北へ・・・ いい日旅立ちを思い立つ
夏と秋の境について、
今年は「夏の最後の日の次の日」を指し示すだけなら、確かにできたかもしれない。
ある朝起きると、日の出と共に鳴り響いていたはずの、セミの声がぱたりとやんでいて、
窓を開けても、あんなに大きかった空気の振動はどこにもなく、
ただ、朝の光だけが、きのうと同じように、ニコニコと照っていた。
外に出ると、木の葉の裏にはセミの抜け殻だけが、まだしがみついて揺れていた。
「行っちまった。みんな。」 きっとあの日だったのかもしれない。
その後、気温の高い日には何匹か数えられるほどのセミが鳴いていることが
あったが、それはただ遅れてやってきたセミ、それだけのことだ。
では秋の果てはあるのだろうか。潮目のように、雨雲の端のように。
秋と冬の境に立ち会えたら、きっと身震いするほどの感慨がえられるかもしれないと、
実は今、北への旅行を企てている。
季節は変化するものだけれど、必ずまた繰り返す変化であるので
人はその変化を、変わりながらも変わらないという甘えにも似た
安心感付きの変化と捉えていることがある。
それは、変化を感傷で捉える、人間の単なる弱さなのだと言う人もいるだろう。
だが、私たちの毎日は、日々改善されていくプロセスであらねばならないという
変化の脅迫の中にあって、感傷ばかりに浸っていられるわけではない。
いつからかわたしたちの幸福は、経済の成長率で量られ、前年同月比の経済指標や
毎年の個人成果達成率など、劣った「過去」を克服する変化だけが唯一の善と
されてしまっているので、私たちは時に変化しないことに劣等感すら感じる。
そしてこの変化が使い捨てであることに、私たちは無力感を覚える。
そんな世界に私たちは生きている。
すると、人が自然の、繰り返す変化とその永劫性への畏敬を感じるのは、
境界を経ても時間を経ても変わらない、大きな拠り所が、
自分と自分のいる社会から失われてしまったことへのおびえなのかもしれない。
眠い 眠い いくらでも寝れる睡眠の秋
寅さん48連発と言うことで、この夏からNHK-BSで
松竹の「男はつらいよ」の全作品を放送しておりますね。
こないだの作品で、寅次郎が帝釈天の住職に
真面目に働けと説教されるシーン。
佐藤蛾次郎演ずる寺男の源の働く様を前にして、
御前様 「あたまの足らない源でも、ああして働いているじゃないか。」
寅 「頭が足らないから働いてるんじゃないですか?」
!!拙者絶句。
うーん、「世の中に寝るほど楽はなかりけり 浮き世のバカは起きて働く」 か。
拙者など一時毎日無休、四時間寝れれば大シアワセ生活をずっとしておりましたが、
確かにアレは大馬鹿のすることだと、骨身にしみて納得しております。
いまはそんなことないのですけれど。
自分のために、時間の配分ができるのは自分だけですからね。
しか~し、拙者、凡下の輩ゆえ、明日もまた会社であります。
とほほ。たまには寅さんになりたい。。。
エッチ総会します
業務時間中、社内に不思議なメールが流れた。
発信者も要件も、一見真面目に見えるのだが
文書には確かに「この件についてH総会します」と
断固たる調子の記述があったのだ。
このメールの受信者はかなりの数に上り、
張り詰めた仕事中の雰囲気は、妙な期待と想像と共に一時緩んだ。
直接宛先以外のCC受信者の中にも、
「是非次の会議には呼んでください」と返信したバカもいたが
それは私ではない。
結局、前後の文脈から推測すると、
たぶん「H総会」をしたかったわけでなくて「照会」だったのだろうという
ことになった。
確かにローマ字タイプしてみると
照会 = SHOUKAI
冒頭の文字タイプ順序を間違うと、
H総会 = HSOUKAI となる。
タイプミスに変換ミスの複雑骨折ケースだったのだろうかな。
それにしても、ちょっと惜しかったかな、H総会。
なんでも聞くところによれば某所のH総会は、それはもうすごくて、
あんなことや、こんなこと・・・
いかん、こんなことを書いていたらエログと間違われて
アメブロ追放されてしまうので自粛。
秋の夜の酒は
秋はなんとも気ぜわしい。
ハナミズキの実は赤く色づき、
マンジュシャゲの花は短い盛りを迎え、
目立って膨らんだキンモクセイのつぼみが、
あの独特の芳香を漂わせるまであと数日。
ほんのり秋色に変わったケヤキの葉、
拾いきれないほどの、地面のドングリ、
野原の草の実に群れるスズメたち、
この時期、すべてを照らす秋の微光は確かに黄金色をしている。
こんな時期は本当に短く、
缶詰に入れておくこともできず、手にすくった水が
