ブログのアクセス数アップを相談されて
職場のオジサンW氏が、昼休みにブログの入門を読んでおりました。
うえっ、と思ったが拙者も大人なので近くに座って食後のお茶。
うえっ、思ったのはきっと拙者に何か聞いてくるだろうと思ったから。
案の定、W氏、訪問者アップをしたいのでどうしたらいいときいてきました。
(この時点で、相談する人を間違っている)
そこで、A君と二人で張り切ってご進講申し上げました、はい。
*ブログのアクセスアップの法則*
(その1) ネットでは男を捨てよ
ヤローのブログなんか誰が読むもんですか、あなたのプロフィールは
今日から、23歳独身一人暮らしのOL、または日々の生活に退屈気味の熟女人妻です。
(その2) 統一テーマを設定せよ
毎日ばらばらの重い話じゃ読者はついてこれません。
同じような傾向の軽い話題に特化したほうがよろしい。
食べ物とか、ダイエットとか、流行とか、映画とか。
中でもお薦めはエロネタ。お色気のないメデアで繁栄したものは
ありません。自分の体験・妄想、セキララに綴りましょう。
(その3) バカになれ
出会いと気晴らしにブログ覗いているのが多いのに、知識や
教養は邪魔です。少々バカで困ってるくらいのほうがみんな
アドバイスやコメントがしやすいし、共感も得られやすいというもの。
浅薄な流行本に、アタシぃ感動しましたー、とか言ってるくらいで
ちょうどいいんです。
そういうわけで、本日以降、
オツムの弱い色情狂の女ブロガーがいたら、そいつは実は
コテコテのオヤジの可能性がありますからご注意くださいね。
万一、ネカマのブログに引っかかって萌えてしまっったとしても、
拙者らは一切の責任を負えませんので、あしからず
マイナスイオンで幸福になる
最近もうすっかりすたれてしまったのだけれど、一時私の周囲では
因果関係とかがわからないけど結果オーライな状態を「マイナスイオンのおかげ」
と称していた。
お局のババ様の機嫌がイイのはマイナスイオンのおかげ。
翌日にあるはずだった部長の説教の続きがなくなったのもマイナスイオンを浴びたおかげ。
家の座敷犬べスの抜け毛が止まったのもマイナスイオン掃除機のおかげ。
宝くじで3000円当たったのも、当然マイナスイオン財布に入れていたおかげである。
この用法は必ずしも間違ってはいない。
なぜなら、昔、正体不明のマイナスイオン商品が町に溢れたのは、
メーカーが新たに開発した技術を他社にまねされないために、
本来のメカニズムを隠して「マイナスイオンの効果」と称したせいで、
これがウケると、実体の無いもの全て雰囲気で何でもマイナスイオン効果を
謳うようになってしまったという話も聞いた事があるくらいだから。
*
いまとなっては貴重なマイナスイオン信者であるO女史が、家の除湿機からは
マイナスイオンが1ccあたり10万個も出てきてると胸を張っていっていた。
そのマイナスイオンが何に効くのか、またマイナスイオンの1個ってなんだか
知らないけれど、電荷を帯びた分子としても、空気1Cccあたりに含まれる分子の数はたしか
2500兆の1万倍程度だそうであるから、10万なんてほとんどゼロに近い数と
考えてよいのではないか。
そこで猛毒とされるダイオキシンだって、自然に暮らしている空気1ccあたりに
何十万個も含まれていることだってあるが、この程度の量は無影響と考えられている、
ということを話したら、O女史の見解は、
「きっと天然もののダイオキシンだから体に良いのだ」 ということだった。
素晴らしい!、あまりに感動的なお話なので私たちはマイナスイオンの天然発生源として
「サーディン・ヘッド」※を携帯することをO女史に強くお薦めした。
