酒とホラの日々。 -75ページ目

夏の夜はやっぱり怪談!

岡本綺堂の短編に「すいか」という怪談の名品があります。


すいかの中からヘビやカエルがでてきたり、風呂敷に包まれたすいかが
生首に見えたり、祟りがあってその真偽のほどをはかりかねているうちに
友人はすいかを食べて腸チフスで死んでしまいます・・・。
小学生の時に読んだ作品ですが、夏の湿った空気と冷や汗にぬれた
シャツがまとわりつくような、奇妙な怖さは今もって鮮明に記憶に
残っています。


今にして思えば、スイカなどという、ポップなデザインで明るい夏の代表イメージを、
よくぞ怪談に仕立てたということとの違和感もあるのですが、
これは例えば虫もつかず土の匂いのしない状態ですいかに接している
現代人の感想なのでしょう。


綺堂の時代とは生活も身の回りを取り巻く環境も
大きく変わっていますから、
怖さの対象も怪談も世に連れてその質が変わっていかねば
ならないのでしょう。


もっとも、
時代も場所も問わず使える「万能怪談」というものもありました。
以下この一例。


まず、夜静かなところで車座になって灯りを消し、
順に怖い話をして雰囲気が盛り上がってきたところで
真打(もちろん私)が語り始めます・・・


 古屋の夜中、紙を握り締めて外の便所へ行ったのだが、
 もちろん水洗などあるわけがない。
 早く済ませて戻ろうとするが、こんな時に限ってなかなかすまない。
 するとそこに、生暖かい風とともに、
 下から青白い手が伸びてきて尻をなでる。
 あまりの恐怖に身動きもとれず、声も出せないのだが
 手の向うから声がかかる。
 「か~み~を~く~れ~」
 震える手で握り締めた紙を一枚渡してやると手は消えたが
 すぐにまた現れて尻をなでる。
 「か~み~を~く~れ~」
 こうして、一枚、また一枚と紙を渡すうちに
 ついに紙は最後の一枚となってしまった。
 しかし白い手はまた現れ
 仕方なしに最後の一枚を渡そうとすると、
 手がびくっと動いた。
 
「違う・・このかみじゃない・・・・、この髪だー!

    


最後の言葉は充分に演出を効かせ
同時に隣の女の子の髪をむんずとつかむのです。
野郎と女の子が同数ほどなら、野郎どもには予め手筈を知らせて
一緒にむんずに参加してもらうとなお良いでしょう。


何の事はない、暗いところでいきなり「わっ」とおどかすだけですね。

これで泣かせた女は数知れない・・自慢じゃありませんが。


うわははははははっは・・・・

神楽坂のペコちゃん 

本日は私の以前ずっと住んでいた町について少々。


知ってる人は知ってるだろうけど、神楽坂には日本全国で唯一の
「ペコちゃん焼」を売る不二家の店があります。

 peko1 (ペコちゃん焼き。見た人はたいてい、「げ、カワイくない!」と叫ぶ。 ホラーかよ。。)


類似品にペコちゃん人形焼(不二家八重洲店)というものがありますが
これは後発の別物です。


昔あるとき何気なく不二家のチラシを見たところ、
ペコちゃん焼の由来がのっていました(今でも店頭にあると思いますが)。
なんでも、不二家の店の洋菓子だけで足りない売上不振を補うために
ペコちゃん焼は生まれたとのこと。
その後各店舗は経営が軌道に乗りペコちゃん焼を止めていったのですが、
最後に残ったのは、時代に取り残された神楽坂の店だけだったというのです。


そのときの私の反応
「がーん!神楽坂って時代に取り残された町だったのか!」
「なんか野暮ったいところだとは思っていたけど、

俺って、都心の時代遅れ人間だったのかも」

    神楽猫

まあ、その後どういうわけか都心の散歩ブームなんかが起きて、
各メディアが神楽坂の特集をやったりして、
都心のワンダーランドみたいに言われたり、
いつの間にか34階建てのマンションは建つわ、
年寄りのツアーがやってくるわですっかり
妙な人気スポットと化して今に至っているのですけれど。


先日神保町の古本屋で神楽坂のタウン誌をみていたら、
なんとレア物のコーナーに分類されておりました。
その上隣に並んでいるのはUFO雑誌「宇宙艇」。
やっぱり神楽坂って・・。

    maitaunn1

自分探しは人生の王道となるか

先日、自分探しのチャンピオンを自称する無職男性と会いました。
本当の自分に出会うまでは社会デビューできないのだとのこと。
そんなのは単なるニートだよと片付けることもできますが、
程度の差こそあれ誰しも同様の要素をもっているとも思います。