たちまちこぼれていくようでありながらも
確かに今秋の中にいる実感がある。
日々変化の中にこそ秋がある、ともいえるのだけれど、
今は過ぎていく時間が、大急ぎで感じ取り、味わうべきもののようでもあり
それゆえ秋は気ぜわしい。
一転、日が落ちると、
虫の声はするけれど、びっくりするくらい空気は落ち着いて、
こういうときは、北条時宗が味噌を肴に酒を飲んだ故事を思い起こし、
静かにシンプルな酒飲みがいいな。
ヤンキース優勝、プレーオフ進出、これでまた酒が飲める
朝起きたら、日本時間の未明に行われた松井秀喜選手の所属する
大リーグのNYヤンキースが、レッドソックスに勝っていた。
アメリカンリーグ東部地区の優勝。
松井選手もセンターオーバーの23号ソロホームランを放つなど、
昨日の三安打に引き続き、10月の大一番に強いところを見せており、
プレー・オフでのミスター・オクトーバーを期待したい。
んー、これから8チームが相まみえる怒涛のプレーオフ。
日本人は松井秀喜選手のほか、大塚、田口、井口、と4人は出るだろうから
まだまだ楽しめる。
拙者には特定のチームの好き嫌いなんかなくって、興行としての試合をおもしろく
見せてくれればそれでいいのである。
日本の野球も、レギュラーシーズンから変に間をおかずガンガンやったら
いいのにと思ってしまう。
とにかく、日本野球の二流化というか大リーグのマイナー組織みたいな方に
向かってるのは、興行姿勢に一番の問題があると思うのだけれど、
ま、野球観戦欲求は大リーグで充足するからいいや、という風潮が大きくなるのではと
日本球界もちょっとだけ心配してあげよう。。。。
秋はゆっくり走る列車に乗って
山あいを走る列車が坂の途中で立ち往生した。
原因は線路の上に降り積もった、濡れた落ち葉に車輪が滑って、
坂を上りきれなくなったためである。
こんな列車に乗り合わせた乗客たちは、紅葉が一段落して、
もっと深い秋色に染まっていく、美しい山の景色をゆっくりと
眺めて待つことになる。
もっとも、列車はその先の峠を越すことはなく、
やがてまたふもとへと戻っていくことになるのだけれど。
でもこのおかげで、先の予定が延びて、
麓の駅で一杯やるゆとりができた人もいるだろうし、
胸につかえを残して別れた恋人たちが、思わぬ早い再会をしたかも知れない。
芭蕉の句で有名な山寺立石寺を通る仙山線(仙台ー山形間)で、
今でも毎年のように繰り返される本当の話。
*
日本全国こんな調子で列車の運行をしていたら、事故も起きず、
みんなもっと、いろいろなものが見えてくるだろうに、と思いました。
この秋は、ゆっくり走る列車に乗って、旅をしてみたくなりました。
(単なるイメージ写真で、記事と直接の関係はありませんが、
この本『ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ』は、たしか栃木・群馬あたりの路線だったかと・・・)
寒い晩にはテレビを消して
阪神がセ・リーグの優勝を決めたそうで、おめでとうございます。
盛り上がってませんね、二年前の優勝の時より、数年前の優勝寸前の時よりも。
(世間一般において。もちろん一部のファンは別。阪神は悪くありません。)
今朝テレビをつけたら番組スタッフが一生懸命阪神グッズを身にまとって、
盛り上げパフォーマンスをしていましたけど、寒々しさを感じた人は多いでしょう。
何もこれは、阪神が悪いわけではなくて、
プロ野球に、日本人多数の一体感を醸成できる力がとうに無くなってしまったのに、
まだ、その幻想にすがり付きたい、全国区マスコミのズレ方が露呈していたことに
寒々しさを感じたのですね。
つくづくテレビって、もう終わったメディアだと感じましたね。
終わってはいなくても、少なくともとうにテレビは王様じゃない。
テレビの大好きな、昭和の歴史番組なんかでよく、力道山やトーキョーオリンピックやら、
巨人V9なんかの放送場面が流れますけど、あんなテレビが時代の主役だった時の成功体験が
今もってテレビ放送のあり方を支配しているのでしょうね。
テレビから流れることが、世の中の重要事項で、みんなの興味の最大公約数かつ大多数で、
真実であるなんて思っているのは、よほどの子供とナニな人だけでしょう。
それでもテレビは今の商売の仕組みでは、大多数の世間をつかもうとするしかない。
みんなが一体感をもって同じ方向を向く、世間一般といわれる人が属する「世の中」とでも
言うべき集団。そんなもの、今となってはどこにもありはしないのに、そんな幻の集団を
