倹約と耐乏の美徳と村上君
先日たまたま子供向けの時事ニュース解説番組を見たのですが、
素朴な疑問を素朴に平易に解説しており、ただの子供向けと侮れないどころか
そこらのヘッポコ・ニュースバラエティ顔負けの内容でした。
たまたま「村上ファンドとは何か」というテーマをあつかっておりました。
解説者 「ファンドというのは基金のこと、何かを始める元になるお金のことですね。村上さんのやっている基金だから、村上ファンドと言われています。」
ゲスト 「はーい、質問。その基金になるお金は村上さんが持っているのですか?」
「いや、必要に応じて村上さんが、出資を募ります。村上さんは一度に一千億円以上のお金を集めることができると言われています。」
「え?村上さんのお金じゃないんですか? 他の人に出してもらう、
ということは、つまり借金と同じということですか。」
「えー! 一千億円以上の借金って、千昌夫さんと同じってことですかー?」
「こらこら、君たち静かにしなさい。ともかく集めた基金をもとに
お金を出してくれた人たちに、銀行の預金なんかよりずっとたくさんの
配当、つまり利息を払えるかどうかというのが、村上さんの腕の見せ所と
言うワケなのですね。
間接的には銀行や大きな会社も村上さんに出資しているんですよ。」
「えーっ!、ウチのお父さんなんか、銀行の金利なんハナクソみたいなものだって
文句いいながら、ボクにはお小遣いは無駄遣いしないで、ちゃんとこつこつ
貯金しなさいって、言ってるよー。」
「じゃ、こういうことですか? 貧乏なボクたちが貧乏を我慢して辛抱して、
貯金する、貯金したお金は村上さんの借金に使われる、村上さんはぱーっと
派手に使って、ひょっとしたら儲かるかも知れない、僕たちにはハナクソたいな
利息が払われる。。。」
「それって、なんか変、ヘーン、へーん!」 (大合唱)
「あー、わかったわかった、つまりこういうことです。
君たちビンボー人諸君の倹約と耐乏は、大きな借金をして投機的利益を狙う者の
為にこそなれ、貧乏人の利益にはならない、と、こういうことですね。」
このあと、放送されなかった、
「口惜しかったら、十万人にひとりの金持ちになるか、強盗で一発逆転を狙うか
しかない」
と言う発言があったというウワサですが、真偽のほどはわかりません。
(なお、この記事は貧乏人もハイリスクな投機的行動をせよと言っているのでは
ありませんので念のため)
香りの素朴な力
インドには「雨上がりの香水」と言うものがあって、
これは乾いた地面に水を撒いた後に残る、あの香りを、
ビンに閉じ込めたもであるらしいですね。
熱した陶器の破片に水をかけて立ち上る、水蒸気の中を溶媒の油を
くぐらせて雨上がりの香りを得るということですが、残念ながら
私はまだ一度もお目にかかったことはありません。
一度嗅いでみたいと思うのですが。
普段視覚や聴覚に頼る私たちですがも、香りには素朴だけれど線の太い
記憶やイメージを一気に喚起する力があると思っておりますので、
「雨上がりの香水」のような、意外に思える香りをコントロールしているものには
どうしても惹かれてしまいます。
何かの見本市でのこと、あなたのイメージするお好みの香りを
調合しますという企画に出あったことがありましたが、
さすがに雨上がりの香水は、いくらなんでも奇抜すぎるだろうと思い
言い出せませんでした。
その代わり、夏だったので「冷凍みかんの香り」とリクエストしてみたのですが、
(それでも充分ヘンなやつか)
担当のお姉さん、それは難しいといいながらも、これをとても面白がって、
香りの記憶から広がるイメージに驚きながら
一気に昔の学校給食の話で盛り上がったことがありました。
言葉や映像ではない、香りによるイメージはとても強いのですけれど、
一面まるで子供の世界ような素朴な繊細さがあります。それはとても壊れやすい。
それゆえ、暴力的なほど香水をいいかげんにつけすぎた人に会ったりすると、
なにか投げやりですさんだものを感じてもしまうんですよね。
(・・・電車の臭水オヤジ、会社香水テロおばさん、なんとかしてほしい!)