ただ私が、大人になった自分との付き合いも
また会社との付き合いもそこそこ長くなって身にしみてわかるのは、
「自分の評価を下すのは他人である」という当たり前ながら厳然たる事実
ですね。


人事の配置・評価、世間での評判・付き合い方、等々、
その評価がどんなに一方的で不当にで受け入れがたいものであっても
自分を評価するのは常に他人だけなのです。


また、自分という意識は他人との関係性の中において出現するものです。
たとえ、その自分がいかに確固とした盤石なものだとしても。
結局、自分などというものは他人の海に浮かぶうたかたのようなものでしか
ないのかもしれません。


ですから、自分探しは同時に他人探しでもあるとも言えます。

彼の場合、近々探している本当の自分が見つかるのかわかりませんが、
自分と納得のいく関係を持つ他者(達)が見つかったときにこそ
自分探しの旅は終わるのではないでしょうか。


また、人付き合いの苦手そうな彼が、

万一納得いく他人関係が得られなかったとしても、
本当の自分を探し回った、幾多の傷のような道の跡こそ自分自身に他ならないと
気付くのではないでしょうか。


まだニートに対する偏見が根強いようですが、彼らを理解支援することは
私達自身を理解することとつながっていることを感じた一日でした。


なんとも本日はいつもと違うテーマ、トーンになってしまいました。
たぶん次回からはまたいつもの調子に戻ると思いますが。

スターウォーズ エピソード3  ---生きていたパドメ


STAR WARS  EPISODE Ⅲ 見てきました。

たいしたファンでもないのに、スターウォーズはこれで4・5・6と新シリーズの1・2・3と

全部見てしまったワイ。

で、このエピソード3、こりゃ、見所はチャンバラとSFアクションだけですね。


ストーリーやドラマについては、初回作エピソード4(新たなる希望)とラズベリー賞受賞映画
前作エピソード2のつなぎに徹しているので、なんだか空いているスペースにパズルピースを

置いていくだけのような感じ。


穴金アナキンの暗黒面への転落も、ジュダイの大虐殺も、ほうれ来る来る、ホレ来た、
はいどうも、ってな感じで、まるでロープに飛んだら十六門キック炸裂、
コーナーに追い詰められたら空手チョップだ真っ向唐竹割り!という、
予定調和に満ちたプロレスの台本みたいで楽しめましたが。


それよりも私の友人の間での評判は、

あのパドメ、何あれ?、前作よりごっつカワイクなくなってるやん!?

あのパドメのおかげで映画に集中できんかった!
という人が何人も見受けられましたな。(断っておきますが全部「女」。男はそんなこと
思っても口にしない)


でも私に言わせれば、あのパドメの役作りこそ、今回のエピⅢの徹底した「つなぎ」

なのですよね。
なぜなら、エピソードⅠ・Ⅱのときには、

あのパドメから、なんであの初回作エピ4のブスのレイア姫が出てくるんだヨ!

というのはSWファンの大いなる疑問のひとつだったのですからね。
だからこそ、あの麗しくないパドメこそキャリー・フィッシャー、

でなくてレイア姫のお母ちゃんにこそふさわしいわけです。

(ああっC・フィッシャーさん、ごめんなさい、私、あなたの自伝小説

「Letter From the Edge」(映画ハリウッドにくちづけの原作)のファンです、
フォローになってないけど)


それで、映画関係の友人とも話したのですけれど、
こんなつなぎ映画でシリーズ完結、ルーカスのSWも完結では、さすがにヂョーヂ・ルーカスも
まずいと思ったらしくて、現在スター・ウォーズの外伝的なものを企画検討中らしいですな。


その企画検討中のストーリーでは、中心となって活躍するのは老パドメ

パドメは今回作で死んだことになっていましたけれど、

実は甚六亭主アナキンに愛想が尽きて逃げ出しただけ
葬式も替え玉だった、ということになっています。


そりゃそうでしょう、

パドメといえば共和国のアミダラ女王を勤めたくらいの、ふてえ女ですよ、
それが、え?生きる希望がないって、何それ?、ありゃ死んじゃったー。ですからね。
後から酒飲みながらモノマネでみんな大笑いですよ。


パドメは出産と葬式後、ナブーから場末の星、アランドロへと落ち延びて、
色街の洗濯女として暮らしていたのです。様々な男出入りと波乱万丈の人生を経て、
シス卿とダースベイダー亡き後の、銀河帝国の解体と民主化選挙にでもって
再び銀河共和国の表舞台へと姿を現してくるのですが、そこで彼女が出会うものは・・・。


