酒とホラの日々。 -74ページ目

山が呼んでるよ

先日テレビを見ていたら、「激増する中高年の登山事故」という特集をやっておりました。
そういえばスポーツ店でも高価なブランド登山用品に群がってるのは、

シルバー層ばっかりですね。


それにしてもなんで、年取って体力なくなってからわざわざ重たい荷物しょって
しんどい山登りなんかに出かけて行かねばならないのでしょう。
しかも経験もないくせに、年寄りで身勝手だから人の忠告も聞かないのも
事故を増やす要因のようです。


しかし年寄りばかりを責めてはいけません。
一見無謀なシルバー登山ですが、実はこれは本能に基づく行動であるのです。


昨日まで、普通に暮らしていた年寄りがある日突然「山に行きたい」と言い出す。
周囲の止めるのも聞かず、山登り装束に身を固めて出かけていく。
山奥深く分け入った年寄りは帰ってこない。

 

なんか日本の伝統を思い出しませんか?
そうです、「姥捨て山」ですね。


共同体の中に身の置き場のなくなった年寄りは、皆に迷惑をかけまいと姥捨て山へと
入っていく。これは人間の一生の行動パターンにプログラムされた世代交代・種族保存の
本能行動だったのです。


動物では増えすぎたレミングが集団で海に飛び込む行動が有名ですが、現代人にも
同様の行動がちゃんとプログラミングされて生きていたのです。


だから年寄りが山に行きたいと言い出したら、そっと行かせてあげて
帰ってこないからといってもむやみに捜索隊を出したりしてはいけないのですね。
救助された年寄りが不機嫌でエラソーに態度悪いのも、なるほどわかります。


なお、今年も中高年の登山ツアーは大盛況だそうです。
ああ、私もあなたも、いつかああして山へと向かう・・・。

炎暑の午後

うちのリビングの西側には大きな槿の木があって、夏は強い午後の日差しを
程よくさえぎる天然の日よけとなっております。

日よけだけでなく、毎日淡いピンクの八重咲きの花をたくさんつけてくれるので、
絵画のような窓からの眺めを提供してくれています。
また冬はすっかり葉が落ちきってしまうので、まったく邪魔にはなりません。
今も私はこの木漏れ日とたくさんの葉の透過光を背にパソコンを打っています。
この木がなければ今頃熱中症ですね。

木漏れ日

それにしても毎日たくさん咲く花が一日花であることは不思議です。
炎天にもまったく弱ることなく、惜しげもなく毎日繊細で豪華な花を咲かせる槿の
精力的なことはたいしたものです。


夏も終盤にさしかかってきたのか、セミもだいぶ低いところで鳴くように
なってきました。窓を開け放っていると会話にもちょっと苦労するほどセミたちの
絶唱もいよいよ追い込みにかかってきたようです。


あと少しで夏休みも終わり、秋の気配がそこはかとなく漂ってくるとともに
夕方からの虫の声が次第に大きくなってくることでしょう。

選挙投票率低下促進キャンペーン

「国政を、卑しくも国家運営というものをだね、民主的な手続で
なんて決めたくはないのだよ、君い。
下層階級はゴチャゴチャ口出しせんで、ワシらの決めた通りやっておれば
それが一番の幸せなんじゃ。」

だからなんですよね、選挙の日にはみんな家で寝てくれればいいと、

言った政治家がいましたねえ。
してみると作今の低迷する投票率なんてまさしく彼らの思惑通りなわけです。

思い起こせばこれまでに様々な投票率低迷化推進施策
が実施されてきました。
 1.年寄り部隊の投票呼びかけパレード
 2.子供を駅前に並べて投票呼びかけ
 3.選挙ティッシュの配布
 4.選挙標語の募集
 5.棄権防止川柳の募集
・・・よくぞ並べたもんだと感心する脱力ものの施策ばかりですね。

でも実は投票率改善のため実施するはずだった施策はこうでした
 1.納税者投票者に税は金から1,000円の還付
 2.非納税者には投票時に食事券の配布
 3.投票者には豪華景品の当たる福引を併せて実施
 4.投票所にフリマ、縁日の露店、大道芸、ストリップ小屋などを招致
 5.また、投票忌避者には罰則規定あり

あ~あ、でも私は下層階級の権利を行使に、選挙には行きますよ。

『スウィング・ガールズ』 

   swing

昨年公開された矢口史靖監督の映画、DVDでやっと見ました。
元気で明るい女子高生、きれいな田舎の風景に、のりのいい音楽と
テンポ良く進むコメディー。こりゃ無敵ですね、つっこみ所が
ありません。笑ってのって元気になれて、繰り返し鑑賞にも耐える
コストパフォーマンス抜群の上出来映画です。