阪神対ロッテ対ホワイトソックス対アストロズ
ここ何年も例年なら見むきもしない日本シリーズは、2,3年前なら想像もしなかった組み合わせゆえ、今年は別。これまでのいつもの型にはまったシリーズとは一味違う今年の日本シリーズですな。。
昨夜は濃霧の中の7回コールドロッテの圧勝。拙者はどちらのファンでもないのですけれど、心情的にはロッテに勝たせたいところ、昨夜は義理のある阪神ファンに囲まれての応援で、これがなかなか。。。
シリーズの試合自体がスリリングで盛り上がれば一番なんですけれどね。
会場の盛り上がりはともかく、なんか日本のスポーツ観戦に共通している特徴のような気がするのですが、ファンは試合よりも自分たちが騒ぎにきているような・・・あのノリ方は万人向けというわけにはいきません。それゆえ、みんなの野球観戦というより、会場に来るのはある種特定の人というような図式が出来上がっているような、、、ま、それも今の日本では寄りすがるものがないための、代替品なのかもしれませんが。国家も会社も世間すら、そこにいれば安心して同じアイデンティを共有するという場は、もうどこにもないための代償をもとめてのヤケクソの盛り上がりみたいに見えてしまうのは、うがちすぎかもしれませんが。。。
さて、朝の9時からは大リーグ。ワールドシリーズが開幕
実況は井口のいるホワイトソックス寄りで放送されるのでしょうか。でも、生きる伝説と化したロジャー・クレメンス擁して進出のアストロズも応援したいような。。。昨晩から今日の昼まではなにやら野球漬けであります。
太古の世界からの贈り物
巻貝の化石を二つに割って内側を見せたものですが、一部はメノウ化した結晶となっています。
なんでこんなものを持っているのか、といえば、例によっての衝動買いの成果(!)
であはあるのですけれど。
私は宝石にはまったく興味がありませんし、特定の石には特殊な能力が
あるというようなストーンパワーなどというものも関心がありません。
でも、時々無機物をぼーっと眺めることで、様々な想念が情報ノイズにまみれた
意識を掃除してくれるような感覚に浸ることができます。
生物としてあることのストレスを忘れるからなのか、それとも私たちの身体に微量含まれる
鉱物質がさわぐためなのか、わかりませんが、かつて生物として活動していた貝が、
悠久の時を経て化石となって今私の手にあると思っただけでも、
地球規模のスケールと百万年単位の時間で想像力が揺さぶられます。
こないだウチにやってきたA君に見せたら、殊勝にもしきりに感心しておりました。
「これはすごいねー、うん、すごい。」
「そうだろうそうだろう、うんうん。 で、なにがすごいと思うかね?」
「だって、二つに割らなかったら、こりゃどう見たってウンコの化石だよなあ。
よくウンコ割って中を見せようと思いついたもんだと思ってさ。」
男の化粧・女の化粧、メイクアップの未来
「captain-jackさん、お若いですよね、なにかお肌のケアをなさっているのですか?」
「あ~?、そうですね、毎日のパックとマッサージ、それに週に二度のエステ通いは
欠かしたことがないですね。」
男のエステなんてと思っていたけれど、こんなことを聞くバカな人も本当にいるのですな、これが。
拙者もまともに相手はしないが、たまに本気にされるから困ったものです。
なにせ、エステどころか、一見清潔そうに見えて、実は顔洗うのも面倒で時々省略する拙者でありますので。
野郎のエステや眉そりは興味がありませんが、作今のごく若い女性達の化粧の傾向をみていて、今さらながら気がついたことがあります。女の化粧の様式というものは、結構なスピードで時代とともに変化していくものですが、この変化の方向には法則性がある。
それは、「女の化粧の目的は、男に見られるため以上に女同士の目を気にするところがはるかに大きく、女は女の目を気にして、女仲間の内の自分の位置を確かにするために化粧をするのである」、ということですな。
その特徴的な傾向としては、眉をいじり、黒ヤニでまつげをのばし、一言でいえばいかにも頭悪そうな顔を作るということなのですが、そのパターンはネイちゃんたちの集団毎に特徴があるようです。