(※:日本語ではイワシノアタマと言うのかもしれない)
*
マイナスイオン流行の前、私の子供のころは確か、
テレビの心霊スペシャルで、霊を呼びよせる機械としてマイナスイオン発生器
と言うものが登場していたが、私としてはあれとその後のマイナスイオングッズの関係を
説明してもらいたいものだ。
いつもドキドキしながらテレビ見てたんだから。
目的地の見えない地図
この日曜に、古本屋でだいぶ傷んだ本を見つけて買ってきた。
長年積もっていた埃が本の天にシミをつくり、常に空気に晒されていた小口は
酸性紙が赤く焼けてしまっていたし、また、しおりに至っては買って間もなくボロボロと
崩れるように取れてしまった。
そんな状態で元の定価600円のところ650円なのだから決して安いわけではない。
それでも、ページをめくるのももどかしいくらい、たちまち私はこの本に引き込まれてしまった。
『ジャズ・カントリー』ナット・ヘンホフ/晶文社 1964年作、1981年刊
テーマを一言で言うなら
「今ある社会の枠組みの中で自分が好きなことをやって生きることの難しさ」
だが、この主人公の少年の苦悩は、国と時代を超えて普遍性をもつ。
強烈に好きなことがあっても、その進むべき道が正解かどうかなんて
いつの時代にだって誰にもわからない。
今の私たちにしても、企業型労働者に限らず、労働を通じて
自由な自分を獲得している面もあれば、
日々糊口をしのぐために自由を切り売りしている面だってある。
それでいったい労働に関る自由の収支はどうなんだ?
「ここじゃ、生活にも時間にもいっぱい穴があいている。僕は疲れる。とても疲れるんだ。働き過ぎのためにじゃなくて、自分をしゃんと歩ませようという余計な努力をしなきゃならないためにだ。」 178頁
しかし、出口もわからず進む方向にも自信が持てず、途方にくれそうになる時でも、
強烈に好きなことがあればそれはどんなにその人の力になることか。
できれば16、7才のころに読みたかった本だが、自分の立つ位置と進むべき方向を自問する局面は人生に何度でもあるはずで、この本は単なるミュージシャンか進学かを悩む少年の青春物語でなく、普遍的な自由の物語だった。
(今は再刊本(1890円)も出ており、入手も容易だが、取り寄せが待てずに
コレクター向けみたいな古本で入手。本は常に衝動買いのためゆえ)
大日本の左派政権は革新政党自民党!?
あんまり気が進まないけれど、日々のことを綴るブログとしては
一言ぐらい今回の選挙結果について述べておかねばなるまい。
今回の自民大勝の原因を聞かれたけれど、
思うにこれは結構単純なことで、
(1)有権者は沈滞した社会の現状に変化を望んでいた
(2)小泉クンは改革だと言ったので与党側は革新的に見えた
(3)対する民主党初め諸野党はは守旧の保守政党に見えた
この結果、昔革新の基盤だった都市部で自民圧勝と言う現象が起きた。
その他、民主党首の岡田クンの目つき顔つきが日々悪化したのが
小泉クンのハニワ顔に敗れたと言うのもありますな。
そこで今後のシナリオは、
自民圧勝-改革による小さな政府 - 民営化により社会運営での企業原理の徹底
- 不採算部門の切り捨て - 地方と都市部の格差拡大・公共サービス縮小による
弱者・強者の格差拡大・・・
まあ、一本調子には行かないでしょうけれど。
自民勝ちすぎでしまったーと思っている有権者も多いのではないですか。
次の選挙で揺れ返しはあるかな。
地方を中心に予算配分を、従来通り確保する「超保守政党として民主党が復活」する
なんてシナリオもあるかも。
庭のながめ