パドメ婆、腐った帝政残党を丸洗い。
銀河残侠伝 ---洗わせてもらいます。

新シリーズ 『STAR WASH』の登場だぁ。

  

(あ、でもエピ3、値段分は楽しませてくれる映画だと思いますよ、

その点でも、当たり外れの多いサッカー興行じゃなくて、

プロレス興行見に行った感じと似てる)



空高く奏でよ、君が代

江戸時代には、放屁を自在に操り屁で曲芸を行なう見世物が
あったそうで、平賀源内も「屁学」という本を著してこれを
絶賛している。


江戸時代まで遡らなくとも、確か昭和の時代にも屁の曲芸はもちろん
放屁の瞬間にこれに着火し、理化の授業の炎色反応実験の如き
様々な炎の色や形状を競う「へモス会(屁燃す会)」なる団体も活躍
していたと思う。


しかし屁の芸の極めつけは放屁音を拾ったテープを編集してできた
「君が代」であろう。人体の奏でる妙なる幽玄の音色は聞く者の心を
とらえて離さず、聞く者の全てが感動のあまり(?)涙していたもの
である。(本当、本当!)


最近はこれに類した営為はほとんど見かけなくなってしまったが、
(放屁の曲芸ということでなくて、微妙なものに障る表現ということで)
平成の今、屁こき君が代演奏などしたら、血の気の多いオジサンたちが
飛んできそうな気がする。


どうも、現代は国歌や国旗、そのほか国家の象徴的なものについて過剰な
自己検閲が進んでいるようだ。

私の先輩が、好きな相手と結婚まで至りたいのなら、目の前で屁をこいて
平気なくらいでなければならないと言っていた。
様々な面を許容しあえるくらいでなければ、現実のものとしての結婚生活を
営んでいくことなどできないという意味だろうが、押し立てたあるべき理想
を逸脱する行為に過敏に反応しているようでは本当の意味での安定した
家庭なんかできようもないことは明らかだ。


同様に、敬して遠ざけ自己検閲が働いているような国家国体なんて、
民主主義からはひどく遠いものである。

UFOにさらわれたい

どっかの業界では大酒食らってひどく酔うことをUFOに乗ると言うらしい。
それなら拙者もUFO乗船歴は数々あるが、知人の又知人であるところのU女史は、

本当のUFO拉致被害者であり、また、貴重な脱出帰還者である。


U女史の話によれば、UFOに拉致・連行された後、全裸で検査・解剖されて
体内に機械を埋め込まれたのだが、あるとき所持品の香水スプレー(金星人は
香水の成分が苦手である)を振り撒いて、ひるんだすきに脱出ポッドを奪って
逃げ出したのだそうである。


しかしなんと、今も金星人は、

体内に埋め込んだレントゲンにも写らない機械で女史を遠隔操作して、

むやみに買い物をさせたり、仕事を拒否させたりしているのだが、
これは金星人がいずれ侵略する地球の社会の様子を探っているのである。


ただ、この宇宙人電波を遮蔽するには脂肪が有効であり、

遠隔操作機械の性能を低下させるにはアルコールが有効であることが

研究の結果わかっているので、

U女史は常にたくさん食べてたくさん飲んでいなければならないのだという。


したがって、現在のU女史はたくさん買い物をしてあまり働かず、のべつ飲んで食っている人になってしまっているのだが、これはみな金星人の陰謀のためであり、会社にも家族にも、地球防衛上やむを得ない行動であるということで納得してもらっているのは当然のことである。


また金星人はマイナスイオンを好むので、最近マイナスイオンが体にいいという人がいるのは金星人のスパイに洗脳を受けている証拠であるから、このままでは近いうちに地球は金星人に侵略されてしまうのではないかと本気で心配していた。


・・知らなかった。

マイナスイオン商品なんて何の役にも立たないと思っていたけれど、

そんな宇宙規模の陰謀の一環だったとは。

私もマイナスイオン商品をたくさん使ってマイナスイオンに囲まれていれば
U女史みたいにUFOにさらってもらえるだろうかなあ。。。

雑誌愛読月間と夏休み課題図書

永井荷風の大正14年の日記に、送りつけられては読みもせず、押し入れ一杯にたまった雑誌を屑屋を呼んで引き取ってもらう場面があるが、その際に実名をあげて雑誌一般に対する荷風の批評は辛辣である。
つまり、愚にもつかない雑誌の多さをコテンパンにけなしているのである。


