大切だと思っています。-----------------------------------------------------------------------【付記】 ・本稿は、30年以上前に、エホバの証人の問題で知り合った遠方のカトリック信者の方へ送った手紙をもとにしています。ルーズリーフ7枚の拙いものでしたが、今回加筆・修正をしました。個人的には一つの区切りができた気がしています。 ・また本稿は、「『プロテスタントとカトリックの団結ですか?』を憂う」と「カトリックが改竄した「十戒」?」の姉妹編です。残念ながらエホバの証人だけでなく、福音的なキリスト教を名乗る原理主義者たちからも同様の批判がなされています。知らないだけなのか悪意に由来するのか分からないこの種の批判は、SNSによってそれなりに広まっていますし、求道中の方々の目に触れていることもあるようなので、取り上げる意味もあると思いました。 ・本文で扱えなかった「聖遺物」について。聖書には、「人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった」(列王記下13:21)という記事や、「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業が民衆の間で行われた……ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした」(使徒5:12~15)という記事があります。骨や影自体に奇跡を行う力があるのではありませんが、信仰的に整理すれば、その奇跡は神によってなされているわけです。それと同様の考え方で、聖人に由来する聖遺物への崇敬がカトリック教会にはあります。 【付録】FAQ 聖書原理主義者との単発的なやりとり ①「マリヤを拝めとは聖書のどこにも命じられていない」⇒⑴聖書に根拠がなければ認めないという考え方は、そもそもカトリックの信仰とは異なったものです。カトリックは聖書と聖伝を信仰の源泉としていて、それらの中から聖母に関する信心が生まれてきたのです。認められなければ、あなたがしなければいいことです。⑵キリストは、人として「両親を敬え」という十戒を含めて、神の法を完全に完成しました。ここでいう「敬う」のヘブライ語の元の意味は、「ほめ称える」ということです。だから、キリストは、天の御父をほめ称えただけではなく、地上の母マリアもほめ称えることによって完全に敬ったので、私たちも彼に倣うのです(スコット・ハーン『ローム・スィートホーム』ドン・ボスコ社より要約)。 ②「崇敬と言っても、すべて取り次ぎの祈りではなく、マリヤをたたえているものもある」⇒「たたえる」については①を参照。崇敬とは、神以外の天使、聖人たちへの祈りです。「祈りは神にのみ捧げられるべき」だという理解はカトリックにはありません。聖伝も証言します。「マリアに助けを願う祈願の最初のものは、3世紀以前にパピルスにギリシア語で書かれていた祈りです。……『神のみ母よ。あなたのあわれみのご保護のもとに、私たちは逃れます。私たちが必要に迫られてささげる祈りを見捨てにならず、私たちを危険からお救いください。ただひとり浄く、祝せられたお方よ』」(光延一郎『主の母マリア』276頁)。また、3世紀の「オリゲネスの著作には、すでにこの祈りが登場します」(同上105頁)。 ③「被造物にすぎない聖人をたたえることは神への冒涜になる」⇒例えば、聖母マリアへの讃歌は、彼女が救い主の母になったことで神の救いの計画が実現したことを喜びをもって歌い上げるものです。その究極的な目的は、神への賛美となります。つまり、人間(被造物)をとおして創造主を賛美することですが、これは、作品をほめることでその作家を称えるのと同じです。作家は自分の作品がほめられたことで自分が冒涜されたとは思わないでしょう。このような祈りは、ルカ福音書の「おめでとう、恵まれた方」(1・28)、「あなたは女の中で祝福された方」(1・42)、「なんと幸いでしょう」(1・45、48)を深く掘り下げたものです。 ④「聖伝が根拠だといっても、聖書に反してはいけないのではないか」⇒聖書に反するか反しないかは、当時の教会が判断し、その結果、聖書の教えに反していないということになりました。その判断は「聖霊とわたしたち」(使徒15:28)によるものと理解します。 ⑤「トビト記や知恵の書などの旧約外典を根拠にされても意味がない」⇒それらは外典でも偽典でもありません。カトリック教会は2000年にわたり、旧約聖書46正典の立場をとってきています。旧約46正典は新約聖書の正典と同様、古代以後の教会会議、公会議で決まったことですし、教父たちの著作でも聖書としてふつうに引用されています。今では「続編」「第二正典」と言われている7書は、宗教改革後に正典から取り除かれたのです。キリスト教史でいえば、この400年の現象でしかありません。 ⑥「古代のキリスト教徒云々といっても、彼らは聖書を知らなかったため偶像礼拝に道を開いてしまった。聖書を手にできる今、聖書に立ち返る必要があるのではないか」⇒「聖書のみ」という考え方は、16世紀に生まれた新しい信仰のとらえ方で、カトリックの立場とは違います。また、古代の信者も聖書に無関心ではなかったですし、聖霊は当時の人々にも働いていました。聖書は一家に一冊ということではなかったとしても、洗礼を受ける、福音を信じるという意味では、信仰を決断する知識は十分に整っていたはずです。そして彼らの信仰は私たちの信仰となりました。 ⑦「聖伝や教会のことを聞いても、カトリック教会が行ったさまざまな悪事を見ると、とても信じる気にはならない」⇒あなたのいう「悪事」が正しく歴史を分析したものであるかはどうかは置いておいて、それでは、あなたは殺戮や多くの罪の事実が書かれているという理由で、旧約聖書を信じないのでしょうか。人間は全く汚れのない歴史を生きることはできませんし、啓示は、人間の頭の中に抽象的に与えられたのではなく、この人間世界の中で現実的に与えられています(人間の言葉によって、人間の出来事を通して、人間の礼拝や信仰を通して)。それを受け継いでいるのが教会であり、教会は人間の罪にもかかわらず存在がゆるされ、聖書と聖伝によって神の教えを伝えているのです。 ⑧「しるしだと言っても、きれいな十字架や美しいマリヤ像を好んで選んでいるではないか。これは物質を尊重している証拠だ」⇒しるしであることは、そのしるし自体に対し、無感覚であるという意味ではありません。また、しるしの背後にあるものを大事にすることは、そのしるしが汚いものである必要はありませんし、良いもの、美しいものを選んでも問題ないのです。汚れていれば、しるしとして確実だというわけではありません。美に傾くとしるし性が損なわれるというなら、その基準があるのでしょうか。 ⑨「キリスト像は、キリストが神であれば、神の像を造ったことになるのではないか」⇒キリスト像は、神たるキリストが受肉した事実を表現しているのであって、神のあり様や本質を表したものではないのです。キリストは完全な人でもあったので、人であるキリストの姿を描いても神を描いたことにはなりません。 ⑩「キリシタンは、十字架像を踏めなかった。これは十字架を偶像視していた証拠だ」⇒彼らが聖像を踏めなかったのは、その背後にあるキリストを踏めなかったからです。彼らは「聖書を踏め」と言われても踏まなかったでしょう。それは聖書を偶像視することではなく、その行為が信仰を否定することを意味するからです。・反対に聞いてみました。「カトリックが偶像崇拝の罪に陥っているなら、古代から現代まで、信徒は皆、十戒を破って神に是認されず、滅んでしまったということですか。彼らは滅びるために生まれてきたのでしょうか」。答えらしい答えをもらった記憶はありません。