我が家は古い家ではまったくないのだが、様々な人外の居住者・来訪者に恵まれている。 実際、侵入も容易ではないと思うのだけれど、風呂場など平気でヤモリがのし歩いているし、庭にはいつもトカゲが昼寝している。
先日などは庭の土くれが動いたと思ってよく見たら大きなヒキガエルが芋虫を食っていたので、さっそくヒッキーと名を付けた。
もちろん、歓迎できない害虫のたぐいも多数いるのだが、別に生産農家でもない我が家では、人体に危害が及ぶ恐れのない限り(つまり毒毛虫の発生など)、害虫益虫十把ひとからげに殲滅する殺虫剤の散布は最小限にとどめ、自然の状態に保っている。こう言うと聞こえは良いが、農薬散布もある意味力業で面倒なので、ほったらかしの道を選択しているだけなのである。
こんな有様だから、多数の庭木も同様に年に1~2度の植木屋へ剪定を依頼する以外は植えっぱなしのほったらかしである。植えっぱなしのほったらかしに耐えられないような植物は我が家では淘汰されていくのだ。
あとはたまに1年草の花卉を門の脇や玄関までのアプローチの要所要所に配置すればそれなりの格好がつくのだから不思議なものである。実際近所の年寄りが、「お宅はお若いのに何時もきれいに手入れしていらっしゃいますねえ」と言ってくれることもたびたびあるが、見えるところ以外は大変な状態なのである。
だからもちろん、たまの植木屋作業も基本的に大雑把な指示と依頼をするだけで、いつもお任せ状態なのだが、以前こんなことがあった。
たまたま選挙期間中だった時のこと、家の前を通った立候補者が外から植木屋を見止め、付きの者ども従え勝手にひとの家の庭に入ってきて、ちがうちがうと言うように手を振る植木屋を前に一席ぶって、無理やり握手して帰っていった。
するとその直後に、今度はなんとかいう宗教団体の活動員がやって来て、剪定鋏を手に作業をする植木屋に向かって延々話をしていったが、ひたすら無視を決め込む植木屋と妙に熱心な宗教勧誘員の態度のコントラストがおかしかった。
私はもちろん、家の中からレースのカーテン越しに高見の見物を決め込んでいたので植木屋の親方には申し訳なかったが、私も直接彼らの相手をするのは疲れるのである。
その点、カエルやトカゲは、勝手にやって来ては勝手に帰っていくので、面倒がなくてよい。
女帝問題について
昼飯の後の休憩時間中の四方山話で、
そういえば、天皇の皇位継承権問題で女帝の件はどうなったのかという話になった。
今までも女帝がいたのだから、
いまさら認めないほうがおかしいだろうという話になったが、
それでは過去の女帝とその業績など、
どれほど知っているのか、皆で知識を披露しあってみた。
これがその4人でヒリ出した知識の集成である。
ホントにいたのか 推古天皇
聖徳太子のアネということになっているが、実は女装した聖徳太子だった。
天皇暗殺を恐れた聖徳太子の造ったバーチャル天皇である。
戦争大好き 斉明天皇
蝦夷地侵略戦争のインベーダーで、
コルテス阿倍比羅夫を何度も東国に派遣した。
また、無意味な土木工事を繰り返すなど失政も多い。
さらに百済王の柵封を企て朝鮮半島に戦争を仕掛けた。
終いには、額田王に有名な歌の著作権を横取りされて、化けて出た。
(熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな)
イメルダ真っ青 持統天皇
山に干すほどの衣装持ちを自慢した歌を詠んだ。
(春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山)
これがために浪費に反感を買い政情不安を招いた。
文筆家だったらしい 後桜町天皇
この人の落としだねが一休さんである。(注:正しくは一休さんの親と疑われているのは