拙者は女子高生趣味もロリコン趣味も皆無でひたすら大人の女性指向で
すけれど、映画の高校生たちがうらやましくもなりました。
(なにせ男子校だったもんな)


こんな映画に細かい設定が、リアルさが、そもそも映画とは等々、
突っ込み入れるのはなにかすごい不幸を抱えた人なんでしょう、
別に同情しませんけど。


しかし見終えて思うのは、拙者もバンドしたかったなあ、と
いうことでしょうか。やっぱり音楽は聴くのもいいけど、
自分で音出しすのが楽しいものです。


拙者は高校・大学の頃はスウィングするかわりにロックしておりましたが、

バンドをヤル縁には恵まれませんでした。

というか声はバス・バリトンだし楽器は弦楽器や吹奏楽器はまるでダメ。

ピアノは弾けるのですけれどロックでキーボードは所詮添え物。

目立つのはよほどでなくてはなりませんが、拙者のごとき弩下手糞は

お呼びではありませんしね。

一度だけバンドしようかと話が盛り上がって、唯一私のできる楽器
ピアノがそばにあって、それでは一曲とそこで弾いたのが
ベートーベンのピアノソナタ悲愴で、思い切り白けて
(暗譜で弾ける曲はそんなのしかなかった。しかもさわりだけ。)
バンドの話は空中分解。


もっとも他のメンバーだって、チューバとビオラだったのですから
同じようなモノでしたが。

でもそのまま実現したらどんなバンドになったのでしょうね。

理想としてはかっこいいボーカルが二人いて拙者がマルチプレーヤー

というのができたら良かったというタワゴトを言いつつ、

今日もへたくそなピアノ弾く、夏も終わりの虫鳴く晩でありました。

ダイエット道を極める

今の生活を続けてこの先、体重が増えつづけたら
将来一体どうなることかと不安にとらわれ

内臓デブのケのあることを宣告された私は
ある日体重を減らそうと思い立つ


食うのを控える
体重が減る
腹も減る
脱力する
気力がなえる
食う
体力が戻る
体重も戻る
食欲に弾みがつく
さらに食う
これはいかんと思うが
食ったものは仕方がない
居直って過剰にに食う
体重計をみて反省する
食うのを控える
体重はあまり減らないが
腹が減る
体力が衰える
気力がなえる
これはいかんと思う
食う
食欲に弾みがつく
さらに食う
これはいかんと思うが
食ったものは仕方がない
オレは何してるんだと思う
こんどは食った分より
運動をしてみる
体重は減らない
さらに運動する
体重は減らない
これだけ運動しても
体重は減らないのなら
すこしくらい食ったって
そう体重は増えるわけ無い
こうしてついにわたしは悟りに至る。


ダイエット 完了。

苦悩する人生と芸術

拙者は正真正銘の愚物ではありますが、毎日ニコニコ笑って暮らしたというくらいのささやかな願いはあります。
しかしながら、絶え間なく降りかかるストレスの相手をするために、
日々貴重な時間は食い破られていくばかりです。


とどのつまり、古来よりこんな私たち小人の陥るパターンとして、
人生の苦悩など知らず翼を得て空を自由に飛び回る鳥たちに
憧れてしまったりするわけなのでしょうね。
いっそあんな風に大空を自由に飛び回る彼らをとって
焼き鳥にして食ったらどんなにか旨いことでしょう。
こりゃあ憧れですね。


しかし、苦悩のない世界など想像できるでしょうか。
何故人は悩むのかなどと月並みな問いを発するよりもまず、
人は苦悩ゆえに、人生を考えるようになるともいえます。
毎日食って飲んでゲハゲハ笑って満足しきっていたら
敢えてややこしいことに踏み入ったりはしないでしょう。
苦悩ゆえに自分の来し方行く末、今立つ場所を考える。
また、人は苦悩するが故に他者を思いやることができ、
共感を抱くことができる。
苦悩あるが故に私たちは人として連帯できる。


芸術表現にしても多くの人々が感動し共鳴するのは
人間の根底に苦悩という共有物を抱えているから、とも言えます。
してみると、画家にせよ音楽家も作家も、芸術家なんて、
あるある探検隊の発展版でしかないとも言えるかも知れません。
つまり苦悩を共通項とする限り、あらゆる表現者は不幸から抜け出せない、
と言うことですかね。