「集団毎に特徴的なパターン」というのは、ひとつの仲間意識の現れであるともいえましょう。
若いねいちゃんの世代というのは仲間から遊離するのを極端に恐れるが、常にその行動は仲間の連帯意識を探り、仲間から突出した存在と思われないよう気を使っているのですね。
即ち、同種の人間であることをアピールするとともに、あからさまに頭悪そうな顔をつくることによって、仲間を安心させ、自分は集団からはみ出していない、一人で上に抜け出したりしない、と言っているのですね。こうして化粧は次第に頭悪そうなつくりを追求していくことになるのであります。
でも、それが見慣れてしまうとなんでもない当たり前の、きれいな顔に見えてくるから、たいした問題にはならないのでしょう。
この流れの先を考えると必然的に将来的にはきっとこんな化粧が流行するのだろうと予想されますね。
それでも男はちゃんと流行を追従して女性を賛美しますからダイジョウブ。
「鼻の詰め物とあたまの飾りががとてもセクシイだ・・。」
バニラ男と恋愛の破片
N氏の一日はバニラとともにある。
部屋にはバニラのルームフレグランスはかかさない。
バニラの香りのポプリもあちこちに置いてある。
お茶もバニラフレーバーの紅茶の上、
風呂はいつもバニラのバスオイルだし、
ボディーソープもシャンプーもバニラ系のものを揃える念の入りようだ。
別にN氏がバニラが好きだというわけではなく、
振った元カノがバニラが大の苦手だった、という理由による。
なんでもこれがもの凄い執念深い女で、警察にストーカーの
被害届け出そうかと本気で悩んだほどの相手らしい。
家にも会社にも正体不明の電話がかかってくるなどは序の口。
朝の出勤時にいるはずのない駅で立っている、
夜のコンビニに見たことのある人影がある、
身に覚えのない約束事を追求した超長文の手紙が届く・・・。
このところ近くには気配がなくなったものの、
元カノ、自称霊感の強いオカルトマニアだった事から、
N氏曰く、どうもいろいろと仕掛けてきているらしいのである。
いろいろって何のことなのか、私にはわからないが、
N氏の挙動を見ていると、どうやら生き霊が飛んできて
良からぬことをする事を恐れているようである。
そこで、バニラ漬けの毎日となるわけなのだが、
何のことはない、ドラキュラ除けのニンニクと変わりはない。
それでも今もって続けているところをみると、なにがしか効果は
あるのだろう。
いやはや、男の恋愛譚って、振るにしても振られるにしても
なんで格好悪いものにしかならないものなのか。
それはまあ相手は特殊な(?)女なのだろうけれど。
憧れのスナフキン
拙者、休みの日には時々テントを張って隠遁します。
といっても、山になど行ってもジジババばっかりだというし、既製品のキャンプ場は嫌いだし、
面倒くさいのも、汚れるのも、片付けるのも、忙しいのにキャンプ以外他に何も
できなくなるのもみんな嫌なので、自分のウチのベランダにテントを張るだけなのですが。
私が子供のころのテントといえば、やたら重い上に設営には多少の技術を要し、
自分でか背負っていって、自分で雨風の中テントを張ることができるというのは
少なからず自慢できることでありました。
が、今のテントは初めての子供でも「十分に簡単に」張れる程度のものばかりなので
便利なのだけれど、アウトドアの風情と自慢の種が一つ減ったのは確かです。
で、今の拙者は庭に張ったら汚れて片付けるのがめんどくさいのでベランダに張る、
というくらいの多忙で不精な現代人なので、テントはもちろんこの超簡単版であることは
言うまでもありません。
ベランダに張るテントには、本も酒も飯も不自由がなく、無線LANのテレビも見れる一方で
普段の生活からは緩やかに隔離されるので、インスタント遁世にはもってこいなのです。
重装備して出かけた旅行やアウトドアでも得られなかった、自適で面倒のない、
スナフキンライフが私の場合こんなところにもある、というわけですね。
スナフキンはもっと真摯な求道者だって?