後小松天皇である。もちろん父親であるから男性天皇。)
なんか読んだことはないが、禁中の恋という本を書いた (注:正しくは禁中年中の事)
実際は8人10代(重祚(=譲位後カムバック)したのが二人)いるはずだが
出てきたのはこれまでだった。
まあ一般人の認識としてはこんなものであろう。
それでもよく4人も出たものである。
それで現代の女帝は? 結局どうでもいいという、皆無関心派ばかりで・・・。
君と一緒に電車で・・・
今夜遅く、会社の帰りの電車の中で座って本を読んでいると、いったい何時からいたのか
本のカバーの上端に、二つの星のある小さなテントウ虫が一匹とまっていた。
都心を走る電車の中、思いもかけない来訪者に初め戸惑ったが、
彼が自分から移動しようとしない限り、私はそのまま一緒に電車に乗っていくことにした。
夜中とはいえ満員に近い人を乗せ、出入りも多い電車の中では、落ちれば誰かに
踏み潰されてしまう可能性が高いだろうし、第一害虫でもない小さな虫ごときに
過敏に反応するのは、大人の男にふさわしくない振る舞いとも思われたためでもある。
テントウ虫はまるで首をかしげるように、短い触覚を交互に振りながら、細い本カバーの上辺を
行きつ戻りつしていたが、どこかに飛んでいくつもりもない様子だった。
私はテントウ虫を視界の端に入れながら本を読んでいたのだが、目的の駅に着くと
本を縦にしたまま、そーっと電車を降り改札を出て、駅前の交番近くの植え込みに
彼を降ろしてやった。
それにしてもいったいどうして、テントウ虫が電車の中に紛れ込んで、
しかもよりによって私の本の上に現れたのだろう。もう二度と会うことはあるまいが
短い電車の道中でテントウ虫に親しみに似た感情を持ったのも事実である。
この時読んでいた本は尾崎一雄の「暢気眼鏡/虫のいろいろ」 (岩波書店)だったが、
日常のおかしさと哀しさをたたえた、この上質のユーモア小説が刻むリズムに、まるで
私の現実世界が共鳴したような、妙な気分になった。
難題 「フェチバトン」・「逆フェチバトン」
(拙者はフェチか?)
○○バトン数々あれど、掲題の如く珍妙なものも流布しているらしい。ぼーっとしていたら拙者も指名されてしまって、困った。どうにも書き難い。
なぜ書きにくいのか考えてみたところ、ひとつにはどうも拙者は異性に対して積極的に要求するところが少ないと言うことに思い当った。
フェチバトンの期待するところは、脚フェチだの手だの尻だの背中だの靴下だの様々あるのだろうけれど、人間はそうしたパーツの寄せ集めである以前に、全体として一個の人間である。異性として相対するのは全人格であって、パーツではない。また異性に相対するその時、「一般的な」手とか足というケースは意味を持たず、私が相対するのは「特定の」誰かである。「特定の」誰かはとても多いので(人類の半分!)、一般的なケースに没頭しているヒマもない。従って、人格部品を全人格から切り出して評価するのも、またこの評価を一般的な話としてみるのも、私には意味が薄い。
結論。拙者はフェチでない。またはフェチ性向が薄い。
(おまけ)
拙者は男にも女にも細かいことをあれこれ言うのが好きでないし、実際言わない。細かいことを気にするのはなんだか男らしくないと思っているフシがある。(少なくとも表向きは(^^;)
んー、なんだ~、ネタにするには面白くないヤツだな>拙者
だいたい、この場合ネットのフェチって、体の部分や持ち物に妄執するあるいは妄念を抱くというほどの意味でなくって、「~が好き」くらいの意味なんだろうけど、変態用語の変容に抵抗がなかったわけでもない。
んん~、ますます面白くないヤツだな>拙者 (* ̄ー ̄)=○)゜⊿゜)ノ ボクッ!