構成しようとがんばってるテレビって、本当に虚妄のメディアなのでしょう。
ファンでもないのに、阪神優勝をがんばって盛り上げようとしてるのは、
虚妄にすがりつきたいマスコミと、その同種の人たちばかりだから、
阪神優勝盛り上げパフォーマンスに、寒々しさを感じてしまうのでありましょうね。
阪神ファンはいい人ばかりですよ。私にも紅白饅頭くれたし。
寒いのはテレビ。うう~寒い、一杯やって寝よう。
夜分恐れ入りますが・・・
夜の電話の非礼をわびて、ていねいを心がけるあまり
「夜分」に「お」をつけて、
「おやぶん、すみません」と切り出したなんてのは、
大昔からあちこちでもう百回も聞いたくらいなので、
非常にポピュラーなケースなのでしょうけれど、
(ヤクザさんの挨拶ぢゃありません)
会社の実話でこんなのがありました。
夜中、会社の取引上翌朝までどうしても相手の確認を要する問題があった。
確認の相手はワンマンのオーナー社長で、気難し屋で
極めてデリケートな扱いを要する人物で、しかも
夜も遅く寝床に入っていてもおかしくはない時間帯だったのである。
それでも背に腹は代えられず、しかたなしに緊張しつつ電話を入れたのだが、
非礼を承知で機嫌を損ねないよう、最善の気配りをしたつもりだったのだが、、、
電話した担当者は、
「夜分おやすみのところ申し訳ありません」と言うつもりだったところ、
緊張のあまり
「夜分、お楽しみのところ、申し訳ありません」と切り出してしまったのだった。
・・この後、「夜中とんでもない時間に人の寝床に電話してきてその言いぐさは何だ!」と、
かの気ムズカシ屋の社長が怒ったのは言うまでもない。
たかが、電話。されど電話。
このケースは電話せざるを得ない場面での言い間違いですけれど、
そもそも電話という連絡手段自体、他人の状況を無視して
いきなり他人の家にズカズカ踏み込んで来る
まったく失礼なモノではあります。
メール環境のあるのが当たり前となった今では、電話が非常に野蛮な通信手段に
見えることがありますね。
毒だし健康法を効果的に実践する
会社で「デトックス」なるものが話題になっていた。
男女ともおよそ先端流行の似合わない、あの会社連中の話題になるくらいなのだから
もう下火も近いのかもしれないが、世の中「デトックス」だの「毒出し」だの
健康情報花盛りである。
要するに、有害ミネラル(水銀とかカドミウムとか)の体外排出を促し
体内活動の正常化を目指すと言うことであるらしい。
毒出しの要点である、発汗を促すために、ミントやコリアンダーなどのハーブが有効ともある。
なんだ、ミントやコリアンダーなら、うちでも一度百円ショップの種を庭に撒いたら、
居心地がよかったのか、ずっと自生している。
もっとも、これらのハーブは、主に虫の飼料として消費され、さながら害虫の楽園と
化しているのだけれど。
こないだ芋虫やバッタを捕殺したところ、ハーブの香りがしたくらいだから、
よほどタラフク食っているのは間違いない。
すると、ウチの無農薬ハーブにたかるバッタやなんかを、イナゴの佃煮の要領で食ったら
生体濃縮済みの天然毒出しサプリとして、大変な効果が期待できるかもしれないな。
ちょっと、やってみようかな。
本日の課題 「毒だしハーブをタラフク食った虫を食って効率的に健康になる」
「毒出し」の看板を掲げたバッタの佃煮売りから、健康法のカリスマになれるかも。
賢者と悩める英雄
昔、高名な哲学者ヘタレマイオスの元に、権勢を振るう時の王
ブスタポンテ二世が、人目を避け身をやつして訪ねてきた。
王には長年の悩みがあった。
国家統合の大英雄と称えられ、富と権力を手に入れたに見える王だったか、
この悩みゆえに人に対しためらうことがあった。
悩みとはつまり、屁が臭かったのである。
王は賢者に問うた。
問い「おならの臭気と音には関係があるか。
よりあけすけに言えば、スカしたやつは臭く、
大きな音のヤツは臭わないか。」
答え「音と臭気には因果関係がある。
大音量の屁の方がより臭くない。」
賢者は続けて説いた。
「屁は勢いよく出されねばならない。
なぜなら、腸内ガスの持つ『くさいエネルギー』は、屁として放出されるときに
『音エネルギー』に変換』されて放散する。
だからすかしたヤツは臭いのだ。
これはつまり、常に人間には元気と勢いが必要だという、
永遠の真理を表しているのである。」
こうして王は真理を得て、国事に励み、国は栄え、
説教臭い年寄りには不評だったが、長く人々に愛された。
そして王は「人の悩みなんて屁のようなものだ」という格言を残した。



