ウロコ人間と朝のワッフル
こだわっているわけではないのですけれど、私のシーツは
細かい格子状の網目が凸凹をつくっているもので、ワッフル編みとでも
呼ばれるものばかりです。
このため朝起きると、顔に細かい網目の模様がついていることがあり、
年齢とともに戻るのに時間がかかるようになってきているような気がしますので、
この先いずれジジイになった頃には、私はうろこ人間として生きていかねば
ならなくなるかもしれません。
などと、アホなことを考えつつも、私がワッフル編みのシーツばかり使っているのは
朝の手触り、これに尽きます。
ワッフル編みは、体との接触面積が少なくなるので、元々さらりとした感触が特徴
なのでしょうけれど、朝初めに感じるものとして私に必要だからなのですね。
我ながらアホウそのものの、熟睡人間である私は、朝起きるとたいてい
前日との記憶がすぐにつながらず、まったく呆けた状態から一日が始まります。
それどころか自分が如何なる人物で、何故ここにいて、自分を取り巻く世界や状況が
如何なるものであったか、思い出して、自分の役回りと世界の設定を納得するために
短時間ながらも意識的な精神の動作と努力を必要とします。(本当にアホだな)
ある朝目が覚めたら、外銀河探査船の中で異星人の接近を告げるアラームが鳴っていたと
しても、そういうものなのかと思ってしまうかもしれません。
で、ワッフル編みが何故必要かというと、
向うの世界と、こっちのたぶん昨日までいた世界をつなぐ記憶が、私の場合ワッフル編みの
ざらっとした手触りだからなのです。
朝の寝床の中で次第に目が覚めてくると、ほとんど無の自分自身に少しずつ情報が流れ込んできます。呼吸器を出入りする息の感触、体を巡る血の感触、だんだん暖かくなってくる手足、ようやく手をうごかしてみると、いつかざらりとしたシーツの感触が手を捉え、私に今日が昨日の続きの私であることを思い出させる導入部の役割をなしてくれるのです。
ワッフル編みシーツがないと、私は私の役に戻るのに今より時間と努力を要するのでしょうね。
こういう、前日記憶のばっさり途切れる人間って、私の周りでは知り合いの女性にひとりと、
池澤夏樹の『マシアス・ギリの失脚 』のマシアス・ギリ大統領(これの忘却度合いは私よりすごい)だけですが、きっと世の中には仲間がたくさんいますよね。たぶん。