だって、変態倒錯用語を軽い意味で使ったら、本当の変態さんを表現する時にその代わりとなる表現がないではないか~。(; ̄ー ̄A
(終わりに)
バトンをくれたten
さん、ご期待には沿えませんでしたが、おかげで思いもかけず拙者自身に関するぷち考察ができました。ありがとうございました。
戒名はマリリン
もうじき彼岸の9月なので、あの世のことなど考える。
「私が死んだ時は、葬式無用。墓も不要なり。」
死んだ後に造り物の鳩やら、金ぴかの花でコテコテ飾り立てられ
線香でいぶされるのは嫌だし、生前嫌いなやつがやって来て
じろじろ一方的に眺め回されるのも真っ平だからである。
ただ火葬くらいはやってもらった方がいいだろうと思っている。
元来私は人にあれこれ評価指図されるのが嫌いな上に、
酒呑みで死ぬ頃にはボケてもでいることだろうから
「あんた死んだんだよ」という事態もなかなか納得できずにいるところに
土葬などでは、きっとゾンビになって死に恥を晒すような気がするからである。
焼いてさえもらえば、あとの焼けカス(遺骨と云うのか?)などは適当に
始末してもらってよいのだが、家のその辺に置いておくのも残された者は
気味が悪いだろうし、ゴミに出して野良猫やカラスに食い散らかされて
転げだしたり、ゴミ処理場で何かのはずみに人骨が散らばっては
具合が悪そうであるから、明確に始末の方法を指示しておく必要がある。
「火葬後焼け残ったカスは、粉砕し小麦粉や米粉に混ぜこれをこねて
焼き上げ、親戚縁者に菓子として振舞うべし。無論、混入物についての
言及不要なり。」
さて、ここまですれば完璧だが、戒名ぐらいは考えておきたい。
別に墓も仏壇もなければ戒名も不要と思われるが、聞けば坊主に頼めば
一文字ン十万円の戒名だってあるというではないか。
即ちこれを自分で作って調達しておけば相当の金額を節約したこととなり、
なんとも得した気分になるではないか。然り而して戒名は自家製に若くこと
はないのである。
だいたい、有名人でも自分で戒名を調達した例は多い。
文学的素養も無いような坊主に大金をはたいて、暴走族の落書きみたいな
漢字の羅列を押し頂くなどは馬鹿げている。
会社でこの話題について話したところ、葬儀や戒名の不合理性について
皆賛成であったので、戒名はどのようなものが良いか聞いてみた。
拙者の念頭にあったのは、岡倉天心の「釈天心」、幸田露伴の「露伴」(そのまんま!)
などである。なかなかハイセンスである。
ところが、・・
E女史「私オードリーがいい」
拙者 「え?」
F嬢 「じゃ、わたしい、エリザベート桜姫、かなあ」
拙者 「え゛えっ!?」
E女史「captain-jackはデカプにしなさいよ。レオナルド・で・か・ぷ」
拙者「・・・・」
よい絵本?『くさいくさいチーズぼうや&たくさんのおとぼけ話』
『くさいくさいチーズぼうや&たくさんのおとぼけ話』
ジョン・ジェスカ 文 レイン・スミス 絵 / ほるぷ出版
10年前に買った本である。
とぼけた、今風に言うなら電波絵本か。
たとえばシンデレラ。
むかしむかしあるところに、シンデレラという名前の美しい娘が、意地悪なまま母とみにくい二人の姉と暮らしていました。お城で舞踏会の開かれる晩、まま母と姉はおしゃれをして出かけました。でもシンデレラは掃除をさせられて用意ができませんでした。
シンデレラが一人で泣いていると、
一人のこびとがあらわれ、自分の名前を当てたらドレスとガラスの靴と馬車を出してあげる、と言いました。
シンデレラはこびとをじろりとながめ、
「わたしね、知らない人とおしゃべりしてはいけないっていわれてるの」といって
小人をたたき出してしまいました。
こびとは外で叫びました。「ルンペルシュティルツヘンだよ! ルンペルシュティルツヘン!
ルンペルシュティルツヘン!」
まま母と姉が帰ってきて、シンデレラはおかしなことを言うこびとの話をしました。
まま母と姉は部屋の磨きなおしを命じ、そしてひどいことに、シンデレラの名前をシンデルンペルシュティルツヘンに変えてしまいました。 おしまい。
こんな調子である。
カバーには「たったの1800円!それはそれはにぎやかな56ページ。そこいらの32ページの絵本より75%もお得だ」とある。
絵や絵本のコンセプトが気に入って衝動買いしたのだが(本はすべて衝動買いだが)、絵はともかくたいして面白いとは思わなかった。
それがふと今日、古本のリストをみたら8000円の値がついていた。
なんだ、いい本じゃないかああ! では大事にするとしよう。


