「シノドス」(世界代表司教会議)が始まった。この会議に先立って各国で数年前から信徒たちの意見を尊重しようとして、信徒にアンケートをしていた。参加した個人や教会もあったと思う。

一部の教区でも今回のシノドスの準備・啓蒙に力を入れていて、担当の神父様方は大変な労力を使っておられたようだ。大変ありがたく思っている。



「信仰について信徒の意見を聞く」ということについては聖ニューマンも語っていたし、信徒は「信仰の感覚」を有するという視点も近年とくに強調されるようになった。どちらも第二バチカン公会議後に見られる信仰理解で、個人的にも同意している。

ただ、今回の会議の雰囲気は、あのナイス(福音宣教推進全国会議、1986年)とどこか似ていて、ナイスにアレルギーをもつ自分としては、一部のリベラルな枢機卿や司教、信徒たちが「世論」を形成して(あるいは周到に準備して)、これまでの教会の流れを変えようとしているのではないかという不安がある。

信徒の多くが信仰を失っている、あるいは信仰が質的に変化していると言われる21世紀の教会において、シノドスに関わるリベラルな信徒たちは、与えられた「信仰の感覚」から誠実に議論をしてくれたのだろうか。リベラルな司教たちは、そのリベラルな意見を強引にねじ込んでくる可能性はないのか。そういった恐れを感じている。

もちろん、これが考えすぎであってほしいし、シノドスに関わる多くの人たちはそれほどリベラルな意見の持ち主ではないかもしれない。何よりこの苦難の時代を生きるための良い提言が生まれてほしい。最悪の分断だけは起こらないことを願っている。