んー、そういえば偉大な芸術家には不幸なヤツが多いような気もする。
三島、川端、ゴッホ、ベートーベン・・・
彼らの苦悩と不幸が、私たちに芸術の恵みとしてもたらされる。

・・・ええと、こういうのは何というのだっけ
「他人の不幸はカモの味」
「あなうれし となりの蔵が 売られゆく」
なんか違う気もするけど、ま、いいか。
世の中に不幸が無くなれば芸術もなくなるのですから、
芸人や芸術家の皆さんには思い切り不幸でいてもらうしかないのでしょう。


そういえば昔デビッド・ボウイがこんなことを言っていました。
「われわれは世の中の不幸の総和である」

いやーご苦労様と言いたいところですが、世の中じゃなくて一部ファンの、
が正しいでしょうね。

私はアンタのCD結構持ってるけど、別に不幸せを引き取ってもらった

覚えないしぃ。

Low

(写真はD・ボウイの傑作「ロウ」。この作品以降、次第に作品の質は低下したといわれ、

後には「D.ボウイなんて、「ロウ」の後に交通事故で死ねばよかったのに。」と言われるまで

至ったけど、まだ生きてます。ま、生きてさえあれば、いいことも悪いこともあるよな。)

『まだある。』  微妙な昭和あるある本

本日店頭で見かけて購入

『まだある。 いまでも買える”懐かしの昭和”カタログ~昭和編~』

初見健一 / 大空ポケット文庫

まだある


出版社の紹介文句によれば
60~70年代、いわゆる高度成長期に発売されたお菓子やインスタント食品、
調味料などの中から、実は現在も流通している商品をカタログエッセーと
して掲載。「オリエンタルカレー」「アラビヤン焼きそば」「チェリオ」
  「チロリアン」など、思わず「え? これ、まだあるの?」と叫んでしまう
  モノ100点セレクト。

・・・なんだそうだけれど、これみて「え?」と言うほどのものでもないなあ。

コンビニやスーパーその他の店先で普通に見かけるのが大半だから。


確かに昔から続いているロングセラー(あるいはリバイバル商品)ばかり
ではあるけれど、今も普通に見かけるのだから懐かしいとか趣味性を感じる
とか言うほどのものでもない。


これみて「え?これまだ売ってるの?」という人は、自分で買い物をしない人か、
あるいはよほど注意力の足らない人のいずれかではないのか。


きれいで可愛い本ではあるけれど、趣味心をそそるというほどのものでもなく
もちろん現在の主力商品でもないラインナップをそろえた、ビミョーな本ですな。
立ち読みでそんなことはわかってしまうのだけれどそんな本を迷わず買ってしまう

私にも問題はありますが。


実はこの手の本はなぜか気をそそるものがあって、この手の本はイロイロ所有している。

「昔の缶ジュース本」とか、「キャラメルやガムの包み紙本」なんてのが、上げればきりがない

のですな実は。別にマニア向けを求めているわけではないのだけれど(拙者もマニアでない)、
趣味性という点から言うと、どれもまだまだもの足りない本ばかりですね、これが。
そのビミョウなところがまたいいとも言えるのですけれど。


資料としても物足らない、この手の本の使い道って、私の経験からは
ちょっと昔なつかしの話題が出たときに、実はこんな本があってね、、、と
おもむろに書棚から探してきて見せると、
「うわー、何このヘンな本、なんでおまえこんなの持ってんの~?」
と変なぷち尊敬(?)を得るくらいなものですね。


その変な尊敬(?)のためだけに私はこの手の本を買うのかもしれませんが
どっちみち本なんて全て衝動買いの対象なんだから、問題なし。


でも『まだある』、やっぱり、730円は満足度に対してちょっとだけ高いな。

---適正価格620円。


根性ヨガ

会社帰りの電車を待つホームの上から、スポーツジムのフロアが見える。


すこし前まではエアロビクスとかいう一斉体操が大流行りで、
それはもう雑多な人間が、手を振り、足を上げ、尻を回して大忙しの光景が
繰り広げられていた。

みんなここへ来るまでいろんな人生があったろうに、先導者の掛け声に
肉をを振るってついていくだけがその時間の全てだ。


ひたすらエネルギーを空費放散するだけの、運動のための運動は呪術に似ている。
呪術やおまじない、祈りという行為はその行為自身が対価であり、利益である。
祈りは何かを生産しないが、祈ること自体が祈る者の満足であり祈りの全てだ
からである。