またこの人は、映画や文学などというような軟弱文化に流される世情を批判し、

これは亡国の兆しに他ならないと断じている。

荷風自身が文筆を生業としているくせにこんなことを辛辣に述べるのも面白いが、
こうした何物にもへつらわない批判姿勢が、

今もってなお荷風を好む人の多い理由の一つではある。
(事実その後の日本は、荷風の嘆きの通り、

史上最もロクでもないことになってしまったのではあるが)


書店に貼ってあるポスターによれば、7月21日~8月20日は
「雑誌愛読月間」なのだそうだが、要するに販売強化月間ということである。


こうした夏の図書販促は、私のような一介の読書人に実にいやなことを思い出させる。
夏休みのダークサイド「読書感想文のための課題図書」である。
これはご存知の通り、出版業界と教育委員会だかが癒着して、
始末に困った在庫を子供のいる家庭にに押し付けて処分を図るための方便である。


そんなやましい本だから、子供の頃の課題図書といえば、読むにも感想を書くにも
困ってしまうような本が多かった。
うちの親は「学校課題図書」などというと、無批判に買って子供に押し付けていたから、
自分で本の世界に遊ぶ楽しさをすでに知っている子供としては、
なんでこんなツマラナイ本に付き合わなくてはならないのかと、
毎度悲しい思いをしたものである。


それは例えて言うなら、
「僕は毎日美人で気立ても良い女の子と楽しく遊んでいたのに、
ある日突然両親と教師の決めた性格の悪いブスと結婚させられてしまって、
早く子供をつくれと毎日催促された」
ようなものである。


さすがに中学ともなると、すこしは自分の意志もはっきりしてきて、
ある夏私は、課題図書をぶっちぎりで無視し、
あろうことか「読書感想文の書き方の本」の読書感想文を書くという
小さな抵抗を試みたことがあった。
その結果、教師には少々小言を言われることとなり、
面白くない私は直後のクラスマッチのリレーを(選手なのに)ボイコットして
帰ってしまうという行動に出て、
クラスの連帯と体面に関る問題を起こしてしまったのだった。


これは例えて言うなら、
「恋人との中を裂かれ、両親に婚約者を押し付けられて自暴自棄になった僕は、
知り合って間もない遊女と駆け落ちし、その後子供を連れて戻ったものの、
家族にも世間にも受け入れられず、絶望して家に火をつけて失踪した」
みたいなものである。


・・・美しくあるべき失われた少年の夏の日は戻らないが、
まあ、私のその後の人生でこんなことが実際に起きなかったのは幸運だった。


今となっては少年を悩ませたブスで性格の悪いヤツらは、

すでに多くが散逸してしまったけれど、
それでもヤツらもまた、懐かしい夏色の思い出であることにはかわりはない。
せめて手元に残った本だけでも大切にして、夏のこの時期、書棚から出して
埃を払っておくとしよう。
夏は書物の虫干しの時期である。

こころの朝と二日酔いの朝

『こころの朝』  木村耕一 / 1万年堂出版

                こころの朝

すり切れた名言や教訓も、たくさん集めてきれいな書や写真で飾れば、どれかたまに心に響き、何かの ヒントになることがあるかも知れません。

読んだらすぐに、やせて彼女ができて金回りが良くなるというような、即効性はありませんが、なにせきれいな本だし、決して悪いことは書いてないので贈答品や書棚のインテリアには最適です。また、世の中にはやたら座右の銘とか心に響く話とかが好きな人たちはたくさんいますから、そんな人とやむなく共通の話題をもったり、かしこまった席の毒にも薬にもならないスピーチのネタ本としても使い道があります。


今日も本屋を覗いたら、この手の本の多いこと。幸運を呼ぶペンダントや石が、一緒に横で売っていたのはつまり同じジャンル商品、と言う扱いなのか知りませんが、世の中いかに迷いを扱いかねている人が多いかということなのでありましょう。
(断っておきますが、私はこうした本にも偏見はありません(ごほッ)、それが証拠にちゃんと上記の本だって購入して読んでおります)



それから先日ある食玩(お菓子のおまけ)を見たところ、
「迷ったっていいじゃない誰だって人生は初めてだ」
という文字が掘り込まれておりまして、かわいいネコのキャラクターとちょっと人生訓風のロゴがアンバランスなようでちょっとだけ引っかかりました。
こんな子供向けの(対象は中高生くらいか?)のマスコット人形に書くような言葉かなあと思いつつも、初めてだけど一回しかないから絶対迷ってなんかいるわけにもいかないと考える人が多いから、こんなキャラが成り立つのかもしれません。