そんなことありません。身勝手な風来坊ではありませんか?
ムーミンの著者のトーべ・ヤンソンは、ほとんど岩礁に毛の生えた程度の小さな離れ小島で
一年の大半を暮らしていたそうですが、この生活の一部が本にもなっています。
電気も水道もなく、船だけしか交通手段のない、喧騒な世間から離れた島で、トーベは
なにを考え、なにを想像していたのでしょうね。
『島暮らしの記録』/筑摩書房 (拙者は当然出版と同時に買ってもっている)
ウロコ人間と朝のワッフル
こだわっているわけではないのですけれど、私のシーツは
細かい格子状の網目が凸凹をつくっているもので、ワッフル編みとでも
呼ばれるものばかりです。
このため朝起きると、顔に細かい網目の模様がついていることがあり、
年齢とともに戻るのに時間がかかるようになってきているような気がしますので、
この先いずれジジイになった頃には、私はうろこ人間として生きていかねば
ならなくなるかもしれません。
などと、アホなことを考えつつも、私がワッフル編みのシーツばかり使っているのは
朝の手触り、これに尽きます。
ワッフル編みは、体との接触面積が少なくなるので、元々さらりとした感触が特徴
なのでしょうけれど、朝初めに感じるものとして私に必要だからなのですね。
我ながらアホウそのものの、熟睡人間である私は、朝起きるとたいてい
前日との記憶がすぐにつながらず、まったく呆けた状態から一日が始まります。
それどころか自分が如何なる人物で、何故ここにいて、自分を取り巻く世界や状況が
如何なるものであったか、思い出して、自分の役回りと世界の設定を納得するために
短時間ながらも意識的な精神の動作と努力を必要とします。(本当にアホだな)
ある朝目が覚めたら、外銀河探査船の中で異星人の接近を告げるアラームが鳴っていたと
しても、そういうものなのかと思ってしまうかもしれません。
で、ワッフル編みが何故必要かというと、
向うの世界と、こっちのたぶん昨日までいた世界をつなぐ記憶が、私の場合ワッフル編みの
ざらっとした手触りだからなのです。
朝の寝床の中で次第に目が覚めてくると、ほとんど無の自分自身に少しずつ情報が流れ込んできます。呼吸器を出入りする息の感触、体を巡る血の感触、だんだん暖かくなってくる手足、ようやく手をうごかしてみると、いつかざらりとしたシーツの感触が手を捉え、私に今日が昨日の続きの私であることを思い出させる導入部の役割をなしてくれるのです。
ワッフル編みシーツがないと、私は私の役に戻るのに今より時間と努力を要するのでしょうね。
こういう、前日記憶のばっさり途切れる人間って、私の周りでは知り合いの女性にひとりと、
池澤夏樹の『マシアス・ギリの失脚 』のマシアス・ギリ大統領(これの忘却度合いは私よりすごい)だけですが、きっと世の中には仲間がたくさんいますよね。たぶん。
望
漢字の『望』 もとは、大きな目をあけて先方を望み見る人の形で、
「月」は大きな目をたてにしるしたもの、「壬」は爪先立った人、
これに声符として「亡」(ぼう)を加えたもの、とある。 (「字統」による卜文のマゴビキ)
また、遠く望むことによってその妖祥を察し、
眼の呪力によって敵に圧服を加える呪儀を望とも言ったそうで、古代の戦争の時には
眉飾を施した巫女を多数そろえて敵を望視することなど、よく行われたらしい。
国家的軍事目的の「ガンつけ」である。
また、月日の相望むとき月影が満ちて見えるので、十五夜のことを望というのだが、
確かに百円ショップで買った陰暦カレンダー(けっこう立派)には、
満月のところに「望」と書いてある。
今日は十五夜の満月で部分月食のはずであったが、こちら三日連続の雨降りで
月見など望むべくもない。
いくら拙者が雨が好きといっても、いいかげんカビでも生えそうじゃ。
というよりも、秋の雨は体が冷えていかん。