いまやガラス張りのフロアには、かつての全身を打ち振る祈祷は影をひそめ、
ストレッチやヨガに取り組むものの姿が目立つようになった。
なんでも、筋肉に過度の負荷を与える運動は、成人以降は運動効果よりも
老化を早める影響のほうが大きいという説が主流になったためだ。


息を整え、穏やかな顔を心がけ、トレーナーの指示で身をひねり、のばし、また
おりたたむ。その真剣さは驚くほどのものがある。
それは、ヨガに出会うまでにあんな体操や、こんな運動や、あれもこれもやってきたのだ。
なのに期待したほどの効果は得られなかったのだ。


かつての体操で無用に失われたかもしれない若さをと空費した時間を取り戻すため
ヨガにかかる期待は大きい。


ホームから線路越しに私も応援する。頑張れヨガ隊、何事も根性だ!

本を照会する本(失敗読書)

バイヤーズガイドという類のモノはどこの世界にもあるけれど、
特に本は多いようです。
書評なんて誰にでも書けるからと言うこともあるでしょうし、
中身のない物書きが何かエッセイみたいなものを書くには
他人の本を引っ張ってきて少々飾りを付ければそれらしくなる、
最もお手軽な方法だから、と言うこともありそうですね。


じゃ、さっそく拙者もマネして読書ガイドを又引きさせていただくと
しようということで、以下、最近読んだ本を巡る本。


孤独アインシュタイン

『孤独になったアインシュタイン』 佐藤文隆 / 岩波書店


「グーテンベルクの森」という読書エッセイもののシリーズらしいのですが、
この本に関して言えばせっかくの著者のスルドイ言葉がが、
多数の本の紹介・引用のおまけになってしまっているような感じでありました。

これほどの著者ならなにか整ったテーマをじっくり掘り下げたら、
もっとおもしろい本になったろうなあ残念!と言うところですな。


冒頭のアインシュタインを巡る科学と歴史の絡みを辿る期待は
しだいに散漫になっていってしまいます。
第二部はまるでお爺さんの昔語りというか、
まるで大学の講義にやって来た退職後嘱託教授による講義の合間の
とりとめもない余談でありますな。


でも、
「人は自分の周りに、同種の人間や書物を集めて蒙に埋もれてしまう。
この蒙を手軽に悟らせてくれるのが読書である。」
これは大いに同感です。


はい、次。


あたま流れ
『あたまの漂流』 中野美代子 / 岩波書店

これはまたずいぶんとたくさんの本や文書・文献、漫画まで引用した
とりとめもないとは言いませんが、ちょっと知的な気分(あくまで気分)のする
雑学エッセイとでもいうべき本です。


なんか朝日のPR誌に連載されていた本を巡るエッセイを単行本にしたらしい
のですが、単行本にしたところで、だいぶイキが下がってしまったのでは
ないでしょうか。やっぱりこういうカキモノは雑誌や新聞で勢い良く流れて
いくうちが旬なのでしょう。単行本化されて読んでも、たぶん連載当時にあった
であろう勢いが、空々しく感じられてしまいました。


だって、この本3400円ですからね。
この内容と成り立ちで3400円は高いでしょう!


岩波書店がいくら高級教養書路線で儲かっていないと言っても
こりゃ勘違い価格も甚だしい!
私が適正価格をつけて差し上げます。1400円。

(お盆企画) 不信心者による罰当たりのためのレクイエム

あの世には 地獄はあるけど天国は無い
念仏ばっかり唱えていると 死んでからが苦しいぞ
教会ばっかり通っていると 死んだあとは地獄落ち
だっておまえらおどして働かせるには
地獄だけあれば事足りるんだから


                 (現代ご詠歌 第三番)


宗教業界もリストラです。
天国極楽は廃止して、地獄の強化に専念しているようです。

つまり運営維持費ばかりかかる厚生福利施設はなくして
刑務所や警察機能という秩序治安維持のための施設を強化する
というわけなのですね。

あの世の運営は、亡者たちが生前積み立てた功徳の上がりで
まかなわれているのですが、
長年の不信心者や罰当たり者のなれの果ての増加によって
円滑な運営ができなくなってしまったのです。

今後のあの世の維持運営のためには
亡者の80%を占める一般亡者が
あの世に行っても頑張って働くしかありません。


ねえ婆さん、わたしら死んだらどこ行くの?
そりゃあんた、ここくる前はどこいたの?
どっから来たのかしらんだろ?
だからこれから行く先も、どこだか判らんところだよ。


                   (現代ご詠歌 第八番)