社会の要請する理想像も認められる価値観の幅も非常に狭くなってきているのに、現代はあらゆるのリスクが「自己責任」の一言で個人に帰される時代です。
みんなリスクを避けるために身をすくめて汲々としてその日を何とかやり過ごしているのですから現代に生きる者としては、なにか一つの行き詰まりが、これまで営々と積み上げてきた努力が全て意味をなくしてしまうような錯覚をもたらすことも容易に実感としてわかります。


迷ったっていいんですよ。


卒業後の進路を決めかねて留年し悶々とする『ハチクロ』(羽海野チカ/講談社)の主人公竹本クンがこんなことを言っています。
「僕に無いのは地図じゃない、目的地だ」 
---いい言葉ですね。たしかにみんな目的地を見つけ出せないから悶々としているわけで、抜かりなく完璧な人生のゴールにたどりつける地図なんてありません。目的地が決まってあとは何の疑いもなく猛進できたらそりゃあ楽かも知れません。だからといって目的地にこだわるのも程度の問題です。



大日本軍の官僚主義的な作戦指導部の「拙速と拘泥」が日本の泥沼を招いたみたいに、修正できない目標と言うのもろくなことはありません。どんなに拙い作戦でもひとたび軍事力を投入してしまうと退却もままならず、損害に損害を重ねて、行くところまで行かないと方針転換ができなかったのは良く知られたことです。その辺が日本軍は前線の将兵は勇猛で優秀なのに高級将校は極めて無能であると言われた所以ですが、なんだか今の官公庁が何十年も前のダムや道路の開発計画もロクに修正できないのと似ていますね。



目的地の設定如何によっては到達できるかどうかもわかりません。
目的地がずっと目的地たりえるかもわかりません。
迷ったっていい、でも目的地だって柔軟に変更してしまってかまわないはずです。


「気をつけよう、目的向かって猛進撃で思考は停止」

幸せの青い焼き鳥

シシトウをあぶって食う、これは夏の風味である。


さえた緑が目に心地よく、淡白な味の中にもほの辛さが漂って
酒の肴に好適であるうえ、安くたくさん食べられるのもまたいい。


ただし難点としては、ごく稀に異常に辛いものが含まれることである。

辛さもピンきりであるが、中にはあの辛い唐辛子で有名なハバネロ種以上の
辛さをもったものもあるというので注意が必要である。


根拠は無いが「辛い!」と思うシシトウは数百本に一本くらいだろうか、
もっと高率で出現すれば警戒もするのだが、微妙な出現率に人は油断する。


拙者もある日、ビール片手に焼き鳥に挟んで焼かれたシシトウを食っていたところ、
ひとつが口の中で大爆発を起こした。


すぐに吐き出して、水を飲んだがますます悪化。
牛乳・・・効果なし。口内大火災である。
そうだ、インド人がヨーグルトが辛さを鎮めるといっていた!
ヨーグルト、ヨーグルト、・・・しかし焼け石に水。


ティッシュを口にいれてあごを押さえるが、鼻水も涙も噴出して、
つい、そのティッシュで洟をかみ、目をぬぐったものだから、
被害飛び火して、顔面ゾンビの辛子炒めである。


救急車を呼ぶか?という申出はかろうじて断って
「こりゃあいい、辛いものはやせるというのは本当だね」、と
虚勢を張ってみたものの、食事は中止となった。


たかが、シシトウとあなどってはいけない。辛さのショックに昇天した人は
いるかどうか知らないが、あまりの辛さに煩悩が頭の汗と一緒に放散して
悟りに至ってしまった人のことも古い文献にあるくらいなのだから。


・・昔男、鳥とシシトウを炙りて喰らい、身心を放下し円寂す (往玉要集)
 

焼き鳥にはさむ青物をシシトウにするかねぎにするかはお好みしだいではあるが。

肴が出てきた日

私が飲みすぎたのがいけないのでございます。


アルコールに汚染された私の脳はすでに正常な判断を
することができなかったことが原因であります。


いい酒が手に入って飲んだくれた私は、台所で生ハムの
かたまりを見つけて、酒の肴にちょうどいいと、やってきていた
弟一家に振舞ってしまったのであります。


こりゃあ肴が豊富でいいワイと喜んでいたところ、
帰ってきた嫁さんが慌てております。


何でもあのハムはとうに賞味期限切れで捨てるはずだったものだとのこと。
・・・何も知らず盛り上がる宴会。


我々人類の運命は・・・と焦りましたが、
まあ、3日たっても生きているんだから、大丈夫だったのでありましょう。
(弟はトイレに長期滞在していたそうだが)


核物質の回収騒動とリゾート地のどんちゃん騒ぎを描いた
ブラックSF「魚が出てきた日」とは、もちろん本件は何の関係もありません。


時節柄、食品の賞味期限と衛生管理は怠りなく。